地獄の6日間・日中行軍から戦闘訓練編
太陽が東の空から昇ってから1時間。
最初はマリーが洗濯物を一生懸命背伸びしながら干したり、花壇に水をやるのを見てそれなりに楽しかった。
だが彼女が仕事を終えて居なくなると次第に暑さを感じるようになってきた。
これから俺は夜の行軍が天国だった事を知る事になる。
暑い。
俺は今、灼熱地獄に居た。
特に黒で塗られた左腕の鎧はすでに太陽の熱を吸収してそろそろ目玉焼きを作れそうだ。
裏張りしてある皮のおかげで火傷をする事は無いが、表の金属部分に触ったら危険だ。
黒の貫頭衣。
これも今はまだ海水を含んでいる分、温かいで済んでいるが、乾いた後は俺を更なる地獄へといざなうアイテムとなるのは必至だ。
暑い。
既にドカチーニさんは裏庭に出来るわずかな日陰へと移動して安楽椅子の上で就寝中だ。
『おいあんた。自分の仕事はどうした?』
と言ってやりたい。
面と向かって言えませんが。
この灼熱日中行軍。
ドカチーニさんの監視が無い今、いつでも俺はさぼれるはずだった。
だが俺にはさぼれない理由が出来ている。
この暑い陽射しの下で裏庭をベスとアンが歩いている。
俺は「裏庭は暑いから廊下を歩きなさい」と言ったが、ベスも「シーリンさんから麦わら帽子を借りました。暑さ対策もしています」と言って譲らない。
アンだって首を縦に振って同意の意志を示している。
膝まで隠れる白の貫頭衣が麦わら帽子も合わさって、後ろ姿が避暑地に遊びに来たお嬢様のワンピースに見えるじゃないか!
ベスの膝まで伸びた真っ直ぐな金髪、同じくアンの膝まで伸びたふわふわの金髪。
どちらも後ろ姿は本当にそれぞれがそれぞれの魅力を放つようになった。
これで杖を使って歩いてさえ居なければ最高だ。
杖?
2人が杖を使っているとは言え、1人で歩いているのか!?
そうか。
俺に一人で歩く姿を見せたかったのだな。
フィーナさんの回復魔法を受けてからの2人の回復には目を見張るものがある。
ここからは直接見えないが、診療所のフィーナさんに礼をして、俺は地獄の行軍を続けた。
3人がそれぞれのペースで歩く。
歩くスピードには当然、差が出る。
一応俺がダントツで速い。
2人が一周する間に何周するか数えるのも面倒なくらいの差だ。
次がアン。
ベスはアンからも少しずつ遅れていく。
アンが心配そうにベスを振り返る。
その度にベスは炎が宿る赤い瞳で『先に行け』とうったえる。
お互いがまるで約束したように、無言で歩き続けた。
それでも俺には『2人がただそこに居るだけ』で気力が幾らでも湧いてくる。
2時間ほど3人で歩いた頃だろうか。
「そろそろおやつを食べてこい」と言おうとしたところで変化が起こった。
ベスが突然倒れた。
俺は焼けた左腕の鎧を右手が火傷をするのも構わず無理矢理外すと、背負った荷物を下し、ベスを抱えてフィーナさんの診療所へと走った。
扉の前にいるマリーへ「急患だ!」と言って診療所へと押し入る。
熱中症を心配した俺だが、フィーナさんの診断は事態がそれ以上に深刻なものだと告げる。
ベスの魔力はこの短時間で枯渇していた。
ベスの命に危険が及ぶ可能性を否定できない程。
体格的にはアンの方が少し身長は高いが、どちらも痩せすぎなのは変わらない。
だが、ベスは一般的な子供と比べても圧倒的に保持できる魔力が少なかった。
フィーナさんに「今回はもう命に関わる事は無いから」とお墨付きをもらい少し安心した。
ベスをアルフィアさんの隣のベットで寝かせてもらう事にして行軍へ戻ろうとした時だ。
俺の目が有り得てはならない光景をとらえた。
ベスの事で俺の頭がいっぱいになっていて今までは目に入らなかった。
だが今はうらやましくて血の涙が出そうな光景を俺は目にしている。
俺はネモとは違い血の涙を流す事を実際には出来ないが。
ネモが背広姿でアルフィアさんのリハビリを手伝っているのだ。
あの赤子のように柔らかい脹脛を、奴が抱えて二人タイミングを合わせて動かしている。
楽しそうに会話をしながら!
現在アルフィアさんは動けないだけで、この異世界で唯一のまともなヒロインだぞ?
ぽっちゃり系ヒロインの茶汲み娘さんは親衛隊の爺さん達に護られていて手が出せない。
他に俺の周りには少女3人と老婦人、他は見た目は笑顔中身は魔人しかいないのだぞ?
右手で2人を指差しながら「どういう事ですか?」とフィーナさんに聞くと、逆に俺がフィーナさんに捕まった。
火傷で水ぶくればかりとなった右手をガッチリとつかまれる。
「あらあら。ひどい火傷ね。治しておきましょう。火傷は恐いのよ?」
てのひらの火傷は一瞬で治った。
水ぶくれが跡形も無く消え去っていた。
「あらあら。回復魔法が良く効くわね。そんなに強く掛けたつもりは無いのに、跡も残らないわ。魔法が良く効く体質なのかしら?」
その質問にはお茶をにごしておく。
そうこうしているうちにアンが治療院にやってくる。
「アン。ベスの事を頼むな。」
アンは1回だけ力強く首を縦に振って、気合を入れていた。
俺は地獄の行軍に戻る。
これ以上、隣のアルフィアさんとネモのイチャイチャを見ていられなかった訳じゃ無いんだからね!
ヒトを憎しみで殺せたら……
ネモ1人で良いですから……
部屋から出てきた俺の顔を見て、一瞬マリーが『ビクッ』っと反応した。
裏庭に帰って一番困った事は、この目玉焼きが焼けそうな左腕の鎧だ。
こいつの周りの空気が揺らいで見える。
きっと『呪われた装備』はこんな風に見えるのだろうな?
このまま自分の左腕に装備する事はためらわれた。
槍の石突に引っ掛けてとりあえず、溜池へと突っ込む。
腕鎧が「ジュゥゥゥゥ」と水で冷える良い音が聞こえる。
どうせ海に落ちているんだ。
手入れは後でしっかりするとして、今は金属部分の熱を冷ます事が優先だ。
左腕の鎧をなんとか再び装備する事が出来た。
しかし、このままではすぐに熱くなるだろう。
その時、閃いた!『ベットのシーツは白い』一度、自室に戻りシーツを体に巻いた。
マントとまでは行かないがこれで黒い部分への直射日光を避けられる。
効果は思った以上に現れた。
暑いは暑いで変わらないが、左腕の鎧が目玉焼きが出来る程は熱くなっていない。
唯一、槍を持つ手の部分は熱くなっているが大分改善された。
黒い貫頭衣もシーツに隠れて熱の吸収をやわらげている。
これならまだ行けそうだ。
ベスが倒れるまで歩きぬいたんだ。
俺がやらないでどうする?
行動食とした干し肉をかじりながら歩き続ける。
水の補給も昨夜に比べて頻度が増す。
腰に下げた水袋の取り外しもそれなりに上手になり、水を飲むのが楽になった。
日中行軍にわずかだが余裕が出来てきた。
後から考えれば『余裕が出来た』それが地獄の二丁目へと続く、鍵となった。
余裕が出てくると周りが見えるようになってくる。
この炎天下、日向を延々と行軍させられている俺、数少ない日陰を選んで安楽椅子で寝ているドカチーニさん。
許せますか?
許せませんよね?
ちょっとだけ石突で小突いて驚かせて起こしてあげましょう。
何ですか?
良く考えろ?
頭がおかしくなっているから止めろ?
私の頭がおかしいと仮に言うならばですね。
おかしくさせた張本人がここにいるのですよ?
ヤらない方がもっと頭がおかしいですよね?
これまで槍を突いてきた訓練と違うのは背負った荷物の重さと槍の向き。
そして一番邪魔になるのは日よけマント代わりの白いシーツ。
右手も穂先に気を付けて握らないとな。
シーツを巻いたまま槍を構えようとすると切れ間から左腕だけを出す形になる。
この状態でどこまで再現出来るか分からないが、いつもの訓練通りの動きを再現する。
大丈夫。
俺の頭はまともに思考している!
突き過ぎず、それでいて届かない事が無い距離でドカチーニさんの腹筋目掛けて突く。
その瞬間。
ドカチーニさんの右手が別の生き物と思うほど素早く正確に力強く、俺の突いた槍をがっちりとつかんだ。
突いた槍を横からつかむのだ。
この漢は真剣白羽どりの槍ヴァージョンのような達人の動きを軽々とやってのけた。
槍を引こうと踏ん張るが、つかまれた位置からピクリとも槍が動かない。
ドカチーニさん、あなた安楽椅子に座っているはずですよね??
明るい所から暗い所を見ているせいですよね?
白目と黒目の位置がまた逆転していますよ?
空気が揺らいで見えるのは、この暑い地面のせいですよね?
おかしいですね?
そこは日陰だと言うのに空気が揺らいで見えますよ?
そうか!
夢だ。
これは夢だ。
俺、頭がやっぱりおかしくなっていたんだ!
「そうか。そうか。そろそろ一つ戦闘訓練も欲しくなったか?よし一つ稽古を付けてやろう。何、心配するな。ただの稽古だ。俺も片腕だけで戦ってやるよ。」
「あんた。最初から片腕だよな!」
思わず、敬語を忘れて突っ込みを入れてしまった。
安楽椅子から立ち上がったドカチーニさんが地面に転がっていた木材を手に持つ。
安楽椅子の後ろから出てきた物はドカチーニさんが持つ瞬間まで、俺は木刀とは認識出来ていなかった。
『それは木刀というにはあまりにも大きすぎた。大きく。分厚く。重く。そして大雑把すぎた。それはまさに木塊だった。』
ぎりぎりセーフかアウトな大剣の説明文が再び脳裏に浮かぶ。
「さあ!始めようか!身体強化魔法同士によるとんでもねえ戦いってやつをなぁ!」
ドカチーニさん『00』見ていましたか?
そのセリフはわりとぎりぎりですよ?
それと俺には身体強化魔法は使えませんから。
本来はちょっとだけ筋肉量に自信がある普通の陸上競技選手です。
「何、心配するな。死ななければフィーナが治してくれるさ!」
天高くと錯覚するほど振り上げられた木塊が頭上から降ってきて地面を叩く。
本能がわずかに反応して一歩下がることが出来た。
足元を凄い衝撃が走る。
今、揺れましたよね?地面が揺れましたよね?
「お?避けたか。今の足運びはなかなか良かったぞ。」
「死にます!今のが頭に当たったら普通に死ねますよ?」
「安心しろ。フィーナは頭が半分以上ぶっ飛んだ奴を回復した実績もあるぞ。そいつの記憶も半分以上ぶっ飛んだがな!!」
記憶が飛ぶって、どういう意味ですか?
これ以上俺の頭を悪くさせたら日常生活が困りますよ!?
少しでも頭を良く見せようと敬語を使って会話している私の苦労を無駄にしないで下さい。
次にドカチーニさんがくるりと高速回転して繰り出した横薙ぎを槍の柄で受けてしまった。
死を感じた瞬間から時間がコマ送りで進む。
槍の柄は完全に折れて『俺も内臓がいくつか破裂するだろうな。あとはお願いします。フィーナさん』とあきらめたが、木塊は俺の体に触れたところでピタリと止まった。
まさに達人芸だ。
「俺も腕が落ちたものだ。本来ならば骨を一本くらい折る予定が、少し止めが早すぎたな。」
冗談ですよね?
完全に完璧なコントロールで『ピタリ』と止めたのですよね?
口角が上がりすぎて、ヒトの顔の形から大きく外れたドカチーニさんからは真実が見えてこない。
理想の動きが出来たから会心の笑みってだけですよね?
「よし。戦闘稽古終了だ。半刻の休憩の後、次は槍を突く訓練に入る。体を休めて置け。」
その言葉を聞くや、俺は左腕の鎧と背中の荷物を今度は日陰の地面に投げ捨てて、ベスの居る病室へと駆け出した。




