ソフトサイコパス宮内くんの複製
とある五月の昼休み。
窓際の席で弁当を食べ終えた僕は、満腹になったからかフワっとした眠さに襲われていた。
生欠伸を噛み殺しつつ教室の掛け時計を見ると、まだ十二時半になったばかりだった。
次の授業まであと三十分近くもある。この春の陽射しが射し込む暖かい席でウトウトするのも悪くない。
やる気のない伸びを一つした後、少しだけ頭を前に傾けて軽く目を閉じる。
するとクラスの喧騒が次第に遠退いていき、頭の中で考えたいたことがバラバラに散らばっていった。
意味を持っていた思考の塊が、紐をほどくように繋がりを無くし、僕はそれに身を任せた。
意識がぼうっとしてきた。あ、これ多分寝れるや……つ……。
「泰治! おい泰治!」
ちょうど眠りかけのところに声をかけてきたのはクラスメイトの宮内だった。
「……何だよ」
やっと寝れそうだったのに。どうせまたくだらない話をしにきたんだろう。
「ちょっと聞いてくれよ」
「いやだけど」
「ちょっとだけでいいから! 頼む!」
宮内は大袈裟に頭を下げた。
何をわざとらしい。ただこいつはこのクラスで話せる相手が僕しかいない。僕が相手にしないと誰にも話せなくなってしまう。
まあいいか。かわいそうだから聞いてやろう。
僕は仕方なく突っ伏していた体を起こした。
「そこまで言うなら別にいいけど」
「おー聞いてくれるのか! さすが泰治!」
あまりぐいぐい近づくな。五月とはいえ暑苦しい。
「で、どうしたんだよ一体」
「いやさあ、俺最近腰か張っててさ」
男子高校生のトークテーマがまさかの「腰の張り」。これは予想以上にどうでもよさそうだ。
ただ一度聞いてしまった以上途中で話を止めさせるわけにもいかないので適当に相槌を打つ。
「うん。それで?」
「先週マッサージにも行ってきたんだけど、なかなかこっちが押してほしいところをわかってくれなくて」
「それはちょっとわかるかも。力加減だったり位置だったり」
僕が同意すると、宮内は嬉しそうに身を乗り出し、
「そうそう! さすが泰治! わかってるな」
「ええい近寄るな鬱陶しい」
「で、思ったんだよ。こんなときに自分がもう一人いたらなーって」
自分がもう一人? 何を訳の分からないことを言い出すんだこいつは。
「なんで?」
「だってそしたら自分の一番良い箇所に最高の力加減でマッサージできるだろ」
あーなるほど。これも分かるかも。自分で自分のマッサージをしようとすると、首とか背中とかは中々思ったところに手が届かないんだよなあ。幽体離脱して自分の体をマッサージできたらと何度思ったことか。でもまあ現実には有り得ない話だからなあ。
「んー確かに。でもまあ無理な話ではあるけど」
「無理?」
宮内は僕の言葉に不思議そうに首を傾げた。
「ん? いやもう一人の自分なんていないわけだし、現実的に考えて無理な話だろってこと」
「あーそうか。普通に考えたら確かに」
僕の言葉に納得した様子の宮内。いや普通に考えなくてもそうだろ。
「うん。で?」
終わりか? もう終わりなのかお前の話は。僕はせっかく寝ようとしていたのに。お前はわざわざ僕を起こしてこんなクソみたいにとうでもいい話を……。
「いや俺さあ。昨日、自分のクローン人間を作ったんだよ」
……。
…………。
「……は?」
マジで何を言っているんだこいつは。ついに頭おかしくなったのか?
「いやだから、マッサージ用にと思って自分のクローン人間を作ったんだって。口の裏の細胞を培養して」
「いやいやいやいや待て待て待て待て。何の理由で何を作ってるんだお前は。また本当に訳の分からん冗談を」
とは言いつつ、このサイコパスなら本当にマッサージのためだけにクローンを作ってしまうんじゃないかという一抹の不安が頭の中に過った。
「冗談? いや全然本当だけど。俺嘘付かないし。ほら。こらが昨日作ったクローン」
宮内は僕の言葉に少し首を傾げ、さも当たり前のように言ってのけた。
そして宮内のクローンが写っていると思しきスマホの画面を、ぐいぐいと僕の方に向けてくる。
ヤダヤダ怖い。見たくない。だってこいつ本当にクローン人間を作ってそうだもん。こいつがこの世に二人もいたらそれだけでおしっこ漏らしちゃう。
「泰治? どうした? ほら」
「いや本当だったら怖いからやめろ! 僕は見たくない知りたくない関わりたくない!」
僕が拒絶すると宮内は不満そうにため息をつき、
「なんだよ。まあいいや。今日はそのうちの一人を連れてきてるし」
「いやおい! 学校にクローン人間を連れてくるなよ!」
ていうか本当に作ってるの!? ヤダ。シンジタクナイ。
しかもこいつ今「そのうちの一人」って言ったよな。まさか複数作っているのか?
「え、ダメなの?」
「ダメに決まってるわ! 今すぐ帰らせろ!」
もし本当にこいつがクローン人間を作っていたとして、そいつがこの場にやってきたら、同じ顔の人間が二人いることになって学校がパニックに陥る。
「ちえ。分かったよ。じゃあ帰るようにLINEしとく」
お前のクローンは昨日作られたくせにもう携帯持ってんのかよ。
「頼む。一刻も早く帰してくれ」
「うん。今帰るように送った。で、実物がダメなんだったら、はい。これがクローンの写真」
無理矢理視界の前に出された写真を見ると、そこには制服姿でニコニコした表情の宮内と、ブリーフ一枚で無表情の宮内が突っ立っていた。
「だあああああああ! こええええええ! 本当に宮内と同じ顔じゃねーか!」
「そりゃそうだよ。クローンだもん」
「自分のマッサージのために人類の倫理観がぶっ壊れるような生物を作るなよ!」
「でももう殺すわけにもいかないし、九人いるし」
「九人!?」
草野球のチームでも作るつもりだったのかお前は。
「ちょっと作り過ぎちゃって」
宮内は照れくさそうにえへへと笑う。
「いや『クッキー作りすぎちゃって☆』みたいなノリで言うなよ!」
「仕方がないからさあ、とりあえず隣の人にお裾分けに行ったんだけど」
「お前ホントに何してんの!? 自分と同じ顔の人間連れて隣の家の人に渡しに行ったの? お前サイコパスとか通り過ぎて神様か何かなの?」
ていうかパニックになるだろ。同じ顔の人間が二人でやってきて、「これ余ったんであげます」って。ホラー映画か。
「でもいりませんって言われて」
隣の人めっちゃ冷静だなおい。そいつも大概サイコパスだ。
「もういいわお前の隣人の話は。こっちが頭がおかしくなるわ。で、今お前のクローンは家にちゃんといるのか?」
頼むから全員大人しくしていてくれ。怖すぎる。こいつと同じ思考回路を持つクローンが、九人も街をウロウロしていると考えたら。学校で授業を受けている場合じゃない。
宮内は少し考えるような仕草をし、
「んーと、確か九人のうちの四人は新宿の雀荘でセット打ってる」
「同じ顔の人間が四人で麻雀……」
しかも全員宮内。考えるだけで頭が痛い。
「うん。あの四人はじゃんけんで勝ったから」
頼むから家でじっとしていて欲しい。
「いやお前、じゃんけんでクローンの行動を決めてんのかよ」
「そう。1200回連続であいこだったけど」
クローンだから思考回路が同じと言うことか。よく決着ついたなそれ。
「まあ勝った四人が麻雀なのは分かった。で、残りの奴らは?」
麻雀をしているやつらは街に出たりしないだろう。残りの奴らも彷徨いてないといいんだが。
「一番負けた奴は一人で家の掃除をしてて」
なるほど。罰ゲーム的な感じでやらされているのか。やっと百歩譲って理解できる展開になってきた。
「後は?」
「残りの二人は地下の巨大な水槽の中でぷかぷかしてる」
「急に怖っ!」
ダメだった。二秒で付いていけない展開に戻ってしまった。そもそもなんでお前んち地下に水槽があるんだよ。何用に備え付けてるんだよ一体。
改めて嬉々として語るサイコパスに目を向ける。こいつ学校では影でソフトサイコパスなんて言われてるけど、どこら辺がソフトなんだよ。ゴリゴリのハードサイコパスだろ。ハーデストサイコパスだわ。世界一。優勝。
「ん……? お前それ、おでこに書いてある数字何?」
僕は宮内の額に黒いペンか何かで『4』と書かれているのに気付いた。
「ああこれ? 昨日オリジナルに名前ペンで書かれたんだよ。何人目のクローンか分かるようにって」
「え!? お前クローンなの!?」
怖い怖い怖い怖い! 本物の宮内はどこにいったんだよ!!
「うん。俺は四機目の宮内晴哉」
人をスーパーマリオみたいな数え方をするな。
「じ、じゃあ本物の宮内は……?」
「ああ。あいつはギャーギャーうるさいから、九人で協力して試作品の人間を冷凍保存する機械に閉じ込めた」
「な!? ちょ、怖っ! サイコパスのクローンのやること怖っ! ていうかおい! 早く本物の宮内を助けに行かないと!」
「いや、無理だよ。もう1500年出てこれない」
「宮内いいぃぃぃ!」
ああ……。宮内。お前は本当に狂った人間で、有り余る頭脳をろくなことに使ってこなかったけど、こんなお別れの仕方ってあるのかよ……。俺はもっとお前と色んな話がしたかったのに。
気が付くと、目から一筋の涙がこぼれていた。これがどんな感情から出た涙なのかは分からない。ただもうオリジナルの宮内とは一生会うことができず、このおでこに名前ペンで「4」と書かれた男と……。
「……なあ泰治。一応言っておくけど嘘だからな?」
宮内は気を使うように僕に言った。
「へ……?」
「ないよ冷凍保存の機械なんて。作れるわけないだろそんなもの」
「う、嘘? 嘘か……。はは。ははははは! なんだよ嘘かよ! 意味わかんない嘘付くなよ! ふざけんなこのサイコパス野郎!」
ああ神よ。本当によかった……。心の底から安心した。宮内に騙されたことは癪だが、それよりも圧倒的に安心の方が勝つ。
冷凍保存の装置が嘘と言うことは、言わずもがなクローン人間の件についても嘘だったのだろう。
そりゃあそうだよなあ! 一介の高校生がクローン人間を作れるわけ……。
「あれ、宮内くん……? さっき食堂にいなかった?」
ちょうど教室に戻ってきたクラス委員の吉田が宮内に声をかけた。
「あれ? しかもさっきとおでこに書かれている数字が違うけど……」