ある公爵令嬢の日記
脇役のTS要素
XXX/03/30
国立魔法学園高等部へ入学し、この日記も今日で五冊目になった。
五冊を超えても未だに反省点しか出てこない自分が嫌になる。
少しでも忘れないよう、気に掛かったことは全て記録したい。厳重な魔法を掛けているから、機密事項が漏れることはないだろう。
XXX/04/02
念の為、宮廷魔導師に解けるかどうか確かめてもらった。
あまりにも解けなかったので少々引かれた気がするが、国を守る臣下としてはこのくらい出来なければいけないだろうし、これからも技術を磨いていきたい。
XXX/04/12
今日もまた辛辣な態度を取ってしまった。どうすればこの性根が直るのか見当もつかない。
あの方は確かに未熟な点はあるけれど、代わりに民を思う素晴らしい心をお持ちだ。政略には不向きかもしれないけれど、そこは私が幾らでも力添えして乗り越えていけば良い。
そのためには円滑な会話を交わし、円満な関係を築くことが必要だと思う。思っているのに出来ないのはどうしてだろう。
正直、あの方を直視していると冷静さを欠いてすぐに高圧的になってしまう。今日もお顔が可愛らしい。
XXX/04/29
入学後すぐの試験の結果が出た。満点を出せたことには満足している。あの方には渋い顔をされてしまった。14点差とは言え、負けは負けだと思っているのだろう。
入学前には私との差が開いていたことを考えると驚嘆に値する結果だと言えるが、あの方にとってはまだ充分とは考えられないに違いない。
褒めるつもりだったのにやはり居丈高な態度を取ってしまった。微笑むつもりで嘲笑にもなってしまった。どうすればいいの。どうしてこうなるの。
「クロヴィス様にしては上出来ですわね」なんてよく言えたものだ。首を刎ねられても文句が言えない。
ひとつ救いがあるとすれば、誠実で真面目な方だから私の言葉も嫌味とは受け取らずに「もっと精進するよ」と真剣な顔で返してくれることくらいだ。
同じような状況で、本当の嫌味にも気づかないのは少し困ることもあるが。その真っ直ぐな心根を信奉する者は多い。ある意味美点とも言える。本当に素敵な方だと思う。
隈が出来ていたので、侍女を通して安眠出来るように調合した薬膳茶を贈っておいた。
XXX/05/02
魔法の実技試験があった。高等部に進んでから初めての授業と言うこともあり、実力を測る為の試験だったようだが、わざわざ学科生全員の前で行う意味はあるのだろうか。
充分な力を持つ者は己の力を発揮できる場を与えられる喜びがあるが、未だ成長過程にある者や、どうしても素養が足りない者への嘲笑の場にもなりかねない。能力を測るというのなら個室で十分ではないだろうか。
あの方は正直に言って魔法実技が苦手だ。第一王子であるあの方が、第二王子が優秀であるが故に蔑ろにされているというのは日々感じている。あの方は致し方ないこと、としているようだけれど、第二王子派だろうと教員がわざわざ王族を貶めるような行為に走るのは如何なものか。
腹が立ったので苛立ち任せに試験会場を吹き飛ばしてしまった。もちろん私が別室を用意したので問題無い筈だが、癇癪持ちの王妃候補なんて敬遠されて当然だ。あの方はやはり困った顔をなさっていた。
もう少し冷静に物事を解決できるようにならなければならない。
XXX/05/08
王妃様から登城を命じる通達があった。試験会場爆破からは六日が経っているので、むしろ遅いくらいだった。
懇々と道理を説いて頂いてしまった。不甲斐ない。恥ずかしい。入学した以上、どのような身分でも学園内のルールに従うべきである。本当に。恥ずかしい。
王妃候補である私への気遣いも含まれているのか、最後には「方法は誤っていましたが、貴方の気遣いには感謝します」などと、恐れ多い言葉まで頂いてしまった。恥ずかしい。
自分を律するのは得意な方だ、と自分では思っている。あの方のこととなると我慢が利かないだけで。
恥ずかしい。
XXX/05/20
入学当初から話題に上がっていた男爵令嬢が、あの方の側にいることが増えているらしい。親しい令嬢が教えてくれたが、頻度が尋常ではないので、よほど親密にしているのだろう。
名前と出自は知っていたが、顔をよく見たことは無かった。身分が離れすぎていて関わることがないと思っていたから。
可愛らしい顔立ちだった。
あの方はああいった顔立ちの女性が好きなのだろうか。
私とは████。どう███あ██風に███の。ず██。█も███みたいに███と███ ██い█に。
████
XXX/05/22
私は醜い
XXX/05/26
己を律する方法が分からなかったので、鍛錬に励むことにした。
件の男爵令嬢は、有力貴族の子息と懇意にするだけあって、相当な魔法の使い手のようだった。首席入学者こそ私だったが、彼女は次席だったのだという。教員に無理を言って入学時のレポートを見せて貰ったが、文体こそ拙いものの、彼女もまた、私と同じ物を見ている、魔法研究者の一人だった。
平民だというのに、一体どこで魔法理論を学んだのだろう。独学だとすれば、紛れもない天才だ。
私が優れているのは、周囲の環境に恵まれていたからに過ぎない。もっと精進しなければ。
XXX/06/05
彼女とあの方を見ていると辛いから、離れるようにしているのに、何故か彼女の方から声をかけられてしまった。
私は気にしないが、貴族社会の通例に従うのならばとんだ無作法である。学園内では皆等しい立場である、とはしていても、いい顔をするものは居ない。
周囲に居る者が露骨に顔を顰めたので、彼女らの悪感情がこれ以上刺激される前に、一先ず私の方から作法を教え込むことにしておいた。上から物を言うのは得意な方である。
あれほど素晴らしい理論を組み立てる才女が貴族の慣習を察せない筈がない、とは思うのだが、優れた才を持つ者というのは必ず何処か致命的に欠けているようで、彼女は魔法研究と理論の実践・検証以外には殆ど興味が持てないようだった。
これは、恐らく魔法学者になる以外に生きる術が無いタイプだろう。平民ではその才を持て余し、貴族社会からは爪弾きにされる。魔法学会に所属し、功績を挙げるべき人材だ。
XXX/06/08
どうしても、とせがまれた為に席を設けたが、ヴィオラとの議論は想像以上に楽しいものだった。
彼女の可愛らしい顔立ちや仕草、男性に好かれるだろう愛くるしさを見ると心が苦しくなるが、それら全てを抑え込んで言葉を交わしたい、と思える程度には彼女の知性と知識には感服せざるを得なかった。
どうして此処まで優れた才女が、わざわざ国立魔法学園に高等部から編入したのだろうか。魔法学会に所属する高等魔法術士に直接弟子入りした方が早いのでは、と思い尋ねてみたが、やはり学会も貴族社会と完全な分権を図ることは難しいようで、少なくとも卒業はしてほしい、と告げられたそうだ。
恐らく特級魔法術士に謁見が叶えばすぐにも登用して貰えるのだろうが、彼女の立場で会える魔法術士の立場ではそのような助言が精一杯だったらしい。
高位貴族として関わる世間と、平民から見る世間にはやはり拭いがたい格差があるようだ。彼女と言葉を交わさなければ気づくことの無かった点である。
XXX/06/10
入学後初めて、あの方との茶会だ。思うように時間が取れなかった為、約二ヶ月ぶりとなる。
二人切りで会うのは久しぶりだから、と随分と気合いを入れたせいで毒々しい花のような出で立ちになった私に、あの方はやはり可愛らしく微笑んで、「よく似合っているよ」と言って下さった。
『お世辞でも嬉しいですわ』などと口を突いて出たが、珍しく、心の底から本心だった。
だって。どう考えても日中に中庭で紅茶を嗜むにはそぐわない装いだった。完全に一人仮面舞踏会である。
どうしてこうなるのかしら。
XXX/06/15
ヴィオラの噂が日に日に広まっている。あまり好意的なものとは言えないようだった。
よくよく探れば、平民と親しくしている私にもあまりよくない感情を持つ貴族がいるらしい。此方は私の耳に入らないように細心の注意を払っている為か、噂の出所が掴めない。
少し話せば、彼女が色恋沙汰を目的に高位貴族と交流している訳では無い、と分かりそうなものなのだが、ヴィオラが子息達と不用意に親しくしているのは事実でもある。
行為自体はやはり通例に従うならば咎められるべきものなのが、問題をややこしくしている原因だった。
既に私とヴィオラを火種にして、揉め事を起こそうという気配を感じている。
流石にこんなにも短期間に二度目の問題を起こせば、王妃様もお咎めなしとは出来ないだろう。王妃候補が謹慎処分、というのは第二王子派にとっては都合の良い醜聞に違いない。
どう話せば穏便に彼女に伝わるだろうか。
XXX/06/21
何度目かの意見交換会の際、ヴィオラに貴族社会について説明をしてみた。あらゆる社会の規則を鬱陶しいものとして捉えているらしいヴィオラは、最初は拗ねた子供のように私の言葉を聞いていたが、『このままだと私と貴方が話せる場が無くなるかもしれない』と伝えると、それは嫌だ、と幾分真剣に耳を傾けてくれた。
高位貴族の子息と不必要に親しくするのはいけないこと。どうしても関わりを持ちたいのならまずは婚約者である令嬢に話を通すこと。
私の方でも事態が収束するように手を回してこそいたが、公爵家の令嬢が特に見返りも無く平民を庇う構図そのものに、貴族社会への不信を抱く場合もある。立場のある人間同士が関わる以上、ある程度の筋は通さなければならないのだ。
ヴィオラは決して頭が悪い訳ではない。私の説明を正しく受け取り、酷く面倒臭そうにしながらも頷いてくれた。
一先ず落ち着きそうだ。
XXX/06/22
彼女の件で、お礼を言われてしまった。誰が言っても聞き入れなかったのに、私の言葉なら聞いてくれるのだそうだ。
頼りにされるのは嬉しい。嬉しさが顔に出せていただろうか。
少し妬けるな、と言ったあの人に、なんと返したのか覚えていない。
XXX/06/25
私はあの方が、物語のように不誠実な真似をするなどとは微塵も考えていない。それは他の令息の婚約者も同じだろう。
ただどうしようもなく不安になるだけだ。感情を理性で律しなければならないのが貴族だが、誰かを想う気持ちを抑え込んで生きていけるほど、私達は都合良く出来ては居ない。
XXX/06/30
今回起こった問題は、ヴィオラと令息方の討論の場に、婚約者を同席させることで一先ず両者手を打つ方向で話がまとまった。それまでヴィオラを取り囲むように中庭で行われていた彼らの集まりが、正真正銘、成績優秀者による討論会であることが、一度参加しただけで肌で感じ取れたようだ。
それ程までに高度なやり取りだった。既に上級学年の魔法理論は網羅し、国立図書館秘蔵の古文書にまで言及する一年生が実在するとは思わなかった。私もよく百年に一人の天才と持て囃されているが、ヴィオラはまさしく千年に一人の逸材だ。
その逸材が未だに特級魔法術士への謁見すら叶わない状況なのが酷くもどかしい。彼女の生まれや性別によって叶わないというのなら、公爵家の権力を余すところなく使って後ろ盾になりたいくらいだった。
恐らく、彼女と関わっている令息も、本人達の興味は勿論、当主からそのような思惑を受けて共に居るのだろう。
空き教室を使用しなかったのは、あくまでも人目のある場で集まることで下世話な想像を起こさせないようにする為の計らいであり、見せつける意図が無いことも理解して貰えたと思う。
XXX/07/02
二人きりで勉強会をするのなんて、数年ぶりだった。
題目は先日ヴィオラが持ちかけた魔力増幅装置について。半分も追いつけなかったから、もしよければ教えて欲しい、と言われた。
正直なところ、私もあの場では同程度の理解しか及ばなかった。屋敷に戻って文献を漁り、無理を言って国外の魔術師の論文を取り寄せてようやく、と言ったところだ。
ヴィオラ本人に聞いた方が良いだろうに、とも思ったが、彼女はあまりにも頭一つ抜けた才能を持っている為か、理解の及ばない相手への説明が地獄のように下手だった。私を頼ったのは消去法だろう。
どんな動機であれど頼られるのは嬉しい。完璧な講義をするべく、万全の準備で臨んだ。相変わらずあまりにも高圧的な態度になってしまったが、変わらず優しく微笑まれるだけだった。
お礼の品として美しい首飾りを贈られた。あの方の瞳の色と同じ、鮮やかな蒼玉。嬉しくて舞い上がってしまった。
舞い上がった結果、『我が家の犬の方が物覚えがいいですわね』と出て来たのは、一体 全体
なぜ
わたしはばかなのかもしれない
XXX/07/05
ヴィオラが『性別を変える魔法』を開発する、と言い始めた。もしも実現すれば歴史を変えるほどの発明だ。勲章の一つ二つは当然のこと、この先の研究全てに国から補助金が出てもおかしくない。
『私が男の子だったらよかったな、って思ったんだよね』、と軽い調子で語った彼女の胸の内に、今回の件があるのは確かだった。
ヴィオラが男性だったなら、今回のように上位貴族の令息と懇意にしても、身分差を越えた交流として美談にされただろう。
きっと、彼女にとっては研究を邪魔されるのなら、性別すら心底煩わしいものなのだろう。私も含め、彼女と言葉を交わした人間が彼女に強く惹かれる理由が分かってしまった。ヴィオラ・アルナルディという女性は、自身の求める研究のためならば、きっと何を捨てても構わないと思っているのだ。
純粋な探究心。
彼女と私の違いは、きっと此処にあるのだろう。
私が知識を得ようと求めるのは、あの方の為でしかない。
誰かに勝てないと思ったのは初めてだった。
XXX/07/06
何故か男性の好みについて尋ねられた。婚約者からこのようなことを聞かれた令嬢は、通常どのように答えるのだろうか?
口にしてしまえば一瞬で伝わってしまうだろうが、嘘は吐きたくなかったのでそのまま言葉にした。
『犬のように可愛らしい、愛嬌があって小柄な方が好きです』と、珍しく素直に伝えることが出来たが、あの方には酷く暗い顔をされてしまった。
私に好かれるのは嫌ですか、とは聞けなかった。いつもは好きなだけ出てくる偉そうな言葉の数々ですら、ひとつも声にならなかった。
XXX/07/16
あれからあまり顔を合わせていない。元々令嬢と令息の使用通路はあまり被らないようになっているのだけれど、それにしても、十日も顔を合わせないのは初めてのことだった。
このまま長期休暇に入ってしまうのだろうか。
もしかしてヴィオラとは会っているのかも、なんて、どうしてそんなことを思うのかしら
XXX/07/25
休暇前に再び会うことが出来た。どうしてか、お髭を生やしていらっしゃった。どうして?
可愛らしかったけれど、あまりに似合っていなかったので、『似合いませんわね』と言ってしまった。
普段上から物を言っていると、こういう時に何を言っても従者が咎めにくい、というのは良い点だろう。だって、周りもどう見ても似合わないと思っていたもの。みんなが言いにくいことを言えるのは、恐らく婚約者の特権だ。
茶会の途中だったが、一度離席して、髭を剃り終えてから戻られた。髪と同じく髭もふわふわだと知れたのは少し嬉しかったかもしれない。逞しい第二王子と比較されることを気にしているようなので口にはしないが、顔立ちと同じく、お髭もかわいいようだった。
XXX/08/12
最悪の日だった。
観劇に行った。あの方は婚約者としての務めを果たそう、と度々こうした予定を入れてくれるのだ。
蒼玉の首飾りを付けていったら、よく似合っている、とお褒めの言葉を頂いた。今度こそ似合うように、場に合った身なりを整えたのは正解だったようだ。嬉しかった。嬉しすぎて言葉も返せずに完全に無視してしまった。
別れ際にもう一度言って頂いたのに、それも無視してしまった。言葉を返せなかったのに、何故か片眉だけは嫌味たらしく上がってしまった。
最悪の日だった。
XXX/08/15
失態を取り戻さなければ、と、長期休暇中に二度目の外出が出来ないか、手紙にて予定を伺った。
毎度、文面では地にめり込む程に低姿勢になる私の手紙を確かめた侍女が、『此処まで行くと慇懃無礼ですね』と言っていた。そんなまさか、と見返してみた。そうだった。
書き直しても一緒だったので、仕方なくそのまま出した。
XXX/08/24
湖のある高原へ向かうことになった。たまにはこうして、喧噪から離れた場所で共に過ごすのもいいだろう、とのことで。
万に一つも何かあってはならない、と通常の二倍の護衛がついていたが、湖の側では二人きりになることが出来た。大抵の輩ならば私一人でどうにかなる、との侍女の説得で叶った状況だ。
幼い頃から一緒にいるせいか平気で人を火炎大猩々呼ばわりしてくるが、彼女は信頼に値する素晴らしい侍女だ。私がどんな物言いをしても聞き流してくれるところも有り難い。日記をつけて自分の行いや感情を見直すように、と助言してくれたのも彼女だった。
思えば幼い頃からどうしようもない癇癪持ちだった私を支えてくれたのも彼女だ。どう足掻いても偉そうな物言いになりつつも、婚約破棄に至らずにあの方と共にいられるのも、彼女が私の性根を宥めてくれたのが大きいだろう。人を平気で火炎大猩々呼ばわりする点以外は、最良の侍女だと思う。
人を平気で火炎大猩々呼ばわりする点以外は。よりにもよってあの方の前で火炎大猩々呼ばわりの切っ掛けを話した点以外は。
誰が火炎大猩々よ せめて龍とか言えなかったの
XXX/09/02
新学期早々、ヴィオラに捕まった。長期休暇中は会えなかった分、話したいことが沢山あるようだ。
既に基本構築式の試算に入っているらしい。どうやら本気で男性になるつもりのようだった。制服の準備までしている。
あんなにも疎ましく思っていた様子だったのに、ヴィオラが男性になる、という噂を聞いてから、幾人かの令嬢が彼女に過度な好意を向けているらしい。彼女達の本意、というよりは家の意向だとは理解出来るが、あまり気分の良い噂ではなかった。
そんな思惑の的になっているからだろうか。
今まで一切そんな話に触れられたことはなかったのに、この日初めて、彼女に『婚約者を愛しているか』と聞かれた。ヴィオラに恋愛について聞かれるのは初めてで、私は酷く動揺してしまった。
それまで新しい理論を夢中で聞いていたのに、冷や水を浴びせられたような気持ちになったのだ。
私はどこかで、ヴィオラは一切恋愛事に興味が無いから、もしも、あの方がヴィオラに興味を惹かれていたとしても、絶対に成立しない想いだ、と考えていたのだろう。何より、ヴィオラは男性になるつもりなのだ。万に一つもありえないだろう、と安心してしまっていた。
もしもヴィオラが恋愛に興味を持って、あの方の魅力に気づいて、男性になるのを取りやめてしまったら、どうしようか。婚約はあくまでも約束事でしかない。そもそも、私は第二王子の婚約者になる筈だったのだ。第一王子側から引き離したいと考えている者は覚えがあるものでも相当数居る。私の立場が揺らがずに居られるのは、私に確固たる実力があることと、家の力でしかない。あとは、あの方の希望。
私はもしもあの方が私を望まないというのなら、きっと、望まれなかった、という事実に打ちのめされて身を引くだろう。愛した人に望まれないこと程辛いものはない。これで私に一切の非がないのなら責めることも出来るが、私は公の場でも二人きりの場でも、いつだって高慢にして不遜な態度を取っている。非だらけだ。
ヴィオラにも『いつも悪く言ってるから、本当は嫌なのかなって』とも言われてしまったくらいだ。
きちんと否定できたかどうか、上手く覚えていない。
XXX/09/04
意を決して、ヴィオラとあの方が交際を望んでいたらどうしようかと侍女に相談してみた。
鼻で笑われてしまったので、どうやらこの問題は私一人で解決しなければならないようだった。
今までの報いを受けるだけだと言いたいのでしょうね。その通りよ
XXX/09/12
悩みが尽きない最近だが、あの方も何か思い悩んでいる様子だ。
嫌な想像ばかりしてしまう。あの方が悩んでいるだけなら兎も角、ヴィオラまで同じような様子なのだ。あの、研究にしか興味が無いヴィオラが。
最近流行りの戯曲の展開ばかりが頭に浮かぶ
絶対に嫌
XXX/09/15
どういう訳か、このタイミングで『婚約破棄をするつもりは無いからね』と告げられた。学園内で妙な噂が立っているから、婚約者として不安を解消する為にわざわざ言葉にしてくれたのだろう。
第一王子として、彼が立場の補強の為に私を必要としていることは十分理解している。私もそれに見合うように努力を重ねてきたつもりだ。
この点だけは、ヴィオラには代わることが出来ないとも自負している。彼女は社会の規則に合わせるにはあまりにも規格外で、破天荒すぎる。
少し落ち着くことが出来た。これまで積み重ねてきた実績は、確かに私を守ってくれるだろう。
XXX/09/16
落ち着いたら記録すること
XXX/10/05
ヴィオラの飛び級が決まった。やはり性別を変える魔法はそれほどまでに驚異的な発見だったらしい。すぐにでも魔術学会に籍を用意して、専用の研究室を与える、とのことだった。
天才というのはやはり常人とは違うようだ。
どうしても冷静になれないので、9月16日の記録は箇条書きで記す。
・ヴィオラが男性になった
・何故か私に交際を求められた
・出来る限り誠実にお断りした
・クロヴィス様とヴィオラ、両者と同時に付き合うのは可能か?という提案
・それは社会通念上不可能だと伝える
・泣かせてしまった
・これからも親友として仲良くすることになった
悪気と悪意が一切無いことだけは確かだと、デュノアイエ家の名の下に記しておきます
XXX/10/08
クロヴィス様が沢山言葉にしてくださるようになった
うれしいけれどすこしもかえせるきがしない
XXX/10/10
ヴィオラから定期的に手紙が来る。元気でやっているようだった。
男性になったヴィオラはその愛くるしい顔立ちと聡明さで様々な女性を虜にしているらしい。女の子って面倒だね、とこれまでと何ら変わりない様子が手紙に書かれている。
ヴィオラから手紙が来る度にあの方が少し不安そうな顔をするので、私もきちんと言葉に出来るようになりたい
次に記録をつける時は、きちんと伝えられたときとします
XXX/09/05
いえたわ
XXX/09/06
二日連続は無理ではなくて?
XXX/09/07
1が10になって返ってくるわ 愛ってこういうものなのかしら
わたしも10倍で返せるかしら
XXX/09/15
無理
XXX/12/20
ヴィオラに恋人が出来たらしい。男性か女性か、何方と付き合うのか、と思っていたら、同じ魔法を使って女性になった男性と交際を始めたそうだ。
今とっても幸せです、と書かれていた。
私も今とっても幸せです、と返しておいた。
…………
………
……
…
XXX/XX/XX
親愛なるクロヴィス様へ
最後の記録を兼ねて、万に一つも見せるつもりはないため、素直な気持ちを書き記しておきます。
私は貴方と出会えたことを心から嬉しく思っております。『強く気高く逞しく、障害は全て薙ぎ払うべし』の家訓が示すとおり、正しい貴族令嬢というものを少し誤解した形で身につけてしまった私ですが、この先貴方にどのような不幸が降りかかろうとも、必ず私がその全てを薙ぎ払ってみせます。
あれから幾度か矯正を試みましたが、偉そうな物言いが死ぬまで直りそうにありません。一体全体どうして、正式な求婚の申し込みに『精々私の足を引っ張らないように精進して下さいませ』などという台詞が口を突いて出るのか。どうして。本当に何故。
こんな私と一生を共にする覚悟を決めて下さったこと、心から感謝しております。
愛を込めて
ベルティーユ
◇◆◇
僕の妻は、それはそれは美しく、刃のように鋭い弁舌と、磨き上げられた才能を持つ素晴らしい女性である。
ベルティーユ・デュノアイエ公爵令嬢。社交界に咲き誇る紅薔薇と名高き彼女は、その美しさと、持ち合わせた棘でもって、いつだって注目の的だった。
圧倒的な美貌、規格外の魔法の才、少々厄介な性格すら魅力となる彼女が僕のような人間の婚約者になってくれたのは、まさに奇跡だと言えるだろう。病に倒れる父を支え、国内外への政務に手一杯だった母では、第二王子派がデュノアイエ公爵家を取り込もうとしているのを分かっていても手を打つ余裕がなかった。
デュノアイエ公爵家は類い希な魔力保有量で国防の要と言われている上位貴族だ。
生来、自身の欲求を満たす為に生きる性質──大抵は戦闘に興味が注がれがちである──を持ちがちな血筋な為、国への忠誠心というよりはいかに興味を惹かれる対象であるか、という点に重きを置いて人を判断し、尚且つ、王族に対してもそれが許されている一族である。
先祖を辿れば龍の血を引くとも言われるその力は本来国家規模に収まるものではなく、初代当主と建国時の王が戦友であった為に信頼を元に臣下として仕えてくれている過ぎない、というのは、王族でも一部の者しか知らされていない事項だ。
何百年と経ち、貴族内では様々な思惑が交錯している。抑止力になるのなら兎も角、本来制御不能の血筋だ。不必要な火種を生むべきではない、との判断だった。
さて。そういう訳で、本人も知らぬ内に、デュノアイエ公爵家の令嬢をどの王子の婚約者として引き込むか、という水面下の争いが行われていた訳だが。当事者の僕はといえば、僕が選ばれない方が良いだろうな、と思っていた。
容姿は平凡、体型はふくよか、魔力の才は中の下、頭の出来も人並み──という、第一王子であることしか評価に値しないような僕である。国王となっても民を安心させる政治が出来るとは思えないし、それならば第二王子が継ぐのがいいのでは、という考えが幼いながらにあったのだ。
幼いが故に、腹違いの弟の母についてまでは考えが回っていなかった訳だが。第一王子派の者たちは、才に溢れた弟そのものよりもその母親について懸念があるようだった。王妃である僕の母が警戒していたのも彼女に対してだった。
『言っておきますが、あの男よりも貴方が王になった方が遙かに真っ当な国になると考えています』とは、母の言である。あれだけ聡明な女性なのにどうして父と結婚したのか、とは聞きたいような気もするが、それが政略というものなのだろう、と当時でも納得は出来た。
なんとしても選ばれなさい、と母から厳命を受けこそしたものの、僕に選ばれるような手立てはなかった。
これはもう、王族として恥であろうとどうにか人目に付かないところで頭を下げてでも選んで貰うしかない、と思っていた僕だったが、ベルティーユはなんと、拍子抜けするくらいにあっさりと僕を選んだ。僕で無ければ嫌だ、とさえ言ってのけた。
何故だろう、と今でも考えているが、僕にはさっぱり分からないままだ。
多分、単純に、彼女の飼い犬(『犬』とは名ばかりの炎魔狼である)に僕が懐かれたからなのかもしれない。きっとあの時の僕は、狼にとってはとても美味しそうな餌に見えたことだろう。
そういう訳で、美しく輝く宝石のような婚約者を得た僕は、その日から、それまでの倍の嘲笑を影で受けるようになった。それはそうだろう。あんなにも美しい令嬢の隣に立つのが、まんまるの子豚王子では、本当に笑うしかない。
実際に、何度も自嘲した。自虐もした。
だが、その度にベルティーユが眉を吊り上げ、『この私の婚約者をたとえ本人であろうと貴方如きが貶めるだなんてどういう神経をしていらっしゃるの? 鏡を見てきたら如何?』などと、何とも威圧的なのによくよく聞けば僕を褒めているらしい言葉で此方を叱咤するのだ。
ちなみにこの場合の『鏡を見てきたら如何?』は、可愛らしい容姿(彼女曰く)を鏡で確認して再度目に焼き付けて自己肯定感を高めなさい、の意である。
そんな馬鹿な、と思ったが、流石にそこから何年も一緒に居れば気づいた。
どうやらベルティーユは、本当に、本気で僕をかわいらしいと思っているようだった。身長がやや伸び、それにともなって体型が少しばかり通常に近づいたとしても、それは変わらないようだった。
どうしてこんな男をかわいいと思えるのだろうか。分からなかった。分からないが、こんなにも素敵な人に真摯に好きだと(言葉の上ではそうではないが)示されて、努力しないままで居られる筈がなかった。
その日から、僕は専属の家庭教師に、もっと厳しく教えてくれと頼み込んだ。第二王子派の息がかかった教師が何人か居たのでそれとなく外してもらい、信頼出来る従者やベルティーユにも手伝って貰って、あまり優秀とは言えない頭に知識を詰め込んだ。
魔法もどうにも下手だったが、出来る限りの努力はした。魔力が足りない部分は体力で補おう、と筋肉を鍛えることにした。身長が伸びる前にやりすぎたせいでそこからあまり背が伸びなくなってしまったのは誤算だが、ベルティーユは身長が低い方が好みのようだったから、それもいいと思えた。
彼女の横に並び立つに相応しい、強い男になりたかった。美しい紅玉のような輝きにはなれなくとも、その輝きを側で引き立たせるような存在になって寄り添いたかった。いつか彼女に相応しい男になれたなら、真剣な愛の言葉を伝えようと心に誓っていた。
だから、僕が相応しい男になるより早くヴィオラ・アルナルディ男爵令嬢が現れた時には、肝が冷える思いがした。
同性相手にも心を開くことは少ないベルティーユがほとんど数日で親しくなった時点で、二人の相性がとても良いことは察していたし、研究にしか興味が無く、ただの学友として触れ合っていたヴィオラが、ベルティーユには並々ならぬ感情を抱き始めていることも、薄々感じていたのだ。
それでもまだ、ベルティーユの恋愛対象は異性なのだし、恋愛に至る関係にはならないだろう、と卑怯な思惑だが心の何処かで安堵していた。
故に、ヴィオラが男性になる、と言い出した時の僕の狼狽と来たら。側で見ていた従者が、目を覆うと同時にはっきりと『目も当てられない』と口にするほどだった。
恋愛対象として見た時、きっとヴィオラはベルティーユの好みにとても近いだろう、と思ったのだ。確かめて見れば、案の定、『可愛らしい犬のような、小柄な男性が好き』と答えが返ってきた。
まさにヴィオラである。ヴィオラが男性になったら、きっとそのようになるだろう、と容易に想像がついた。
ヴィオラが犬なら、僕は豚だ。勝ち目が無かった。
これまで出来る限り誠実に、真摯に向き合ってきたつもりだ。婚約者として過ごしてきた年月もある。簡単に関係を解消するようなことにはならない、という確証はあるが、せっかく愛した人ならば、出来る限り幸せにしたいと思うのも素直な気持ちだ。
もしも本当の恋を知ったというのなら、僕と居ることで苦痛を覚えて欲しくはない。恋愛感情というのは自分の制御出来る範囲を易々と超えてくるのだ。それがプラスに働くことも、マイナスに働くことも、僕はよく知っている。
思い悩み、せめて言葉にして置こう、と婚約破棄はしないからね、なんて言いに行ってしまった。彼女はどうやらその時出回っていた噂を払拭するためだと思っていたようだけれど、下手に突いてヴィオラのことを意識されるのも困るから、そのままにしておいた。
恋愛事には疎いヴィオラのことだから、仮に男性になれたとしても、すぐに行動を起こすなんてことはないだろうし。
と。
思っていた訳だが。
天才の思考回路を甘く見ていた僕の予想は、あっという間に覆された。
ヴィオラは男性になった途端にベルティーユに想いを告げ、困惑する彼女がそれでも真摯に断りを口にすると納得が行かないように考え込み、それなら自分と僕と同時に付き合えないかと持ちかけ、それも駄目となると涙ぐみ、ベルティーユが欲しいと泣き始めた。
その駄々を、まるで子供がお気に入りの玩具を取られたようだ、と見抜いたのは、当人であるベルティーユだった。
『ヴィオラ嬢、貴方は恋をした経験が無いようだから私から忠告して差し上げるけれど、貴方のそれは恋愛感情では無いわ。いいこと? 貴方が欲しいのは私にとっての唯一の立場なのよ。それを持っているのが現状はクロヴィス様ただ一人だから、その立場が欲しくて泣いているんだわ。
優秀な頭脳をお持ちなのに自分の感情については少しも理解なさっていないのね? 貴方がどうすれば泣き止むのか、私には分かっていましてよ。私、貴方のことを唯一の親友だと思っているのだけれど、貴方はどうなのかしら?』
ぱちり、と瞬き、泣き止んだヴィオラを軽く抱き締め、ベルティーユは静かに続けた。
『貴方って本当に、素晴らしい才能があるのに情緒が丸切り幼子なのね。それが許されるのもあと数年かしら、周りがその才能と容姿で許してくれる内にもっと大人になることね。私は貴方のことを、きっとこの先も共に研鑽を積める唯一無二の友だと思っているけれど、それでも努力もせず、周りに許されることを前提に生きている方なんて御免だわ。私のことを好きだというのなら、せめて私の望むように振る舞って下さる? 寝言を言うのはその後になさって』
涙目で頷いたヴィオラは、ベルティーユの親友となってから半月後、性別転換の魔法の功績が認められ、飛び級で卒業することが決まった。まるで風のように、というか、嵐か何かのような勢いを持つ少女だった。いや、今では立派な青年だが。
その後も当然、親友として交流を続けるベルティーユとヴィオラの関係に不安になったりもしたが、何よりもまず、行動を起こすことが重要だとは彼女と過ごした日々で痛感していたので、僕は今まで口にしてこなかったストレートな愛の言葉を口にするように努めた。
相手の心を繋ぎ止めたいのならば、努力しなければならない。そのままで許されるような存在は、それこそベルティーユには許容しがたいのだ。
だからこそ彼女も自身の物言いを直そうとしている──というのは僕にも薄々伝わっていることだが、彼女自身がそれを許せるか否かはともかく、僕としてはこのままでもいいんじゃないか、と思う時もある。
普段は氷のように冷たい物言いをする妻が、寝室で頬を赤らめてぽそりと呟く愛の言葉ほど嬉しいものは無いからだ。
十数年後、稀代の才能を持つ息子のせいで読まれる日記