番外編41:銀色の月満月の朝
これは8の月の銀色の月の満月の朝の話。
満月の夜に向かう朝の話。
本編で語られなかったユークリットの話。
おはようございます。
最近『真面目主人公ちょいH』の『ちょいH』は変態の『H』と言われ始めている『主人公』のユークリットです。
一体私は朝から誰に挨拶をしているのでしょうか?
今朝は起きたばかりで少し錯乱気味です。
今日はいよいよ1ヶ月の中で1番来て欲しく無い銀色の月の満月がやってまいりました。
勿論2番は銀色の月の新月です。
まずは木戸を開けて、朝一番の清々しい空気を部屋へ入れましょう。
その後は、口には出すと即座に訂正されますが、『愛しの2人娘』の寝顔を見て『今日のやる気をフル充電』します。
朝の準備運動も普段よりも念入りに行いましょう。
大丈夫。
今日は討伐ではありません。
全滅したと思われるアルフィアさんが所属していた小隊の遺品を探すのが目的です。
その証拠に、他の三人はフル装備なのに、私だけは『荷物持ち』にジョブチェンジです。
木戸を開ければ、外からは金属が打ち合う音が聞こえてきました。
ドカチーニさんとベルガーさんの実践稽古が始まったのでしょう。
その音に混じって、フィーナさんがマリーに指示を飛ばしている声も聞こえます。
フィーナさんが裏庭に居るのは結構珍しいですね。
朝の準備運動をしているといつものようにベスとアンも起き出します。
ベスはまだ一人では起き上がるのは難しいですが、一日一日の成果が見えるほどのスピードで四肢が動き始めています。
動いていると言うのは言い過ぎかも知れませんが、凄い進化です。
私は、ベスの上半身を起こします。
そのままベスとアンの髪の毛を櫛で梳きながら2人へ出発の挨拶をします。
「おはよう。今日は銀色の月の満月の夜だから、ちょっと異原まで行ってくるな。それで悪いのだが、お前達に預けていく金銀も銭もほとんどない。」
私の言葉を聞いて、私の方へと振り返った2人の瞳の色が少し曇っています。
やはり、お金が無いのは、どこの世界に行っても世知辛いものですね。
それでも半分感情を無くしたような声でベスが答えてくれました。
「おはようございます。あなたが無事に帰ってくれば問題ありませんし、私達の『櫛』よりも高そうな『かんざし』を贈ったシーリンさんに金銀を借りてきたらどうですか?」
ベスが3人だけで部屋に居る状態で私に敬語で会話をしています!
アンまで首をブンブン縦に振ってベスに賛意を示しています。
その事が私の気分を更に凹ませます。
確かに私はブーツを買いに行った時「銭が無くなったら貸しますよ」とシーリンさんには提案されましたね。
自分の手が届く中で一番気に入ったブーツをその時は買いました。
その時にほぼ全財産を使った事に2人は怒っているのでしょうか?
ブーツが完成するまでには時間が掛かりますので、今回は再び草鞋で異原の草原を歩く事へと思い至り、私は更に気が重くなります。
「死ぬと、シーリンさんへ銭を返すあてが無くなるから、俺は絶対に生きて帰って来るぞ?」
2人には私が弱気な所を見せないように、普段通りしゃべりますが、今朝起きた時から心の中の敬語は止まりません。
朝一番で『やる気をフルチャージ』したはずです。
しかし、やる気の低下が底を割って、更に急落しております。
ベスとアンが『耳打ちと筆談』と言う、いつもの内緒話をしていますが、何となく私の悪口を言っている事は分かりますからね?
今日だけはこれ以上、私の心にダメージを与えるのを、止めて下さい。
すでに私のやる気はストップ安です!
このままでは2人の悪口に心を殺されそうなので、一先ずベスとアンを分けましょう。
ネモの事もほんのちょこっとわずかに少しだけ心配です。
私と違って、ネモには魔力補給が禁じられていないのでアンに頼んで、ちょっとだけ魔力を分けてもらえば、少しはネモの生存率が上がるはずです。
奴に『異世界ハーレム』を作らせる気はありませんが、奴が私の前から居なくなるなんて事は考えたくもありません。
ベスには少しの間、部屋で待っていてもらい、アンと一緒にネモの部屋の前へ行きます。
奴の部屋の扉をノックをしようかどうかで迷い、時間だけが過ぎて行きました。
私の腰の辺りを握るアンも不安そうな顔をして私を見上げています。
私がネモの部屋の前でアンを連れて悩んでいるとネモが部屋を出てきました。
ネモが扉の前に居た私とアンを見て少し驚いた顔をしています。
「なんの用だ?」
いつもの顔へと戻ったネモが俺へと先に声を掛けてくる。
何という事だ。
ネモの姿と言動を聞くだけ、俺の心の中で敬語が治まった。
奴は鎖帷子の上にネクタイを締め、背広を羽織っている。
独自のファッションセンスは頭がイカレているが、鎖帷子が心底羨ましい。
「この子が、お前の無事を祈って、握手をしたいと言うんだ。」
本音を言えばネモにアンを紹介などしたくは無い。
だが今回の俺には目的がある。
「そういう事なら、握手をしてやらんでもない。」
偉そうな上から目線のネモにアンが握手をして魔力を分け与えた……と思う。
ネモの表情を見る限り、体の中から『力が湧いてきたぁ!!』と言う顔をしている。
握手をし終えるとアンがネモに『ニッコリ』と愛想を振りまいて俺の元へ戻る。
俺はアンの頭を撫でてやりながら「ありがとう」と言ったが、心の中では『ネモごときに愛想など振り撒かなくても良いぞ』と思っていた。
「フィーナさんと歩く道は必ず地獄になる。死ぬなよ。」
俺は一言だけ奴に声を掛けて自室に戻っていく。
「お前もな。」
俺が部屋の扉を閉めた後、聞き間違いかも知れないが奴がそんな事を言った声が聞こえた。
裏庭からは、フィーナさんの部隊が朝早くから立食パーティーをしているようで、陽気なおばさん達の笑い声が聞こえてくる。
この異世界の女性達は強いヒトだらけだな。
俺は怖くて朝起きてから悪い事しか思い浮かばないと言うのに。
気分を変える為にも朝食を食べに行こう。
ベスに『大人しく待っていろ』などと言ったら、また土下座をするはめになる。
休日とは言え、先日の残り物で賄いを食べられるはずだ。
俺はベスとアンを連れて厨房へと賄いを取りに行く事にした。
今日は客もいないはずだ。
たまには3人揃って食堂の食卓で食べるのも悪くない。
今日なら自分で食事を取れないベスが行っても問題無いだろう。
口では嫌がり抵抗するベスを抱えて、俺は食堂へと移動する。
一度抱き上げてしまえば、ベスは顔を真っ赤にして黙るので、有無を言わさないのが一番手っ取り早い事が分かってきた。
アンが、俺の腰に手を添えて歩く。
今日は間違いなくこの瞬間が、俺の一番幸せな時間になるな。
明日2人に「ただいま」をしてもらう幸せを掴む為に今日は頑張ろう。
食堂に行くと、先月の満月の日と同じで食堂の正面扉が閉まった状態だった。
ドカチーニさんが久し振りに斡旋屋に帰ってきた7人の冒険者と深刻そうに話をしている。
俺達は、食卓で食事を取るシーリンさんとベルガーさんへと合流した。
ベルガーさんの隣にアン。
シーリンさんの隣にベスを挟んで俺が座る。
「おはようございます。ドカチーニさんは深刻な顔をして何を話しているのですか?」
「人数。」
「人数ですか?」
「ベルガー。言葉数が足りなすぎです。現在斡旋屋の二階に住むと言うより倉庫として使っている冒険者は七人です。」
「7人だと4で割れませんね。」
「そうですね。信用できないヒトが来るより『アルフィアさんを人数に加えて三人で行動する』か『良い冒険者が入る事を期待するか』を館長に相談しているようですね。」
俺達が話し始めるとアンが自主的に朝食の準備を始めた。
アンが1人で動けるようになって、俺は彼女が結構世話焼きだと知った。
ベスには俺が食べさせてあげながら朝食を取る。
部屋で食べる時と違って、ベスは「あーん」と言って、俺へと次を催促してくる事は無い。
俺達の食事が終わる頃、ドカチーニさんが7人の冒険者達を伴って、食卓へやってくる。
「悪いが、俺達の小隊からベルガーかユークリットを貸し出す事になった。」
「待って下さい!私はほとんど素人ですよ?」
「お前は接近戦はまだまだだが、槍投げに関してはなかなかの物だ。後衛としてなら、何とか及第点をやる。」
褒められる事は嬉しいが、おだてられて危ない戦場へと送り込まれるのは嫌だ。
だが、そこに追い打ちをかけて俺の意志で戦場へと向かわせそうな女冒険者が現れる。
「あら。聞いていたよりもずっとたくましいじゃないの?」
女冒険者が俺の腕や脚、さらには腹筋、胸筋、背筋も撫でながら、誘い文句を言ってくる。
「本当はベルガーが良いけど、あなたでも良さそうね?」
『異世界新ヒロインの登場か?』
等と私は脳内のお花畑で彼女とデートを楽しみ始めます。
私の筋肉を触りまくる女冒険者の様子を見たベスが「アン」と一言声を発すると、アンが自室へと戻り俺の小刀を持ってきました。
「髪の毛と共に煩悩も伸びてきたみたいです。ユークリットさん。頭を剃り上げましょう?」
「待ってくれ!シーリンさんお盆を貸して下さい。貫頭衣に髪の毛が付くのは嫌です。」
「嫌がる所を根本的に間違えていると思いますが、貸しましょう。洗って返して下さいね?」
折角のニューヒロイン登場と思ったのですが、俺は食堂の隅に追いやられて全裸にお盆の姿で、小刀を使い頭を丸められています。
相変わらず、アンの小刀捌きはたどたどしくて肌まで斬られそうで怖いのですが、髪の毛を剃られる事自体は気持ち良いものです。
ジョリジョリがたまりません。
私の髪を剃る様子を見ていたシーリンさんの笑顔に『!』がついたのが分かりました。
何かを思いついたのでしょうが、悪い予感しかしません。
何度も言いますが、私の悪い予感は当たりません。
しかしです!
何かに怖れを感じているのか、いつの間にか始まっていた、心の中の敬語は止まりません。
シーリンさんが悪だくみを考えていそうな笑顔で私へと近づいてきます。
「アン。今日はユークリットへ怪我をさせる訳にはいかないので交代しましょう?」
アンが少し怯えながら小刀をシーリンさんに渡します。
シーリンさんが私の髪の毛を剃り始めました。
アンよりずっと上手で安心できます。
シーリンさんは、私へ優しい声を掛けながら、丁寧に頭を剃ってくれます。
私には『ただあなたの優しさがぁ怖がぁっだぁ』と古き良き名曲が恐怖だけを伴って脳内で再生されました。
シーリンさんが私の髪の毛を剃り始めると一斉に男冒険者達がこちらへ目を向けます。
そして現在、私は湾岸施設の筋肉達よりも怖ろしい男達に囲まれています。
シーリンさんは全く動じる事無く、私の髪の毛を剃り上げ続けてくれているようです。
「なぁ。新顔さんよ?シーリンちゃんがいつも頭を剃ってくれているのか?」
「いつもは私の娘……」
「姪です!!」
「……姪が剃ってくれています。」
「なぁ。新顔さんよ?どうして頭を剃り始めたのだ?」
「確かシーリンさんが初めて私の頭を剃ってくれたのですよね?」
私は魔壁蝨の一件を思い出しながら答えます。
「はい。そうですよ。皆さんもこれ以上、わたし達に野暮な事は聞かないで下さいね?」
私を囲む冒険者達の顔に驚愕が浮かびます。
そして諦めの顔へと変化して行きました。
「分かった。ドカチーニさんが左腕の鎧を新顔に与えた噂は本当だったのだな……」
「はい。確かにいただきました。あの鎧のおかげで私の左腕が無事だったようなものです。」
ドカチーニさんからもらった左腕鎧のおかげで緑小鬼の隊長との戦いを無事終えられた。
「てめえからそれ以上の言葉は要らない!シーリンちゃんを泣かすなよ?」
「どちらかと言うとシーリンさんには私がいつも泣かされていますよ……」
「ユークリット。それ以上変な事を言うと手が滑りますよ?」
「ごめんなさい。調子に乗り過ぎました!」
私とシーリンさんのやり取りを聞いた男冒険者達の乾いた笑い声が食堂に流れた。
その後すぐに冒険者の小隊へついて行くのはベルガーさんに決まった。
戦力的にも妥当な判断だと思うし、俺自身も助かったと思っている。
その証拠に心の中の敬語もいつの間にか治まっていた。
俺の中では新ヒロインになる予定の女性冒険者が「アルフィアの見舞に行く」と言って、食堂を後にしてしまう。
その時、俺には彼女が食堂から居なくなった事が残念で仕方なかった。
しかし彼女が居なくなった事で俺が『命拾い』をしていたと知るのはずっと後の事である。




