9. 新たな答えと期待と不安
「え、今何て言ったの?」
ブランカは耳を疑った。
街道沿いの喫茶店の、日のよく当たる窓際の席は心地よい。
向かい合って座るアランとブランカが、昼食を兼ねて立ち寄っていた珈琲が美味しいと話題の店だ。
「だから今言った通りだよ。僕も学院に行く」
「でも、あんなに行かない、の一点張りだったのに」
二週間前と、更にその三か月前、ブランカは学院への誘いをかけていた。しかし、その度に断られ、明らかに何か理由があるように感じていたのだ。
予期せぬ承諾だったわけだが、それでもブランカにとっては嬉しいもので、目を輝かせている。
「ちょっと行く理由ができたんだ」
どうやら詳細を話すつもりはないようで、端的な返答だ。それでもこの二週間で何かがあったのであろうとブランカは察する。
「そうなのね。嬉しいわ、アランと一緒に魔法が学べるの」
アランが話したがらないことを聞くつもりはブランカにはなかった。数か月間の付き合いではあるが、食い下がったところではぐらかされるだけだというのは、身をもって彼女が経験したことだ。
理由を知りたがるだろうと踏んでいたアランにとって拍子抜けの対応であって、間の抜けた顔をしている。それを見てブランカは少し楽しそうだ。
「私は知りたがりだけど、人の嫌がることはしたくないわ」
「そうか」
そっけない返事もこの時だけは照れ隠しに見えた。出会ったばかりの頃よりも近くなれたような気がしていた。
先週遠出した際に心境の変化があったことは事実なわけで、そこを否定するつもりはアランにない。しかし同時に詳しい話をするつもりもなかった。
差し込む日差しに目を細めながら、ある人物とのやりとりを思い起こした。
『知られた……?』
『うん、偶然みたいだけどね。実家から君の存在が漏れたみたいだ』
向かいに座った銀糸が揺れる。長い前髪の奥にある海がアランを見据えていた。
『《《僕》》だということは気付かれていないのでしょう?』
『多分ね。君が家を出た理由を知ったんだろう。今後探しに来ないとも限らないよ』
『だから学院に行け、と』
顔を伏せた。この男と話すときは、全てを見透かされているような心地がする。木目を眺めて気を落ち着かせた。
『僕が守ってあげたいのだけれど、四六時中一緒にいてあげることはできないからね』
『でも学院には先例があります』
『君は知らないだろうけどね』
そう言って男は立ち上がった。ハーブティーを入れていたポットを手に持ってキッチンの方へと向かう。
そしてアランに背を向けたまま話を続けた。
『学院の防御は五百年前と比べてかなり向上しているよ。彼の遺産も使われたしね』
独自にブレンドした茶葉を掬い入れ、お湯を注いでいる。再び香りが部屋に広がった。
『あの人の……? あなたの承諾があって?』
『僕には何も。別に僕のものってわけじゃないしね』
茶葉を蒸らすポットを眺めている顔は穏やかだ。本当に何とも思っていないかのように。
『だから君には学院に行ってほしい。その方が僕も安心できる。何かあってからじゃ遅いんだ』
ポットを眺めていた青がアランに向けられた。いつもの飄々とした様子からは想像できない真剣な眼差しに、アランは目を逸らすことができなかった。
アランの事情を全て把握している男にとっても、今アランが陥っている状況は大変好ましくないもののようだ。アランは彼の話に乗ることにした。
「アラン?」
ブランカがぼんやりと外を眺めて動かないアランを、不思議そうに見つめていた。
「ああ、いや。高度な魔法が学びたくなったから、とでも思っておいてくれないかな」
「……わかったわ」
視線を正面に戻して微笑んだアランに、ブランカは頷いたのだった。
「試験には一緒に行きましょうね」
来る者拒まずの王立魔法学院の試験がどんなものか、ブランカは想像できなかった。卒業生である父に尋ねても、大丈夫だからの一点張りで教えてもらうことは叶わなかったのだ。
事前に申し込んでおく必要はなく、入学を希望するものは試験当日に直接試験場に赴く。その先で何が行われるかは誰にも知らされない。
ただ一つ分かっていることは、入学には多少なりとも魔法を使える必要があるということだ。そのため、両親に学ぶ、家庭教師に学ぶ、下級養成学校に通うなどの方法がとられる。何かしらの魔法を使う試験であることは間違いないだろう、とブランカは考えていた。
「秋一月の五日だったかな。わかった、一緒に行こう」
「やったわ! 集合時刻の三十分前に正門前の噴水で待ち合わせましょ」
承諾を得られたことで不安は少し取り除かれた気がする。話し込んで少し冷めた珈琲を大きく一口飲んだ。
あとひと月と少しという短い時間を、ブランカは友人との学院生活を夢見て、試験に向けて有意義に過ごすことを胸に誓った。