番外編31:フィーナ様とのお出掛け
この話は金色の月が満月になった翌々日の話。
ネモがフィーナの執事になった翌日の話。
マリーが話すフィーナとのお出掛けの話。
私はマリーと申します。
ご存知でしょうが、フィーナ様のメイド長をしております。
今日も一日が終わり就寝時間になる時。
私の主人フィーナ様から明日の指示を頂きました。
「マリー。明日は街へと出掛けるわよ。準備をしておいてね。」
「どこに出掛けるのですか?」
「服を仕立てにいきましょう。」
黒のドレスしか持っていないフィーナ様。
黒のドレスは貴族の間では喪に服している女性が着るものです。
ヤンゼン家の本家への義理立ても果たして、いよいよドレスを新調するのでしょうか?
最近のフィーナ様は庶民が着る貫頭衣を自分から進んで着ています。
黒のドレスを着る事をようやくやめるのだと思います。
フィーナ様が新しいドレスを新調する。
昨夜、フィーナ様から話を聞いた私は今日をとても楽しみにしていました。
それだと言うのに昨日の朝はユークリットの野蛮人に見たくも無い裸を見せられる。
今朝は野蛮人の行為に対して、ベルガーに愚痴をこぼせば、逆に叱られる。
どうして私が裸の野蛮人に挨拶をしないといけないの?
今日は朝から良い事が一つもありません。
私は挨拶を返さない事は悪い事だと分かっています。
ですが、女性へ裸で挨拶をしてくるようなヒトに挨拶を返しますか?
返しませんよね?
ベルガーにもそこのところを分かって欲しいです。
洗濯物を干し終わった後、ベルガーとこのまま喧嘩している感じなのは嫌です。
ですが、私が悪くないと思う事で謝るのだって同じくらい嫌です。
私は「今日はフィーナ様と街に出るの。ベルガー。また話を聞いてね?」と言います。
彼は「あいよ」といつもの調子で答えてくれました。
ベルガーは体も大きいけれど、心も広いヒトです。
私の心にも少しだけゆとりが出来ました。
フィーナ様が朝食を食べ終わると、私はお出掛けの準備をします。
フィーナ様は相変わらず今朝も貫頭衣を着ていますが、今日はドレスを着ていただきます。
そんな私の意気込みは空振りに終わります。
当たり前の事なのかも知れませんが、フィーナ様は自分からドレスを着始めました。
ドレスは基本的に一人で着られるようには出来ていません。
むしろ他人を使い着させる服です。
私はフィーナ様がドレスを着る手伝いをしました。
「よくお似合いです。フィーナ様。」
「ありがとう。マリー。」
本当にフィーナ様には貫頭衣よりもドレスの方が良くお似合いです。
普段から着ていて頂きたいのですが、フィーナ様が言うのです。
「だって、ドレスを着る為にはマリーに手伝ってもらわないといけないのよ?せっかく独立したのだし、好きにして良いのなら必要な時以外、あたしは貫頭衣で過ごすわ。」
実際、今回のお出掛けの目的が『服を仕立てる』事ですから、ドレスが必要です。
このままでは必要な時以外、フィーナ様はドレスを着るのを本当にやめそうです。
今日は、フィーナ様が自分から着たくなるようなドレスを私が見繕ってみせます!!
フィーナ様が出掛ける前に、ベスの往診へ行き、その後病室へアルフィアの往診をします。
その後に、信じられない言葉を私は耳にしました。
「ネモ。今日はあなたの執事服を作りに行きますから、出掛ける用意をしなさい。」
「分かりました。アルフィア良いか?」
「行ってらっしゃい。今日はあたしもゆっくりするわ。」
「あら。それなら無理に動かす必要は無いけど、魔力を通す気持ちは忘れないでいてね。」
「はい。フィーナ先生。」
ネモと呼ばれる野蛮人は、彼が『背広』と呼んでいる怖ろしいほどに素晴らしい執事服を着用して、出発準備を整えます。
彼はフィーナ様の斜め後ろを私と並んで歩きます。
黙っていると、実は『貴族』と言っても信じてしまう姿勢と所作でネモが歩いています。
彼の中身は野蛮人ですが、見た目だけは良いので、今日は我慢しましょう。
シーミズの港町は基本的に庶民の町ですから、今日は少し遠出になります。
クノー山北側の麓にある貴族専門の最高級品を扱う仕立て屋へと行きました。
こんな凄い所で買い物をする金銀をフィーナ様は持ち合わせているのでしょうか?
私は少し不安になります。
入口へフィーナ様が立つとネモが扉を礼儀正しく開けて一歩下がりフィーナ様を通します。
どこで身に着けたのかは謎ですが、普段の斡旋屋で見せる行動からは想像できないほど、外出後の行動は執事として優秀です。
フィーナ様がネモに耳打ちをして、ネモが店員へと話し掛けます。
「奥様が、支配人を呼んでいる。連れてきて欲しい。」
「誠に失礼ですが、いきなり支配人を呼んで欲しいと言われましても対応出来かねます。」
フィーナ様が再びネモに耳打ちをします。
「この執事服を見せて反応が無いようなら別の店に行く。支配人へ見せてみるだけでも、見せてもらえないか?」
ネモが背広の上着を脱いで、店員に渡しました。
私が見る限り『余分な物が何も無い美しさ』の魅力がネモの『背広』にはあります。
真っ当な仕立て屋でしたら、この『背広』の美しさが分かるはずです。
店員も触っただけで、この『背広』の素晴らしさを理解したらしく、「しばらくお待ちください。」と残して店の奥へと消えて行きました。
次に店員が現れると、支配人の執務室と思われる所へと通されました。
支配人とフィーナ様が対面して座っています。
私とネモはフィーナ様の斜め後ろへと直立して話を待ちます。
フィーナ様は直接支配人へと語りかけ始めました。
「直接あたしが話す無礼を許して頂戴。その方が話が早く済むわ。」
「こちらこそ。あなたと直接話す無礼を許して頂きありがとうございます。フィーネ・フォン・ヤンゼン伯爵。」
「あらあら。良くご存知ね。だけどあたしは拝領した土地も配下も財産も無いのよ。伯爵と言ってもあたし一代限り。身分だけしかない貧乏貴族の見本よ?」
フィーナ様の自虐とも取れかねない言葉へ、一拍置いて支配人が答えます。
「陛下から頂いた物は全てお返しした事を存じ上げております。普段笑わない陛下を大笑いさせた逸話も我々に迄届いております。身分だけは返す事を許されなかった事も。それに加えて、この素晴らしい執事服。この素晴らしい服を我々にどうせよとおっしゃるのでしょうか?」
「この執事服の造形の権利を買って下さらないかしら?」
「我々がこの造形を専売しても良いという事ですか?」
「ええ。この服の造形はまだ権利を得ていないわ。あなたの店で使って欲しいの。」
「この斬新な洗練された造形。正直言いますと、喉から手が出そうな程欲しいです。執事服としてこれほど洗練された造形美はありません。」
再び一拍置いて支配人が値段交渉へと入りました。
「お幾らで造形の権利を手放すおつもりですか?」
「そうねぇ。まずは試作品を後ろに居る、あたしの執事に合わせて作って頂戴。最低三着はお願いね。後は、この造形で執事服を売っている間は、必要に応じて、あたしの執事へと無償で作ってくれたらそれで良いわ。大丈夫よ?十着寄越せとか無理を言うつもりは無いわ。」
「ヤンゼン伯爵。本当にそんなものでよろしいのでしょうか?」
「十分よ。但し、あなた達が持っている最高の生地で作って頂戴。」
今度は三拍は置いて支配人がフィーナ様へと尋ねました。
「我々が知りうる最高の生地でも、この執事服に使われている生地にはとても敵いそうにありません。生地の作り方は教えてもらえないのでしょうか?」
「あらあら。それは出来ない相談ね?正直に答えてね。本当に価値があるのは造形の権利かしら?それとも生地の作り方かしら?」
「生地の作り方でございます。」
「そう。分かっているのならば良いわ。調べようとしても無駄よ?あたしが完璧に隠蔽しているの。この背広一着盗んだくらいでは生地の作り方は分からない事は、あなたくらいのヒトになれば分かるわよね?」
「はい。おっしゃる通りでございます。では、どうして造形の権利を手放すのでしょうか?」
「言ったでしょう。あたしは貧乏貴族なの。生地の秘密は売れないけど、造形の権利なら手放しても問題なしと思ったのよ。」
フィーナ様は凄いです。
生地の秘密とか、フィーナ様だって知らないはずです。
しばらくの間、二人の間に沈黙が流れます。
「生地の事は潔く諦めましょう。ですが、この素晴らしい造形の権利に対してそちらへの報酬があまりにも小さすぎて怖いくらいです。」
「そう?それならもう一つわがままを言わせて頂戴。この子の成長に合わせてメイド服も作って欲しいわ。勿論、最高の生地でお願いするわね。後はこの執事服の生地は秘密にしてね?」
「全て了承しました。ヤンゼン伯爵のドレスはよろしいのですか?」
「あたしのドレスはこれでお終い。もう必要ないの。」
「黒のドレス……ヤンゼン伯爵の覚悟を尊重いたします。ヤンゼン伯爵がドレスの修繕を必要とする時は、我が店で担当させて頂きたいと思います。勿論、お代は頂きません。」
「あらあら。今度はこちらが恐縮してしまうわ。」
「いえ。本日はとても素晴らしい取引でした。」
「ネモ。服を全て脱いで頂戴。造形の複写をしてもらって。」
隣の野蛮人が平気で、ほとんど全裸になります。
小さい下着一枚だけの姿です。
こういうところだけは本当に蛮族です!!
「なんの躊躇も無く、このような指示に従うとは!ヤンゼン伯爵は何も持っていないとおっしゃりましたが、素晴らしい忠誠心を持った配下をお持ちですね?」
「そうかしら?ありがとう。とても嬉しいわ。」
職人がネモの『背広一式』の造形を写し取っています。
私には何をやっているのか詳しい事は分かりませんが、色々と写し取っています。
時間だけが過ぎて行きます。
もうお昼の時間も過ぎました。
太陽が西に傾いた頃、ようやく店を出る事が出来ました。
「ネモ、先に帰ってアルフィアの運動を手伝ってあげて。マリーはあたしについてきて。」
ネモが一人湾岸施設に帰ると、フィーナ様が私に提案します。
「たまには二人で皇室御用達の公園を通って帰りましょう。たまには散歩も良いでしょう?それにしてもドレスもメイド服も不便ね。マリーと手を繋いで歩く事も出来ないのよ?」
私にはその言葉だけで十分です。
私はメイドらしくフィーナ様の斜め後ろを歩きます。
心はフィーナ様と手を繋いで斡旋屋まで帰りました。




