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進化心理学の観点からの軍事志向に関する考察と、それを踏まえた上で、AIの時代に備えなくてはならない点

 農地や薪や建築材の調達の為に森林を切り拓き、その結果森を失ってしまった事が、多くの古代文明が滅びた原因ではないかと言われているのを知っていますか?

 或いはそれは言い過ぎなのかもしれませんが、エジプト、メソポタミア、黄河、インダス、地中海等の数々の古代文明の遺跡の周囲に木々が少ない点を考慮するのなら、少なくとも一因になっている点だけは確かなのではないかと思われます。

 森は水源にもなりますし、栄養を供給する事で豊かな農地を維持するのに必要なものでもあります。また、森から流れる栄養分は海の生態系を支えてもいて、森がある地域の海は魚介類が豊富である事が知られています。更に言うと、森は災害防止の役割も担ってくれています。川の氾濫を抑え、地滑りなどを防止してくれるからですね。

 “森林を失う”という事が、いかに人間社会に大きなダメージを与えるかが、そういった機能を考えるとよく分かります。

 “環境破壊”と聞くと、近代に入ってからの問題だと思ってる人も多いのじゃないかと思いますが、実は遥か昔からある人間社会の存続に関わる重大な問題なんですね。

 ――ただ、

 という事はですね、近代になって言われるようになった“持続可能な社会”を、何千年も生き残って来た社会は実現して来たはずでもあるんですよ。

 世界中の文化・社会をこういった観点から調べてみると色々と面白い話が出てきそうではありますが、このエッセイはそんな目的で書いているものではないので、ちょっと紙幅は割けそうにありません。ただ、それでもちょっとだけ触れておくと、この日本において、その“持続可能な社会”を実現する役割を担って来た最も重要な文化の一つは、恐らく“神道”ではないかと思われます。

 神道というのは、日本古来よりの神様を祀る宗教の総称ですが、実はこの神道には教義がないと言われています。ただし、特性がない訳ではありません。この宗教の特性は“自然崇拝”で、だから当然森林などの自然を守ります。もっとも単純にそれだけではありませんが。農耕文化と結びついた宗教的儀式しきたりの多くには、自然を農業に活かす為の知恵が隠されていたりもするのです。

 どうです?

 こう考えてみると、“伝統”というものもあながち馬鹿にできないとは思いませんか?

 日本の右翼と言われている人達は、「日本の伝統を重要視すべきだ」といったような主張をしていますが、それにも一理あるのではないかと思えてきますね。

 

 ――が、ところが、ここでちょっとばかり腑に落ちない点があるのです。

 

 その伝統を重視すると主張している人達に、何故か自然を守ろうとする意思があまり感じられないのですね。それどころか、原子力発電推進に賛成していたりと、むしろ“反伝統”のように思える行動を執っている…

 ……と、僕は長らく思っていたのですが、右翼と一口に言っても色々なタイプがあって、ちゃんと原子力発電に反対してる人達もいるそうです。すいません。勉強不足でした。

 まぁ、それはさておき、“伝統を重視する”という主張と一致しない右翼を名乗る人達の行動は他にも多く観られるのです。

 例えば、日本には本来、専業主婦という考え方はありませんでした。日本の専業主婦は工業化と共に欧米で生まれた専業主婦の家族モデルを、その影響を受けた明治政府が和風にアレンジしたものに過ぎません。

 日本が長い歴史の中で醸成して来たのはむしろ“夫婦共働き”の方で、実際、戦後の高度経済成長期に入るまでは、夫婦共働きの方が主流でした。

 国にとってもそれは絶対の信念のようなものではなかったようで、例えば、戦時中などでは、託児所を設置し、むしろ積極的に女性が外で働くことを奨励した事すらもあります(まぁ、戦時中は、男は戦争に出てしまっていないので、当り前っちゃ当たり前なのですが)。

 ところが、右翼を名乗る一部の人達は、専業主婦を日本の伝統だと何故か主張しているのですね。そして、この専業主婦モデルは女性差別にも繋がっているのですが、これも古来の日本の文化を考えるとおかしい。日本は実は他の社会に比べれば母系社会の特性が強く、その証拠が多く見出せもするのです(“夫婦”と書いて、“めおと”と読みますが、本来、これは女男と書きました。つまり、女性を上位に置いているのですね)。神道の最高神である天照大神が、女性とされている点にもそれは表れています。

 (天照大神は男神だという主張もありますが、内容を読んでみると勘違いしている点がありました。天照大神は複数の神々が合祀された結果生み出された神で、元となった神々には男神も女神もいるのです。が、その主張の中では天照大神の元になったのは男神だけだとされていました)。

 母系が強いという日本の文化を考えるのであれば、むしろ男女平等を積極的に受け入れるべきでしょう。

 仮に一部の右翼の人達の主張する“伝統”が明治以降の日本限定なのだとすれば、上記の専業主婦モデルを日本の伝統だとする主張にも納得ができない訳ではありません。

 が、明治時代を基準に考えても、その右翼の一部の人達には、日本の伝統からかけ離れている点が多々見出せるのです。

 日本は昔から“教育”を重視する文化を持っていました。江戸時代の寺子屋は有名ですし、明治に入るともっと積極的に教育インフラを整えていきます。それは戦争の時代に突入してからも変わらず、日本は占領した先の国々で学校制度を整えていきました。“日本優位の教育”などの問題点もありましたが、それでもその国の近代化に貢献したとそれは評価されています。

 この点を誇る右翼の方々は多いので、知っている人も多いかもしれませんが。

 (反日で有名なあの韓国でさえ、国ではなく、飽くまで教師個人に対してですが、教育に感謝をした韓国人の生徒が、大人になって成功した後、教師に恩返しをしたという美談が伝わっています)

 戦後、日本は経済成長に成功しますが、その要因には、朝鮮戦争による戦争特需があった点、アメリカからの支援があった点などだけではなく、国土が焼け野原になっても残った“教育によって育まれた頭脳”という無形資産があった点も大きいと判断するべきでしょう。

 ところが、日本のこの教育重視の伝統は近年に入って薄らいでいます。“伝統を重視すべき”と主張する人達が、政治の中心部に多くいるにもかかわらず、です。

 これから先の時代は、情報技術が重要だと言われていますが、日本の若い世代は他の国に比べて情報技術に関する知識や技能が劣っているのですね。学校でも、もちろんそれほど教えられてはいません。

 僕の仕事場にも若い子が入って来ますが、「パソコンを触った事があまりない」と発言していて、実際、その所為でか技能の習得が遅れ、その分余計にコストがかかってしまっています。こういったケースは世間一般でも珍しくないそうです。

 一応、断っておくと、ごく最近になって、日本政府は情報技術習得強化の方針を打ち出しました。

 がしかし、いくらなんでも遅すぎます。

 これでは、“教育重視”の伝統を忘れてしまっていると言われても仕方ないでしょう。

 似たようなケースは他にもあります。

 明治時代に国が“人口増政策”を執っていたというのは有名は話です(戦争に直結する政策だったので、一部の人達の間で、この政策には問題があると捉えられてもいるようですが)。これは社会にとって人口が重要である事を明治時代の政府が理解していたからでしょう。

 ところが、今の日本政府は人口減少の原因となる少子化問題を長期間に渡って無視し続けて来てしまったのです。調べてみると、なんと1970年代には既に少子化への警鐘が鳴らされていたようです。つまり、実に50年もの間、少子高齢化問題は放置され続けて来た事になってしまいます。断っておきますが、当時からこれを放置すれば今のような問題が発生する事は分かっていました。

 この問題を一般国民に責任転嫁するような発言をする政治家もいるので、一応、説明しておきますが、これは“国民が無責任になった”といったレベルの意識の問題では説明できません。

 まず少子化は、ある程度経済が成長した社会では、多かれ少なかれ何処でも発生している問題です。ですから、どんなメカニズムかは不明ですが“経済が成長すると子供をあまり産まなくなる”という特性を、人間は持っていると捉えた方が妥当でしょう。

 更に、人間の寿命が延び高齢者が増え、それに少子化という条件が加わった事により、現役世代の負担が増えている現実にも注目をするべきです。

 とてもシンプルな話ですが、昔は兄弟姉妹7人~8人程で親を60代くらいまで支えれば良かったのが、今は1人~3人で親を80代くらいまで支えなくてはなりません。もっと過酷な事例では、1人の女性が、自分の両親と結婚した相手の男性の両親の介護を全て行っているなんてものもあります。これではたくさん子供を産んでいる余裕などあるはずがないのは一目瞭然でしょう。

 これは少子化が更なる少子化を招くという負のサイクルが形成されている事を意味してもいます。

 つまり、今の少子化問題は近年に入って発生したものではなく、出産数が低下し始めた時期まで遡って考えなくてはならないのですね。一つ前の世代の出産数の減少が、今日の更なる少子社会を招いているのです。

 一部に、少子化を不景気の所為にしているような人も見受けられますが、恐らく、その考えは間違っています。それでは高度経済成長期にその兆候が既に表れていた理由を説明できませんから。だから、景気が回復すれば出産数が回復するだろうなんて楽観論も持たない方が良いでしょう。

 もっと視野を大きくしなくては、解決できないのではないかと思います。

 知っての通り、この少子化問題を放置し続けた結果、“実質的には移民政策”とも言われる外国人労働者の受け入れ政策を執らざるを得ない状態にまで日本は追い込まれました。これは明確に“反伝統”です。

 もちろん、そうなる事が分からないほど国の中心部にいる右翼の方々が馬鹿だとは思えないので、伝統が破られることに対して“関心がなかった”と捉えるべきなのだろうと思います。

 

 これまで述べて来た伝統とは一致しない政策の数々は、一概にはその是非について判断ができません。それぞれにメリットとデメリットがあり、価値観によってその評価が変わって来るからです(教育軽視については、ちょっとメリットが思い付きませんが)。

 ただ、政策というのは、それを執る上での元になる思想……、或いは理想があります。ならば、“伝統を重要視する”とは思えないこれら政策の数々は、本当はどんな発想から生まれたものなのでしょう?

 ここで冷静になってみると、世界中に日本の右翼と呼ばれる人達と似たような行動パターンを執る人間がいる事に気が付きます。

 前もって断っておくと、これは飽くまで行動パターンに注目しただけであって、日本の右翼が犯罪的な集団だなどと主張している訳ではありません(つまり、これから犯罪集団の名前を出すってことですが)。

 彼らの特性をざっと並べると“軍事力重視”、“男性優位”、“差別主義的傾向が強い”、“子育て軽視”、“自文化の優位性の誇示”などでしょう。

 因みに、“自文化の優位性の誇示”をしながら、軍事兵器に関しては例え他の文化のものでも優秀なら取り入れます。基本的人権は西洋のものだから、日本は採用する必要がないといたような主張している右翼の方は、実は政治家にもいるのですが、彼らは決して「西洋のものだから、近代軍事兵器を手放そう」とは発言しません。

 要するに、何よりまず“軍事力重視”なのではないかと思えるのですね。

 さて。では、世界の日本の右翼と似たような行動パターンを執る人間について、述べていきたいと思います。

 

 イスラム系テロ組織のボコ・ハラム。

 このテロ組織は当然のように軍事力重視です。そして、男性優位を主張し、女性に教育を受けさせる事に対して反発、テロを起こしていたりもします。また、子供を騙して生きた爆弾として使うといった凶悪な手段を用いている事からも“子育て軽視”なのではないかと思われます。“自文化の優位性の誇示”についても顕著で、そもそもその名前からして、「西洋の教育は罪」という意味です。そしてやはり武器関連については、西洋のものであっても取り入れています。

 次に中国。

 中国と一言で言っても非常に広大で、多種多様な文化を持っていますから、少しばかり乱暴な判断にはなってしまいますが、上記の傾向を持っています。

 軍事力重視は説明するまでもありません。軍事兵器を利用して周辺国に圧力をかけたりしているので明らかでしょう。一人っ子政策の影響もあるのでしょうが(現在、一人っ子政策は廃止されていますが、まだ別の形で出産数の制限は残っているそうです)、女の子が生まれると殺してしまうという信じられない事が中国では問題になっている点から、男性優位も色濃いと判断できます。少数民族への差別が激しいのも周知の事実で、国際問題になっていますね。“自文化の優位性の誇示”もやはりあり、欧米のものだと選挙や基本的人権は否定しているにもかかわらず、軍事兵器については無条件に受け入れている点も同じです。

 アメリカのトランプ大統領。

 個人ですが、支持者が多いので社会現象として捉えても差し支えないでしょう。

 彼は「核兵器を増産する」という発言などから、軍事力を重視していると分かります。数々の女性蔑視発言から、男性優位的な考えを持っているのも明らかでしょう。差別的傾向も顕著で、それを売りにしている面すらもあるほどです。“自文化の優位性の誇示”の特性も「アメリカ・ファースト」という言葉から、持っていると分かります(ただし、彼の姿勢はアメリカの民主主義からかけ離れているのですが)。

 似たような行動タイプとしては、その他、最近(2019年2月現在)、ブラジルで大統領になったジャイル・ボルソナロ大統領、テロ組織のイスラム国、北朝鮮など数え上げれば切りがありません。

 

 このように、文化の差を超えて似たようなタイプの人間が様々な社会にいるとなると、これは“伝統”や“社会制度”などで説明できるものではなく、むしろ生物学的な特性にこそその原因を求めるべきではないかと思うのです。

 

 ――ここで、ちょっと別の話をします。

 

 時折、極端な社会的成功を収めたにもかかわらず、そこから更なる成功を夢見てリスクのある行動を執って失敗をし、人生を踏み外してしまう人がいます。

 例えば、事業を拡大しようとして失敗し、大損害を出した上に詐欺事件で捕まってしまった某有名音楽プロデューサーや、何もしなければ、贅沢な生活を送り続けられただろうに、テロ事件などの犯罪を起こして死刑になってしまった宗教家など。

 もう充分に成功している訳ですから、リスクを冒しさえしなければ安泰な人生を送れていたはずなのに、彼らはリスクの伴った行動を執ってしまっています。とても不可解に感じられますが、これは何故なのでしょう?

 実は進化心理学という学問で、そういった行動を説明できます。

 進化心理学では、「生物は遺伝子をより多く残す為に進化して来た」という前提で、動物の行動を考えます。

 (だから、その精度は進化論の発想の限界まで、です。進化には無意味進化も不合理な進化も存在している為、ノイズが紛れ込んでしまう点には気を付けなくてはなりません)

 例えば、先のような贅沢な生活を送れるほどの成功を既に手にしているのに、リスクを冒してまで更なる高みを目指してしまう人間の事例は、「成功する事で異性にそれをアピールし、更に子供を多く残そうと…… つまり、遺伝子を多く残そうとする人間の性質だ」と説明できます。

 実際、先に例に挙げた音楽プロデューサーも宗教家も性欲が強かっただろうエピソードが数多く知られています(因みに、成功体験をすると人間はテストステロンという男性ホルモンを分泌するのですが、これには性欲を刺激する作用があるらしいです)。

 そして、先ほどまで説明して来た“右翼”と呼ばれる人間達の行動パターンも、この進化心理学を使えば、説明できるように思えるのです。

 

 ここで一つ注意点です。

 このエッセイの内容については、道徳や倫理といった価値基準を忘れてください。何故なら、そういった行動も“遺伝子が生き残る為の方略の一つ”と解釈可能だからです。

 相手を騙さない。嘘はつかない。そういったような道徳の類は、“長期的に協力関係を結ぶ”場合に必要になってきます。つまり、協調行動を執る方略において重要な価値です。しかし、相手を全滅させる。または、完全に支配下に置く場合はこの限りではありません。騙そうが何をしようが、勝てさえすればそれで何の問題もないからです。

 つまり、“遺伝子を生き残らせる為に有効な方略を執る”という目的の上では、道徳を守る事も逆に破る事も価値としては等価なのですね。

 自然界で毒を持った生物と似たような形状を執る事によって己の身を守る生物がいますが、これについて“卑怯”という概念を持ち出しても無意味なのは簡単に分かるでしょう。

 そして、どちらの方略が有効かは、周囲がどんな環境かによって変わってきます。基本的には協調行動の方がより高度で優秀な方略だと言われていますが、話の通じないような相手ならば、協調行動は執れません。すると、軍事力重視にならざるを得なくなってしまいますし、“騙し合い”をしかけるしかないようなケースだって出て来るでしょう。

 世界中の神話を観てみると、英雄達が卑怯な手段を使って怪物などを打倒しているケースが意外に多いのは、だからなのかもしれません。太古の戦乱の世の中では、卑怯な手段も当然のように行われており、それが神話に反映されていると捉えるのはあながち無理があるとは言えないと思うのです。

 逆に言えば、今日、卑怯な手段が批判の対象になり易いのは、現在の人間社会が協調行動を基本として成り立っていることの証左とも言えるのかもしれません。

 ただし、全ての状況下において、それが成り立っているとは言えない事もまた事実です。だから、右翼と呼ばれる人達の行動パターンも決して完全否定されるものではない事になります。状況によっては、その行動パターンを執るべきケースも有り得ます。

 また、これはバランスの問題でもあるでしょう。極端な平和主義でも問題があり、極端な軍事主義でも問題がある。二つが補完的に作用してこそ、社会は上手く成り立つのではないでしょうか?

 協調行動を目指すにしても、相手をそこに誘導する為には、軍事力で威圧しなくてはならないという判断は、今の国際情勢を考える上で常識と言っても良いはずです。

 こういった点もよく理解してください。

 

 では、話を元に戻しましょう。

 

 右翼と呼ばれる人達の行動パターンで特徴的なのは、“軍事力重視”と“男性優位”です。ならば、それは男性にとって遺伝子を残す上で有効な方略なのではないかと簡単に予想できます。

 そして、遺伝子についての男性の生物的な特徴と言えば、“女性に精子を受精させて子供を産ませる”といった点でしょう。当たり前ですが、自分では妊娠できません。ただし、そのお陰で、妊娠にも出産にも非常にコストがかかりますが、男性はそのコストを担う必要が必ずしもないのです。

 例えば、女性と性交をし、その後、逃げてしまうという方略を執れば、男性側にはコストはあまり発生しません。そして、男性側にとってみればそんな方略も“有り”という事になってしまいます。

 実際、複数人の女性と付き合い、子供を産ませてしまうような“浮気性の男”がいますが、それは実は遺伝子をより多く残す為の方略の一つなのかもしれません。

 まだ、他にもこんな方略が考えられます。

 『相手の社会を支配し、その社会の女性に子供を産ませる』

 先にも述べたように妊娠にも出産にも非常にコストがかかります。その上、一度に出産可能なのは人間の場合は一人だけというのが普通です。だから、もしより多くの遺伝子を残そうと思ったのなら、女性の数を増やす事が重要になって来るのですね。

 そして、その為には父系社会である必要があります。母系社会の場合、女性から生まれた子供は相手の社会の子供という事になってしまいますから。父系社会だからといって必ずしも男性優位とは限らないのですが、その傾向が強いとは言えるはずで、人間の歴史に男性優位社会が多いのは、この方略がかつては有効に機能していたからなのかもしれないとも思うのです。

 『暴力の解剖学 エイドリアン・レイン』という本でも指摘されてあったのですが、実際、戦争とレイプ事件とは深く結びついていて、侵略した土地に住む女性を勝利した側の兵士が強姦してしまうという話はよくあるのだそうです(因みに、本人はそう自称してはいませんでしたが、『暴力の解剖学』の著者のスタンスは、明らかに進化心理学です)。

 アフリカはエイズ被害が深刻であることで有名ですが、その原因の一つとなったのが紛争時の性行為であるそうです。戦闘を終えた兵士達は性欲を我慢できず、エイズに感染する危険性があると知りながらもその土地の女性と性行為を行ってしまったのだとか。

 戦争を好むタイプの人間は、“リスク選好性”があると先に挙げた『暴力の解剖学』で指摘されてあり、それも原因の一つになっているのではないかと思われますが、これも戦争を好む男性が、“自分の遺伝子をばらまきたがる”行動パターンを持っている証拠の一つになるのではないかと考えられます。

 そして、当然、この行動パターンは右翼の女性蔑視という特徴に結びつきます。

 日本は他の社会に比べて母系社会が強くあった点を前述しましたが、にもかかわらず、政治家達が男女平等を進めようとしないのは、この“自分の遺伝子をばらまきたがる”行動パターンが原因の一つになっているのかもしれません。彼らは日本の文化よりも自分達の生物学的な行動パターンに従ってしまっているのではないでしょうか?

 また、「できる限り多くの女性と性交をし、子供を多く残す」といった方略を執る為には生まれた子供にそれほどコストはかけられません。それよりも次の女性と性交することを優先させなくてはならないからです。

 (因みに、女性の不倫は厳しく罰するのに、男性のそれには甘いという特性をこういった社会は持っているそうです)

 ですから、このようなタイプの男性は子育ても軽視しがちになる傾向があると考えられます。そして、それによって右翼の“子育て軽視”の特性が発生する事になります。

 僕は“少子化問題”を日本の政治家達が長期間放置し続けてしまった背景にもこの“子育て軽視”があるのではないかと考えています。当然ながら、“子育て軽視”は、出生率の減少と結びつくからですね。

 一方、女性にとって“出産”は、非常にコストがかかります。ですから、産まれて来た子供を大切にし、出来る限り生き残れるように、教育に対して熱心になる傾向があると考えられます。

 “子育てに熱心な女親”と“子育てに無関心な男親”という組み合わせが夫婦仲が険悪になる典型例として扱われる場合がありますが、この女親と男親の行動パターンは先に説明した理屈と見事に一致します。

 こう考えると、日本の“教育重視”の伝統は、日本にかつてあった母系社会にその根が求められるのではないかと思えてきますね。そして逆に今の日本が“教育重視”の伝統を忘れてしまったのは、日本に母系社会が強くあったことを無視したいからではないのか?とも推測できます。

 次に差別主義という特性ですが、これはほぼ直感的に理解できるでしょう。

 “相手の社会を支配し、その土地の女性に子供を産ませる”

 こういった行動を執る為には、自分達の優位性を信じ、他の社会を下に位置付けるという価値観が必要です。当然、“自文化の優位性の誇示”も同じ理屈で説明可能です。

 

 その昔、人間社会には女性優位社会も男女平等社会も普通にあったのだそうです。

 ところが、歴史の流れの中で女性優位社会も男女平等社会も消えていき、著しく減ってしまった。

 それは或いは男性優位社会が執る“戦争をする方略”がそれだけ強かったからなのかもしれません。

 (『暴力の解剖学』では、女性達が軍事的な行動を執った例は歴史上ないとまで書いています)

 つまり、女性優位社会は淘汰されてしまったのです。

 人口を増やす速度は、相手社会から女性を奪う “戦争をする方略”の方が速く、人口が多ければ自ずから軍事力も強くなっていくので、この考えにはそれなりの説得力があると僕は考えています。

 ですが、近年、何処から侵略されている訳でもないのに、多くの先進国で男女平等や子供の人権の重要性が訴えられ、実際にそれが進んでいるケースが少なくありません。

 これは世界全体から“戦争をする方略”の有効性が失われ、逆に“協調する方略”の有効性が高くなったからではないでしょうか?

 実際、先進国では戦争がとても少ないです。先進国間では“ほぼない”と言ってしまっても良いような状況でしょう。

 先にも述べましたが、どんな方略が有効になるかは、環境によって異なってきます。世界平和を望む人達にとってみれば、望ましい傾向と言えるでしょう。そして、軍事兵器の破壊力は、現在、冗談でも誇張でもなく、一国を破壊できる程のものになっているので、この傾向は維持する必要があるとすら言えると思います。

 戦争をすれば、その被害規模は社会として受け入れ切れない程のものになるのはほぼ自明だからです。

 ただ、これから先の時代を見据えた場合、それが簡単にできるかどうかは慎重に考えてみなければならないと僕は判断しています。

 何故なら、今、人間社会全体にその根本を揺るがすような大きな変化が起こり続けているからです。

 分かっている人はもう分かっているかもしれませんが、それは人工知能…… AIを中心とする超機械化技術の進歩と、その人間社会への普及です。

 

 “AIの社会への影響”と一口に言っても、その影響は非常に多岐に渡ります。著作権の問題、事故発生時の責任の所在、プライバシーの保護などなど。それらをいちいち個別に観ていく訳にはいきませんので、ここではマクロ的な視点…… “労働資源としてのAI”についての考察をします。

 

 「AIが普及すると、人間の職が奪われる」

 

 よくこのように言われています。高度に発達したAIをロボットやドローンなどが搭載するようになれば、今まで人間にしかできないと思われて来た仕事もできるようになり、人間は労働力として必要なくなると言うのですね(一応断っておくと、AIが普及しても新たな仕事が誕生するので心配いらない。または、そんな事は起こらないという主張もあります)。

 この動きに対して基本的には不安視する声の方が大きい印象を受けますが、実は否定的なものばかりではありません。

 非常に楽観的なものもあるのです。

 まるで、ユートピアが実現するような感じで、

 「AIに職を奪われるのではなく、AIが労働を担ってくれることで、人間は労働から解放されるのだ」

 と、考えている人達がいるのですね。

 ただし、それを具体的にどんな社会制度で実現しようかと考えた時に、そこに至る道のりが非常に困難である事が分かります。

 恐らくは、ベーシックインカムと呼ばれる社会制度を実現しなくては、それは実現できません。ベーシックインカムというのは、平たく言ってしまえば、「国が国民に対して生活費を支給する」という制度です。この制度は今までも世界中で(この日本でも)その実現について議論され、国によっては実際に試行されていたりもするので、決して馬鹿にはできないのですが、常に財源の問題が付きまとっています。

 「財源がなくては、国民に生活費を支給する事などできない」

 ま、当たり前ですよね。

 日本は財政問題が深刻ですから(1000兆円を超える借金を既に抱えています)、ベーシックインカムなど実現できない…… と一見は思えるかもしれませんが、実はそんな事はありません。

 何故なら、AIが代わりに労働を行ってくれるという事は、そこにそれだけ富が発生しているという事を意味するからです。

 平たく言ってしまうのなら「AIが働いて得た収入をそのままベーシックインカムの収入に回してしまおう」という感じです。

 ですが、もちろん、それをやろうと思ったなら反発が生じるでしょう。

 それは「AIの導入によってコスト削減に成功した企業(または個人)に対して増税する」といった事を意味しているからです。

 「リスクの伴う投資を行ってAIを導入し、折角成果を出したのに、それで得た収益を国に奪われてしまうのであれば、堪ったものではない」

 そういった心情が働くのは、人間ならば当然でしょう。

 しかも、初期には全国民に対してそれが行われるとは限りません。失業問題の解決から、その動きが出るだろう点を考えるのなら、その増税によって収入を得るのは何も働いていない人達です(失業保険や、生活保護制度が拡張される可能性の方が高いかもしれませんが)。

 ですから、簡単には実現できないと観てまず間違いはありません。

 (もっとも、今の日本の年金制度はそれに近い感じになっていますから、完全に無理かと言われると、それも違うのじゃないかと思いますが)

 ならば、こんな方法はどうでしょうか?

 生活費を無条件で支給するのではなく、何かしら仕事をしてもらうのです。例えば、太陽光発電の普及の為に働いてもらい、その費用を確保する為、税金、または公共料金の名目でお金を徴収するのですね。

 (この場合、実質的に太陽光発電を国が買う形になりますが、発注先の企業を固定するのではなく、競争という形にすれば自由競争の原理を活かせます)

 これなら、その仕事に対して料金を支払っているのですから、感情的な障壁は随分と和らぐのではないでしょうか?

 因みに、これは“設備投資によって生産性が向上し、余った労働力で新たな生産物を生産する”という経済成長の流れを起こしている事でもあるので、GDPも増えます。

 更に言うと、これは長期的視野で必要な政策でもあります。

 よく考えれば分かるのですが、経済というものは通貨が循環して成り立っています。収入ゼロの生活者が増えれば、商品を購入できる人が減るので企業は減益してしまいます。そうなってしまったなら、企業がAIの導入に成功したとしても、利益を上げるのは一時的なものに過ぎない事になります。つまり、何らかの手段で生活者達にお金を回してお金を使ってもらわなくては、経済は縮小してしまうという事です。

 言い換えるのなら、経済成長の為には「通貨がスムーズに循環するような社会構造をつくり上げなくてはならない」という事です。

 一部の人が通貨を得て、それを使わないままだったなら、通貨の循環は阻害されてしまうので、それを防ぐ必要があるのですね。ならば、生活者達に通貨を回すことを受け入れざるを得ないでしょう。

 もっとも、理屈と感情は違います。

 「理屈では理解できても、やっぱり嫌だ」

 そう感じる人は少なくないはずです。

 ですから、その理屈を説明し、こういった方法を執ろうとしても、感情的な障壁が完全に取り除かれる訳ではないでしょう。

 反発は絶対にあると思います。

 ただし、それでも日本は民主主義ですから、ベーシックインカム(または国が職をつくる制度)を望む声が大きければ実現に向って進む可能性はあると思います。ですから、或いはそこにあるのが感情的な障壁だけであったのなら、いずれは乗り越えられるかもしれません。ですが、障壁はそれだけではないのです。社会の国際化を迎えた今日には、有効な“税逃れ”の手段があるのです。

 “タックスヘイブン”という言葉をニュース番組などで聞いた事があるのではないかと思いますが、富豪や企業などの間で「資産を税のかからない国外へ移動してしまう」という脱税行為が、現在、世界中で横行しています。

 経済学者トマ・ピケティ氏の主張で有名になりましたが、近年になって世界の“貧富の格差”は、増大傾向にあります。ネットで検索して調べてもらえば分かりますが、「1%の最富裕層が世界の半分以上の資産を握る」なんていう不安を喚起するに充分な数字が簡単に出てきます。

 (参考文献:『大不平等 エレファントカーブが予測する未来 ブランコ・ミラノヴィッチ みすず書房』)

 その大きな原因の一つとして、本来ならば、累進課税制度(所得が大きければ大きいほど、税が多くなる)によって貧富の格差が抑えられるはずが、この脱税行為によって、充分な効果が発揮できていないといった点があるのだそうです。

 つまり、国がベーシックインカム(または国が職をつくる制度)を行おうとしても、脱税行為の所為で財源が充分に確保できない可能性があるのですね。

 もちろん、“貧富の格差”の問題点はこればかりではありません。

 このまま“貧富の格差”が拡大…… つまり、富が極一部に集中してしまう事を許してしまうと、その先に待っているのは間違いなく社会の不安定化です。

 歴史上の事例を観ると、貧富の格差を放置するとやがては戦争に至るというケースが多いそうです。

 そして、戦争が起こると、軍事費の調達の為に富裕層達の資産を狙っての増税や、戦争自体の被害によってダメージを受け、富裕層の資産は減ってしまいます。これにより、貧富の格差は是正されるというのが、どうやら一般的な流れのようです。

 ――が、近年はどうもこうなる可能性は低いようです。

 理由はもう分かっていると思いますが、先程から述べて来たように、現在は富裕層に有効な脱税の手段があるからです。しかも、国際的に協調しなくては、この富裕層の脱税行為を防ぐのは難しく、金融経済の発展で金融資産の割合が増えた為、戦争で破壊が行われたとしても富裕層が受けるダメージは限定的です。

 つまり、戦争の為の増税や戦争被害で最も苦しむのは、脱税の手段を持たない人達になる可能性が高いのですね。

 しかも、戦争によって潤う軍需産業から利益を得るのは富裕層です。

 要するに、下手したら、

 「戦場で命を落とすのは生活の為に戦場に出かけなくてはならない、下層。戦争で損をするのは、税を徴収される中間層。戦争によって利益を得るのは富裕層」

 なんて事態にもなりかねないんです。

 つまり、今現在は、戦争をすると、貧富の格差が埋まるどころか、ますます悪化してしまう。

 いえ、もしかしたら、脱税によって戦費の調達が困難になり、そもそも戦争が行えないなんて筋書きもあり得ますけどね。

 (参考文献:『大不平等 エレファントカーブが予測する未来 ブランコ・ミラノヴィッチ みすず書房』)

 こう考えると、富の一極集中化を防ぐ手段はないのではないか?と思えてきます。そして、極限にまで富が集中した社会が、ユートピアになるとはとてもじゃないですが僕には思えません。

 ――と、なると、この社会は今現在、ディストピアに向って進み続けているという事になります。

 (一応断っておくと、そうなってしまうという懸念を抱いている人達はたくさんいます)

 そして更に考慮に入れなくてはならないのが、「AIの普及によって、労働力としても、下層・中間層の人間達は、富裕層にとって必要なくなってしまうかもしれない」という未来が将来訪れるかもしれない可能性です。

 「奴隷は生かさず殺さず」

 なんて酷い言葉がありますが、奴隷を“殺さず”なのは、労働力として奴隷が必要だからです。なら、AIが普及して人間の代わりに労働を行ってくれるようになったら、果たしてどうなるのでしょう?

 或いは、“殺されて”しまうのじゃないでしょうか?

 ここで、

 

 「ちょっと待て!」

 

 なんて、思う人もいるかもしれません。

 そうですね。

 矛盾があります。

 先に通貨の循環をスムーズする為には、生活者にお金を回さなくてはならないと説明したばかりです。通貨の循環を遮断してしまうと、経済は委縮してしまう。これが本当ならば、どうしたって下層・中間層の人間達を見捨てる事はできないはずです。

 が、これは飽くまで通貨を媒介して取引を行う“貨幣経済”を前提とした場合の話です。もし貨幣経済を考えないのであれば、この話は成り立ちません。

 そして、将来的には、本当にそんな社会が実現する可能性はあるのです。

 AIを搭載したロボットやドローンが自動的に資源から生産物を生産し、それを人間達が無条件で何の対価も支払わずに受け取れる…… もし、そんな社会になったとしたなら、通貨の循環は考えなくても良くなるからです。

 そして、そんな社会では、資源を独占する為に、下層・中間層の人間達を見捨てるというモチベーションが働く事になります。

 今現在、資源枯渇問題や環境破壊が世界的に深刻化していますが、もし仮に人口を減らす事ができてしまったのなら、それらの問題は一気に改善します。ほんの少しになったその人々……、つまり富裕層は資源不足をなんら心配することなく、思いっ切り贅沢な生活を送れるでしょう。

 もちろん、これは少しばかりSF的な想像が過ぎるかもしれません。

 ただし、一方で

 「人間達は皆、優しくて、例え労働力として必要なくなったとしても下層・中間層の人間達の生活を保障してくれる」

 という想定もまた綺麗ごとの理想を語っているだけのように思えます。

 実際、一人当たりの資源消費量の差を考えず、発展途上国の人口抑制を訴える先進国の人達も存在しています。もちろん、人口抑制は必要ですが(それは貧困問題の解消によって実現できます)、それと同時に先進国の資源の無駄遣い…… と言うよりも、経済成長と資源の枯渇問題対策(及びに環境破壊問題対策)を両立させられる体制を確立する必要があるでしょう。

 つまり、冒頭でも述べた“持続可能な社会”の実現です。

 そうじゃないと、結局、発展途上国の経済発展によって、それら問題は悪化し、悲惨な状況を迎えてしまいます。

 (因みに、人間は“社会脳”を持っていると言われていて、人間同士の問題…… 例えば、「隣国の軍事活動が活発化している」といったような問題の方がより強く印象に残ってしまい、環境問題のような自然環境の問題は低く評価されてしまう傾向にあるのですが、自然環境の問題は、本当は人間社会の存続に関わる深刻な問題です)

 もちろん、今はそんな事を実現するのはとても難しいと言わざるを得ないでしょう。技術面の問題はクリアできそうですが、コストがかかり過ぎるので、どうしても環境への負荷の高い方法で生産される生産物を生活者達が望んでしまうからですね。

 しかしです。ここで少し冷静になって考えてみませんか?

 人間の代わりにAIが働いてくれるのであれば、多少コストがかかったとしてもあまり関係なくなります。例えば太陽光発電と火力発電で生産される電気がどちらも同じ料金だったなら…… いえ、もっと極端な話を言ってしまうのなら、どちらも無料だったなら、持続可能性の高い太陽光発電を選ぶとは思いませんか?

 他の生産物に関してもこれと同様です。AIの活用によって、コスト面の障壁が大きく取り除かれ、持続可能性のある技術が採用される可能性が高くなる(もちろん、AIがそこまで発展した前提ですが)。

 要するに、

 “AIという労働力”

 を、どう活かすかで、“下層・中間層の人間達が切り捨てられる”未来になるのか、“下層・中間層の人間達を抱えたまま持続可能な社会を実現する”未来になるのかが変わって来るという話です。

 もちろん、我々は後者を目指すべきでしょう。前者は富裕層以外の人間達にとっては間違いなくディストピアですから。ただし、後者もディストピアになる可能性は充分にあると考えた方が良さそうです(例えば、AIが労働を担ってくれる点、資源の節約といった点から、人口を維持するモチベーションが下がり、徐々に人間社会が縮小していくといったような…… 環境保全の観点からはむしろ望むべきなんて主張も飛び出そうではありますが)。

 そして、その為には「富を必要以上に蓄えたがる」という恐らくは、遺伝子をより多く残す為にある人間の本能の問題点をどうにかする必要があるのです。

 人間のこの本能が社会上で優位になってしまったなら、ディストピアに向って世界が進むだろう事は必然だからです。

 これは、もちろん前半で散々述べてきた軍事嗜好の行動パターンに直結する本能ですが、それだけでは説明できません。恐らくは、「富が多くあった方が子供を育てるのに有利」だからだろうと思うのですが、軍事嗜好以外にも観られます。

 とにかく、実際、この世の中には、一生贅沢に生活できるだけの富を得ているのに、それでもまだ富を欲しがる人間は多くいます。そして、それが多くの人間達の犠牲の上に成り立っている現実を知っていてもそれを止めない。

 いえ、そんな立場になっていないだけで、或いは僕自身やこれを読んでいるあなたにだってそんな性質は隠れてあるのかもしれませんが。

 ただし、そんな性質がどんな人間でも優位になる訳ではないようです。

 ある程度の資産を蓄えた富裕層の人間達が、慈善活動に巨万の富を投じ始めるという事例は実は珍しくないからです。中には蓄えた富の全てを慈善活動に充てるという極端なケースだって存在します。

 もっとも、それでも“貧富の格差”を埋める程の効果は期待できないでしょうが。

 

 ――では、極端な富の一極集中を防ぐ為には、どうすれば良いのでしょうか?

 

 結論から述べさせてもらうのなら、その特効薬を僕は思い付けません。

 もちろん、ある程度有効な手段なら、いくつかアイデアを出せます。

 進化心理学の立場から、その仕組みを説明して、それが“人間の困った性質である”点を強調し、自覚してもらうこと。

 マクロ経済の観点から望ましい“富の偏り”を求め、その状態を目指すよう社会を維持するという方針を示し、そこからガイドラインを作成、適切な収入の範囲を設定、それを全世界に向けて提唱する……

 つまり、所得格差は必要ですが、その許容範囲を設定して、それを守るように世界に向って呼びかけるのですね。

 或いは、“通貨の循環”がスムーズに行われているかどうか監視し、通貨が死蔵され、滞留してしまっている点を見つけ出したなら、使うように促してやる……

 (説明が長くなるので割愛しますが、これにも所得格差を埋める効果があります)

 などなど、です。

 が、“世界政府”なんてものが存在しない以上、法で縛って、これらを強制することはできません。

 ただ、それでも何もしないよりはマシでしょう。試してみる価値はあるのではないかと思われますが……

 

 僕は通貨循環モデルという経済理論を提唱しています。

 実は作中でも既に述べているのですが、それを使えば経済発展と“持続可能な社会の実現”が両立できると考えてもいます。

 ただ、ある時から“通貨の循環”がスムーズに行われなければ、問題が発生するだろう点を気にするようになりました。

 そして、近年、その“通貨の循環”がスムーズに行われない要因…… つまり、極端な富の一極集中が起こり得るという現実を知ってしまったのです。

 しかも、作中で述べて来た通り、それは放置すればディストピアに至ってしまう危険性すらもあります。そして資源枯渇問題や環境問題などと違って、それは“問題である”という認識が生まれ難いのです。その無痛の所為で、「気付いたら破滅的な状況だった」なんて事にもなりかねないでしょう。

 どうか、想像している以上に深刻な問題である事を認識してください。

参考文献は作中に書いたので割愛します

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[一言] 「AIの普及によって、労働力としても、下層・中間層の人間達は、富裕層にとって必要なくなってしまうかもしれない」未来が将来訪れるかもしれないということは、自分も以前から考えていました。 百さん…
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