8. デザートは穏やかな時間
また何らかの事情があるのだろうか、とブランカは思案した。
アランは手を付けていなかった少し冷めたスープを口にしている。それを横目に見てブランカは、ナイフとフォークを手に取った。
香ばしく焼けた肉を口に運んでいく。アランが黙々と食事をしているため、ブランカも口を開かないでいた。
「デザート、何か食べる?」
アランが食器を置くタイミングを見計らって、ブランカが尋ねた。その手にはメニューが開かれている。
「プティングが美味しいのよ。あとは季節のタルトかしら」
甘味が大好物であるブランカからすれば、デザートメニューは眺めているだけで心が躍るものだ。アランは少しキョトリとしていたが、あまり興味なさそうである。
「あ、もしかして甘いもの苦手かしら……」
「そんなことない。最近あまり食べていないだけで」
ブランカの不安が顔に出ていたのか、アランは安心させるように口元を綻ばせた。
初めて彼の笑顔――そう呼べるほどのものではないが――を見た気がして、ブランカにはそれが嬉しく感じられた。
「そうなのね! 何がいいかしら」
メニューをアランの方に向けた。店の名物であるプティングに始まり、定番のケーキ、季節の果物を使用したタルト、豊富な種類のパフェなどが続いている。
「君のおすすめは?」
「初めてならやっぱりプティングかしら。お店の名物なのよ!」
「じゃあ、それを」
先程までよりも和やかな雰囲気に、ブランカの機嫌は上がっていく。わかったわ、と返事をして自分の分であるタルトと合わせて注文した。
作り置かれているデザートはすぐに運ばれてきた。香ばしそうな焦げ目が少しついたプティングが目の前に置かれる。ブランカの前には甘く煮詰めた苺が沢山乗せられたタルトだ。
「今日のタルトは苺なのね。とっても美味しそう!」
下層のカスタードにも苺のシロップが練りこまれているようで、ほんのり赤みを帯びている。
早速フォークを入れて口に運べば、甘い香りが口いっぱいに広がった。少し酸味も感じさせるそれは、ブランカ好みのもので、自然と笑みが零れた。
アランも淡々とプティングを口に運んでいるが、その表情は幾分か穏やかだった。
「そういえば、今日は買い出しに来ていたの?」
抱えられていた大量の荷物を思い出して問う。
「ああ」
「すごく沢山買ってたみたいだけど、遠くに住んでるの? 一人暮らしなんだよね」
「郊外だよ。昨日会った森の方」
「だから森まで薬草を摘みに来ていたのね。街に出るより早いなら確かにそうした方が楽かも」
ブランカは得心がいったように大きく頷いた。
魔法栽培が行われるようになり、栽培種であれば都市部で安価に購入することが可能になった。それでも自然種の方が身近にあるとなれば話は別だ。
「でもそんなに遠くに住んでいるなら、中々会えなさそうね……」
タルトを食べ終えたフォークを置く。俯いていたら、カチャリと音を立ててアランも食器を置いた。
「……そうでもないよ」ふい、と顔を背ける。「毎週空の日には買い出しに来るから」
「そう、じゃあまた会えるわね!」
七日に一度は会う機会があると知って、ブランカの頬は自然と緩んだ。小さい頃からコミュニティが狭く、友人との時間をあまり持てなかったブランカにとって、アランという友人と会える時間は楽しく貴重なものだった。
「毎週同じくらいの時間かしら。それなら、その時間は空けておくようにするわ。また一緒に遊びに行きましょ」
高くなった声音で話すブランカは今日一番の笑顔だった。
週に一度、空の日のお昼少し前。少女と少年が会う時間だ。きっちり決まった時間に買い出しに来るわけではないようで、買い出しが終わった後に会うことがあれば、来たばかりのアランに会ってブランカがそのまま買い物に付き合うこともあった。
別れる時間もまばらだ。ブランカの習い事が入っていたり、天気が悪くなりアランが帰宅したりなど様々な理由による。
レストランで食事をしたり、露店で軽食を購入したり、何をするかということも決まっておらず、二人で会う時間は会話を楽しむ時間だった。
アランは自分のことを、あまり話したがらなかった。その代わり、飽きることなくブランカの話を聞き続けた。
「今日の買い物はこれだけ?」
アランが購入したバケットを受け取っている。今日の最後だと言って立ち寄ったこぢんまりとしたパン屋だ。
ブランカは何度かアランの買い物に付き添っているが、普段に比べて少ないように感じられた。
「そうだよ。近々ちょっと遠出するから少なめ」
「遠出するの?」
「うん、往復で数日かかるから来週は買い出しに来られない」
「そっか」
石畳をゆったりと進んでいく。
しばらくの間、毎週会っていたブランカとしては、会えないというのは少し不思議な感じがした。まだ出会って三ヶ月ほどであるというのに。
春の風はなくなり、もうすっかり夏の気配だ。それはブランカにとって学院の入学試験が近づいてきているということであった。来る者拒まずの学院ではあるが、最低限の考査は行われる。それがブランカの最近の悩みの種だった。
「……ねえ」
気が付けば三か月前に再会した石段にいた。立ち止まったブランカは、先を行くアランを呼び止めるように声を掛けた。
「何」
「やっぱり、学院に行くつもりはないの?」
最初に断られて以来、あえて問わないでいたことである。あの時の返答には違和感があった。明らかに学院に行きたくない理由があるような感じがした。
「……行かないよ」
返答は前を向いたままであった。建物の間に差し込む夏の日差しが、じりじりと石畳を焼く。
「そっか……」
「うん」
そのままアランは振り返ることなく歩き出した。それはまるで別れの合図のようで、ブランカは後を追うことができない。
「アラン! また再来週、会いましょう!」
遠ざかっていく背中に何とか声を投げ掛けた。