異世界初の買い物
朝食は怖ろしい乱入者こそあったものの、某ラスボスの如く、瞬殺される事無く終わる。
俺にとっては、異世界に来てから、1番幸せな朝食だった。
誰かと一緒に食事を取る事は、それだけで、幸せな事だと俺は思う。
一口一口を味わいながら行儀よく食べている2人に対して、俺は早食いだったようだ。
ベスとアンの2人は、まだ食べ終わっていないが、俺は先に仕事の受付へ行く事を決めた。
ドカチーニさんが一緒の食卓へ居てくれているし、2人に悪さをする奴は現れないだろう。
無料で用心棒を雇ったと思えば、これほど頼りになるヒトは他にはいない。
「ベスさん。アンさん。私は今日の仕事の斡旋を請けてきますね。ドカチーニさん2人をよろしくお願いします」
「おう。行ってこい。二人の事は俺に任せておけ」
「よろしくお願いします」
俺は2人の事をドカチーニさんに任せて、受付にいるシーリンさんの元へ、今日の仕事を斡旋してもらいに行く。
普段と変わらない言葉で、シーリンさんへと朝の挨拶と共に、声を掛ける。
「おはようございます。いつもの荷揚げ屋の仕事はありませんか?」
「売り切れです」
気のせいかな?
シーリンさんの笑顔が冷たく感じるのは?
やはり目の錯覚だよな?
彼女はいつもと変わらない魅力的な笑顔でいる。
だが、彼女から『おはようございます』と朝の挨拶が返って来ない事は珍しい……と思う。
俺の記憶が正しければ彼女が朝の挨拶をしない事は、今まで一度も、無かったはずだ。
「荷揚げ屋の他には何か私に向いた良い仕事はありませんか?」
「売り切れです」
今、俺が話している最中に言葉を重ねてきたよな?
さながら『今日はあなたに仕事を斡旋する気はありませんよ』と言われている感じだ。
見た目でシーリンさんの笑顔に普段との違いを見つける事は出来ない。
ただならぬ気配を何となく感じるのはやはり気のせいだろう。
今日の仕事が無いのなら、仕方ない。
久し振りに本日は休業だな。
異世界へと来てから毎日働いていたのだから。
「次の方どうぞ」
なんですと!
シーリンさんが、次のヒトに、仕事を斡旋しているでは無いですか?
しかも【俺向きの力仕事】を!?
俺はシーリンさんに蹴り出されたのだ。
彼女が実際に俺を蹴った訳では無い。
だが俺自身は悪い事をしたつもりが全く無いのに、まるでネットゲームの【キック】で通告なしで、一方的にパーティーを追い出されたような感覚だ。
彼女はもう、俺の事など、眼中に入れようとすらしない。
無言のまま身振り手振りで抗議を行っていても、彼女は一切目を向けようとしてくれない。
良し!
ここは気分を変えていこう!
見た目は変わらないシーリンさんの笑顔が、どこか冷たく感じた事も、きっと気のせいだ。
俺は『シーリンさんは裏表のない笑顔の素敵な女性です』と3回呪文を唱えて、自分の心を落ち着かせた。
『さて今日は何をしようか?』
俺は3人が待つ食卓へと戻りながら、突然訪れた休日をどう過ごそうかと、考え始める。
食卓への帰り際に2人の骸骨の姿を見て突然思い立った。
所持金にもある程度余裕が出来たし、今日は買い物に行こう!
骸骨達には、俺のぶかぶかな服を着せているので、隙だらけな首元や腋から胸にある一対の桜色をした突起が、時々見えてしまう。
俺は全く興味が無いが、自然と目が惹きつけられる、魔法の突起だ。
この魔法に掛かり、ドキドキしていたら「お巡りさんここです!」と叫ばれる日も近い!
それに、3着しか無い服を3人で着ていたら、洗濯をする日が無いからな。
裸族の俺にとって、1日中全裸で自室へ引き籠る生活も悪く無いが、骸骨2人は絶対に嫌がるだろう。
全裸でいる事に解放感を覚えるのは1人きりだからだ。
他にヒトがいたら、全裸でいる事の解放感など得られ無いだろう。
それと常に同じ服を着て仕事へと行くのは【日本人】として嫌だ。
この異世界には、毎日同じ服を着ているだろうヒトが、結構な数いると知っていてもだ!
シーリンさんの受付業務が終わったら、女の子の服を売っている場所を、聞こう。
彼女も先程は仕事中で忙しかっただけだ。
俺が嫌われているって訳じゃないさ。
出来たら、街を案内してもらう事を口実に、異世界初デートも良いな!
デートの前に骸骨達へと今日やる事の指示を出しておくか。
2人の服を買いに行く事はデートの出汁に使う。
だが出汁がらをきちんと処理しないと料理は美味しくならないからな。
自分の為だけに2人を置いていく訳ではないぞ。
骸骨達が健康になるためには、食べて歩いて、まずは筋肉を付けないと。
栄養失調で餓死しかけていた2人だ。
この炎天下で、外を歩かせるのは、かなり危険だろう。
しばらくは、斡旋屋の廊下を歩いて、最低限の筋肉を付ける事から始めようか。
2人の服を買いに行くという出汁を使いながら、本人達はお留守番。
シーリンさんとデートをする為にも、一石二鳥な、完璧な作戦だ。
俺の苦手な行為だが、2人へときちんと意志を伝える為に、目と目を合わせて話し始めた。
「ベスさんとアンさんの2人には協力しあって、ゆっくりで良いから少しでも多く、歩いて貰います」
「はい」
俺へと、ベスが声で返事を返し、アンが首を縦に振る事で返事を返す。
「2人には、食べて動いて、まずは筋肉を付けてもらいます。」
「ユークリットさんくらいにですか?」
「いえ。私ほど必要ありませんよ。目標は次の新月の頃1人で歩けるようになる事です」
「良かったです……いえ、分かりました」
ベスもアンも少しほっとしている感じだ。
骸骨の表情は変わらないが、瞳が安心した光を放っている気がする。
そう言えば現代日本でもマッチョ過ぎる男はモテなかったな。
俺がモテないだけなんて現実は認めたくない!
俺の人生100回分を累計しても絶対に足りないくらい女の子にモテやがる【憎き金髪野郎】の顔が脳裏をよぎるが今は忘れよう。
2人共女の子だったしな。
女の子である事は、直接確認した俺が言うのだから、間違いない。
必要以上に筋肉を付けたく無いだけだと信じよう。
それに俺だって10年以上鍛え続けてきた体だ。
2人が簡単に俺のような筋肉をつけてもらっても凹むだろう?
「場所は食堂と部屋とを結ぶ廊下を使わせてもらいましょう。食堂は土間になっているので、出てくる必要はありませんよ。履物を履かないで歩ける廊下を何度も往復して下さい」
「はい」
「但し絶対に無理はしないで下さい。昼食代もドカチーニさんに預けていくので必ず食べて下さい。食べる事も【実験】の一環なので忘れずにお願いします」
「はい。ごちそうになります」
「おい【実験】だと?」
これまで黙って俺達のやり取りを聞いていたドカチーニさんがドスの利いた声を発した。
彼が、俺に対して睨みを利かせて、返事を待っている。
「はい。【実験】です。その為に私は2人を養います」
ドカチーニさんが、俺と目を合わせ少しも逸らさずに、威圧を掛け続けてくる。
こちらも押し負けずに頑張った。
人と目を合わせるのが苦手な俺が頑張った。
正直に言って、ドカチーニさんと目を合わせる事は、滅茶苦茶怖い。
「なんの実験をするつもりかは知らないが、嬢ちゃん達に危害を加える訳じゃ無いな?」
「多大な苦労を掛けるかも知れませんが、一切危害を加えるつもりはありません」
「嬢ちゃん達。こいつの言っている事に了承したんだな?」
「はい!」
ベスが力強く答え、アンはいつもより力強く1度だけ首を縦に振る。
「善意ってだけで養うって言う奴より余程信用出来る答えだな。昼食代は確かに預かるぜ」
辺りを締め付けるような威圧が無くなり、俺の緊張がほぐれる。
ドカチーニさんが嬉しそうな顔をしている気がするのは俺の気のせいだろうか?
彼は、2人の昼食代である40文を預かってくれながら、俺へ質問を投げかけてくる。
「俺に二人の昼食代を預けるって事はこれから仕事か?」
「今日は、仕事が見つからないので、この娘達の服と草鞋を買いに行こうと思います」
「お前はどこの店で買う気だ? 良い店を知っているのか?」
俺は異世界に来てから、1度も湾岸施設から外に出た事が無く、街の様子を知らなかった。
だからこそ俺は、街の案内役も兼ねて、シーリンさんをデートへ誘う予定だ。
「女の子の服を買う事ですし、シーリンさんの仕事が終わったら、彼女に聞こうと思います」
「ほう。シーリンに聞くのか? お前はシーリンに店の名を聞くだけで場所が分かるのか?」
「彼女の都合次第ですが良ければ街を案内してもらおうと思っています」
ドカチーニさんの口角がぐにゃりと上がる。
目を細めたせいだろうか?
黒目と白目の位置が逆転しているように見えるのは。
笑っているのか?
怒っているのか?
ヒトである事を辞めた様な顔芸から判断出来ないが俺の体からは冷や汗が大量に噴出する。
「シーリンに聞くまでも無い。俺が良い店を紹介してやろう」
先程までシーリンさんと異世界ドキドキ初デートの計画を練っていたはずが、ドカチーニさんと異世界ドギバギ初デット計画へ急遽変更になりそうです。
「女の子の服を買うのですから、シーリンさんに教えてもらおうと思い……」
「俺が良い店を紹介してやろう。但し昼までには帰って来るぞ!?」
大事な事なので2度言ったのでしょう。
私が「シーリンさん」と声を出そうとする度に鋭利な刃物を突き立てられる気配がします。
鋭利な刃物の正体はドカチーニさんの視線です。
私に選択の余地は残されていませんね。
今日はドカチーニさんと【ドギバギ初デット】へ出掛ける事に決定です。
彼が主導権を握り、今日のデッド計画が立てられていきます。
「予算はどのくらいで考えているのだ?」
「相場が全く分からないので、それから教えてもらおうと思っていました」
「お前は常識記憶喪失だったな」
「その言葉はあまり好きな言葉では無いのですが、この異世界の常識が無いのは確かですね」
さりげなく【異世界】という言葉を入れてみましたがドカチーニさんに反応はありません。
彼は少しだけ表情を穏やかにして今日のデット計画を私へ説明してくれます。
それとも【異世界】という言葉が彼の表情を和らげたのでしょうか?
真相は分かりません。
「まず古着は百文あたりから買えるが、嬢ちゃん達の物を四着買うなら千文は用意しろ。最低でもそれくらい必要だ。これ以上けちると良い品は手に入らん。この港町の子供は草鞋なんて履かない。裸足が基本だな」
「裸足で足の裏とか痛くならないのですか?」
「庶民の間ではお前の柔な足の裏の方が珍しいんだよ。旅に出るとか理由があれば子供にも草鞋を履かせるけどな。街中で子供がいつも草鞋を履いていたら、裕福な家の子だと思われて、最悪誘拐されるぞ?」
この骸骨二人を見て裕福な家庭の子と思うヒトが居るとは思えませんが、ここは異世界です。
私が持つ現代日本の常識など全く役には立たないでしょう。
ドカチーニさんの忠告へ素直に従っておく事が賢明です。
「誘拐は困りますね。今日は服を買うだけにします」
「よし決まりだな。ベルガー! 嬢ちゃん達の昼飯を頼むな! お代は既に頂いている!」
「あいよ」
厨房からベルガーさんの返事が聞こえ、ドカチーニさんが食卓から立ち上がる。
俺もそれに続こうとするが、骸骨達の顔が不安そうに見えた。
彼女達は痩せすぎていて表情を顔に出す事は無いが、瞳が不安を訴えている。
青い瞳が不安そうなのは分かるが、いつも強気の赤い瞳の炎はどこへ消えた?
「大丈夫ですよ。ここなら優しい港町の熊さんと笑顔のお姉さんが君達を護ってくれます」
骸骨達は2人揃って首を1回縦に振った。
ベスが強気なのは不安の裏返しなのかも知れないな。
2人共少しは安心した瞳になったと思う。
俺も安心してシーリンさんの元へと向かう事が出来る。
彼女の前からは斡旋を待つ客の列が消えていて斡旋後の整理をしているところのようだ。
俺はシーリンさんへと1000文を下ろす手続きをする。
「シーリンさん。1000文下ろして下さい」
彼女は笑顔のまま、黙って、銭束を10本受付台の上へ置いて下さいました。
何となく寒気を感じる笑顔ですが普段と変わりはありませんよね?
「シーリンさん。いってきます」
彼女は、魅力的な笑顔を浮かべたまま、私に挨拶を返す事は致しません。
しばらく待ってみましたが、自分の仕事を粛々と進める、彼女からの返事はありません。
受付から動かない私へドカチーニさんから催促の言葉が掛かりました。
「何をしている? 行くぞ!」
「はい。今行きます。シーリンさん。行ってきます」
「行ってらっしゃい」
「おう。後の事はよろしく頼む」
「お任せください。館長」
最後に私はもう1度だけ彼女へ挨拶をしました。
今度は挨拶が返ってきましたが彼女の目線は真っ直ぐドカチーニさんの方を向いています。
何か理由は分かりませんが、私が彼女を怒らせた事は確定しました。
この時の私は、何をしでかしたのか、彼女が静かに怒る理由を分かりませんでした。
気を取り直して、ベスとアンの服を買う為、ドカチーニさんと一緒に街へ出掛ける。
気持ちの切り替えは大切だ。
過去にいつまでも囚われていては駄目だ。
思い出してはいけない幼馴染が「呼んだ?」と記憶の奥底から呼び掛けてくる。
ここはもう1度、気を取り直して、異世界の街へとくりだそう。
気を取り直して行う事はドカチーニさんとの【ドギバギ初デット】ですが。
湾岸施設を出て、異世界の街へと初めて来た。
湾岸施設も活気があったが、街はもっと凄かった。
異世界の街は俺の予想よりはるかにヒトが多かった。
『ここは本当に【異世界】なのだな』
今歩いているこの街並みが本当に【ドッキリ企画】で現実に実在するテーマパーク?
ならばニュースになっていない事など考えられない規模の施設だ。
ネットで祭りになっていない事もおかしい。
大好きな【異世界物の企画】をネットで見落とす事は、有り得るだろうが、認めたくない!
それより『俺の地元よりヒトが溢れているよ? 負けた!』と心が叫びたがっているんだ。
ここから見えるお山の上には丁度大きなお城のような神殿も建っている事だし。
ヒト通りの多さからドカチーニさんと並んで歩く事が出来ない。
自然と前後に一列縦隊。
昔々に大ヒットした伝説のゲーム【竜王探索歩き】になる。
シーリンさんもついてきてくれたら完璧な【竜王探索Ⅱ歩き】だったのにな!
出掛ける前の彼女とのやり取りを思い出し俺は落ち込む。
今朝は完全に無視されたよな?
ドカチーニさんとの会話も一切無い。
しかも彼は、俺を、後ろを振り返らない。
俺は彼を見失わないようにするのが精一杯で、ゆっくりと街を見学は出来なかった。
せっかく異世界の街だと言うのに!
彼も俺を無視しているのでは無いと信じたい。
ドカチーニさんの行く先はヒトの波が自然と割れる為、彼はどんどんと先へ進む。
俺も【竜王探索歩き】に慣れてくると、ヒトの波を割って歩く彼の後をついて行く為、周りを見る余裕が少しだけできてきた。
街全体の雰囲気が分かった。
意外と木材を使った建物が少ない。
石? いや粘土か? 石灰? 俺には材料が何かは分からない。
ドカチーニの斡旋屋と同じで白い石膏を固めたような建物が多かった。
道の脇に露店が並ぶ。
露店の屋根を支える支柱には竹や真っ直ぐではあるが細く歪んだ木材が使われていた。
それにしても湾岸施設に比べると本当にヒトが多いな。
湾岸施設のヒトが少ないという訳では無い。
街はそれ以上にヒトで溢れかえっている。
人混みが苦手な俺は何度も【ヒトが多い】と同じ事を思う。
こんな人混みの中を歩くのは縁日の祭り以来だ。
俺の隣に浴衣姿の眼鏡女子が見えた気がした。
一瞬『思い出してはいけない記憶』が蘇りそうになったが今回も封印が間に合ったな。
現実には、浴衣を着ている女の子は、この異世界のどこにも居ない。
あいつの事を思い出すよりも大事な事がここにある。
何よりも大事な事だ。
街には女性が多い!
この異世界にも女性は沢山居たのだ!
しかも若者が多い。
子供はもっと多い。
人口がしっかりと【ピラミッド】になっていそうな割合だ。
どこぞの国のように【棺桶】なんかになっていそうに無い。
今日も暑い。
人混みのせいで余計に暑く感じる。
この暑さでもドカチーニさんはマントを脱がない。
彼の左腕は上腕の途中から無いと思う。
それを隠す為のマントだと思うが、彼の暑苦しい姿で余計に俺の暑さが増す。
この暑さでは銭湯に行き、汗を流して、さっぱりしたくなる。
銭湯!?
この異世界の銭湯は基本的に混浴だ。
女性が多い街中ならば、湾岸施設の【男ばかり筋肉祭り】で異様高層建築物が立ち並ぶ浴槽では無く、様々な2つのお山が浮かぶ浴槽に入れるかも知れない!
高層ビルが立ち並ぶ都会暮らしより、様々な2つの山に囲まれた田舎暮らしを俺なら選ぶ。
「ユークリット。ここだ」
ドカチーニさんが、急に立ち止まった。
俺も妄想世界から現実世界へと一瞬で引き戻される。
彼が親指で指し示す店は露天商ながらも品数が豊富な感じの店だった。
他の露店の3軒分は場所を取っている。
どうやら後ろの建物を倉庫代わりに使い、品物を露店で販売しているようだ。
そこの店主と思える少し恰幅の良い男が、ドカチーニさんを見つけて、声を掛けてくる。
今日初めて街に出たが、この異世界では、恰幅が良いヒトは珍しい。
「いらっしゃいませ。ドカチーニ様」
恰幅の良い男が、揉み手をしながら、俺達へ近づいてくる。
「本日は御購入でしょうか? 御販売でしょうか?」
「購入だ」
「これはこれは。毎度贔屓にしていただきありがとうございます。本日はどのようなものをお探しでしょうか?」
「子供用の服を千文で四着頼む。見栄えよりは生地の良さを大切にしてくれ」
「分かりました。生地の良さで四着千文ですね。そういたしますと……」
恰幅の良い男は、山のように積まれた衣服の中から、白い貫頭衣を4着用意した。
「こちらなどは如何でしょうか? 色はついておりませんが生地はしっかりとした物を使っております」
ドカチーニさんが生地の確認をしている。
初めて街に出て気が付いた事の1つは、この異世界の服に男女の差はほとんど無く、基本全員が貫頭衣を着ていた事。
中にはシーリンさんのように綺麗な色付きのヒトも居たが、ほとんどのヒトが色は白だ。
色付きと言うか汚れてくすんだ、まだらな灰色だか茶色っぽいヒトは多く居た。
そんなヒトほど足には履物を履いていない。
この4着は白さで言うなら文句無しに上等な部類に入りそうだ。
「お前も確認してみろ?」
ドカチーニさんが俺へ貫頭衣を渡してくる。
生地は俺が今着ている貫頭衣よりも確実に上等のようだ。
色の白さも申し分が無い。
少し骸骨達には大きいが、俺の貫頭衣を着ているよりはずっと良いだろう。
生地も見た目も申し分なく『異世界の服もピンキリだな』と思っていた。
俺が購入する事を悩んでいるように見えたのだろう。
恰幅の良い男がもう一声推してくる。
「本来でしたら一着三百文は頂きたいのところを四着で千文にお勉強させていただきます」
「おい。どうだ? これで良いのか?」
恰幅の良い男へとドカチーニさんも加わった。
1200文が1000文になる買い物だ。
俺が一人で探してもこれより良い物は見つかると思えない。
服の相場は知らないが、品質に文句は無い。
値段はドカチーニさんを信じるだけだ。
「はい。これにします」
俺は恰幅の良い男へ100文の銭束を10本渡して貫頭衣を買った。
購入した貫頭衣はむきだしのまま渡された。
品を確認するため広げた服がたたまれたのは幸いか。
俺は4着の貫頭衣を小脇に抱えて斡旋屋へ帰る事になる。
斡旋屋への帰り道。
俺にはもっと異世界の街を散策したい気持ちもあった。
たとえ一緒に歩く相手が『ムサい』と言うより『コワい』おっさんであったとしてもだ。
寄り道して楽しむ為に、1000文ではなく、もっと多くの銭を下ろすべきだった。
だが先を歩くドカチーニさんの歩みは止まらない。
「悪いが俺の用も済ませるぞ。武具屋へと寄る」
武具屋と言うので、俺は期待に胸はずませた。
武具のレベルを見れば文化レベルがより分かる。
この異世界の文化レベルはいびつだ。
庶民の服装は貫頭衣だが、船は大航海時代を想像させるほど立派。
電気や火薬は今まで見た事が無い。
蒸気機関もありそうに無いが、街には上下水道がしっかり整っている。
完全武装した冒険者も街中で見た事が無いほど平和。
だが俺は最初にドカチーニさんから冒険者へと誘われているのだから絶対にいるはずだ。
街中で完全武装しているヒトは衛兵さん達くらいだ。
衛兵さん達も部隊毎に武装がまるで違っている。
紙はあるのか?
安物のトイレットペーパーより役に立つ草が沢山生えているので尻を拭くのには困らない。
その上ヒトの排泄物すら銭になるのだから異世界の常識は俺にとっての非常識だ。
識字率はかなり低い。
俺の知る限り子供達が学校へと通っている感じは全く無い。
「ここだ」
俺へ一声掛けたドカチーニさんが建物に入る。
我に返った俺が彼に続く。
店を見渡して少しがっかりした。
どうやら武具は受注販売のようだ。
この店は武具屋と言うよりも鍛冶屋か工房と言った方がしっくりとくる。
ずらりと武具が並んでいるような俺の妄想した武具屋では無かった。
だが活気がある鍛冶屋であり工房だ。
ドカチーニさんより年上と思われる親方の元、何人もの若者が一心不乱に物を作っている。
親し気に会話をしていたドカチーニさんが親方から注文した武器を受け取る。
金銀と物品のやり取りが終わると、再びすたすたと、斡旋屋へと歩き出すドカチーニさん。
最後まで観光案内的なサービスは全く無いようです。
「そうだ!」
「なんでしょうか?」
どこかに寄り道か?
と俺は少しだけ次に出て来る彼の言葉を期待した。
だが彼の口から出た言葉に俺の期待は打ち砕かれる。
「斡旋料は百文で良いぞ」
「銭を取るのですか?」
「俺の職業を言ってみろ?」
「斡旋屋です……」
「良く分っているじゃないか!」
ドカチーニさんと帰り道唯一交わした会話です。
少しだけ悲しくなります。
これが俺とドカチーニさんの【ドギバギ初デット】でした。
斡旋料は帰り次第、シーリンさんに頼んで銭束を下ろし、すぐに払う準備をします。
ドカチーニの斡旋屋へと戻り、シーリンさんから銭束を受け取ると、ドカチーニさんへと謝礼として渡しました。
このやり取りの間も俺とシーリンさんとの間で会話は一方通行でした。
彼女は、朝と変わらない魅力的な笑顔で、事務的に対応だけはしてくれました。
今日の彼女の笑顔を見ると、心の中でも何故か、敬語を使ってしまいます。
気を取り直してベスとアンを探そう。
それにしても今日は気持ちをリセットする事が多いな。
世の中には【リセマラ】なんて言葉がある事を思い出した。
気持ちはリセット出来ても現実は何も変えられないないけど。
2人はどこにいるのだろうか?
ざっと食堂を見渡したがここには居ないようだ。
『俺の部屋かな?』と廊下を見た瞬間に背筋へと悪寒が走った。
暗がりから、赤い光が2つ、青い光が2つ見える。
俺の視線はその光に捕らわれた。
肩を組んだ骸骨が徐々に食堂の木戸から差し込む光の下へ2体1組で現れる。
前の1人が2人分の体重を支えながら後ろの1人が1歩2歩と歩みを進めると交代して先に進んだ側が今度は2人分の体重を支えて後ろが前に2歩進む。
俺は『暗がりから徐々に姿を現す骸骨2人』に現代日本で観たB級ホラー映画の一場面を思い出させられた。
開いてはいけない子供の頃の記憶の扉が開きそうになる。
ちょっとホラー映画を見るにはCEROレーティングへ年齢が達していなかっただけだ。
先にトイレに行った幼馴染が暗がりの中で映画の真似事をしていただけだ。
それを見た俺がちょっと寝る前のトイレへと行けなくなっただけの話だ。
朝。
トイレで用を足す夢を見ただけだ。
夢から覚めて母親にがっつり怒られただけの話だ。
俺の描いた世界地図を幼馴染が指を差して声を殺しながら笑っていただけの事だ。
記憶の扉はしっかりと閉めて厳重に鍵を掛けておこう。
あいつとの思い出は本当にろくでも無い事しか無いな。
どうやらベスとアンの2人は俺との約束通りに廊下を歩き続けていたようだ。
2人が着ている俺の貫頭衣は膝下までガードしていて下の防御力は申し分が無い。
だが上の防御力は、胸元と腋のガードが隙間が大き過ぎて角度次第で、お肌の色とわずかに違う桜色をした微妙な突起物が見えかねない。
俺は『子供用の服を買ってきて良かった』と心の底から思えた。
「ベスさん。アンさん。食卓まで来て下さい。休憩を兼ねておやつにしましょう。」
俺の声を聞き、2人は時間を掛けて食卓まで来たが、出てきた言葉は「お断り」だった。
「アンはしゃべる事が困難な為、私が代表して話す事をお許し下さい。私達はすでに三度の食事と寝所を頂いています。これ以上は実験の報酬を越えてしまいます。他人のあなたへ迷惑を掛ける訳には行きません」
そうだった。
ベスとアンは意外と遠慮深い。
普通におやつに誘っても断って来るのは予想出来た事だ。
それが事実だとしても「他人」と言う言葉は俺の胸に突き刺さるな。
「おやつも実験の為です。少しでも早く2人には健康な体になっていただく必要があります。その為には適度な栄養と水分それに加え休息も必要となります。その為のおやつです。遠慮せずに御一緒して下さい」
2人は骸骨過ぎて表情から気持ちは読み取れないが同じ食卓には着いてくれた。
俺はシーリンさんへと注文を入れる。
「おやつと果実水を3人前ずつ頼みます」
「かしこまりました」
他人行儀な言葉が彼女から返ってきた。
俺は『他人か』と少しだけ『寂しいな』と思う。
シーリンさんが厨房へ消えて、しばらくすると、お盆へおかしと果実水を3人前ずつ用意して食卓へと運んでくれた。
彼女はベスとアンには「おやつです」「果実水です」と笑顔で優しく声を掛けてから渡す。
俺には目の前に品物を置いて、笑顔で手のひらを上にして出され、銭の催促だけがされた。
俺はシーリンさんが銭を落とす事が無いように、彼女の手の下に自分の手を添えようとしたのだが、軽く彼女にかわされてお肌とお肌の触れ合いは一切なく銭を渡す事になった。
『俺に全く楽しみが無かった!!』
と思ったが、表情こそ変わらないが、瞳の輝きが増した骸骨2人を見て十分幸せになれた。
この異世界へと来るまで、俺は1人行動が好きで【孤独】を楽しめる人間だと思っていた。
だが本当に【異世界】へ来て、俺の事を知っているヒトが1人も居ない、本物の【孤独】には耐えられないのかも知れないと今は思い始めている。
2人には『実験』と言いつつ、俺は骸骨達と一緒に居たいだけなのかもな。
俺の【孤独】を癒す為に。
骸骨2人がおやつを食べ終わったので、俺はもう1つのプレゼントを渡す。
2人の目の前に、それぞれ2着ずつの貫頭衣を置く。
「今まで私の貫頭衣を着させてしまってすみませんでした。少し大きいかも知れませんが、子供用の貫頭衣を買ってきましたので、これを着て下さい。」
2人の瞳が大きく開かれて【驚きと戸惑いと疑心】をブレンドした表情になっている。
今までで1番表情が変わったかな?
今回は俺でも骸骨の表情の変化がはっきり分かったぞ。
「私達の為にここまでしてもらってもよろしいのですか?」
「これから3人で暮らすのですよ。服が3着しか無かったら、洗濯も出来ませんよ?」
「アンはしゃべる事が困難な為、私が代表してお礼を述べる事をお許し下さい」
「お許ししましょう。お嬢様方。お礼と言うなら早く着替えて私へ可愛い姿を見せて下さい」
骸骨が服を換えたくらいで可愛くなるとは思っていない。
だが女の子が可愛いと言われて不愉快になる事も無いだろう。
そんな事を心の中で考えていた俺の斜め上に突き抜けた行動を彼女達が取る。
2人は俺の目の前で躊躇なく着替え始めた!
「あなた達は何をやっているのですか! やめて下さい」
『私の目が桜色した魔法の突起物へ引き寄せられるでは無いですか』と言う言葉を飲み込む。
猛き炎を赤い瞳へ宿した骸骨が答える。
「あなたの指示は『早く着替えて下さい』との事でしたので」
「女の子が人前で着替えるなんてはしたないですよ!」
「私達の全てをまさぐり尽くした人が言う言葉ではありませんよね?」
赤い瞳の骸骨は俺へと見事な嫌味を返してきた。
虹彩を無くした青い瞳の骸骨からは渇いた笑い声がうっすらと聞こえた。
渇いた笑い声とは言えアンの声が聞けた事が俺には少し嬉しかった。
俺は後ろを向いて2人が着替え終わるのを待った。
俺が思った通り、子供用の服でも、裾は膝下を超えていて標準より長い。
体に対して、まだまだ服が大きい感じだが、2人の歳は10歳前後だろう。
まだまだ成長期だ。
子供の服は大きいくらいで丁度良い。
2人の貫頭衣は、綺麗な白さも手伝って、上品なワンピースに見えなくもない。
飾り気は一切無いが、それが逆に、俺の好みに合っていて良い。
ベスが代表して俺への礼を述べると、2人は再び歩き続ける為に、廊下へと戻っていく。
俺が思っていた以上に真面目な2人だ。
この分なら筋肉が戻るのも早いだろう。
すぐに1人で歩けるようになる。
実験が予定よりも早く行えそうだ。
楽しいおやつの後、俺はこの異世界に来て初めて自分で洗濯をする為に、裏庭へと向かう。
今までベスとアンが着ていた俺の貫頭衣を自分で洗う為だ。
2人共、脱いだ服を、きちんとたたんでいる。
どこかの俺とはえらい違いだ。
『頭にあった金のサークレットの事もあるし、元々2人はそれなりの家柄の子供なのかもな』
ふと頭をよぎったこの考えは、ベスが触れられる事を嫌がっていると思い返し、記憶の扉の奥へしまう事にした。
今日は気分の【リセマラ】だ。
再び気持ちを入れ直して異世界の初洗濯へと向かおう。
『今まで洗濯はどうしていたかって?』
前日のうちに【廊下に置かれた洗濯籠】へと入れておくと、貫頭衣1着12文・てぬぐい1枚4文で、シーリンさんが毎朝洗濯してくれていました。
そして洗濯をする為に裏庭へ出た俺は驚愕の事実を知る事になるのだった。
2019/05/09 現在ここまで改稿済み。その後も少しずつ改稿する予定です。