2. 少年は少女と出会った
碧眼は真っ直ぐと男を見つめていた。
「えっと、こんにちは?」
首を傾げた彼女は可憐な少女そのもので、笑った顔が男の知るとある女性にそっくりだった。
「この森へは何をしに? ミラというご友人がいるの? 素敵なお名前ね」
こんな街から外れた場所で人と出くわすとは思っていなかっただろう少女は、矢継ぎ早に問を連ねていく。駆け寄ってくる様子にはまるで躊躇いがなかった。
「――警戒心がまるでないな。僕が人攫いだったらどうする」
「大丈夫よ、そんな人には見えなかったもの。年も私と同じくらい。それにその籠、何かを摘みに森まで来たのでしょう?」
一瞬キョトンとした顔を見せたものの、すぐに元の笑顔が浮かんだ。まるで人を疑うことを知らないようなその瞳は、男を戸惑わせるには十分すぎる代物だ。
「薬草を摘みに来たんだ。僕が怪しい人間じゃなくてよかったね」
肩を竦めてみせる。
「そうだったのね。私はお散歩よ! この辺りには来たことがなかったの」
少女は辺りを見渡しながらくるりと一周してみせた。パンツを穿いているはずなのに、まるでスカートが翻るかのような感じがした。手を広げて大きく息を吸う。
「空気が綺麗ね。この辺りに住んでいるの?」
「こんな森に住む人間なんてそういないだろ。街と比べてあまりにも不便が過ぎる」
何気なしに会話は続く。男は籠を足元に下ろした。
「それならこんな所で会ったのも、きっと何かのご縁ね」
ふふっ、と笑う少女の笑顔は年相応で、とても眩しく見えた。
「私、ブランカ・フィルソフィアというの。お友達になりましょ!」
「……」
笑顔で右手を差し出す少女に戸惑った。男に彼女と関わるつもりはなかったのだ。関わらないでいられるならそれでいい、そう思っていた。
しかし、痕跡を追えという直感を辿ってみれば彼女がいた。彼が愛する女性によく似た少女が、泉の畔に佇んでいたのだ。往生際が悪いな、と男は心の中で自嘲した。
「あなたのお名前は?」
そんな男の心中を知ってか知らずか――間違いなく後者だ――少女は躊躇いなく距離を詰める。差し出された手を見つめて男は思案していた。
「……アラン。アラン・サタナキア」
目を伏せたまま答えた。躊躇を隠そうともせずに手を握れば、ブランカと名乗った少女は嬉しそうに握り返してきた。
「アラン……。アランね。覚えたわ!」
何度も名前を反芻するブランカは、握った手を上下に振っている。アランと名乗る男は半ば呆れ笑いだった。
「でも、サタナキア。それって神話にある悪魔の名前じゃない。本名なの?」
「……さあ」
疑っているというより単純に疑問に感じているようで、頭上に疑問符が浮かんで見える。アランは未だ目を合わせず、曖昧な言葉を返すだけだ。
「さあって、自分の名前でしょ」
まるで怒っているようには見えないが、頬を膨らませて抗議をしてくる。それでもアランは飄々とした態度をとるばかりだ。
「少なくとも僕はそう名乗ったよ。姓なんて大した問題じゃないんだ」
ブランカはただ男の顔を見つめていた。
「うん、お友達になったんだもの。その内わかることね」
「また会うつもり?」
「ええ。きっとまた会えるわ」
「そう」
確信をもって告げるブランカから目を逸らした。たまたま森で出会っただけ。それなのになぜここまで他人に構うのか、その疑問がアランの心に大きく残っていた。
「……また会えるといいね」
どこか他人事に聞こえる言葉が静かな森に響いた。言葉を紡ぎ終われば、聞こえてくるのは風が駆ける音だけだ。アランは風を追うように目を横に流した。ブランカも思わずそれにつられる。
風が駆け抜けた後、ブランカが前を向けば、そこにあるのは茂る木々と誰かが立っていたことを裏付ける踏まれた草だった。
「いない」
辺りを見渡してみても、自然がそこにあるのみである。つい今まで話していた漆黒の髪を持つ青年は、鮮明に印象に残っている。紛れもない現実であったはずだ。
不思議な人だった、と思い起こしながら踵を返した。春先の日は長くなく、日が傾き始めるのも時間の問題だ。暗くなる前に森を抜けなければならない少女は、来た道を戻るべく一歩を踏み出した。
「あ、そういえばお墓のことを聞いてみるの忘れてたわ」