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地獄の6日間・無我の境地

 これから夜間行軍の始まりだ。

 昨夜に比べれば少しは俺の装備も減っている。

 食べた食料、水、ドカチーニさんに折られた槍。

 わずかな差かも知れないが、荷物が軽くなれば確実に歩くのだって楽になる。

 そして何よりも、夜間行軍には一番の敵である太陽がいない!


 昼間に比べれば非常に楽だ。

 夏の移動は夜の方が良いのかも知れないな。

 難点をあげれば今夜は月明りがとぼしい事くらいか。

 銀色の月は半月。他の2つの月も半月以下の大きさしかない。

 金色の月は満月になったばかりなのに、本当に規則性が無いのだと感じた。

 銀色の月で1つ気になる事を思い出してしまった。



 家賃。



 新月に払う家賃が足りない。

 銭で払わず、金銀(両・分・朱)の方で払う気になれば問題ないが、出来るだけ銭の稼ぎで家賃を払いたいと考えているのだ。



 ひたすら行軍するには丁度良い。

 何か考え事をしている方が、苦しさが紛れる。

 前に計算した時に、確か3人で1日最低180文くらいは掛かる計算をしたはずだ。

 空に浮かぶ銀色の月が半月はんげつという事。

 それは今月は残り約1週間ほどという事。

 俺が所持している残りの銭は銭束5本とバラの銭が100枚ほどしかない。

 小銭は数えていないから、あまり分からないが銭束と合わせても700文は無いはずだ。


 180文掛ける7………歩きながら暗算出来るかぁ!!

 歩いて無くても出来ませんけど。

 もう計算は1日200文。

 1週間1400文で良い。

 それに家賃の7000文と貴重品預かり代の100文を足して、全部で8500文か。

 3日後に4000文入るから……4日で最低4000文は稼がないといけないだと!?


 そうだ!


 魔力実験でもらった銭を1000文ずつベスとアンに小遣いとして渡したのだ。

 その分を返してもらえば……って、そんな事出来るかぁぁ!!

 子供時代を思い出せ、ユークリット。

「ちょっとだけ、お年玉を貸してね?」

 と親に頼まれて渡した後、お年玉が返ってきた事があったか?

 いや、無いね。

 子供のお小遣いを借りる親にだけはなるまい!



 無理だ。


 

 今月はあきらめて金銀(両・分・朱)を使おう。

 なんだかんだで、結構銭使ったからなぁ。

 普段の生活費も大きいけど、娘……じゃなくて骸骨の服代とか、フィーナさんへ魔力補給をしてくれた子供達に払った銭束とか、結構平気で銭使ったもんな。


 結局、銭の稼ぎで暮らそうと思いながら、俺は元の世界の服代や冒険で得た報酬をあてにしていたんだな。


 俺はこの異世界を冒険者では無く、一般人として平和に生きたいから、冒険で得た金と生活費は別にしたいと常々考えていた。

 来月は反省して家計簿を付けてみようかな?


 けど、その家計簿を付ける為の道具が高価なんだよな。

 羊皮紙も高いけど、インクも高いんだよな。

 紙にいたっては、お貴族様や、士族様が使うだけで、庶民には基本的に流通していない。

 昔の識字率が低かった事が何となく分かる。

 あまり、街に出た事が無いからうろ覚えだけど、店の看板も『字』より『絵』が多かった気がする。



 そんな事を考えながら歩いていると、シーリンさんの部屋の木戸が開いてアンが見えた。

 『ベスがいない!』俺が不安になったのが分かったのだろう。

 アンが『だいじょうぶ』といつもより力強い青い瞳で声なき声で語ってくれる。

 アンが病室の方を指差した。


 病室を確認すればベスがベットの上で静かに寝ている。

 ベスのベットの位置が裏庭から確認しやすい位置に移動していた。

 しかしアルフィアさんも居るし、女性の部屋を覗くのは男的には嬉しいが人間的には申し訳ないので、一度確認した後は部屋をなるべく覗かないように心掛けた。



 俺はベスとアンを信頼して歩き続ける。

 今日も「シーリンさんに迷惑を掛けるからもう寝なさい。」と言うまでアンの監視……ゴホンッ……アンの無言の応援は続いた。

 アンが見ているのにみっともない姿を見せる事が出来ない俺はひたすら歩いた。


 それにしても、寝る前だというのに今日もシーリンさんは王女編みだ。

 朝になると綺麗にセットされているから、いつかは編み直しているのだろうけど……

 彼女は、なかなか、髪を下ろしたところを見せてくれない。



 夜中、誰ももう起きていない時間になるとネモが現れる。

 奴は今日も洗濯場の溜池から桶で水を汲んで丹念に何かを洗っている。

 何を洗っているか考えたくないが、暗い中、ご苦労な事だ。

 向こうから絡んでこない以上、こちらから絡むのは疲れるから無しだな。

 あの桶をシーリンさんに頼んで『ネモ専用』にしてもらわないとな。



 朝一番に鳴く鳥の声が聞こえる。

 そろそろシーリンさんが起きてくる時間だ。

 空はまだ暗い。


 なんだろう?

 起きているのに寝ている感じ。

 寝ているのに起きている感じ。


「おはようございます。」

 洗濯籠を持つシーリンさんの声で覚醒した。

「おはようございます。シーリンさん。」

「ユークリットさん。自分が使った桶は片付けて下さい。」

「いえ。シーリンさん。それを使ったのはネモです。今後その桶を何も聞かずに『ネモ専用』にして下さい。」

「桶をネモさんの専用にするのは構いませんが、理由は聞きたいですね。」

「シーリンさんに教えたら、俺がドカチーニさんに殺されかねないので聞かないで下さい。聞くならネモ本人に聞いてもらえると俺の命が助かります。」

「ふふふっ。ではネモさんに聞きますね。」

 久しぶりに恐くないシーリンさんの笑顔を見た気がする。

 これが嵐の前の静けさってやつにならない事を祈ろう。

 今朝もシーリンさんの王女編みには一糸の乱れも無く見事に整えられていた。



 ここからは灼熱の日中行軍から灼熱の戦闘訓練だ。

 今日も味は酷いが、海水を混ぜて作った簡易のスポーツドリンクを作っておくとしよう。


 いつものように晴れ渡った空だ。

 あまり気にした事は無いが、朝夕の時間だけは不死山ふじさんも裏庭から見える。

 綺麗な山だ。

 テレビや写真で見た現代日本の富士山とそっくりだな。

 今日も天気は良いだろう。

 雲は空にあまり浮かんでいない。

 太陽が雲に隠れる事は少なく『ボーナスタイム』は多く望めない。

 今日も1日暑くなるだろう。


 簡易のスポーツドリンク風の飲み物でも多少の熱中症予防にはなるはずだ。

 今のうちに空いた水袋へと作れるだけ作っておこう。

 重さが増えるよりも水の方が大事だと先日の日中行軍は俺に教えてくれた。

 洗濯場の溜池の水に手を出す前に、海の水で済ませたい。

 どちらが綺麗な水なのかは俺には判断出来ませんが。


 

 シーリンさんが洗濯を始めたところで俺も休憩に入る。

 ここから日の出までのわずかな時間が俺の休憩時間だ。

 全力で飯を食らい、寝る。

 体感時間で言うと、相変わらず、寝るのに3秒、寝て1秒だ。


 ドカチーニさんに日の出と共に起こされると、シーリンさんは既に洗濯場から居なくなっており、代わりにマリーがいつものように足りない背で必死に洗濯物を干していた。



 俺は装備の確認をして行動食の補給をベルトポーチにするとすぐさま日中行軍へと移った。

 実際、寝て起きたばかりなのに、すでに重度の寝不足だ。

 歩き始めて間も無く、眠気が襲ってくる。

 『マリーが花に水をやっている』とぼんやりと感じた。

 ぼんやりとしたところで行動食の干し肉をかじり、眠気を少しでも覚ます。


 今日も暑いが白いシーツが存分に日よけの役目を果たしてくれている。

 黒の装備は夜は良いが昼はだめだ。

 これから先も、昼に行動するなら白い外套もブーツと共に用意しないといけないな。



 病室ではこちらの方を向きながら、ベスとアンが魔力無しで右手を動かす訓練をしている。

 お互いに声を掛ける事は無いが、気持ちは通じ合っている。

 1周する毎にお互いの目と目を合わせる事だけは忘れない。


 隣のベットでアルフィアさんのリハビリを手伝っているネモは目に入れない。

 くそう。

 現在俺ヒロインランキング暫定1位のアルフィアさんの御御足おみあしにあれだけ密着するとはうらやましい。

 脳は見たいものしか見ない。

 脳は見たいものしか見ない。

 大事な事なので2回、自分に言い聞かせてネモの存在を頭から消去する努力をする。


 今日は奴の嫁が病室に居ない分、2人の楽し気な会話も聞こえてくる。

 脳は聞きたいものしか聞こえない。

 脳は聞きたいものしか聞こえない。

 大事な事なので2回、自分に言い聞かせる。



 ネモなんて奴は存在しない!



 槍を持つ左手部分の鎧がシーツから出ている為、どうしても熱くなる。

 その熱を利用して、桶に『ネモせんよう』と大きく焼き印を入れてやろうとした。

 鎧は木に焼き印が出来るほど熱くなっていると思ったが、そこまで熱くは無かったようだ。

 仕方が無いので所持した小刀で1周する毎に少しずつ恨みを込めて桶へと字を彫っていく。

 やがて桶には『ネモせんよう』の文字が彫られた。

 桶の事はこれで少しだけ安心だ。

 駄目だ!

 結局俺は奴の事を考えてしまっているでは無いか!!



 桶に恨みを刻み込む事が良い気分転換と休憩になったのだろう。

 順調に行軍時間が終わり、いつの間にか昼食の休憩時間となった。

 ベスとアンの無言の応援は俺へと魔力以上に力を与えてくれる。

 2人もやる事は違っていても一緒に頑張っている。

 2人の居ない灼熱日中行軍に比べれば、やる気が天と地の差があり、今日は正直楽だった。



 昼食時の休憩時間。

 前回と同じく、全力で飯を食らい、全力で寝る。

 再び体感時間では、寝るのに3秒、寝て1秒。

 時間がくればドカチーニさんは俺を起こして、午後の槍の訓練を始めさせる。



 訓練場の木人形を病室に居るベスとアンが見える所に移動させてから俺は槍を突き始める。



 今日は昨日のイメージを浮かべながら木人形を実際に突く。

 突きを繰り返す中で他の案が出てく来たら、それを試し、検討を重ねる。

 正解が分からない、試行錯誤。

 そんな中でも二人が見ていてくれる限り、俺の気力は続く。


 確証は無いが俺もネモも魔力は無い。


 あるかも知れないが、今のところ俺自身で魔力を作り出せていない。

 だが、俺の気力はベスとアンが作り続けてくれている。

 俺は『魔力も気力もベスとアンにもらうのかよ』と心の中で苦々しくも嬉しく笑う。



 槍を突けば突くほど、上達している確信が無くなっていく。

 正解が分からず、試行錯誤の失敗ばかりが積み重なっていく。

 自分が失敗だと思っている事が、本当に失敗なのかも分からない。


 だが、重い荷物が時間差で移動する事には慣れた。

 本当に無理矢理筋力で止めるのが一番だ。

 達人になればもっと違った方法があるかも知れないが、今の俺にはこれがベスト。

 会心の突きは少ないものの、荷物に振り回される事無く突く事が出来るようになった。


 今日は俺がどれだけ正確に槍を突けるのかを試している。

 木人形には槍を突いた後が当然残る。

 木人形の胴体部分全体に槍を突いた跡が広がって残っている。

 それだけ俺が一点を突けていない証拠である。

 まだ槍を突くフォームすら定まらない。

 俺は『自分に合ったフォームを探す事は陸上競技と同じだな』と思いながら槍を突く。



 いつしか、俺はベスやアンの事も忘れて槍を突く事に集中していた。



 再び昼と夕方の境の休憩を迎える。

 どうやらこの時間くらいにシーリンさんとマリーが洗濯物の取り込みや花への水やりを行うようだ。

 俺がやる事は全く同じ、全力で飯を食らい、全力で寝る。

 ドカチーニさんに起こされて、夜間行軍の開始。



 アンが寝るまで俺の事を無言で応援してくれる中、夜間行軍を続ける。

 途中、ベスの寝顔を一度だけ確認する。

 二人が居れば、俺の気力は常に満タン。

 眠さもマックスだが気力もマックスのハイテンションだ。

 もう自分でも何を考えているのか良く分からない。



 シーリンさんが部屋の木戸を閉める時に確認した髪型は今夜も王女編みだった。

「髪の毛を下ろした姿が見たいです。」

 と寝ぼけた事を言った瞬間に俺の脳みそが恐怖で覚醒した。

 『やばい。本音が口から漏れ出た。』

 俺の脳内に警報が鳴り響く。


 そんな俺の脳内警報を打ち消すように、シーリンさんは少し悲し気な笑顔で答えてくれた。

「髪を下ろしたわたしを見て、それでもお嫁に貰ってくれるのならいつでも下ろしますよ?」

「私にはそこまでの覚悟は無いのでやめておきます!」

「そうですね。それが賢明だと思いますよ。おやすみなさい。」

「おやすみなさい。」

 シーリンさんが木戸を閉める。



 俺は『シーリン笑顔マイスター』を自称する男。

 彼女が何か深い悲しみを髪の毛と共に編み込んでいる事だけは分かった。

 それにしても、シーリンさんの髪を下ろした姿を見れるのは旦那様だけか……


 それはそれで二次元スキーとしてはキャラ設定的に萌えるモノがある。

 だがシーリンさんと結婚した後、俺が土下座で謝り続ける妄想しか思い浮かばない!

 しかも、彼女の両隣には、ベスとアンが腕を前に組んで一緒になって怒っているぞ?

 俺がひたすら3人に土下座し続ける妄想しか浮かばないのは結婚相手として大問題だよな?



 苦しくても楽しみがあった時間は終わった。

 アンが寝てからが本物の夜間行軍の始まりだ。

 辛く苦しいだけの一人旅。

 途中、ネモがいつもの洗い物をしているが、脳へ行く情報を遮断する。

 絶対確認したら後悔するものは、最初から見えない事にする。


 俺の彫った『ネモせんよう』の桶を使ってくれているようだな。

 よしよし、一安心だ。

 いかん!

 結局は奴の事を考えてしまっているではないか!!



 徹夜の行軍は続く。

 起きているのに寝ている感じ。

 寝ているのに起きている感じ。

 再びこの不思議な感覚を体験する。


 そして、鳥の声が聞こえる時間にシーリンさんに挨拶をされて覚醒。

 一日の終わりと始まりが一緒にやってくる。



 他にも色々あったが、こんな感じで俺の訓練は最終日まで続いた。



 いつの間にかドカチーニさんが俺を起こす時にしか裏庭に居なかった事に気付かなかった。

 ベルガーさんを裏庭で見る事が一度も無かった。

 あのヒトは満月の夜以外に斡旋屋の建物から出る事があるのだろうか?

 さすが『引き籠りの熊さん』と周囲のヒト達から言われるだけの事はある。


 この事は地獄の訓練が終わって、我に返ってから気が付いた事だった。



 俺はこの訓練で無我の境地に達した気持ちだったが、無我の境地は遥か先である事をこの先の異世界人生で何度も味わう事になる。




 訓練は終わりでは無かった。

 最後に『卒業試験』という名の試練が俺を待っていた。

 いつも私の拙い妄想しょうせつを読んで下さりありがとうございます。


 本日初めて予約掲載設定をしてみました。

 上手く出来たでしょうか?

 楽しみでもあり不安でもあります。

 この後書きを自分でも見られる事を祈って。


 いつもと同じ挨拶にはなりますが、

 毎日更新する度にアクセスして下さる読者様、

 余暇が出来た時に一気読みして下さる読者様、

 タイトルとあらすじに釣られて試し読みされる方、

 全てのアクセスして下さる皆様に『やる気』燃料をいただいての毎日更新です。

 日頃よりのアクセスをありがとうございます。


 番外編の時は、その日に考えて、その日で書いて、その日が掲載日なので無理ですが、

 せめて本編の時くらいは先日の内に仕上げて予約掲載で時間を揃えたいと思います。

 努力目標ですが。


 色々と足りない未熟者ですが、今後も末永くお付き合いを頂ければ幸いです。

                            2018/10/16 何遊亭万年

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