1節・月風 煜 : 平穏を願った、仮初めが消えた
翌朝......
「ファ〜......」
伸びをしながらいつものように目覚めるヒカル。
(ここの所あの女の事で神経をすり減らしていたから昨日はよく眠れたな......)
昨日の事件の後、レイラの通報後間もなく女は逮捕され、パトカーに乗せられて連行されていった。
ヒカルとレイラも事件の証人として女とは別のパトカーに乗って署まで同行し、軽い質疑応答の後にすぐに家に返された。
(しかしあの警察が家に連絡したせいで母さんから長々とお説教をされる羽目になってしまった......表彰なんかメンドくさいし親に知られると面倒だからいいと何度も言ったのに......確かに危険な事に首を突っ込みすぎたかもしれないが......)
(まぁ、もうこれであんな危険な目に遭うような事はないか、早く支度をして学校に行こう)
通学路にて......
ヒカルが一人で道を歩いていると後ろからレイラが肩を叩いて大きな声で挨拶をした。
「おはようヒカル!」
「レイラか、昨日はあれから何ともないか?」
「おかげさまで!昨日は本当にありがとう!ヒカルがあいつをやっつけてくれたから私はもう大丈夫よ!」
「そうか」
そう言って一人で歩きだすヒカルの腕をレイラはグイッと引き寄せて隣を歩いた。
「くっつくな、歩きづらいし周りに見られて恥ずかしい」
二人の登校模様を近所の老婆はおやおやと微笑ましく見守り、女子生徒からはヒソヒソと嫉妬と非難の嵐
それでもおかまいなしにヒカルにくっついて隣を歩くレイラ。
「ヒューヒュー!朝からお熱いねぇそこ行くお二人さん!!」
「あら、ノム!おはよう!」
二人を茶化すようにノムが後ろから走ってきて二人の前で止まる。
「おいおい!お前ら何か心なしかいつもに増して距離感が近くないか!?もしやヒカル......!Cまで行っちゃったのか!?」
「何を言っているのかわからない」
「な......!なっ.....!」
ノムの発言を理解していないヒカルとは対照的にレイラの顔がみるみるうちに赤くなっていく
「もう!!からかわないでちょうだい!!ノム!!」
「怒った怒った!お前らも隅に置けないねぇ!」
カッカッカッ!と笑いながら走って逃げるノム、顔を真っ赤にしてノムを追いかけるレイラ。
「やれやれ、何年生なんだあいつらは」
二人の馬鹿げたやり取りを傍目から見ながら同類と思われないように他人のフリをするヒカル。
いつもと変わらない三人の通学の様子。
それを遠くの電柱の陰から見ている一人の若い青年がいた。
「もしもし先生、聖南高校の制服と竹刀袋に刺繍された名前.....彼に間違いありません。
ええ......ええ......わかりました、もう暫く監視を続けます。」
放課後......道場にて......
「ヤァァーーーー!!」
「キェェェーーー!!」
竹刀と竹刀がバシバシとぶつかり合う音、防具に竹刀が当たる音、部員たちの奇声に近い掛け声が道場中に響き渡る中、その中でも一際輝く存在感を放つ部員の姿が見える。
「メェェェェェン!!!!」
バシィッ!!っと相手の面に鋭い太刀筋が入る。
それと同時にその部員を目当てに集まった野次馬の女子たちの歓声が響き渡った。
「「キャァーーーー!!ヒカル君かっこいいーーーー!!」」
「「ヒカル先輩素敵ーーーー!!」」
「「こっち向いてーーーー!!」」
「...........」
先ほどの地稽古(試合形式の練習)で見せた迫力とは裏腹に無言で面を外すヒカル。
「月風!」
剣道部の顧問がヒカルの方へ歩み寄る。
「今の面、実に見事だったぞ!!この分だと全国大会2連覇は確実だな!私もお前のような天才を生徒に持って幸せだぞ!ガッハッハ!!」
「はぁ......」
顧問から熱烈に褒められているにも関わらず無気力な返事をして浮かない顔をするヒカル。
「なんだよあいつ、お高く止まっちゃってさ」
「俺はお前らとは違うって顔してるぜ!」
「おい、クラブ活動も終わったし皆でハンバーガーショップ行こうぜ!」
「お!いいね!行こう!」
「あいつはどうする?」
「誘わなくていいよあんな奴、どうせ俺たちみたいな弱者の誘いなんか受けないだろうよ」
他の部員たちは敢えてヒカル本人に聞こえるように悪口を言いながら横を通り過ぎていく。
「......」
楽しそうに談笑しながら部室へと戻る部員たちをただ見つめているヒカル。
「ヒカル!」
「.........!」
自分の名前を呼ぶ声に振り返るとそこにはノムとレイラが手を振りながら立っていた。
帰り道......
「ハァー、いいよなぁお前は......練習を見に来てくれる女の子たちがいてさ......お前が面打ちを決めた時、俺だってかっこよく上段突きを決めたってのによぉ
一度でいいから女の子たちの視線を独り占めしてみたいもんだぜ」
「ノムはまずその軽い性格を直す事から始めた方がいいんじゃないかしらね〜」
「同感だ」
「ヒカルまでそんな事言うのかぁ.....へいへい、肝に命じておくよ〜」
「そうだ!久しぶりに駅前の喫茶店に行ってインベーダーゲームやりましょうよ!確かヒカルあのゲーム下手っぴだったからあれならノムもヒカルに勝てるんじゃないかしら?」
「そういえば前にやったなぁ!あの時ヒカルはゲーム開始20秒足らずで早々にゲームオーバーになってたもんな!」
「......俺はゲームなんて子供向けの遊びはやらない」
「何カッコつけてるんだ!行くぞヒカル!」
「ほらほら行くわよ!」
「わかった、わかったから二人して腕を引っ張らないでくれ」
そして自宅にて......
「フゥ......結局あいつらの記録を一回もこせずに罰ゲームでコーヒーを奢る羽目になってしまった......」
「......今度、あいつらに馬鹿にされないようにこっそり練習しておくか......」
ボソッと呟きながら居間の扉を開く。
「ただいま......」
居間には仕事の疲れで眠りについている母親がいた。
昔から変わらない寝相の悪さからか毛布から体全体がはみ出しているので起こさないようにそっと毛布をかけなおし、台所に向かってガス台を見てみると鍋に入った肉じゃがと炊飯器に入った炊き込みご飯が用意されていた。
少し火にかけて肉じゃがを温め直した後にお皿に装い、年頃の男の子だからいっぱい食べるだろうと母が購入した大きな茶碗に炊き込みご飯を盛り付けてテーブルに運び、小さく「いただきます。」と呟いて肉じゃがを口に運ぶ。
作ってから少し時間が経っているためか、じゃがいもにより一層味が染み渡っており、口の中に芋の甘みが広がる。
母の作る肉じゃがはヒカルの大好物である。
そして続けざまに炊き込みご飯を箸で一口分つまみ、口に運ぶ。
保温機能のついた最新式炊飯器の登場により、炊きたてと遜色ないホカホカとしたご飯の温度、食感、香りがヒカルの口の中で広がる。
「暖かい......」
食事を噛みしめるたびに感謝がみなぎる。
父親が養育費を送ってくれるため、金銭的に余裕があるはずだが息子であるヒカルにより美味しいものを、より幸せな暮らしをと8:00から15:00までスーパーマーケットのパートで汗水垂らして働いた後、クラブ活動で遅くに帰宅するヒカルのために美味しく、栄養のある料理を作ってくれる母親の偉大さを毎日のように感じている。
「ご馳走様でした......」
食事を終え、食器を片付けて風呂に入り、寝巻きに着替えて歯を磨いて自室に行き、22:00頃に床に着く。
ヒカルのいつも通りの一日が終わろうとしていた。
「明日はクラブ活動はやすみだから少しぐらい夜更かししても問題ないだろう、ラジオでも聴くか......」
うつ伏せになりながらラジオのスイッチをオンにした。
『続いてのヒットチャートは今週で7週連続1位を達成するサザナミオールスターズで愛しのメリーです!どうぞ!』
「音楽を聴きながら眠るのも悪くないな」
ラジオから流れる音楽を聴きながら本をパラパラと捲る。
朝の楽しみが朝食なら、この時間がヒカルにとって夜の楽しみである。
『ワーイエムシーエッ♪ワーイエムシーエッ♪』
『あの人どうしているかしら〜♪』
「ファ〜......そろそろ寝るか......」
何曲か聴いていい感じにウトウトしてきたヒカルがパタンと本を閉じてラジオのスイッチに手を伸ばしたその時だった。
ピンポンパンポーン
ラジオから緊急ニュースの速報音が鳴った。
「ん?緊急ニュースか?珍しいな」
ヒカルはスイッチに手をかけていたが速報音を聞いてスイッチから手を離した。
『番組の途中ですがニュースをお伝えします。』
『岐阜県の実正町、黒鳥町の2箇所でほぼ同時刻に殺害されたと思われる遺体が発見されました。』
「え......?」
『被害者は2名とも刃物のような物で口を頰まで裂かれていたとの事です。』