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少年少女ファンタジア  作者: 青い椿
物語の始まり
3/17

3. 闇、そして光

――何故だ。


 ベッドの上で膝を抱えた。ベッドと呼ぶにはあまりに簡素で、藁の上に敷いた布のようなものだ。毛布を被ったまま転がった。

 蝋燭を灯すことすら億劫で、小屋は暗闇に包まれていた。


――何故関わった。


 目をきつく閉じた。脳裏に浮かんでくるのは輝かんばかりの笑顔だ。それは男が知るものにあまりにも似すぎていた。


――関われば自分が辛いだけだと分かっていたはずだ。


 未だに消えることのない、もはや魂に刻まれてしまっているのではないかとすら思えるような記憶。思い出さないようにしていたのだ。思い出してしまえば、様々な感情が溢れてきてしまう。


――ああ、忌々しい。


 眠ってしまおうと目を再び閉じる。そのまま睡魔に意識を委ねた。




 夢を見た。否、今夢を見ているのだ。


「ねえ、聞いてるの?」


 前を歩いていた少女が振り返る。腰まで伸びた金糸が翻った。


「聞いてるよ」


 目線すら合わせない少年の返答はそっけないものだ。それでも満足したように女は笑っていた。

 庭園に設けられたガゼボが見えてくる。そこに向かう道の両側は一面が草原で、遠景に建物が見えるのみだ。合間合間に咲く花が風に揺れていた。


「私ね、今日の講義で先生に褒められたのよ。魔法が上手くなってきたって」

「よかったじゃないか」

「ええ!」


 数歩先のガゼボへ駆けていく。風を受けたスカートが蝶のように舞う。


「とても嬉しかったの」


 座って男を手招いた。広大な草原に取り残されたようなそこに入れば、まるで二人きりの世界だ。隣には座らず、向かいに腰掛ける。


「君が努力していたのは誰よりも知っているよ」


 満面の笑みで話す少女に思わず頬が緩んだ。嬉しそうに先の出来事を話す彼女を、ただ見つめていた。


「いつかあなたに追いつけるかしら」


 少女は遠く、学園の教室棟を見つめている。その声は不安ではなく、期待と希望に満ちていた。


「ああ、きっと」


 そう言って目を閉じた。髪に、肌に風を感じた。目を開ければ、あったはずの景色はなくなっていた。

 あるのはただの黒。闇だった。

 先程まですぐ近くに感じていた彼女が感じられない。心地よかった春の風も吹いていない。草花が揺れる音もない。自分の全てで感じていた幸せが、そこには何もなかった。


――嫌な感じだ。あの頃(・・・)を思い出す。


 とりあえず前へ進んでみた。暗闇の中、意識を先へと向ける。とはいえ、歩いているという感覚はない。

 体の感覚がないのだ。ここが現実ではないからだろう。

 何も見えない。見たくないと心の奥底で思っているからだ。

 何も聞こえない。思い出したくないのだ、あの声を。

 立ち止まった。立ち止まったという表現すらおかしい。思考を止めた。心を閉じた。ただ、何も思い出したくなかったのだ。

 どれくらいそうしていただろう。聞こえてきた水音で意識が覚醒した。

 体の感覚はある。水音を拾えたということは耳も聞こえる。そうなれば、きっと目も見えるだろう。そっと目を開いた。

 一面の赤だった。

 真紅と呼ぶにはどす黒いそれに眉を顰めた。ピチョンとまた水音が鳴る。どうやら上から降っているようで、天を仰ぎ見てみる。すると頬に一滴、赤が滴った。

 とりあえず進んでみようと、足を踏み出そうとすれば、何かに引っ張られる感覚があった。足元を見れば、足を掴んでいるのはどうやら人間の手だ。赤の中から伸びてきている、赤に塗れた手だった。

 底へと引きずり込もうとしているようで、引く力は強くなる。二本、三本と増えてきて足を掴んでいる。それでも一向に足が沈んでいく気配はない。

 蠢く手を強引に振り払って歩を進めた。


――ここは、あれは、僕が背負う業か。


 一面に広がる赤を眺めて自嘲した。思い出すまいとしていたことが、無理矢理に引きずり出されたような感覚だ。いっそ沈んでしまえたらいいのにとすら考えてしまう。

 時に身体的な苦痛よりも、精神的な苦痛の方が辛く感じられる。肉体の苦痛などいくらでも耐えられるというのに、と自分の心臓に対して再び自嘲した。


 痛い。


 痛い痛い痛い痛い痛い。


 心が、痛い。




***




 窓から差し込む朝日で目を覚ました。一人で寝るには大きすぎるベッドは、また寝るためだけには大きすぎる部屋の中央に置かれている。天蓋のあるそのベッドには薄い膜を通して弱い光が差し込んでいた。

 近くのテーブルに用意された若葉色のワンピースを手に取る。着替えるためにベッドから足を下ろせば、毛足の長い絨毯に包まれる感覚が心地よかった。手早く着替え、自室へと繋がる扉に手を掛けた。


「おはようございます、お嬢様」

「おはよう、ローズ」


 朝起きて真っ先に挨拶をするのは決まってローズと呼ばれた彼女だ。専属の侍女で、着替えを除く朝の身支度を手伝うことになっている。

 促されるままにドレッサーの前に座ると、すぐにローズが髪をすき始める。肩までのそう長くない髪を整えるのに時間はかからない。今日は編み込みのハーフアップにするようだ。

 手持ち無沙汰なので、鏡越しに彼女の手際を眺める。


「さあ、できましたよ」

「ありがとう。今日も素敵ね」


 礼を言って立ち上がる。後ろを向いて目で鏡を振り返れば、今日も綺麗に髪が結われていた。


「朝食に行ってくるわ」

「はい、いってらっしゃいませ」


 そう告げて部屋を出た。部屋に残るローズの仕事はベッドメイクだ。一人で食堂へと向かう。

 食堂の扉は両開きの大層豪奢なもので、食事前の時間帯は人を迎え入れるために開かれている。扉を潜れば一人の男が既に席に着いていた。


「おはようございます、お父様」

「ああ、おはよう」


 彼女の着席を見計らって、二人の前に食事が並ぶ。ふわふわのパンにカリカリのベーコン、程よい硬さの卵。食べ進めていると丁度良いタイミングで果実が出される。手が汚れないように配慮して切られた果実は、いつも季節のもので新鮮だ。


「今日もどこか出掛けるのかい?」


 食事中は一言も発さなかった父親から声が掛かる。手元には珈琲カップだ。朝食ではいつも彼は珈琲と決まっており、向かい側に座る少女の手元にはミルクティーだ。これもいつも通りである。


「いいえ、昨日お出掛けの許可を頂きましたもの。今日は予定していません」

「それなら大聖堂に行ってきたらどうだ。あそこなら家からも近い」


 父親の提案に目を丸くする。

 大聖堂は確かにこの屋敷から近い場所にある。歩いても十分、馬車で行くならすぐに着く。この国で最も大きな教会で、日々様々な階級の人々が集う。


「今日、司祭様がお前の好きな伝説をお話しなさるらしいよ」

「え、本当ですか?」


 途端に目を輝かせた。その様子を見て少女の父親はニコニコと微笑んでいる。


「ああ、だから行ってくるといいよ」


 もう一声後押ししてやれば、少女は手元の紅茶を飲み干して勢いよく立ち上がった。ご馳走様でした、と給仕に礼を告げることも忘れない。


「すぐに準備して行って参ります!」


 満面の笑みで父親に礼をし、飛び出すように食堂を後にした。

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