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この後、人間の条件を買いました。

 この余白の上に個人的な雑記が記される。


 この余白の上に個人的な雑記を記す者は私である。従って上記文に於ける、個人的な、のその個人とは、私個人のことである。


 果たして私個人とは、いや、これをどう口で言い、これをどう文章として記せば良いものやら、私には一向に判らない。マジで判らない。

 私はあの日、電車に乗っていた。千代田線である。千代田線は私を搭載して、路線上をひた走っていた。暗闇、ひかり、暗闇、と順調に経過させて行く窓枠の向こうを眺めたり、またはスマホの画面を見つめ、画面上に表示のされている内容を見つめ、その内容をどれだけ長く見つめてみても何も判らないような気がして私は、短足ながらに無理くりに足を組んでいた。

 確かそれは原宿、表参道間であった。そうだったのだと今から思うが、恐らくそうだった。くらやみ、光、くらやみ、と、電車の速度で越境して行く視界がふいに変になった。変になった、変になった、他に言い様が無いとは思わないが、あの変な様子に適した言い様がまるきり思いつかないのだ。視界は変になったのである。何かひび割れのようなことが起こって、それもそのひび割れは音もなくふいにひび割れており、尚且つ歩いていた。これでは判らないだろう。ひび割れが歩いていた。それは私の目の前を歩いていた。ひび割れは女だった。

 私は、あん、なんか変じゃね、と思って電車の内側を通り、私の視界を端から過って行くその女のことを見た。女は、判らないが、それも決して判りそうにもないのだが、先ず一つ言えることは、私はその女を何処かで見たことがあるような気がしたという事だ。私は一瞬でそう思った。また私は同時に、その女が通り過ぎようとしているのではなく、こちらに向かって歩いて来ようとしているようにも思った。だが、それでは位置関係が妙なことになる。妙と言えば、これだけは自分自身にさえ打ち明けて述べることを差し止めたいくらいであるが、彼女がそこを通るのと同時に、何故か、吊革が、つまり吊革が女の中央を通って行くそばから、ぎりぎり、ぎりぎりと、あらぬ方向へめくれ上がって行ったのを見た。それは見てはいなかったのだと私は今になっても思いたい光景だ。しかし確かにそれを見たのだと、記憶はあの時のことを私が思い出すたびに示唆して来るのである。

 とにかくどうやら何かがおかしいという案配で、車酔いはよくして来たけれども小田急線や千代田線で酔ったことは一度もないという私が、その一度もないという完璧な未然状態をこの時決定的に喪失してしまわなければならなくなった。吐き気は猛烈だった。まるで胃の中から喉を通して、産まれ落ちてこの方の全てを、もう一度自らで産み直ししなければならないような、絶望的な嗚咽が体内を渦巻いた。私はシートに座したままふらついた。何と言うか、生きる力がすっかり無くなった。私は急遽、そんな症状を抱えながら、それでも女を眼で追った。女は振り返らなかった。女は振り返らず、そのまま電車は停止した。思い出すに、やはりあれは表参道駅だったのだと思う。女はそこで降りた。最後まで彼女は振り返らない、いや、振り返った。その瞬間、驚くほどに私の当てが外れていて、女は私の見知っていた誰かなどではなく、見知らぬ、えも言われぬ形相の、ああ、何かだった。しかし私はそれが何かであり、それを何かと不明瞭に名指して言うということは従って、何かであるそれが実際何であったのかを、どうしても思い出すことが出来ない。思い出したくもないのである。とにかく私は募っていた吐き気の為し果せたいことを成就するだけだった。私は吐いたのだ。それは土だった。また吐き続けるとそれは草だった。ずっと私は嘔吐を続け、土に草にと吐瀉物は、続々と吐き出されるその内に次々と姿形を変えて行き、次いで私は木を吐き岩を吐き、穴ぐらを吐き、老婆を吐いた。私は死んだ。そう思った。それも吐くたびにどんどん死んだ。そう思ったのだ。やがて私の吐瀉物だらけになった周囲こそが、私自身が真新しく存在している新たな場所だった。つまり草木や岩の散逸している自然の空間に、私は何時の間にやら存在していた。おいおい待ってくれよ、電車に乗っていたのである。

 小田急線から直通の千代田線に、私は乗っていたはずなのだ。それが今やアウトドア、富士の高原か何かまるで判らない、或いは奥多摩辺りなのかもしれないが、とにかくそこは電車の中では決して無い。私はガチでどんどん死んでると思い続けて吐き継いだのだったが、そうして吐き終えてしまうと、ガチもガチ、マジのガチにこりゃ俺は死んだんだなとそう思わざるを得なかった。


 私は私自身についてを思うたびに、既に死んでしまったはずの人を思わねばならぬ。然るに常に居心地が悪いようだ。今こうして文章をしたためていることも、何の救いにもなりはしない。

 吐き出した老婆が私にこう言った。

「あなたはいずれ、イビルキマーチエ山のほとりに居城を構える、ソンジェの弟子のバルポラ軍団長と戦わねばならない」

 私は、ええ、と言って聞き返した。老婆は二度、同じことをさらさらと言った。それでも私は、はい?、とまた聞き返した。老婆は三度目も全く同様だった。

「え、ええ?」

 私の四度目の聞き返しに老婆は激怒した。私は非常に嫌な思いをし、敬老という精神もそれをして相手を敬うかどうかは、一つ若者の方でも厳しく選定をするのに限ると堅く思われた。だから私は、なんだこのくそババア、と怒鳴ってやりたい気持ちで、しかし実際には相手に聞こえるか聞こえないか程度に囁いた。堅く信じているものは、怒りの直線的な表明とは即ちエネルギーの無駄な消耗であるという事実をもだったからだ。あとは老婆は剣幕が凄まじく、私ではどうにも勝てそうにないと悟っていたからでもある。

 私とババアとの不毛な対立は、その不毛さ故にもずいぶんと長ったらしく感じられたものだったが、しかしやがて私も自分の歳とそれに伴って来る社会的、共同体的、つまりそれらを構成し得る一人の大人としての責任や義務感というものに抑制され始めて、確かにこの老婆は敬うには値しないけれども、一つここは丸く収めて、訳の判らぬこの状況について聞き出せることは聞き出してしまった方が良いだろうという推測から態度を一変し、怒り狂った老婆を何としても懐柔する方針を打ち出した。即ちその方法とは実に簡単なもので、とにかく平謝りである。ババアをババアと侮蔑的に呼ばわったこと、またあまつさえババアと呼ばわる侮辱の上に、頭へクソまで加えてしまったこと、それらを過ちとして仮に置き、とにかくうわべだけは謝り、それもそのうわべが実に物々しく真摯な反省と相手の眼に映るよう懸命に気分を陥れながら、とにかく表面上を丁寧に取り繕ってめっちゃ土下座した。すると老婆は未だびくつくような警戒と敵意を解除せぬままに、しかし彼女のそれが務めであるのだという出し抜けの告白から今度は私に与えられている務め、いや彼女は運命と言った、老婆は私の運命の概要を語り出したのである。


 私は今、静かな林に潜まった寂しい小屋の中で、これを打っている。ここが私の住み処だと言って老婆が私に与えた小屋だ。しかし元はと言えば私が吐き出した小屋なのだ。老婆によれば私は現在トゥーリー地方に生きている。トゥーリー地方とはカナザイシャ帝国の一地帯で、驚くほどに森ばかりがより集ったつまらない田舎だ。カナザイシャ帝国はリンドバル共和国と隣接しており、これら二つの国は剣呑なことに戦争中である。こういうものは世の習いと言うべきか、とにかく隣同士の国同士、そこに利害の絡まぬ話などなく、争いにはついぞこと欠くことのない。カナザイシャには領土的野心が常にあり、リンドバルは歴史的な経緯からカナザイシャを憎しんでいる。この二つの国の北部にはまたマダンという国があり、この国は魔術支配という眉唾な力をして、国民を統制しているものらしい。マダンは二つの国にそれぞれ対して中立の立場を決め込んでいるが、誰も彼らの表面的な政治のふるまいを信じてはいない。彼らは、怪しげな力をそれぞれに売り付ける武器商人なのであり、何であればかのマダン国こそが諸悪の根源であるというのが市民ら巷間を行き巡る専らの噂だそうだ。

 それで私はつまり、何かの間違いで、こんな状況に陥ってしまった。この上で老婆の言うところの私の運命とは即ち、カナザイシャ、リンドバル、並びにマダンの国から一人ずつ、"ウラツカ太陽への道拓き"、という宿命を帯びた英雄らが現れるらしく、私は彼らに対しては何か少なからぬ役割を持っており、それをして彼ら道拓きの尊い定めに助力をせねばならぬのだそうだ。それが私、"シルルポン血族"の末裔に必定として課せられた務め、運命なのだと老婆は言った。

 果たして、つまり私が私を判らないというのは上記に開示した通りのことだ。シルルポン?ウラツカ太陽?何だそれは。私はただの日本人で低所得者で、低所得者らしく何も物を知らず、考えず、しかもだからといって野性的に生きていく活力といったものも特には持ち合わせてはおらず、おまけに何故だかいつでも少し体調不良であるというだけの、悲しきフリーターであったはずだ。それがシルルポン血族だって?シルルポン血族とは一体なんなのだ。いや、しかしそんなことはどうだって良い。私は確かに死んだのに違いない身だ。そして今、浮かばれなかった生をそれでも惜しみながら地獄に生きているという気分で、実際にはやはり死んでいるという身だ。

 このように死して時を経て、益々と腐って行く私を老婆は、未だその時ではないとでも言いたげに、この小屋へと押し込めた。その時というのはつまり、イビルキマーチエ山の近辺でバルポラ軍団長と戦うその時である。

「未だ前世に未練あるお前の為にこれを用意した。だがくれぐれも過去にかまけてはならぬ。お前の過去は、余りにも遠くなった過去なのだ」

 前世と言うのならその遠さも確かに計り知れまい。だが計り知れぬほどの遠い過去を私は未だ、昨日のことのように覚えている。と言うか昨日は普通に出勤した。形の悪いレタスをいくつも四等分してやった。形のクソ悪いレタスを素直な一枚一枚へと切り分けて行くことが、どれだけ大変なことか。それが私には判る。これだけ近くに染み付いた身体の記憶が、前世のように遠い過去を指し示しているはずなどあるまい。


 さて、こんなところでことの経緯についてはもう良いだろう。私はこの世のものとは思われぬ方法で、あの世にあってはこの世のものとは思われぬこの世を今やこの世とし、あの世を今やあの世としている。私は老婆が、お前の為に、と言って慰みに寄与した小屋とその内にある様々な便利機能とを実は気に入った。未だ前世に未練ある、と言って寄越した意味は、小屋の内側の卓上を小型の地球儀然として置かれている黒い球体のもやにかかっていた。そこに手を突っ込む。欲しいものを胸に思う。すると黒いもやが私の欲しがったそれをぴりぴりと生成してくれる。これを気に入らないという突っ込んだ手はないだろう。だがしかし制限があるようで、それはこの黒いもやより以上の大きさのものは何も取り出せないという点だ。この世のことの何も判らぬ私が欲しがるものとは当然、あの世に残して来た未練ばかりである。それもこのもやの許す限りの大きさに於いて。私はもちろん、生活に必需と思われるものは様々に取り出して、それらを小屋の内に配置した。それである程度生活らしいことは難く無く営めるであろうという予想も大方ついた。それなら未練はここでその本領を発揮して、楽しみにしていたが読みそびれてしまっていたゲンロン12という雑誌に掲載されている東浩紀の論文を欲した。それがもう手元に生成されてしまったのだから、黒いもやはこれは大変なことである。


 以下、私はゲンロン12の巻頭論文『訂正可能性の哲学』を読んで、思ったことや考えたことをここに記述する。誰にも、どんな突拍子のない出来事にも邪魔をされなければ、最後まで私は書き続けることが出来るだろう。(老婆がたまに無言で扉を開けて私を恨めしそうに見てくることがあって、それが気持ち悪いのと、今は何故だか、名の知れぬ鳥たちが騒がしく、外には風が吹いているものか、それもとても強く吹いているものか、色鮮やかな緑色の内に、木立も枝葉を水場で戯れる子どもたちのよう、ばしゃばしゃと互いに鳴らし合っている。全体に不穏当な気配あり、突拍子のない出来事はそれは、本当に起こりそうである)



 


 先ずは家族と公共との対置があります。

 哲学思想はかねてより公共性の最善化を考えて来ました。また家族とは少数人の私的領域であります。然るに哲学思想に於いては、家族という閉塞をした小集団は、公共性の敵でした。

 家族とは少数人の私的領域であり、私的領域である上はそこに、公に於いて差し控えねばならぬようなエゴイズムが自然と発露するのです。エゴイズムばかりが表に罷り通ってしまう世の中に社会はありません。社会のない世の中に公共は無論ないのです。従って家族は否定されます。少なくとも否定せられ"がち"であります。


(老婆が見ている)


 人は公共の為に開かれねばなりません。だから閉ざされた家族は公共の為にはならぬのです。頭の良い人々はそう考えて来ました。しかしこの公の為にはならぬ家族というものの閉鎖的性質、排他的性質を認めたその上で、公共の為に開かれよと唱える頭の良い人々の意見を同じくして寄り集って行く団塊のそうした姿の上にも、家族と同等、思いがけずも閉ざされてしまった家族的似姿をそこに発見するという新しい頭の良い人も現れました。畢竟、寄り集う群衆は彼らの領域を定め、彼らの上に規則を設け、これに従われぬ者を排斥することで、家族同様に閉ざされて行ってしまうのであります。

 これをして著者即ち東延いては浩紀氏は、開き、閉ざしの対立自体がつまりはこの時点で無意味なものであるのだと述べるのです。


(また扉が開いたと思って見ると、ほんの少しばかり開いている。老婆はいない。私は席を立って扉を閉めた。力強く閉めた。ひゅうぼん、と風の断ち切られる音がした)


 我々は閉ざされた家族の私的領域から解き放たれようとして開かれた公共に臨むが、しかしそうして開かれた先の公共ですら実は閉ざされている。即ち、人は避け得られぬ家族的なものをつとに常に既に原風景のようにして、あらゆる集団の雛型としているのであります。そうした避け得られぬ家族性を我々は如何にすべきでしょうか。東氏曰く、(東氏、ゲンロン12の53ページの上の段の10行目から13行目で曰く)


「ぼくたちは家族についてしか語れない。家族の外に出ることができない。いくら家族から離れても、そこにもまた家族を見出だしてしまう。だとすれば、そのさきに進むためには、家族の概念そのものを再定義する必要がある。」


 文章の抜粋ということをして、不如意に気付かされるのは、所謂漢字の開かれのその具合であります。"ぼくたち"は"僕たち"ではなく、"できない"は"出来ない"ではないし、"そのさき"は"その先"ではない。これを読む時には読んでいる自分は、そのことには全く気付かなかったのです。が、こうして抜き出して書いてみるとこの開き方の裏には、読み手に対して書き手の達成をしたい何をか、その為にされる周到な気遣いが隠されているのかもしれぬと思わされます。何故なら、僕たちは明らかに僕たちのことをぼくたちと読むことが出来るのであり、出来るのでありをできるのでありと読むことが出来るのであるから、然るに開かれる必要があるとは一般には思われにくかろう単語が何故だかこのように開かれているということに事態は成っているからです。

 ところで、漢字を開くということは即ち漢字表記をひらがな表記にするという意味であります。また一方でその反対に漢字へ閉ざすという言い方も存在して居り、これは無論ひらがな表記を漢字表記にするという意味であります。先の東氏に倣って言うのでもありませんが、果たして開くも閉じるも文章作成者の意思如何のこととて、そこに善悪の分け目は存在しないはずです。にもかかわらず、これについては明らかに世の趨勢というもののあって、つまり明らかに、判然と、善い文章とは漢字の少ない、開かれた文章のことを指すのが一般であります。私は必ずしもそうとは思わない。理由は二つある。しかし今は一つの理由を述べるに漢字には、"意味"というものに対して強く指示をする力があるからです。

 例えば、金がある(ないけど)、という言葉の"ある"が、在ると有るとではその様相は異なって来る。在ると言うなら何処ぞに金という存在が在るというだけだが、有ると言うなら私の財布の内にそれが有る(ないけど)ように伝わるものでありましょう。これは、有るが有する、即ち所有という意味を指示しているからです。ひらがなの"ある"ではその内のいずれかが判然とはしない。漢字へ閉ざす場合とは、それをして意味の変わる以上、文脈の如何に因っては全体の意味の通りが素直になるので、従って文章(に拠って表現のされている何ものか)の解像度が増すという場合であります。

 でも、別に文脈があるんだったら"ある"で良いんじゃね?だって文脈があるんだからその"ある"が意味として在るなのか有るなのかは何せよ文脈が在るんだからそれで判んだろうが。そう思われる人も中には居られるかもしれません。率直に言いましょう。まさしく、まさしく私自身が、これをつらつらと書き連ねて行った私自身が、その内にそう強く思われて来た、あなた方の新しい友であるのです。ボンジョルノみなさん。そもそもだいたいが自分にしてもそんなに厳密にはやってねぇんですよね!だから二人は仲良しのズッ友さ。前世からの宿縁だお。今生もよろしくね!

 という風に私は見知らぬ誰かと新しい友となった訳だが、ここでウィトゲンシュタインであります。ウィトゲンシュタインという生前に色々と考えて今は死んでいる頭の良い人は、ここに於いては本来、私の為にその名の引き出された訳ではない。東氏の論文に於いてその当の論文の為に参照されているのであります。無論、それは"家族の概念そのものを再定義する"為に必要であるからです。


(風の、小屋外壁を打ち叩きながら鳴っているあの悲鳴のような、金切り声のような音は実際に、風のように吠えている老婆の尋常ではないその声音である。私は、一時ばかり怖じ気付いていた。が、直ちに気を持ち直すと、ベッドの横側の壁を蹴り付けた。その辺りが音の出所であったからだ。すると忽ちに音は止んだ。壁の向こうで、立ち去って行ったに違いのない老婆を胸に思う。すると得も言われぬ不快なものが、そこへとぽとぽと滴り落ちて来た。即ちそれは一つのガッデェイムを内に目覚ます、苦い呼び水なのである)


 ウィトゲンシュタインは生前に色々と考えて、非常に色々と考えて、我々は言語使用という人間の持つ能力をして世界の真偽を云々かんぬん出来るのだと考え至ったが、その後やっぱりそれは出来ないのだと考え至った、乃至は"やっぱりそれは真偽とか言う以前にそもそもは方面"に向かって考え始めた、そのようであります。即ち、言語ゲームという考え方に彼は行き着き、言語はそれ自体として世界を写実することなど出来ないし、それは他者とのやり取りの上で意味を伝え合うゲーム的な行為なのであり、しかもゲームのプレイヤー即ち我々は、そうした言語コミュニケーションをしてどのようなゲームをプレイしているかの自覚を持たない、尚且つ自覚のされないそのゲーム自体もそうして自覚のされ得ぬままに移り変わって行く、というようなことを言ったのだそうです。これだけでは、家族どこ、であるが、プレイヤーに自覚のされ難いゲームの複数、それらが家族のように似通っているということを家族的類似性、と表現したウィトゲンシュタインであるから、それで東氏は彼のことを言及した訳です。

 そしてここで既に家族という概念に、古くから現在へと至るにまで排他的で閉鎖的であると見なされ続けている家族という概念、それに非閉鎖性を偲ばせる、新たな可能性が見出だされています。即ち、言語ゲームの複数がそれぞれに似通い、それ故にもゲームの内にあるプレイヤーが気付くことの出来ない流動性を以てウィトゲンシュタインに呼ばわれた"家族"であります。

 ここは中々難しいところでありまして、何か解けかけても解け切られない六面パズルが如何にしても腹の沼地を沈んでは行かれない。そうした消化不良の感がある。言語ゲームのそれぞれに似通うところのある複数を"家族"と呼ぶのは、ウィトゲンシュタインの表現上のこととて、それぞれに類似をしている複数ということに対してされた比喩と読んでいて思われる。即ち、言語ゲームのその流動性は、そうした比喩表現に内包されてはいないのではないか。


(突然、ぎぃやっと窓が開いた。もちろん老婆である。そこから吹き込んで来る風に、彼女の掲げるバスケットの内を敷き詰まった鱗付きの果物の香りが交わっている。私は老婆の名を聞き、老婆はニューエラと名乗り、それから彼女は私のことをマムゥコと呼んで、私は激怒した。◯ねぇぇっ、と思い、そう叫んで窓を思い切り閉めた。が、また開けた。頬に当たる風が心地好かったからである。一度閉じてしまったことで、思い出したようにそう感じたのだ。老婆は既に、そこには居なかった)


 くしゃっと丸めて、背中にそい。抱かれた疑問点をであります。これを換言すれば、まあ別にいいや、であります。

 次に現れるのはクリプキという人です。論文上に顕現せしめたりしは無論、著者である東氏です。このクリプキという頭の良い人は68+57=5だよー、と急に言い出した人であります。123+73=5だよー、とも言った。絶対に頭の悪い人でしょう。無論、そうして絶対に頭の悪そうなことを言ったクリプキという頭の良い人は、実に頭の良い人であるのだから頭の悪そうなことを言うのにも有意味であります。しかしそれはもう書かないでも良いのではないか。この文章は、かの論文の拙劣なリミックスを目して書かれ始めたのではありません。書くことで勉強にはなるが、勉強をしながら書いているのでは何時まで経ってもこれを終えられないのです。


 ところで私は思い出す。 


《私は第二次安倍政権下に於ける安保法に纏わって、国会前に集う人々の姿をネットで目撃する度に妙な胸騒ぎを覚えていた。友人はわざわざ国会議事堂前に出向いて行って、その様子をカメラに撮影して来、私にそれを見せた。友人はそれを愚かだと言って私に見せたのだった。私もまたそれを見て愚かだと同意した。しかし胸の内に土をまくるミミズのような不安の躍動は止まなかった。

 別の友人もが彼らを愚かだと言った。私は彼と珈琲を啜りながら、そうだ愚かだ、と同意した。しかし何故、彼らはあれほどに愚かで我々は彼らをあれほどに愚かだと信じていて、にも関わらずこれほどに不安は絶えずしてこの胸の土をまくって来るのだろう、とそう考えた。それでネットを用いて状況をよく調べた。

 安保法への肯定的な意見は私を安心させた。否定的な意見は私の胸をかきむしって来た。肯定的な意見は始め反対意見に対しては説得的であったが、やがてはこれを馬鹿にし始めた。否定的な意見は何か軽はずみに見え、それは妙に理想的で、言葉が弱く、しかし憎しみに充ちた悪意だけは強烈だった。その意味は即ち私が確実に、心理的に一方の側へ、思いがけずにもいつしかぬぼぅっと佇んでいるということを指示していた。

 実に奇妙なことには違いないのだ。集めた情報は、それをして判断の正否を知らしめるというよりも、私を思いがけずにいつしかそこへと佇ませた感性に対して慰撫をした。或いは逆撫でた。私は、日本の国防がよその国に頼り切りとなっているに等しいこの現状を不正義だと思った。また仮に起こる戦時に、集団的自衛権行使を容認し得ない国へ、よその国が集団的自衛権を行使してくれようとは思い辛かった。有事にもしアメリカが日本を本当に助けるのであれば、それこそ日本の不義理さには目も当てられないものがある。そのように正しく思う心がつまりは正しさを感じる私の心でありまた、正しさを信じたいという私の心であった。

 東浩紀氏を知ったのはそうした折のことである。彼は三浦氏や上念氏や田原氏らと共に何かのテレビ番組か何かに出演しているか何かをしており、私はそれをYouTubeで見るか何かをしたのかもしれぬ可能性があるとは言い得ぬこともないのであろうか。

 Twitterでフォローした。Twitter界隈は(私はこれをそれまでは知らぬのだったが)人間の醜い部分の実に頻繁に出て来る仮想空間で、そこで日常的に行われている感情的な負の応酬と照応とは、私を大変に興味深い気持ちにさせてくれた。

 その内に東氏によってゲンロン0が書かれた。その旨がTwitter上に於いて告知をされた。私はゲンロン0を新宿の紀伊国屋書店で購入した。読んだ。その時の感想は、語彙が違う、というものだった。果たして語彙が何とどう違ったのかを言うとするならば、それは私が今まで読んで来たものとめっちゃ違った。世界が違うと思った。これは楽譜を読むときに要請をせられるような、それ相応の特別な読み方をしなければならぬような本だと思った。そうして何より見知らぬ名ばかりが読むこの眼に立ち列なって現れて来ていた。哲学者の名前ばかりである。私はその内の誰一人とても知らぬのだった》


 ところで先に背中へぽいと丸めて捨て去った疑問点はしかし、背面方向の何かに(恐らくは未だ何ものもそこに設置されてはいない壁付きの飾り棚の辺りに)ぶつかって跳ね返った結果として実は今、私の足元へとまたかさりかさりと転がり込んで来ていたのです。

 私はそのくしゃりとした軽々しい塊をまた広げてみてそれから、当のくだりを(即ち論文の当のくだりを)読み返してみました。

 そうして読み返してみるとこのような意味合いのことが記されている。

 然るに、言語ゲームはプレイヤーの知らない内に移り変わってしまうのだが、その移行がプレイヤーにとって知らぬ間であるというその所以(ゆえん)はゲームの複数がそれぞれ部分的に似通うところの有るからである。しかし、だからと言ってゲームの全てが共通をして同じという訳ではない。ウィトゲンシュタインはこれを家族的類似性と表現しており且つ彼はそのような特徴を持つゲーム全体は一つの家族を形成しているのだ、と述べている。

 つまり、


言語はゲームである→ゲームは別のゲームへと時に移ろう→プレイヤーはそれに気付かない→何故ならゲームはそれぞれに似ているから=(即ち、然るに)家族的類似性


という流れであるが、この流れに則って言えば、家族的類似性は即ち"言語ゲームの移ろいがプレイヤーの知らぬ間に行われてしまうこと"の原因説明になっているのであります。そうして何よりそのような特徴(流動性、類似性)を持つ"ゲーム"のことを、ウィトゲンシュタインは"家族"と呼んでいる。呼んでいる、とそう書いてある。そもそもそう書いてある。そもそもそう書いてます。書いてありました。本当にありがとうございました。

 従って、


我が疑問点→読み落としに因る疑問点=ごみ的類似物


ということになったのです。びっくりですね。


(私はふと思い立って、黒いもやへと手を突き込むと、その中から真白い紙ぺらを一枚取り出した。私はそれをくしゃりと丸めた。そうしてまたそれを広げ、丹念に引き延ばしてから後、あちこちから折り畳んで行った。出来上がったものは紙飛行機である。私はこれを摘まむと窓の向こうへ狙いを定めた。頭の内に想念は、吹き行く風に乗って澄み切った林間を音のなく渡る一枚の飛行を思い描く。それをこの眼に見たいという心が少しく破れた紙ぺらなのだ。私は放った。紙飛行機は指を離れ、指を離れた紙飛行機は、飛び立ち得ずにふいに死んだ大羽の蛾のように窓辺へと失墜した。仮に紙飛行機の万全に作成せられていたとても、また私の摘まむ指が巧みにこれを放っていたとても、紙飛行機は疑い得ずに死んだ蛾であった。何故なら風の吹き込んで来る窓の向こうへと真っ向をするものは、そうする限りは必ずにして向かい風へと突き当たるからである)


 紙飛行機は落ちた。私は書き続けるのです。


 ウィトゲンシュタインの『哲学探究』を論じたクリプキから言語ゲーム的な共同体の姿は見出だされました。東氏はそうして見出だされた共同体の姿の内にウィトゲンシュタインに拠る"家族"性の欠落を更に見出だします。即ち、68+57=5だよー、と急に言い出すことを端緒として、単独に在る言葉の無意味と単独に在る規則の証明不可能性が言われた結果、それらが機能をする為には是非とも必要となる他者、その他者のする判定に因って意味と規則とがようやく維持されるという共同体、また判定の如何に因って部内者と部外者とを選り分けてしまう共同体、これに東氏は言語ゲームの"家族"的な移ろいを導入……と言うよりもそもそもがそうした共同体には、"家族"的移ろいというものの可能性として備わっているはずである、と指摘をするのであります。

 然るに移ろいの可能性とは、68+57=5だよー、と言う謎の人に対して、それイイネ、と言ってしまわれる可能性、謎の人の意見を取り入れて規則の方を変えてしまわれるという共同体の可能性であります。無論、謎の人は極端に謎な人なのであり、具体的に彼が或る共同体に於いて日々行われる算数へそうした革命をもたらす可能性は決して無いが、つまり共同体は規則に合わぬものでも都合や意思のその次第で柔軟にしてこれを取り入れ、従来を訂正し得るのだということが述べられているのです。果たしてここに"家族"的な共同体と訂正可能性の片鱗とはその姿を現したのであります。


 ところで書き続ける私は思い出している。Mくんを思い出している。Mくんは早稲田大学の学生であった。インディペンデントに塾の講師をやっていた。彼の話は面白かった。私は大学生のことが好きではない。それは私が高卒だからそのように思うという訳ではないのだと信じるのだ(が、実際は知れぬ)。しかしMくんのことは好きだった。Mくんは(大学生にしては非常に珍しいことに)真剣に学問をして居り、また真剣に世の中のことを憂いていた。そういう人物が在るということを初めて実地に目撃している時のこの胸の清々しさといったらない。私は嬉しかった。年下であったけれどMくんは、明らかに私の先生であった。


(思い出しているその時に、私の本を捲りやる為にもそれを維持していた両の掌は今解放されている。指は頬骨を撫でる。眼は閉じる。視界が暗くなる。果たして閉ざした眼は何を見るだろうか。もちろんそれは暗闇。だが暗闇を瞼の裏に見ている眼の、光を捉える機能は実際に失われてはいない。だから暗い内にも周囲の明度の変化のようなものが感じ取られるのだ。ほら、実に今しも我が眼前には、何やらすばしっこくして動いている何ものかの在るようではないか。閉じた眼にも目まぐるしい俊敏さが、全く暗闇の内に躍々足る活動的生を、と言うよりも明らかに吹いている(かぜ)でない風圧、何やらちび臭い風圧が私の顔面を掠め続けているではないか、眼を開けた。すると、申し訳ないのだが、またぞろそれはやはりは老婆であった。それも窓の外から内へと乗り出すようにして両腕を伸ばし、私の顔面へそれで押印でもしたいかのように窮めて形作ったダブルのピースサインを掲げている()の老婆である。ヘイ、ヘイヘイ、へへヘイヘイ、と老婆は嗄れ声でウェーイをしながら私をうざがらしめた。私は、この人は私を怒らせようとしているのに違いないのだ、それだからここで自然の感情に堪えず怒るようなことをしてしまっては彼女の思うつぼなのだ、と考えた。然るに、私は目一杯の偽りを面上に集結せしめ、そこに晴れやかな笑みをこしらえると、わあ蟹さんだあ、と言ってやった。少し喜んでいるようなふうまでしてやったのだ。すると老婆はふいに真顔になって、家賃だよ、四トワキャピタリ払いなよ、と言って来た。一体何ということだろう!私は窓を閉めた)


 私は記憶が定かでないけれども、確か初めて集団的自衛権の悶着の話を聞いたのは彼の口からだったように覚えている。私はその時も、先と同様の感想を言ったはずである。


《初めて会ったその日に私は、ポストモダンってなに、と彼に訊いた。よく聞く言葉であったが、意味が判らなかった。それで彼に訊いた。Mくんだったら答えられそうだと私はそういう人物と彼を見て訊ねたのだ。Mくんは色々と言葉を尽くしてくれたが私は、つまりはポストモダンとは反米だ、という風に答えを簡明にして記憶している。本当にそうだったのだろうか。間違った答えのようだが記憶はそう指し示している。無論、定かでない記憶が何を指し示そうともそれが定かではない以上、信頼の置けるものではない。だが定かでない記憶は他には何も指し示してはいない。だからポストモダンとは反米だと彼は言った。いや、もしかしたら私自身こそがそう言ったのかもしれぬ。とにかくその時、反米ということを二人の内のどちらかが言ったはずである。

 Mくんは私を買い被っていたが、私は彼を買い被ってなどは居なかったろう。彼は早稲田は伝統的にリベラルだ、と言った。そうして彼自身は新自由主義者だと宣った。それでSさんはどうですか?

「なにが」

「主義ですよ」

 私は彼へ歳上の人間として、この世には君のように確りとした主義主張を持って生きている人ばかりではない、それどころそうした人は非常に少ない、然るに私には主義主張はない、と断った。Mくんは首を傾げながら、納得しかねる様子であった。

 また或る時彼はトロッコ問題を口にした。私はどちらか一方を選び、その結果としてSは全体主義者だということになった。そうと判ぜられ得る理由も彼は述べただろう。私はそれを忘れてしまったが。

 Mくんは死刑制度を話題にしたこともあった。この時は軽い言い合いのようになったようだった。なったようだった、と言うこの覚束ぬ言い様は妙だが、それは私には全くその気は無かったのにも関わらずMくんの方でどうも内心の熱くなって、やや攻撃的な口調に彼が終始したからである。彼は、私が死刑はあって良いだろう、それが無いのなら犯罪への抑止力は低減されてしまうし、死刑というほどの量刑が加害者に求められるならば、それだけの辛い痛い思いを被害者の側はしているはずである。彼らの正当な復讐心は正当に報われるべきだ。そのようなことを私は主張したのだろう。Mくんは敬語だけはその攻撃的な言い方の上にもついぞに崩すことはしなかったが、とにかくも国が人の生死を決定するというようなことは決して許し得ないという考えがこの世には在るのだと言って、私を説き伏せようとした。

「でもそれなら人殺しである加害者はどうなるの。宅間某のように幼い子供を何人も殺した彼は、彼の勝手で人の生き死にを決めたんだ。こんな身勝手な人殺しへの求刑は極刑以外にはあり得んでしょう」

「身勝手は良いんですよ。国ではなく個人が欲求のままに行なったことは」

「待って、人を殺して良いのだと言ったのではないね」

 Mくんは考えた。それから鉈でも振り下ろすように彼は、

「いや、殺して良いと言ったんです。個人が個人の欲求で人を殺すのと、国が殺すのとだったら、個人の欲求の方が尊重されるべきです」

「でも、それが宅間某だったのだとしても」

「ええ、そうです」

 私は暫し言葉を失った。今こうして書いている私にしてもつい息を呑んでしまう。本当に彼がこのようなことを言ったのかどうか、私は頼りのない記憶をそれでも頼りにして、恐らくは嘘をつくことになっている。しかしこれは確かに言っただろう。

「例えば僕がSさんを殺したとしてもそれは僕の自由です。僕がSさんを殺したとしてもですよ。僕はそれで捕まるとは思います。でも国は絶対に僕を殺してはならない」

「なんだかそれは命が粗末だろう。そんな考えか」

「いいえ違いますよ。本当に命を粗末にしているのは、国にそれを許してしまえる人々の方です」

 私は納得しなかった。私はただ殆んど食ってかかりたいのかもしれぬMくんがそれでも自制をして身の内に滞らせているものを感じ、ようよう皮の一枚へと届いて来るその熱で上っ面を薄く火照らせているだけだった。

 私とMくんとはドストエフスキーの罪と罰を同時期に読んでみていた。私は読み返しであったが、彼にはそれが初読だったように記憶している。Mくんは、結局は金じゃないですか、と言った。

「どういうこと」

「貧乏一家を結果として本当に救ったものはスヴィドリガイロフが与えた資産だったじゃないですか。つまりドストエフスキーは、金だけでしか人は救われないという考えだったんですよ」

「へえ」

 しかしそれは違うだろう、と私は思った。少なくともドストエフスキーはそんなことを言う為に罪と罰を著したはずはない。金に困った苦境の人を金が救うというのは物語ではない。それは単に事実である。それも事実としての重みが退屈な事実である。更に言えばスヴィドリガイロフは、誰にも殺されないが醜悪であるという殺害者の生に倦んで自害したのだ。これはきっとMくんにしても退屈な事実を吐き捨てるように自ずと言うことで、嫌々と、皮肉そうに向き合わざるを得なかった殊にこの時期の読解だったということなのだろう。彼には夢があったが、しかし夢を見捨てて就職すべきか否かを悩んでいたのだ。

 Mくんは谷崎潤一郎の春琴抄を好んでいた。私は未だその当時にはこれを読んだことがなかった。あんな風に人を愛したいんです、と彼は言った。また彼は、冬が好きで冬の香りが好きだと言った。冬には冬の匂いがちゃんとあるんです、と彼は言う。私は、それはよく判るよ、と同意した。するとMくんは怪訝そうに、本当ですか、と訊いて来た。私はこれこそに内々で腹が立った。判るわボケッ、と腹の内で思った。因みに、後日春琴抄を読み終えた私は、あんな風に人を愛したいなぁ、と思って帰郷の折に母へと言った。母は春琴抄の内容を知らなかったので私が説明をすると、ひょえぇぇぇ、というような変な音を漏らした。うへぇ、と傍で聞いていた妹までもが言った。何にも俺のことを知らんのだなこいつらは、と私は思った。が、本当に何も知らなかったのは自分自身であったのだ、とつくづく思い知らされる目に合ったのは更に後のことである。私に、相手へかしずいて敬い、酷薄な言葉に刺し貫かれながらでも愛を信じて愛の為に自らの人生を明け渡すというような真似は、土台無理であった。強硬な自尊心は決して真にはへりくだってはくれぬものだし、どんなに間抜けで貧しい人生だったのだとしてもそれをびた一文でもくれてやりたいとは思われなかった。その上常に関係妄想に取り憑かれ、たった少しの仕草がいつでも地獄のように燃えていたのだ。これは意味のないことだが、私の愛の類型を言うとするとそれは悪霊のステパン先生の如きものである。私は彼の恋愛を内心の現実的なルポルタージュとして真剣に読んだ。従って多種多様な要素のあるドストエフスキーの悪霊は、その内の後期中年同士によるどうしようもない恋愛の筋でだけでも見事に私の読書を牽引し切ったのである。

 Mくんは私を買い被っていたに違いあるまい。彼は時に、いつかは塾を開いて若い人に教えたい、と言った。それは彼の夢が現実に姿形を現し得る一つの形態らしかった。塾といっても大学の傍らに収入を得ようとして試みていたインディペンデントのものとそれとは違うようだった。彼はその運びには是非とも講師として働いて貰いたい、と私に言った。私に言ったのだ。私に言ったのである。私は一体何をどう見込まれて彼ほどの志高い人物に斯様に招かれているものなのかが、一向に見当付かなかった。ただ気持ちが嬉しいということだけで、しかしMくんという人は他者に対して少し、有りもせぬ奥行きを見て取り過ぎなのではないかと思われた。こればかりは今でも笑ってしまうことである。

 彼はまたクローズドサークルについても語った。これは本当に夢のような話と私には思われた。心有る賢い少数の人々だけが何処かに寄り集って共同体を形成して暮らしを作るというものである。これに誘われたかどうかは定かでないが、恐らく誘われていた場合は強く記憶に残っていそうなものであるから私は誘われた訳ではなかったのではないかと思う。彼はとかく国は愚かで、国同士の関係というものも愚かしさを育み奨励をするばかりの愚かさをして、しかしそれは国である上は避け得られぬ性質であると考えていた。だから心の有り、賢さの有りという人をそれを用いて選別して、国を脱し、新たな共同体を作ろうと考えたのである。

「しかしそれは新しい国を作るということに他ならないじゃないか。初めは寄り合い、いずれは村となって、やがては市、とうとう国だよ。或いはそんな太古かららしい足跡を一つ一つ辿ってみなくたって、人々の生活の集いが既に国らしきものだろう。つまり、どうせは国だ」

 私はこんなに会話文章らしくして言った覚えはないものの、大意としてはこの通りのことをMくんには言ったはずである。訂正可能性の哲学を読んだ今なら、

「閉ざされたところから開かれたいという思いで飛び出して行った先に、開き続けて居られるような不自然さなんて人間には存続が出来ない。人は必ず閉ざすよ。それが自然だからね……」

 とでも言い得るのかもしれないが、ちょっとやっぱり板には付いて居ないものなのだろうか、ちょっと何を言ってるか、やっぱり判らないですよね。と言うか事実は逆で、クローズドな少数の共同体を目指すのだからむしろ、閉ざして行きたい、と考えて彼はこれを言ったはずである。となれば、

「そのように優秀な人々でだけで作った小さなまとまりも、それがずっと閉ざされているということは難しいのではないか。人のまとまりにはその制御が必ず必要になると思う。つまりその為に人々は必然として規則立って来る訳で、するともうそこに既に国のようなものへの開かれは始まっているのだ……」

 而して、どのように言い換えてみたとて、本当に私がこれを判って作文しているものかどうかは怪しいものである。またMくんのそうした考えがただ感覚的なものからふと出た望みのように、儚い夢に過ぎないものだったのかどうかも私には判らない。ひょっとしたら彼は具体的な構想のようなものをこの時から既に組み立ててみていたのかもしれない。国への開かれとは公への開かれと同義に違いないと今思えば、或いは閉ざされているという意味で彼の目した小集団とはつまり、私的で家族的な共同体だったのかもしれない。

 とにかく感覚的予見として、開き行くなり閉じ行くなりの定めの周辺のことをこの時に言った事実は、我々の問題というものをてんでの方向からでも突き詰めて行くと必ず、核心めいた或る一つ所に人々は落ち合って行くものだという気付きをもたらしている。何か人々はずっと或る秘宝のような問題の様々なる甘い表層上を、ちくちくと舐め回して転回している蟻どもの群れなのである。

 Mくんと私とはパズドラを二人してプレイしていた。パズドラのガチャで何(水ヴァル)を引いた(スクルド)を引かなかった等で一喜一憂をする他愛のないやり取りもしばしば在った。これはそれほど人を選ばずに出来るやり取りであるから、本当にただそういうことが在ったというだけの話である。私はその当時、パズドラのスクエアエニックスとのコラボで初登場をした曲芸士というモンスターを激しく憎んでいた。回復ドロップの2コンボで7倍の攻撃力は当時では破格なものに思われた。なんでこんなちんちくりんの余所者にこんな強力なリーダースキルをつけやがったんだ、との思いは、私のみならずして多くのプレイヤーが全国的に胸へ抱いた共通の怒りであった。当時のサブにはパンドラが入った。それだけで大変なことである。当時は百万を越えるダメージを敵へと与えるのは稀なことであったように思い出す。その記憶が正しいかどうかは知れぬが、謂わば曲芸士はその稀な攻撃力を軽々と出しては次々に敵をワンパンして行ってしまうというゲームのバランスブレーカーに思われた。これを手に入られればゲームはクリアも同然という存在だったのである。私は嫌いであった。刺す。そうも思った。大悪党だと思った。それで私は絶対に、こんなガチャなぞ引かんのだ、と堅く決意をし、それをMくんにも伝えたがMくんは引いちゃった。それもMくんは、首尾良くして曲芸士を引いたのである。

「まあ、もうゲームクリアみたいなものですよ」

 Mくんは新宿駅地下に入ったカフェのテナントで暗い面持ちをしてそう言った。彼と最後に会った日である。その日は話したいことがあると彼が言うのでそれで会った。先ず就職が決まったということであった。おめでとうと言った。面接では自己PRするのに、自己分析と他己分析とが必要とあって、Mくんは私にそれを依頼していた。(それにしてもこの他己という語の並びの気持ち悪さはなんなのだ。無理やりに造られたクソみたいなリクルート用語である)おかげさまで、とのことであったが、私のしたことが決め手になった訳ではないだろうと思ったので、そう言った。Mくんは満更で無さそうだった。普段から、受験を舐めるなと受験生でも何でもない私にまで口を酸っぱくして言って来た彼のことであるから、この手のことを攻略するのに抜かりのない準備は無論、彼は他にもしていたのだと推察出来る。早稲田合格という成功体験から後光のようにMくんへと光を射さした自信は、新たに就職という成果を得て益々とその輝きを増さしめたのに違いない。それ故の満更の無さであったのだろう、しかし彼は、やはり、といった風に暗い面持ちをして改めず、即ち当方に話の有るというその話をこの時にし出した訳である。果たして共同体の話であった。

 不確かな記憶の内にこれを書くことには幾ばくかの罪が有ると思う。従って彼の言葉としてはこれを書き辛い。散々書いたと思うが今更になって急にそんな気になったものだから妙である。

 Mくんはつまり、就職をするということで暮らしの安定を得ることが出来た。しかしながら彼には夢が有る。志が有る。それは未だ叶わぬ内のことであるのだから当然に有るのだ。彼の迷いはそこに有って、そうして迷える姿を彼自身でどうにか捉える為にも、私をある種鏡のように設定し、自己表出せねばならぬようだった。Mくんは暮らしの安定を取ることで、夢や志を、それらが未だ生きている内に遺棄せねばならぬのだという岐路に佇み、しかしもう既にそれをしてしまったという暗さに包まれていた。私にはそんなにして悩む理由が見つからなかった。働きながらでも勉強は出来るし、Mくんの今の世に憂いた状態であるならば必ずそれをするだろうし、時間はたっぷり有るように思われた。就職をすると言ったってそこに骨を埋めようという気さえ起きなければ、これは必然的に何処かの時点で、起こるべくして起こる進退が彼の身を待ち受けていることだろう。信じて細々とでも続けて行かれるという道が、もう既に彼に無いというのは嫌な思い込みである。だから気にしないで良いのではないか、と私は伝えた。

 こんな言葉の呑気に出て来るところに今の私の体たらくぶりが見事に現れ出ている、というのも嫌な見方ではあるが、実際Mくんにはそう見えていたかもしれない。それでもMくんは、少なくとも就職はして、そうして働きながらにその時の彼に出来ることを少しずつやって行くという具体的な話をしてくれたと思う。例えばそれはブログなり何なりで、彼の意志と同程度のものを募り、或いは育む必要があるのならば育み、というようなことだったと記憶している。些細ではあるが、それでもチャンスはいくらでもあると思われた。しかし今の私は彼がそのチャンスをものにしたか、または未だ道半ばにして懸命に歩き続けているものか、またはもう既に諦めてしまったものか、それを全く知らないのである。

 共同体の話であった。彼はその時にどのような気持ちをして私にその話を持ち出したのかが判らない。何度も述べるように記憶はあやふやで、順序も事実の通りではない。Mくんは、Mくんの理想の結実した時に見せるであろう一つの姿としての共同体を、再び私に語った。私には考えることはなかった。私ははっきりと、国家は決してなくならない、と言った、はずだ、そう言ったのだと思うが。その時に何かがぷつんと切れてしまったようだった。もう状況としては既に切れてしまっていたはずの糸を、それでも手繰り寄せて来てくれていたのは明らかにMくんの方であった、が、それがやっぱり切れた。しかし私は彼の頬が赤くなって、明らかにその色として見え始めた敵意にさえ、ぴんと来るところが無いのだった。これで切れたのだな、という事実への感想がふと、胸の内に置かれたというだけであった。

 それからプロントに場所を移しても、何か決定的に閉ざされたに違いない彼の奥底の心は、それが決定的であるが故にもう開かれることはなかった。別に互いが愛人という訳でもない関係の冷えたとて、凍えるようなそんな思いをまでは胸の内にするはずもないが、冷えているということは確かに気を冷まして来るだけに事実、関係は瞬間で冷えていたのである。私は自身が自身で正しいと思うことを言ったという充足のあった為にも、彼の奥底へと引っ込んでしまった心が不思議であった。そうして不思議は不思議のままに終わったのである。Mくんと私とは、新宿のみずほ銀行(だか住友だか)の前で別れた。それ以来彼には会っていない。だが、彼を見かけたことが一度だけある。

 何用か知れぬ理由で新宿へと出掛けた私は、自転車に乗り、颯爽と通りを駆けて行くMくんの姿を見た。立ち漕ぎであった。私は、

(新宿で自転車て)

と思って、それを見送り、黙々と帰宅した》


 さて、しかし何故この事を思い出したのか判らないのです。そもそもここでは『訂正可能性の哲学』の感想を書くのでは無かったのかと自分を問い詰めてやりたい。そこから思い出しましょう。

 つまり私はMくんのように真剣な憂いと大きな意志とに準備をされて、当時の安保法制の周辺を調べ始め、そして色々あって、虎ノ門ニュースを見まくるその一方、東浩紀氏のゲンロンにも辿り着いたのだと言いたい。そう言いたいと思いかねなかった少し前の自分の為に今、無論私はそう言いたかったのだと強く主張しておきましょう。それにしても長過ぎたという良くない事実はこの余白の無限性に帰している。つまり余白が大悪党である。刺す。そう思っている。

 そしてここに至るにまで思い出をふらふらと書き列ねた内的な意味は既に見つかっているのです。私はMくんの友であったが、同時に明らかに敵であったのである。彼とは私的領域に於ける友であり、彼とは公的領域に於ける敵であった。それも私は"自覚なき敵"であった。私がMくんの公的領域に於ける敵であるということが決定的となったその結果として、私的領域に於ける友という属性の失われたのであるのならば、彼はイデオロギー(と言っても良いと思うのですが)の為に私的な繋がりの糸を断つという選択をその時にしていたということです。それなら志を失わせはしないだろう。Mくんは未だ彼の道の途上に在るはずであります。私はその道を歩む彼を現在に想定して、これを応援したいという気持ちでいっぱいになりました。


 がんばってください!


 俺も頑張る。私も頑張る。何を頑張るのかと言うと、『訂正可能性の哲学』の感想を私は頑張るのであります。頑張らないと書けないのだから。


(4トワキャピタリだよ、びた一文だってまけたりしないよ、と老婆はおもむろに窓を開いて私に言って来た。私は、頑張ろうと思う矢先にこのような不快事に気を回さなければならなくなって閉口した。4トワキャピタリなんてあるはずが無いのだ。1トワキャピタリだって手持ちには無いのだ。私は円しか判らんですよ、と老婆にはしかし、ややもすれば負い目のようなものを感じながらに言ったのだ。すると老婆は、円なら今は未だ円安が続いているので1円で100ナタールキャピタリだ、と言った。ナタールキャピタリとトワキャピタリとではどちらが高いのだ、と私は聞いた。そう聞きながら、なに、この世界はそんなところで私の前世界と地続きになっているのか、と驚いていた。果たして老婆は、100万ナタールキャピタリで1トワキャピタリだよ、と教えた。1円が100ナタールキャピタリなのである。それなら万倍で1万円が1トワキャピタリであるということだ。即ち催促された4トワキャピタリとは円換算で4万円、私はまあ、そんなものかと思わぬでも無かったが、しかしこんな片田舎の自然の内にあってこれほどに手狭な木造の小屋住まいが、住むというだけで掛かる費用の4万円ともなって来るとこれは実に高い買い物だという気分にもなるのだ。従って私は窓を閉めた)


 私には哲学の論証的文章というものは、空を飛んでいるように思われます。或いは地下を掘り進んでいるようにも思われる。何れにせよそれは私の歩いている地平上に無い指示的な言葉で充足されている、ように思われるのです。従って私も空を飛んでみるだとか地下に潜り進んでみるだとかの努力無しにはこれを読み進めることが出来ないのでありまして、それが酷く苦痛であることもしばしばです。

 小説はそうではない。情緒的な作文の全てがそうでない。それらは指示が曖昧である。だから読み手の各々へその文章はひどく個別な体験を与えがちであります。いわゆる誤読が誤読という名に有る通りに読みとして誤っている場合にでも、その正当性が言われ得るということの秘密はここに在るのだと思うのです。逆に言えば、論証的な文章は意味のベクトルの複数が向ける射線の正確であるが故にも(書き手が正確であろうと努めるが故にも)、対する読み手もがこれらを正確に捉えて追って行かなければ、書かれた意義も、読む意義も低減してしまう。即ち論証的な文章に対して誤読は不当である。と、少なくとも今はそう肝に命じて読みたいという姿勢がここに表明せられたのですが、即ちこれが私の言うところの頑張るということの理由である訳です。


(窓が開くのだ。開いたり閉まったりとせわしのない窓である。私は、払っても良いですが、と言った。早く払え、と老婆は急かした。しかし、手持ちがありませんよ、何せ私はよく判らない内にここにテレポーテーションして来てしまったのですから、それはあなたもご存知のはずですよね、と私が言うと老婆は、あたしが何の為に欲望の真黒きをあんたに用意してやったと思っているんだ、そこから何だって取り出しゃあ良いのさ、と言った。私は、ふむ、と思った。まあ良い、渡してしまおう、とそう思った。そうして手を黒いもやへと突き込むと、4万円を胸にした。すると、4万4百円だよ、と急に老婆は増額せしめた。なんだ、そのふいの4百円は、と私は驚いて彼女を見やった。理由は実に生々しい理由である。つまり外貨両替手数料分をまで私に払えと彼女は言っているのだ。びた一文とまけはしないが手数料分の為になら少額でも、初めに提示した額へと上乗せし得るという柔軟なことは、実に手前勝手でけち臭い性根の現れである。こ奴は商売人か何かか、と私には思われた。それこそ4百円くらいは、まけたって良かろうと私は心底思うのだったが、意地でも退かぬ、閉ざした窓も何度だって開いてみせるという老婆のその気概は、ことここへ至るまでに重々と証明せられて来ていたのだ。私は考えた。前世界を考えた。するともうこの老婆の言動は全く尤もらしいものにも思われて来た。個体として生きることの、生き抜くことの厳しさは、そうして生きている限りは場所を選ばぬもののようである。実に生命の真実真相がこれだ。果たして私は4万4百円を願った。やがて手は紙幣と硬貨とを握り締めた。それを抜き出して老婆にやった。老婆は、毎度あり、と言った。あん?、と私は非常に気に障りながらそう聞き返した。すると老婆は発声練習をでもするかのように、ま・い・ど・あ・り、と再び唱えて、する後に残酷そうなヒャッハーを彼女の全身へ漲らせると、両の眼を剥いて窓を、叩きつけるかのように閉ざした。ずりずり、ばっちん。私は、在りもせぬ凶悪な残響をそうして耳に聴きながら、暫し我が沈黙を煮えたぎらせた。そうして然る後に、老婆のしたことを上回りたい怒りの手をして反対に、閉ざされた窓を血の吹き出しそうなほどにかっさばいて開かした。ぐらぐら、ばっさん。老婆は居らぬ。居らぬのだ。然るに思われることは、居らぬで良かったという安堵に似た思い、をばかりであった)


 Mくんとの思い出をして現在からこれを判断するに、友と敵という二分法を用い得たのはゲンロン0『観光客の哲学』を私が読書した結果であります。"観光客"とは"友"でも"敵"でもない立場を言うのであるから、それをして今、友と敵とでかつての二人を裁断して理解をするというのは不気味な仕草であるが、まあこれの理由は、当て嵌め得たが為に用法として当て嵌めた、という次第であります。

 さて『訂正可能性の哲学』に於いて提示された東氏に固有な"家族"という概念は、そもそも"観光客"という立場の連帯仕方を言う為のものだった。私はとにかく、東氏が維持や存続ということを大事に思ってこれを書いているのだということを強く感じるのです。他へ開いたり閉じたりということは即ち生命の呼吸のようなものであります。呼吸とは死するまでの生の維持として行われるのだ。

 なるほど、死するまでの維持はしかし死して費える定めでありましょう。それでは存続は一代に限り、新しい世代へとは連なっては行かれぬのではないか。果たしてここで私は"家族"が家族という言葉で提言せられねばならぬその理由を今、はっきりと理解したようです。即ち、家族は次代を作るものであるからだ。

 それでは何故、維持や存続が大事であるのか。これはもう読書ではなくめっちゃべしゃりがめっちゃ面白い東延いては浩紀氏乃至はあずまんが、ネットの突発放送等で言っていたことを思い出してここに私が述べて行きましょう。

 即ち維持や存続は、えー、あー、めっちゃ強い、強いからでありマジ強い、それが理由だ、ちくしょう。

 斯様にして述べては行かれなかったことを私は悔やみはしません。しかし維持、存続、持続を著者が大事にしているということはアーレントの参照せられる後半部にも伺えるのであります。

 アーレントに拠れば、公共性を設えるのに最も重要である行いは活動(アクション)であります。しかしそうして設計せられた公共性を持続させて行くのには制作(ワーク)が必要となるのです。制作とは即ちものづくりのことであります。この場合のつくられるものとは芸術作品であるらしい。芸術作品は活動を記録します。記録は後世へ残ります。だから公共性は次代次々代へと持続し得るのです。

(……laborは?)

 私は思いました。活動と制作とは"行い"の三区分の内の二つです。従って後もう一つが在ります。それが労働(labor即ちレイバー)です。これは私の間違った認識かもしれないが、恐らく世界で最も多く人々の行っていることはこの労働であります。今はさて措くにして、私も長年に渡った賃労働者であって、切りたくもないレタスを等分し、拭き上げたくもない卓を殺菌のされた布で拭き上げ、トマトのへたを芯ごとくり貫いて生きて来た。芯をくり貫きそびれてへただけの取れたトマトを見るなりに、

「こんな不味いもの誰も食わないですよ!」

 と声を張り上げてはヒステリーを起こして生きて来たのです。また何も誰も悪いことをしていないのにも関わらず私はしばしば、絶対に刺す、そんな思いでこの労働を生きて来たのであります。それで労働は?可愛い眼玉をきょとんとさせながら、私がそう思ってしまうのもやむを得ぬことでありましょう。

 それで労働は。少なくとも『訂正可能性の哲学』に於いては特に語られてはいません。それならばアーレント自体は労働をどのように語っているものか。私はそれを調べるのに原典を当たりたいところだが今こうして書いているさ中にはそれを行うことが出来ない。何故なら黒いもやの活動限界がふいに訪れているからであります(恐らくは4トワキャピタリしたあの家賃が祟ったのだ)。黒いもやはビー玉のようにして、今は小さく縮こまってしまっている。それは眠って行く脳味噌の意識収斂のように小型に凝縮し始めている。それだから私は今しもこうして打ち込んでいるスマホをして当の人を調べるより他に術がないのであります。

 然るに調べました。(そうして私はそこに文字を打ち込む為に自ずと用意をした親指の、倦ねて少しも動いては行かれぬその様をじっと見つめている。未だ書けぬ。未だ書かれぬ。だがいずれは書かねばならぬ)

 而してアーレントの見方は少なくとも『人間の条件』を著したその時点に於いて、近代の労働に対しては悪を見る目付きであるようです。私はこの眼だけは記憶をすることにして、やはり何れは原典に自ら当たってみようという感想をするに、今は止めておきたいと思います。とは言え私は凡庸な悪ということを彼女の労働への眼差しからだけで思い出した事実は、一先ずここに書き残しておくことにしましょう。そうして私は、賃労働者の微笑する明るい肉体や涙するその影姿を、悪を見る目付きをした彼女のその目前に招致をして、貴様がどれだけ偉いかは知れぬが人というものは、いや、止めにしよう。止めにするのだと思ったばかりなのです。すれば思う通りに止めにするより他に選択肢は無かったはずであります……

 知らんがな。恐らくアーレントは凡庸な悪を働いたアイヒマン、乃至はアイヒマン的な人物は、近代の賃労働者であるのだと考えたのではないだろうか。或いは順序が逆さまなのかもしれないが、なのかも知れないとは即ちそういうことである。

 では近代の労働とは何か。私は調べたことを思い出しながらにここへ記す訳であるが、それは文明に因って便利になった就労環境に於ける、それ以前よりも安楽である労働のことを言う。またアーレントに拠れば労働とは生命の維持をするのに必要な行いのことを意味している。被雇用のあらゆる賃労働は無論のこと、例えば一聴をするには制作へ属していそうな家の建築だとか、ハンマーの作成だとかもどうも労働の内という区別らしい。凡そ生活に必需と思われるあらゆる道具やふるまいがアーレントに拠れば労働なのである。(従って、今や赤ん坊の睾丸というほどに小さくなってしまった黒いもやから、私が先ほど先ずは人々の行いの内"労働"の結果をば取り出して安心をしたということの意味を思いたい。続いて私は人の"制作"の結果であるところの彼の論文を取り出したという順序をまた列ねて思いたい。実に、ただ思うだけ思いたいことを変哲のなく思うだけだ)


 そんな風に具体物をアーレントの概念へと換言置換をして思うばかりの私はまたもや、ふっと突然に思い出してしまうのであります。それは頭の内に仰ぎ見る思い出の雲間から射し込んだ朗らかな光と言うより、私という存在へ電撃的に編入して来た一枚の画でありました。

 かつて私であったところのSに拠れば時間というものは存在しないのであります。が、今は常なる人類のそうした詩的実用的大表現の胸をば借りて、然るに時間を少しばかり巻き戻したい。指で時計の針をくるくると逆巻くのであります。すると見る間に時は戻った。2021年に行われることとなった2020年の東京オリンピック開催間近の頃、即ち2021年の初夏の頃へと時は戻った。小山田氏の問題が世間に取り沙汰されていた頃です。


《私はこの夏に父方の祖母を失った。葬儀の為に帰郷をした。久方ぶりの父母の家の本棚には、デリダという頭の良い人著の『赦すこと:赦し得ぬものと時効にかかり得ぬもの』が実にスマートに収納されていた。すげぇ、何かやばいのあんじゃん、とそう思った私はこれを手に取り、録音機材の設置せられたかつての自室に引きこもって読んでみた。ナチスの、ホロコーストの話であった。読み終えた私は、赦し得ぬという不可能の裏に赦しては決してならぬという公私のない混ざった強靭な決意を見て、その必要と痛ましさとに感じ入り、難解に行き惑う心をしゅんと落ち込ませた。そうした折に程なくして吹き立って来た小山田氏の問題は、忽ちに"赦し得ぬこと"と結び付けられた。私は"赦してはならぬ"ということの社会に於ける必要を、その本から素朴に受け取ることで当の問題を"赦し得ぬ"とするより他ないのだろうと考えていた。

 東氏のツイートを見たのだった。これは慎重に書かねばならないだろう。抜粋を考えたが、抜粋ということが何故だか私には罪悪のように感じられてならず、それをし難い。だからそれをしないのだとして、しないのだとするならばやはり曖昧な記憶を頼りに書かねばならなくなる。いくら慎重に期す心積もりで私が居るのだとしても、曖昧な記憶の上に慎重さは果たして確かな足場を踏みしめ得るものであろうか。も早私にはそれが東氏によるツイートであったものかも怪しいし、そもそもそれはツイートですら無かったのかもしれぬとまで疑い始めて、頭にはウルトラQの紋様を描いてしまっている始末だ。しかしながら頭の内に描かしめる紋様のウルトラQの如きものであるならば、やがてはそれは当の題字を全体の逆再生をして判然せしめることであろう。あまつさえその内的な光景は次いで赤々とした背面の内にウルトラマンという白い文字をも浮かび上がらせる。

 然るに私は、小山田問題をしてナチスやホロコーストを云々すべきではない、何故ならばその当時強制収容をせし人々らは被収容者をば工場製作の物品のようにして取り扱っていた、そこにこそ最も深刻な問題が含まれているのだ、小山田問題をしてホロコーストを云々してしまうのならば、そうした近代以降に特有な背景を見逃してしまい、結果的にその罪を軽くしてしまうのである、というような意見を思い出したのである。

 即ち小山田氏のどのような心をしてかつて彼の陰惨な行為に及んだものかは知れず、そうしてそれ自体はそれ自体として決して赦されるべきことでは無いが、しかしナチスやホロコーストとそれとはまた別である。アーレントに拠ればホロコーストに於いてはそれが悪意や敵意、加虐的な心を専らとして人々に行われたのではない。まるきり彼らの頭の上に降り注いで来た指示の通りに彼らは働いた。そこに彼ら個人個人の善悪の判断といったものの差し込まれることもなくして、右へ左へといった風に被収容者を流して行った。そのことがつまりは凡庸な悪というものの内容なのである。然るに私はアーレントの言う凡庸な悪と、近代の賃労働の在り方への彼女の悪を見る目付きとは、同じ時空間に在るものだと結び付けた。すれば答えはもう一丸となっている。即ち近代の賃労働の在り方こそが、凡庸な悪の発生理由なのだ》


 私は何を書いたのか。アーレントはそう考えていたのに違いない、と私が類推した結果をここに書いたのであります。正しくは既にそう思われているという状態のところへ件の意見の思い出されて、然るに思われているもののそうして補強せられたが故に更に強く思われるようになった、という次第であります。而して、外れているのかもしれないがこれは、確かに自ずと付けた見当なのです。現代は調べることで答えのようなものの簡単に掘り出されて行く時代です。無論これはむしろ確りと調べて自身の頭で考える余地など全く無くしてしまっても良いというような類いのことでもあったろう。それでも私が頑なにしてこれ以上は調べなかったその理由は、頭の片隅に残留をしている断片の、不意にパズルのピースのようにして目前の問いへと当て嵌まって行ってしまうということに因る全能的な心地好さ以外の何ものでもない。こういうことでも勉学の途上に挟み込まれぬような道であるならば、誰しもそこをずっとは歩いて行かれるものではないでしょう。私は見当が付いたということ自体に自らの成長を見たのであります。その喜びは、取り敢えずのところ事の真偽のその次第には勝って私の行いを決定するだけの力を有していました。私はこのことを積極的に肯定するのであります。或いは犬のうれしょんよろしくして、出さずとも良い時に出さずとも良い場所で思わず出してしまう、というこれが生理的粗相であってみたのだとしてもです。

 私は賃労働者としてしか社会的には存在していない。或いはしていなかった。恐らくはしていなかった。返す返すも不思議で奇妙で暴力的で、不愉快な偶発的出来事に見舞われた結果として、それも今やかつてのことなのかもしれぬのだと、私はそれを忘れずにして言い続けねばならぬ。しかし繰り返すが、そうして我が境遇の一大変化を幾度と述べたとても、この肉体はずっと生きて来たかつてというものを先々へも引きずって行かぬばならぬのです。それが個体というものの明らかなる定めであります。従って私は私の個人的に想定したアーレントへは、私の個人的な肉体を以てして対峙せざるを得ない。即ち、彼女の悪を見る眼差しの遠い先には、私や私のような私以外の多くの私たちとが団塊している。そうした対峙の内に抱かれたその気持ちを簡潔に述べるのならば、それは反感であります。  


 東氏はローティという頭の良い人に大変影響を受けたそうです。論文にそのように書いてあります。ローティがどのような思想を持っているかも論文には書かれてある。私は東氏に大変影響を受けているはずですが、仮に事実がそうで無かったのだとしても、東氏の筆力で要約のせられたローティの思想がとても自然に思われたことでしょう。

 私は、ローティには無理がないと思いました。民主主義の下に生まれ今在る私たち、という制約を除けてはしまわれぬにせよ、その下に今在る私たちに対してローティは非常に現実的な希望を見出だしていたようであります。信仰やイデオロギー的な信念といったものを私的領域に押し込めることでしか民主主義をよく機能させることは出来ないという主張は尤もだと思われます。民主主義というスケールで考えずともに、もっと小さな寄り合いの内にあって様々な意見から一つの結論を導き出さねばならぬという場合を想定してみて、私には尤もなのです。あれこれと自らの希望を述べてみたとても最終的な決定に対しては無論、それが自身の願いを叶えぬものだったのだとしても、何れは呑み込んでしまうより他はない。呑み込まないという場合には、敢えてこのような言い方になるが、たくさんの皮膚が破れて大量の血が吹き出すことでしょう。(そう思うが実際にはこれは、そもそもの民主主義がこの所作に拠る以前から正常に機能をしていた場合に限るようにも思われる。また本当に人は、信仰や信念を私的領域にだけに留め置いておかれるものなのかも疑問である。何れにせよ私的領域の如何が公的領域に於けるその人の行いを、よく知り抜いて抑制に努める彼にさえ知りようのない無意識裏に決定してしまう、というようなことは起こり得るだろう)

 またローティはガンダムだとも思います。ローティを私は、またぞろスマホをして検索をすることで彼について調べてみたが、顔はガンダムには似ていない。黄色いV字の何かがその額に張り付いていたりなどはしない。その唇が赤い四角のおちょぼ口的な何かであったりなども彼はしない。ローティは白眼を剥いていない。ビームサーベルを振り回したことも無いであろうし、空を飛ぶ胸にアムロ・レイを搭乗せしめたことも無論、これは無かったでありましょう。ローティは機動戦士では無いからです。

 或いは私はむしろガンダムこそがローティなのだとも思わぬでもないが、而してそうして馬鹿げたことを言ってみる意味とは即ち、共感の拡幅についてを彼が述べているようであるからです。恐らくはここが重要なのです。

 全体この感想(なんか感想じゃないけど)を振り返ってみると、クリプキの固有名について語られている部分がふいの個人的な思い出の所為で脱落してしまっている。が、しかしそこが一等『訂正可能性の哲学』に於いて大事な部分であるというのにそんな風にして脱落せしめた自らが、俄には信じ難いほどの馬鹿でありまして、びっくりしています。

 クリプキの固有名について語られている部分とは、クリプキの著した『名指しと必然性』に於いて開陳せられた考えを参照している部分です。


(私はひょいと首を傾げると、凝り固まったその内に泡の極小の粒がいくらか弾けるような音を聞いた。窓の向こうから吹いて来る風は未だ止まない。風は無限である。ここを吹かない場合にはまた別の場所をそれは吹いているであろうから。私は眼を瞑った。そうしてアーレントの活動的生の行いの三区分についてをまた考え始めた。これは別に人間を労働者、制作者、活動者というふうに三つに分けたという話ではあるまい。一人の人間の内に労働という行いのあれば、また制作にせよ活動にせよが有り得るのである。しかし多くの人が労働を専らとして、制作も活動も為し得ないということもまた事実である。私は机と壁とのぴたりと接した端っこにそっと倒れ込んでいる紙飛行機のことを見つめた。ふと神風特攻隊と思われた。特攻ということは三区分の内の何れだと思った。或いは戦時に於ける敵国への攻撃は活動的生の行いの範疇に無いのだろうか。三島の自死は、あれは何だろう。最期に最も華々しい制作と活動との日本社会への刻印であろうか。あの弱り切った生首が?果たして黒いもやのここに復活をするその時が待ち遠しいようである。それとも黒いもやはもう復活することをしないのだろうか)


 クリプキに拠るとnamingは対象を固定します。三島由紀夫と呼ばわれた人は、その人に如何なる定義の変遷の有ったのだとしても三島由紀夫という名としては固定のされたままです。然るに三島由紀夫という名の内に在る内情は、文章家であり、ボディビルダーであり、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で自死を遂げた人、というふうに並べ立て得る。この内情というものの変化したのだとしても、名は呼ばわれたその時点で対象を固定するが故に三島由紀夫は維持されるのです。即ち、三島は文章家ではなく暗殺術の使い手であり、ボディビルダーではなくタンポポの収集家であり、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で自死を遂げたのではなく神風特攻隊員として沖縄近海に散華したのだ、とそう内情の変化をしたとて、三島と呼ばわれたその人は現に維持されているのであります。

 三島が文章家でないということの意味は、三島由紀夫の名で刊行せられた全ての本は別の誰かが書いたものだ、ということであります。また三島がボディビルダーではないということの意味は、あの肉体は非常に特別に精巧にせられたマッチョの特殊メイクであった、ということであります。そうして三島が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で自死を遂げたのではなく神風特攻隊隊員として沖縄近海に散ったということの意味は、それじゃあ俺たちが三島だと思ってたあいつは一体どこのどいつだったんだよ!?であります。斯くして三島由紀夫は定義の変遷の有りとてその名の全然守られねぇ。

 あれ?変じゃね?なんか、ぜんぜん変じゃね?この人は絶対に三島由紀夫その人では無いと、自ずと直観されてしまうのであるが。

 然るに私は例の出し方を間違えたか何かしたに違いあるまい。それでは素直に彼の論文を読むとして、先ず固有名に先駆けては一般名というものについてが述べられます。一般名とは例えば三角形です。三角形の定義とは同一直線上にない三つの点を線で結んだものである。即ち「三角形は三つの辺で構成されている」。これを反事実的に先のよう、「三角形が三つの辺で構成されていない」とするとどうでありましょう。どうもこうもありません。それは三角形ではないのに決まっています。

 では肝心の固有名の方は如何に説明のされているか。男性として知られる「ソクラテスは"じつは"男性ではなかった」。書物を書かなかったことで知られる「ソクラテスは書物を"じつは"書いていた」。これらはソクラテスという名で呼ばわれるその人についての歴史的な事実とは違う。にも関わらず我々はそうしたソクラテスの在り方を想像してみることが出来る……と、彼の論文には在るのです。

 然るにこれこそが訂正可能性に開かれた固有名の在り方なのであり、また同時に訂正可能性に開かれて居りながらもその名の維持せられている例であります。ここに訂正のされたとても尚生き残る"家族"の可能性が見出だされるのです。


「本論が議論している「家族」は、特定の固有名の再定義を不断に繰り返しながら持続している、一種の解釈共同体だとも定義することができる。」(ゲンロン12『訂正可能性の哲学』71ページ上段7行目から)


 この文章から後、著者は企業にせよ国家にせよ長く続いて行かれる共同体の多くはこうした性質を持っているものではないか、と感想している。私は素直なものだから、そうと言われてみてはつい日本国の来し方を追憶するような心をしたくなり、実際にそうする。

 

《第二次以降の安倍政権とはまさしく、日本国に開かれた訂正可能性をして、その解釈を改めようという一大事業であったように思われる。また明治時代に於いては更に強力な再解釈再定義が日本国に対して為されたはずである。私は勝海舟のした、徳川幕府の維持をなども早考えずに日本一国の存続をばかりの一念で万事に処した、という主旨の発言を思い出す。正確にはそのような発言の記録の在ったことを思い出しているのであって、勝海舟が実際にそう言った時に私が傍に居て、先生やっぱかっこいいっすわ、と懐手に感想していたという事実はない。幕府に召し抱えられた彼は何処かの時点で、彼らの共同体を幕府の執政下にある日本というものから、日本国という人文包括的な共同体へと訂正し、再定義をしたのではないかと想像する。私は日本一国という大きなものの見方をして、弱体していたとはいえ時の政権であったはずの幕府の進退を一任せられた上でこれを綺麗に折り畳んで終いにすることの出来た勝海舟を偉い人だと思う。が、何れにせよそんな事態にまで成ったその所以は外国勢力に因る圧迫の在ったからである。第二次安倍政権にしても安保環境の変化こそがその活動力に燃料をくべていたと思うと、何処までも外圧に一等因って内情を変遷せしむる日本であるのだと感想をする。殊に安保についてはそうである。

 江戸の中頃にして既に林子平が幕府へと訴えていた海国兵談も、それが幕府の危機管理の不備を指摘するものとて、弾圧的に握り潰されるような形となっている。それが外圧の存在のも早判然し切った幕末間近に於いて、ようやく再刊の目を見るのであるからこれは大変な呑気である。大変不動の呑気でないだけましであるというだけの呑気である。しかも海国兵談の初版から時は70年ほども経っていた。これが実際に当時の海防に於いて参照せられたというのだから、如何に幕府が安保(海防)について無頓着であったか、また或いは林子平がその件について何れだけ先進的であったものかの窺い知り得よう。このような人はしかし、日本国に於いて林子平ただ一人では無かった。だが決してその総数の多かった訳でもない。目立った者は弾圧せられ、その内に惨い死に方をした人も居る。彼らが戦争を焚き付けて平穏を乱していたが為にという理由付けで弾圧せられたものかどうかは知らないが、それ以外に、つまり専制的な幕府の気に触ったということ以外にどのような理由付けが有り得るものだろうか。彼らはとにかく外聞知見に開かれて居り、それ故に内部では爪弾きにされたのである》


(ふとして窓の向こうを見やると、鳥たちが知らぬ間に、林間に一つ離れて立つ低木の枝枝へと集い来ていた。こんな画を、カラパイアか何かのまとめサイトで見たことがあるようだ。しかしどうも事情の異なっていることには、彼らは、つまり鳥たちは、名も知れぬ鳥たちであるところの彼らは、明らかにこちらの方向を見ている、乃至はこちらのしかも窓を見ている、いや、更に謂わば彼らにとって窓の向こうに籠り切っているまさしく私のことを彼らは見ている、窺っている。私もが彼らの一斉な凝視に眼を見張るが、あれだけ数の多いとそもそも何処に焦点を据えてこれを見やれば良いものかの判らぬのだ。私は彼らが、鳥たちが、カラスで無いだけ良かったと思われた。私はかつて静岡は浜松の中田島砂丘で、一列並びのカラスの大群にじりじりと攻め寄られたことがある。私はその時たった一人で海岸から水平線を眺めていたのだ。あの時あの頃。ああ、思い出したくもないあの当時の心の頼りなさ、希薄さである。私には、カラス共はそうした私の神経質で貧弱な心の状態を察知していたのではないかと思われる。嫌な、不穏な気持ちだ。しかしそれは風鳴りの不穏さの所為なのかもしれぬのだ。窓は少しばかり閉めよう。こちらからは彼らが見えなくなるくらいにまで) 


 訂正可能性についてに戻りたい。しかし、訂正可能性についてに戻って更に、自らの示そうとした例がなんだか変だった理由についてにまで戻ってそれを考えたい。

 文章家としての三島由紀夫は実は誰かに代筆させていた、しかも全ての作品を、というふうに考えることは事実上不可能でしょう。それは本当に"事実上"不可能なのだと思います。しかし全ての作品を誰かに代筆させていた三島由紀夫を想像してみることは出来るだろう。これは気持ちの上で、非常に嫌な気持ちには成ってしまうが不可能ではありますまい。次いで、ボディビルダーとしての三島由紀夫はリアリスティックな肉襦袢着用者であった、というふうに考えてみることも事実上は不可能であります。しかし実はあれは肉襦袢で隆々の筋肉を偽っていたのだ、と想像をしてみることはやはり可能である(誰もそんな馬鹿馬鹿しい想像を三島に対してしたくはないでしょうが)。そうして三島が市ヶ谷駐屯地での自害ではなく神風特攻隊隊員として亡くなったのだというふうに考えてみることは、最も不可能であるように感ぜられる。それが事実上不可能事であるということの前二者との同一性はしかし、時間的な不可解さ、でたらめさの所為でいや増しているようあります。これを想像する場合には、三島がそうして死にたかったのかもしれない心の告白を軸に、何か異様で感性的な、この世の何の為になるものかも判らぬような一篇の詩的作物が創られるというだけでありましょう。しかし或いはその創作物は、三島への(のようなもの)の故には世の中へと何らかの意味を持つものかもしれない。すれば問題はむしろ前二者の例に於いて多分であり、この二つには謂わば(のようなもの)が無い。一旦は、事実の上での可能不可能ということに目を背けて然るのち、心に思ってみるとします。そうしても上記二つの想像はひどく胸糞の悪い気持ちを人にさせ得るのではないか。これを換言すれば訂正が拒まれているということであります。なにゆえにか。


 はい、愛ゆえに……


 かつてSであったところの思い上がりの激しく不敬な貴様はそう言いたいのだろうと人は思うのに違いない。先ず思い上がりの激しくあまつさえ不敬であるというこのことの不快さについては、あうあうあう、と口をぱくぱくとさせるだけの反応をするに私は過ぎぬが、それは措いても、私は"愛ゆえ"にもこの場合に於ける訂正は拒まれてしまうのだ、と本当にそう言いたいのでありましょうか。

 違うのである。私はそう言いたいのではないのです。

 例えばあなたの応援しているアイドルが、清く美しく朗らかで歌も踊りもよくこれを習得して、そのふるまいで人の眼も心も喜ばせてくれるというあなたのアイドルが、その輝きの陰に、そこら中で男か女かを食い漁る上にそうして及ぶ行為の全ては酒を飲んだ上でのキメセクで、マネージャーを物のように扱い、しかも実は常習的な強盗犯で、黒い繋がりを辺りへびっしりと張り巡らせており、更には車で4、5人くらいを轢き逃げしたって全然平気なんだという心の悪魔を隠し持っているということが、何らかの弾みで世の明るみに出でたという場合に、あなたの推しているアイドルがそのような悪魔であったというあくまでもその場合にです、あなたは当のアイドルについて、これの内情を直ちに訂正することが出来るでしょうか。

 言うまでもありません。訂正は明らかに拒まれるでしょう。そんなことは絶対に信じられぬはずだ。何故ならあなたはそのアイドルを心から推している。即ち、愛ゆえにである……やはり愛ゆえにであるのだなぁ。

 私はそう言いたい訳では無いものの、愛のようなものの情の故に訂正の拒まれてしまう可能性についてをここに偶々見出だした男であります。尤もこの例に於いては、それが事実だということの確信せざるを得ない場合に、たとい心の激しくしてこれを拒んでみせたとても、いずれ認識は粛々として人の情熱を失わしめる冷却材となるでしょう。しかしソクラテスの如き古代の人の例に於いてはそう簡単に行かれぬのではあるまいか。男として知られるソクラテスがじつは女であったのだとしても私には何の問題もないし、ソクラテスがじつは書物を残していたのだとしたらそれを読んでみたいという人も中には居るでしょう。研究は新しい発見の度に必要とあらば彼へと訂正を施すに違いありません。しかし記録メディアや判定技術の発達した現代のこととて事実はエビデンスという流行り名で世を席巻し得るが、誰かソクラテスの顔を直に見てその声に触れ得た人の今に在りしかでありま……いや、hmm。

 正直に言って私には上手くはこれを言われないようです。つまり私は、その眼で見たもの以外をでも人の信用し得るという思考の仕組みは判るのだが、その信用と確かにその眼で見たということの信用とが、だいぶ違うもののように思われます。そんなことを思うのは馬鹿げたことかもしれないのだが実にそう思う。或いは過去も過去とてその遠近のほどに拠って、事実とも擦り合わせた上での訂正可能性には、その施行余地に大きな開きがあるのかもしれません。簡単に言えば三島由紀夫についてよりソクラテスについての方がそのプロフィールの知られてはいないということです。或いは、より多く内情の知られている方が、実は訂正可能範囲が広いということも考えられましょう。いや、と言うよりも本当は逆さまで、事実の情報の多ければ多いほどにその範囲は拡がるものなのかもしれぬ。ありとあらゆる互いに相反をし合っているような事実(押し並べられぬ矛盾性)が一遍に在れば、解釈可能性はむしろ拡がりをみせるのではあるまいか。そうなれば古代のことはその訂正可能性についてと言うより広範な想像可能性についてを私は考えていたのだ……

 行きつ戻りつとして余りに煩雑となって来ました。而して私は(のようなもの)は訂正可能性を拒む、ということを取り敢えず一等として気に留めておきたいと思います。(しかし愛といってもそれは固着的な愛で、愛は他にも様々に形を持ち得るものであろう。またそもそも固着的なそれとは果たして本当に愛なのかという疑いを持たぬでもないが、ここで愛とは何かをまで考え始めては死ぬ。死ぬと言うのは比喩である。何も考えられなくなった頭ということを意味して言った比喩だ。理路整然と考えることのし難いこの頭がおまけに爆発して死んだようになる。そうした事態は、正直に言えば常に既にこの一身上には起き続けていることである。が、しかしそんなことは誰の知ったことでも無いであろうから、私はこうしてわざわざと何をかを言う軽率さをば単に差し控えて居れば良かっただけである。実に無意味な文章だ。本当は私自身がそれを愛と呼ばわる固着的で執着的なものより他に別の愛を決して知りはしない、という退っ引きのならぬ愛の重量に圧せれられて死を選んでいるという苦痛、それこそが本当なのだ)

 愛が私的領域のものであることは疑い得ません。三百人の命と、幼い娘か息子かの命とのどちらかを取れというトロッコ問題のような状況の下に仮にあって、人は自らの子を取らないでは居られぬはずです。やはり愛にはそのような作用があるはずなのだ。尤も仮にもそのような極度の悲劇を想定して人の公私を天秤にかけるということ自体は、原理や普遍性といったものに人を陥らせる罠であるのかもしれません。原理や普遍性がそのものとして悪であるという訳ではないがしかし、それらは陥って良いものでもない。これはローティでしょう。或いは日本の昔日に政争と無関係であり続けた農民の末裔として、或いはまともな宗教を得ることの無かったその昔の大衆の末裔として、私は陥るべきではないと言う。果たしてローティにも立ち帰りましょう。すれば陥るということは即ち、原理や普遍性へと自らの活動を帰さしめる剛直さが民主主義にとっての陥穽である、という前提の下に言われたのであります。

 私は東氏は本当に正しいのではないかと今ふと思うのです。もちろん、それまで疑っていたという訳ではありません。


(愛。愛に破れたと思われたあの頃。しかし本当は、破れ去っていたのは愛の為にばかりではない。ある種の執着や、支配欲求や、成功願望、つまりは野心ばかりの高まって身の程を知れなくなった青年が、それ故に直ちに破れ去ってしまっているという弱い、希薄な心の状態。あのカラス共はそれを餌食にしようとしていたのだ。私は弱かった。強くなろうとしてそれ以前よりもだいぶ心の弱まっていた。しかもその弱さは、いつか身に備わるであろう強さの為にも是非とも必要と思われた。結果はどうであろう。もうたくさんで、流石にその結果はも早言われねばならぬ。然るに結果は。いや、鳥だ。見ると、鳥どもが宿る枝を違えて!、私のことを未だ見張っている。先は窓を少し閉めていた。そうして彼らは見えなくなった。が、すると鳥どもはわざわざと位置を変え、私をやはりは見て、窺うことを止めぬのである。彼らの、私には得も言われぬ意思が、何をかをまざまざと見せ付けるように語ろうという集合的な意思が、私に窓を最後まで閉めさせるより他は無いだろう!from堪えがたい未然。そうして私は閉めるのだ。to静かなる完了)


 しばしばこのように思われます。原理や普遍性、理想といった高いものはしかし、その為に自ずと生を強く規定せしめた人の鮮やかな生き方を生み落とすが、結局のところそのような鮮やかな存在の無ければ我々は、灯台の灯火を見失って暗い海を漂流するばかりの航海より他に、生きて行くことの術を見出だし得ぬであろう。即ち、原理や普遍性、理想といったイデアのようなものは、必ず人を人間足らしめる為に、或いは今よりもいずれはより良い人間に今の人の向上をする為に、それは是非とも必要な教えである。従って東氏やローティの言うような立場へ仮に私が立つとして、また仮にそこを守り続けようと努力をする場合にも、友と敵とに別たれている一方は常に淡墨の中間である私自身、物事を決定する為の参照とこれをせねばならぬのだしまた、彼らから学ばねばならぬことも多岐に渡って存在するのであって、それはもう一方に対しても同様であります。即ち私には、そうした中間の立ち位置というものは常に彼らの鮮やかさ(時には鮮やかなうんこ色にもそれは見えるのですが)の在ってこそ初めて位置として存在し得るものなのだと思われるのです。それは、私自身の力不足や知識不足だけに起因をした、か弱い依存的な態度であるというだけでありましょうか。殊に私については事実(本当に事実)そうであったのだとしてもです。

 また私のくれぐれも思い返してはそこに残酷さを感ぜないでは居られぬことは、どうしても生きて来たこのたかだか三十年余りが、たかだかそれだけの内にも心に積もらして来た個人の歴史というものに、いつの間にやら左右をせられ、そうして本人の知らぬ間に友と敵との対立構造の渦中に在ってしまうという事実であります。つまり何やら身の内を堆積している個人史のようなものに拠って、公に対する向かい方や意見とが規定されてしまっている、そんな不意打ちじみた自身の自身への開示が、私の好悪に一見関わらずして何ものをでも裏切って来るのです。それが残酷である。もちろんそれは、たかだか三十年ということが即ちたかだかということの順当な意味に於いて、汝自身を知るが良い、という人の成長段階を提示してくれているだけであるのかも知れません。専ら思い出の内にある友人たちとの対話に於いて、ふとそのような線引きの為されてしまう決定的な瞬間は、常に各友人たちを私の眼にとって奇異なものへと変えて来ました。それまで尋常に、仲の良く話をしていた友人が、恐ろしく別の生き物に見えてしまう瞬間。それが如何にも残酷と私は思う。

 しかしローティへ戻ろう。

 しかしローティへ戻ろうということの意味は、論文の彼を取り上げている部分に戻ろうというだけのことであります。

 原理や、普遍性、理想といったものは、しばしば人々を置き去りにして、彼らの頭上を煌々と輝いているものです。それは心の有る人であればその手を届かせたいと思う無限の高さを目映く光るものであります。その為に心を尽くそうとそう思われぬ人にとってそれは余りにも高いところに存在するものです。彼らは置き去りにされます。またこれに近接するのを望んでみたとて、能力や性質の如何に因ってはまるで届かれる可能性の無いという人も中には居られるでしょう。彼らは置き去りにされます。果たして最も近接しているのだと自認し得るような高さに在る人については、彼らさえもが実は置き去りにされている。何故なら人間の条件は先ず明らかに、多分に身体だからです。それが悉く置き去りにされてしまうということは、理想にとってはむしろ必要条件であるのだとさえ思われて来ます。

 しかしローティへ戻ろう。

 しかしローティへ戻ろうということの意味は、論文の彼を取り上げている部分に戻ろうというだけのことでは無く、戻るつもりで踏み出した足の何故だか簡単には戻られないような道へ誤って踏み入って居り、そうしてそこにてこと俄にして、我が思考の混沌足る迷走の突発的に開始をされてしまった、嫌だなぁ、怖いなぁ、という意味であります。

 而してローティは大きな正義や理念に拠った連帯仕方を否定しました。これは民主主義の為に否定をされたのであります。すれば民主主義に於いて彼の良いとする(せざるを得ぬ)連帯仕方とは、他者への共感でした。

 他者への共感。共感という言葉は存外に難しい言葉であるように思われます。しかしそれは先ず措いて、ここで言われている共感とは苦境に在る他者へと向けやる思いやりの情のようなものと私は受け止めた。そうした私的個別的共感の善性な一つ一つが各人に感覚をせられ、行われる。その蓄積ということでしか民主主義の台上へと良い公共をば開き得ぬのだとこの人は言っているのだと思うのです。

 果たして共感にはしかし、その作用に於いて開かれた公共の為になるようなことばかりでは在りません。或いは共感という言葉を難しいものと感ずる私自身の感覚とこの事実とは何処かで関係をするものなのかもしれぬのです。が、そいつも暫しは措いとけよ、コラ、と自ら反す刀をしてそう反省ぎみに思う訳なのだから暫し措くのです。


(私は窓を閉ざしている。鳥どもの鳴かない静けさは風の音をばかり際立たせる。しかし先までは、つまり鳥どものこちらを窺って見ていることに気付く前までは、鳥どもは、賑わい怪しくも鳴いていた、とそう私は記憶をしているのだった。が)


 つまり共感とは様々である。苦境に在る他者へと手を差し伸べることも、苦境に在る他者をそのままに見棄ててしまうことも、共感はどちらの行いに対しても働きかけ得るようであります。ところで、


《結局のところ思い出されたものは私の指を有機ELの画面上へと具に働かしめる指令系であることを疑えぬ。

 私は何をかについて懸命に、知り合いであるところのフィリピン人と日本人とのハーフである女性へ説明していた。彼女はそれについて全く理解を示さないか、或いは理解するのを拒んでいるものか、とにかく何か釣れないといった様子をして私を見ていた。と言うよりも私が何かを言うその度に、言っているそのこととは反対のことをばかり彼女は言い返して来たのだ。

「ちょっとあのねぇ、俺これ、辛いよ。たまには君、なんかさぁ、もう少し共感ということをしてくれないと、あんまりこっちも言い続けて、でも全然理解をしてくれなくて、だから全く独りぼっちな気持ちに俺はなるよ。ていうか、俺はなっている今、おい」

「ええ、Sさん可哀想だなぁ、はい」

「はい?」

「はい」

「いや、はい。判らんて。そのように、はい、とだけ言って、何だか、ほれ見ろお前にくれてやってるぞ、みたいな様子をされてもこっちには何んにも伝わって来ていない訳で」

「だから、共感してるでしょ、今わたし」

 この時、はい?と思ったのは私の方である。

「どこがだよ。お前、それのどこが共感だよ」

「だからSさん一生懸命努力して喋っていて可哀想だなぁ、大変だなぁ、と思って。それは共感でしょ」

 する内に私が心身一体となってぐっと彼女へと迫った気配が周囲にも伝わってしまったかのように、数人の注目が二人の間に集って来た。

「英語圏で育まれた貴様よ、きみ、それは共感とは日本では言わんのだぞ」

「はあ?言うよ」

 あくまでも言うのだと彼女は言うのである。しかもそうした主張をする上にこちらへとは憐れみのような眼差しをまで添えていたのだ。そんな眼をするのならばそれはどうでも絶対に違うものなのだ、ではそいつが何と言えばつまりそれは明らかに、

「同情でしょうよ」

「そう同情。たとえばホームレスの人が大変そうだな、可哀想だなぁ、って思うのと今Sさんに対して思っている気持ちが一緒ね。それは共感でしょう。シンパシーでしょう。だから一緒だよ」

「いや、一緒じゃないじゃんか」

 一緒である、いや一緒でない、という不毛な押し問答のそこから暫く続いたものか、またはそうではないものか、の押し問答をもまたしても独りでしかねぬ今時分、まあ押し問答は仮にそのとき有ったのだとして、

「だからつまり俺が言いたいのはね、ああん、判る判るSさんの言ってることめっちゃ判るぅぅぅって、そこまではいかずともだ、何かこう、こちら側への心の歩み寄りというようなことをしてだね、それでちょっとは理解を示す努力というやつをして見せて欲しい訳なんだよ。そうしたら何だって穏便に済むんだぜ、我々なんてのは」

 そんなことを言った。答えは、嫌だ、であった。私は非常に不愉快であった。この人は私に対して共感を示したと言ったが、そうして示された結果、私はむしろ酷く隔絶されたような気持ちになった。しかも、明らかにそこには人の位置の高低差が仄めかされていた。もちろん私が低く、彼女が高かった。こんなものが共感であっては堪らない。堪るものか、と私は思った。大悪党だと思った。しかし刺すとまでは思われないだろう。相手は未だ二十歳をようやく越え出たような女の子である。それに刺すということは痛いじゃないか。腹でも胸でも、ぷすりと刺されたら。と、一つ彼女の身にでもなって頭の内に想像をしてみる。すればとてもじゃないがそんなこと、人に対して為し得ることではない。血が出て、大変だ。頭や目の前が、真っ暗になる。苦しいだろう。痛いだろう。絶対に可哀想である。私は"同じ地平に在る身体"としてそのように思うのだ。けだし、これこそが共感というものである。だから彼女は間違っていない。私の言っている内容にはついぞ理解を示すことは無かったが、彼女は少なくとも、一生懸命伝えようとしてしかし伝えようとしたそれら全てを跳ね返されてしまうという或る一つの不幸な状態について、それが彼女の身に起こって来たらばと、頭の内にそう思い描いてみせることでついにその胸に憐れみを持ってみせたのだから。

 そうして殆んど因みにということで記しておけば、

 彼女の共感=sympathize(他者への同情)

 翻って、

 私の共感=empathize(他者への理解)

 であったというのが起きていた齟齬の原因なのだった。日本語ではどちらのことも共感と言うが、英語に於いては別たれている。然るに日本人のわかるわかる、というempathyである場合に、俺、佐藤健にシンパシー感じるんだよね、顔も似てるしさ……という風に述べたならば、それはシンパシーという英語の意味としては誤りなのである。

 しかし日本で日本人に向けてこれを言うなれば、シンパシーの意味はエンパシーの意味として直ちに通じるであろう。まさしくここに、言語ゲーム的な言語の特質の殆んど即ちな例が見取されている。英語に於いて他者への同情としての意味を持つシンパシーが、日本語の共感という語を経て日本では他者への理解という、エンパシーとしての意味を持って共同体を罷り通って居るということの意味はつまり、シンパシーという語に絶対的な意味などない、無かったのだとしても語として日本の会話に於いては立派に機能を果たしているということだ。元を質せばこれは先ず端的に誤用である。が、元はどうあれ日本という共同体に於いてシンパシーが斯くの如く用いられているということは、少なくともその共同体の内に有る交渉の円滑さを妨げるようなものでは無い。細やかながら、これこそは東氏の言う誤配の一つの典型例でもあるのだろう。日本の、外来物を日本物として馴らして取り扱って行くその雑駁さの内には、多種多様な誤配物が充ち充ちて在りそうである》


 思い出されたものは記述をせられたことに因って消えて良くなった。記憶はまた思い出されるその時までを一時的に成仏するような魂であります。或いは全くその逆で、つまりそれが書かれてしまったこの場に於いて魂は、場のそうして在り続ける限りに固着している。どちらでも良い。単に視点の違いでありましょう。


(消えて良くなった?確かに記述をすることで成仏をしてくれる思い出はあるだろう。しかし、それが全てではない。いくら、何度と無く記述をしたとても、決して消え失せてなどくれないという記憶は、それはやはり頭にだけ残留をしているものではなく、心というものに連繋をして、楔打ちのように人を現実へと止め置いて来るのである。私は飛ばれない。鳥どもではないからだ。しかしながら人は比喩の上で、人の自由に飛び回る姿をその生活や性格に対して表現し得る。私は目下のところ、心を当てにしない論理の世界に人の飛び回る姿を羨望するかもしれない。それなら論理がその鉤爪に、悲哀に暮れた心を鷲掴みにして茜色の空を飛び回って欲しいものだ。私は、そんなことを考える。鳥よ。私はあの監視する鳥たちを無論、思い出した。少し窓を開けてみよう。然るに窓は開く。低木の枝に鳥たちは、ふむ、居らぬ。更に少し、開けてみよう。然るに窓は開く。低木のまた別の枝にも鳥たちは、ふむ、居らぬ。それなら窓は全開だ。そぉぅれぇぃっと、然るに窓はとうとう開き切った。そうして鳥たちは……ふむ、全く何処にも居らぬ。暮れて行く空が、涙ぐましい血の色の涼しさを、屋内へと分け与えているだけだ。繋がっている。この静けさばかりが私にとっての外部なのであろう。窓は開け放したままで良い)


 而してローティはリベラル思想的な意味でふくよかなる私的領域を信じたのです。彼は同じ地平に在る身体の共感は、良い書物に触れることに因って、その幅を大きく膨らませるのだと考えたらしい。私は、だいたいはこの論文に在るローティをのみ知っています。恐らくは恐ろしく門外漢(怪しい語である)でも判るように描かれた東氏の恐るべき力量に因るローティであります。私はその力量に頼ることをして恰かも、ローティの全てを理解しているかのようです。己れの非力さ、または無知であることはこのような場合に、本来抱くべき喜びや驚きを無化してしまってかえすがえすも残念なのであります。

 だって俺だって世の物識りのようにこう感想したいじゃん?であります。即ち、

 =全体は何とクリアな論理展開なのだ。

 =何という素晴らしい要約力なのだ。

 =ローティと言語ゲームの何という大胆な接合なのだ。

 そう心の底から出て来る言葉を自身独自に言ってみたいものです。が、無知である一身上にはそのような見巧者の喜びは決して訪れては来ない貴重な賜物だ。ワインの味が判るようにして、いつかは判りたいものであります。個人的な体質として、ワインの味については永遠に判る日のやっては来ないのであるから、尚更にそうなのです。

 それでも、即ち見巧者ではない者にとってこの論文が何ものももたらし得ぬのかと言えば、決してそうではないでしょう。事実はむしろ、私のいつかしてみたいと夢想をする感想仕方の方が些末であるかもしれぬのです。

 この論文や観光客の哲学では、分断的な世の内にあってそうした分断を越えて向き合おうとする人々が肯定されています。私は多くの人々が自覚のないままに友敵として陣営の別たれる可能性を秘めているものと信じる。殊に私自身がそうであったのですから。そうしていずれ自覚を持ってしまったその暁には、我々は酷くうすのろい戸惑いの渦中へと投げ込まれるのであります。渦はうすのろい渦です。何せよそれは、ただその別ちの余りに人の生死を決するほどの社会環境には在り得て居ない我々が、結局のところその穏当さを保ちたいという意思をして円描かしめたものなのです。そうした緩やかな戸惑いの渦は漂流者を生むでしょう。(正直に言えば私自身については観光客であると言うよりも漂流者であるのだと言った方が心に嘘がないのです)

 が、何れにせよ多くの人々は友であり敵であり、といった分断には耐え得ないのではあるまいか。何故なら多くの人々は、良いか悪いかは別にして、そんな大きな話はどうだって良い、と思っているからであります、と言うかそう思うのだが、それなら良いか悪いかを言えば、いや悪いだろう、と思うのだが、それでも無理なのだ。

 無理である。人々は無理である。マジのガチに無理であって、本当に全く多くの人々は政治とかには興味ないし、我々は自分たちの私的領域を生きて行くだけでも精一杯なのである。私は驚愕したのだが、日本国が民主主義国家であるということを知らないという人が居たのだ。選挙やってたんだぞ、おい。

 だがその人は別段、頭が悪いという訳ではありません。ただ大きな現実に対しての興味を全く持たないのです。何せよ反対に小さな現実というものであってさえそれは我々に対して酷薄に迫って来る具体的な眼前の敵なのです。敵であるばかりでは無論ないが、現実が、近代以降確実に安楽となっているはずの生活の実相が、それが先ず人々にとって甘いものではないという事実について、論は余程に待たれますまい。(因みに、本当に因みにだが、論を待たない、の待つという漢字表記は誤りであるとWeblioに在る。本来は俟つであると言う。それでは俟つとは何を意味するものか。調べると、何をか頼みにすることと在った。なるほど、確かに待つと俟つとでは意味の違い、論を俟たないとは論ずることを頼りにしない、即ち論ずるまでもないという正当な意味になる。待たないと表記をするよりも、この表現を用いた当人の頼りとする言を論ずるという主体性がこの言葉の大意の内に通って来て、然るに言葉そのものに備わっている意思性のようなものが鋼の如く強く感じられる。反対に、待つ待たない、では受け身的である。待つということにはやはり他者性が意味として多分に在るからだ。論を待つ、論を待たない、ということは即ち論の方からこちらに助太刀しに来てくれることを受動している。本来誤りであるのだからそのような意味もでっち上げではあるものの、実際に漢字を見てみて意味をその内にそう見て取れぬものでもない。従って、私はこの表記を直さない。私は、自力を俟ち得ぬ為にも他人を俟っている。即ち頼られるだけの論の自らに備わらぬ為に、他人の論を待ち得る訳であるのだから、論は待たれまい、は個別内的な事案としてこの場合には正当化されたのだ)


 詰まるところ、そのような人々の取り得る最適最善な政治的立場は観光客以外には有り得ないのではないか……と思われている自分の判断がどうにも怪しいようだが、すると思えば取り易い立場ではむしろそれは無いのかもしれぬともこと俄かに思われて来た次第であります。友敵の如く、他に截然と切り別たれた立場の方が、余程人々には行かれ易い道なのでありましょうか。

 判らぬ。判らぬ、であります。

 もうここいらで、福沢諭吉を引いてみるのです。


「宗教は人心の内部に働くものにて、最も自由、最も独立して、毫も他の制御を受けず、毫も他の力に依頼せずして、世に存すべきはずなるに、我日本に於いては即ち然らず」


 これは文明論之概略の何処ぞから引いた文章であります。が、果たして何故これを引こうと思ったのか、それがどうしても思い出せない。一体どうしたことだろう……。

 諭吉は、日本に神仏在りと言えども、神道には宗旨の無く、仏道は政府の威を借り、然るに彼らに力の有ってみたとてせいぜいが俗権である、というようなことを言っています。面白いのが、文明論文之概略の書かれた時分には政府によって仏道の僧侶に対し、肉食妻帯が許可されたと言う。それならば僧侶らの肉食妻帯を戒め続けた理由はその宗旨に有った訳ではありません。それは政府の許可無きが故のことだった。従って、こんなものは宗教じゃねぇんだよ、というようなことを諭吉は述べているのです。

 そもそも諭吉はこのことを、事物の偏り、延いては権力の偏りという観点から述べており、即ち斯く在る日本は西洋とは全然違うんだ、という意見をして日本文明の由来を語り始めているのであります。

 そうして、それで先ずそれが何なのか、ということがわざわざと福沢諭吉を引いてみた己に課せられている説明責任でありましょう。

 ところが私は何だかよく判らないけれども、よく判らないなりにこれを引いてしまったようで、つまりはよく判らない。

 という訳で説明にしてもよくは出来ないのであります。恐らくは、西洋式の一元的な原理原則の下に在る連帯というものが、日本の人々にとってはそもそも難しい仕方なのでは無いか、ということを言う為に引用したのだろうと思われるのです。つまりそれ故にも、私は観光客という立場に一番適切な解答を見た気がするのであります。

 ともあれ私は何か、ローティのそれが避け得がたい条件が故に唱えざるを得なかった自民族中心主義、というものに、それでは日本に生まれ育った我々であるならば実に日本民族という何やら怖いような言い方で、我々自身を捉え返さねばならぬのだろうという思いをまた遠く及ばし、東氏が、そこへと更に向かって行きそうであるという誠実な(勇敢な)背中を、我ら読者は論文の行間に読み取るものかもしれません。

 ともあれ東氏はこうも言っています。(引きませんが)、自民族中心って言ってもローティはその自民族を共感範囲の再設定に因って絶えず変化し更新されるもの、としているので、というようなことを言っているのです。こうして、"家族"の概念とローティのリベラルアイロニズムという立場がなんと接合されてしまうのであります。これが何か多分すごいところであろう、すごいのに違いないという思いをして私は読みました。だって"家族"って言語哲学から抽出された概念だったものが政治哲学にがちょんと接合したんだから、なんかすごくない?であります。


 さて、もうこの辺りで良いのでしょう。頭が痛い。実はずっとの間、頭が痛くて堪らなかった。それと言うのも、結局のところ書く為に書かれたというきらいの無いでも無いこの文章は、理解を深める為の勉強を目した訳でもないのにそのように靡き、またそうせざるを得ないような心の囚われに因って思い出へも靡き、勝手な見当と敵意とにも靡き、どうでも良い自らの拘りにも靡いては、凡そ纏まりの無く靡かれる方向へは無造作にして靡かれて行ったものであります。結果として、私は頭を痛めました。風が温い。休まらぬ不吉な風だ。出来上がったものは、こうして出来上げようと仄かに抱いていた当初のものとは全く違った文章だったかもしれません。しかしながら私はこれを雑記と銘打って始めたのです。だから、出来上げたものそれ自体が何ものでも無い、というところ以外にはそもそも私の達成は無いはずであった。然るにその意味でこの文章に於いての私の達成は、必ずに為されたのであります。



 もし、この文章の原稿用紙に手書きで綴られたのならば、私はここで筆を置くということをしたのだろうと思う。しかし、無論それはされない。何せよ私はスマホをしてこれをずらずらと書いたのであるから。

 然るに指の文字を打つことをば止めにしたとて、そうして打面をする指はそうした動きをままに未だ、この画面上に張り付いてはフリックし、なぞり、やはりは打っている。していることはxvideoを見ようとしていることだと言うのに、指の動きは一向に変わらないのである。而して、奇妙だなぁ、摩訶不思議だなぁ、と思いしに、指もそろそろと下りかけたところで、ふと老婆が気になった。老婆が直ぐそこに居るのではないかという気に何故だか成った。と言うのも、居たら困るのだし嫌なのだし、という気になった心がもう確かに老婆は直ぐ傍に居るものだという思い込みをして、有りもせぬものを気に察せしめるほどの強迫をされたのである。

 私は立ち上がった。窓縁に手をやって、外を覗き込んでみた。緋色に湿った光が辺りを気怠く染めていた。正面にした低木をよく見れば、それはまるで緑色の毛を四方八方に生やかした石臼のようであった。と、その木陰に人の形が在る。

 あれは、と思うなりに私は飛び上がりそうだった。あれは、女である。確かに、女である。然るに女とは、私を前世界から現世界へと連れ去ったのに違いない彼女である。服が一緒だと思った。髪型も一緒である。背の高さも一緒なれば、全体姿形といったところから遠目にも醸し出されているように見える雰囲気といったものまでもが全て、あの女の彼女であることを示唆している。真実を胸へ飛び込ませて来ている。

(Aちゃんなのか)

 私は、私がそれと気付いた時には既に小屋の戸を開け放って、表へと飛び出していた。あれはもしかして、Aちゃんか。切迫をした気持ちに胸を締め付けられながら、私は走り出していた。Aちゃん。私は先ず彼女と会ってそれで何を喋ろうという心積もりもない、ただこの眼で確かに彼女を見たいという一直線の希求でだけで、私は脇目も振らずに走って行った。すると、その時一斉なる甲高い音が、暮れ行く林間中を響き渡った。けたたましい鳥の鳴き声である。私は振り向いた。

 小屋の屋根の上にあの鳥どもは、びっしりと充満していた。


 びぃやびぃやびぃやびぃやっ


 甲高いものに伴って鳴っているそれが、鳥どもの鳴き声では無いということは直ぐに気が付いた。羽である。両翼共に上方へと掲げて円を描いた羽が敏感に震えることで、口琴のように惑わしいその音を鳴らしめている。

 音の高まりは次第に、私と鳥どもとの間に在る距離を狭めて行った。彼らは私を見ている。あの時あの頃、遥かな水平線に恐れ戦く若い私の心を餌食と思って窺い見て居た黒いカラスらのように。違いは二つ。先ず一つに鳥どもは黒くない。そうしてもう一つ。鳥どもはじりじりとこちらへ詰め寄ることなどはしない。鳥どもは、彼らは、何かそれをするきっかけを秘密裏に得たのだろう、両翼を左右に延べて忽ちに飛び立った。私の視界内を目一杯の鳥の羽ばたきが占めた。すると一つの風が目前を吹いて来て、その一つの風は私を貫いて吹き去った。

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