番外編24:シーリンの幼少時代
これはフィーナとマリーが斡旋屋へ引っ越してきた日の話。
第26部分『斡旋屋の新たな住人』で行われた荷馬車の上での昔話。
シーリン幼少の物語。
現在これから斡旋屋に引っ越してくる予定のフィーナさんの邸宅へと移動中です。
フィーナさんの住んでいる所は貴族の別邸との事。
どれだけの引っ越しになるか見当がつきません。
本当に引っ越し先が一部屋だけで済むのでしょうか?
口には出しませんが、少し不安な気持ちを持っています。
御者が館長、隣にフィーナさん、荷台にわたしとユークリットを乗せて荷車が行きます。
御者台に乗る二人が楽しそうにお互いが分かれて暮らした二十五年間の話をしています。
館長の話題はわたしの事が中心です。
顔が赤くならないように注意しながら耳を傾けます。
「シーリンに乳をあげるのが一番大変だったなぁ」
「あらあら。どうしてなの?」
「その頃はまだ斡旋屋を建築途中でな。俺も長屋暮らしだったのだ」
「それなら楽じゃないの? 一人くらいは乳が出る女性も居たでしょう?」
「長屋に乳が出るヒトは何人か居たけどな。俺の方に問題があったんだよ。あの頃は今ほど気持ちに余裕が無くてな」
「あらあら。そうなの?」
どうやら赤ん坊の時の話から始まるようです。
自分の記憶に無い事なので、どこまで本当かは分かりませんが、館長も苦労して、わたしを育ててくれたのだと思います。
館長は男なのでもちろん乳が出ません。
わたしには乳母が居て一緒に育った幼馴染の男が居ます。
いじめられてばかりいたので、名前も思い出したくない相手です。
「長屋の連中から見れば、俺は片腕を失った冒険者くずれの厄介者ってところだな」
「あらあら。そうなの?」
「正直恐れられていたと思う。ヒトに会っても挨拶はろくにしない。酒は昼間から飲む。暴力だけは振るわなかったが、いつ暴れる出すか分からない雰囲気は出ていたと思う」
「あらあら。そうなの?」
「しっかり聞いているのか?」
「聞いているわよ。早く次を話しなさいよ」
「あぁー。まあ良いか。そんな訳で俺は長屋でもどこでも孤立していた訳だ。俺は男で乳が出ないから牛の乳を飲ませていたのだが、シーリンの下痢が止まらなくてな。長屋の中は常にシーリンのうんちまみれだ」
「あらあら。それは大変ね」
自分の記憶に無い事ですから良いですが、わたしも一応は乙女です。
『部屋をうんちまみれにした』と言われて嬉しいはずがありません。
ユークリットが何かを話し掛けてこようとしています。
『何を話題にするつもりですか?』と笑顔で冷たい目線を向けてやります。
彼が口を閉ざしました。
機先を制したようです。
乙女に『うんち』の話題を振ろうとするとは本当に無神経な男です。
館長も館長です。
少し話題を変えさせましょう。
「館長。今日は不死山がはっきり見えませんね」
「今は夏だからなぁ」
「そうね。夏の間ははっきり見える事が少ないわね。空に溶け込むのよ。不思議よね?」
話題そらし成功です。
ユークリットが何かをしゃべろうとしていますが、今回は自分で口を閉ざしました。
「それよりも、その後はどうなったのかしら?」
「片腕で赤子を育てている俺を見て一人の子持ち女性が声を掛けてくれたのだ」
「どんなヒトだったの?」
「周りからは『肝っ玉かあさん』と呼ばれているヒトだったよ。ふくよかな女性だった」
「まぁ。ちょっと気になる発言ね」
「そうか? そのヒトが『あたしゃ乳が良く出るから、その娘もあたしの乳を飲ませてやるよ。ただしあんたが酒をやめたらだけどね?』とまあこう言うのよ」
「それで? あなたは酒をやめたの?」
「あぁ。やめた。牛の乳は赤子に良くない事を知ったのも彼女から教わった事だ」
「そうね。牛の乳は赤子には良くないみたいね」
「そうみたいだな。シーリンも今は冒険者になれる程の身体強化魔法を使えるようになったのだが、昔は全く駄目だったな。遊びで木から落ちた時は酷い怪我をしたものだ」
思い出したくない事を思い出してしまいました。
あれはわたしが登ろうとしたのではありません。
わたしは「怖いから無理」と答えたのを、あの名前も思い出したくない幼馴染が、無理矢理登らせたのです。
その時に右側頭部に大きな裂傷を負いました。
館長が自分で縫ってくれたのですが、今でも醜い傷跡が残っています。
見事にその部分は禿げています。
わたしが毎日髪を編み込んでいるのはこの傷を隠す為です。
「その怪我がな今でも………」
「館長。のどから直接息をすると気持ち良いそうですよ? 声が出なくなりますが」
「うむ。そうだな。まだ声は出したいからな」
「あらあら。そうなったら、あたしが治すから問題ないわよ? それでどうなったの?」
「怪我して俺が治療したんだよ。転んでばかりいたシーリンが良く成長したものだ」
「そうなの? シーリンちゃんはとても機敏そうに見えるわ」
「いつ頃からだったかな? 『冒険者になる』と言って訓練を始めたのは?」
「斡旋屋が出来てからです」
「そうだ。そうだ。斡旋屋の裏庭で一人で訓練を始めたんだったな。まだちっちゃいのに」
「あらあら。そうなの?」
はい。
そうです。
その頃のわたしは一人ひたすら訓練をする日々でした。
当時六歳だったわたしは自分に付いた仇名の『二口女』と呼ばれるのが嫌でした。
その名付け親が名前も思い出したくない幼馴染です。
ぱっくり割れた傷の縫い跡が閉じた口のように見えたからだと思います。
そいつが『二口女』と言い始めると周りも同じ仇名を口にしだします。
当時「シーリン」と名前で呼んでくれるのは『館長』と『肝っ玉かあさん』だけでした。
肝っ玉かあさんは本名で呼ぼうとすると「あたしゃ『肝っ玉かあさん』と呼ばれる方が好きなんだよ」と豪快に笑うので、わたしは彼女を『肝っ玉おかあさん』と呼びました。
母が居なかったわたしにとっては彼女が母親に思えて、他のヒトとは少しだけ違う名前で呼んでいました。
この密かに思っていた事は未だ誰にもしゃべった事がありません。
「あの時はシーリンが裏庭の小石と言う小石を海に投げてくれたおかげで訓練場としても良い感じに整備されたんだよな」
「あらあら。そうなの?」
「今では『投擲魔法』を使っているのでは無いかと言うほどの達人だぞ」
「あらあら。そうなの?」
「お盆………」
ユークリットが先程の事で何か言いたそうですね。
魔壁蝨を見る目で笑いかけてあげましょう。
良い子ですね。
また口を閉ざしてくれました。
「なぁシーリン。お前は投擲魔法を使えるのか?」
「いえ。使う必要性を感じていないので使いませんね」
「それは使えると言う事なのか?」
「考えた事も無いですね。使う必要性を感じませんので」
「そういえば、いつからシーリンちゃんは魔法を使えるようになったの?」
それは幼馴染の一派と会わないようにする為です。
会えば「二口女」と莫迦にされます。
向こうが気付くより早く見つけられるようにと思っていたら遠視の魔法が手に入りました。
遠くからだと気付かれる事が分かると一派は建物の陰に隠れて現れるようになります。
隠れている一派が分かるようになるために気配感知の魔法が手に入りました。
子供の頃は角を曲がる前に一派が居るかどうかを確かめるくせが付いてしまいました。
それだけ索敵をしても突然あの一派に出くわす事もあります。
そこから逃げたい一心で跳躍魔法が手に入りました。
ここまで来ると相手もむきになります。
斡旋屋の前で待ち構える一派から身を隠す為に気配を消す魔法が手に入りました。
魔法を全てを手に入れるのには数年の時間が掛かっています。
幼い頃は自分に魔法使いとしての自覚はありませんでした。
当時のわたしは『自分に必要だから魔法は手に入るもの』だと思っていたのです。
「俺が最初に感じたのは六歳か七歳の頃だな。えらく遠くの物まで見えるんだよ」
「あらあら。それはもう天性の魔法使いね」
「メイリンも魔法使いだったし、間違い無いだろうな。しかし、覚えたのが捜索系が主だ」
「あら。良いじゃないの。小隊に一人いると便利よね」
「シーリンの冒険者としての需要は高いな。俺としてはいつまでも斡旋屋にいてくれるのが嬉しいけどな」
「そうなのね。でもそろそろ本気で婿を取るべきでは無いの? あなたも若くないわよ」
「あぁ。それは考えているが、俺より強い奴で無いと認めんな!」
「あらあら。それはお婿さんも大変そうね。ユークリット頑張ってね」
「本当に勘弁して下さい。命が幾つ有っても足りません!」
「あなたがドカチーニに挑むなら何度でも怪我を治してあげるわよ?」
「本気で勘弁して下さい。お願いします!」
この男はすぐに土下座をしますね。
今も荷台の上でフィーナさんに土下座状態です。
しかし、ここまで拒否されるのも少し腹が立つものですね。
後で何か仕返しを考えて置きましょう。
どうやらわたしの笑顔にユークリットが怯えていますね。
この男はわたしの心の内を読むのが上手いのでしょうか。
わたしの機嫌が悪い時の笑顔で彼はきちんと黙ってくれます。
わたしの幼少期は一人で訓練を繰り返す日々でした。
遊び仲間は居ません。
むしろ遊び仲間から逃げています。
十三歳を過ぎた頃から名前も思い出したくない幼馴染が裏庭をこっそりと覗くようになります。
わたしは気付いた時も完全に無視してやりました。
名前も思い出したくない幼馴染が裏庭に入ってきたら話は別でしたが。
建物の陰からじっとわたしの訓練を覗くだけなので放っておく事にしました。
名前も思い出したくない幼馴染の事よりも、十五歳までに冒険者へなるための能力値を試験で出せるようになる事の方が大切です。
「それで今は『肝っ玉かあさん』は何をしているの?」
「今はエドゥの城下町に居るはずだが、生死は分からないな」
「あら。手紙とかも無いの?」
「お前も知っているだろう? 街を越えて手紙を出すのは庶民には大変なんだよ」
「あなたから手紙代を出せば良いじゃないの?」
「おいおい。相手は『肝っ玉かあさん』と呼ばれた方だぜ。最初の手紙のやり取りで金銀を包んだら断られたよ。手紙が無いのは無事の証拠。何かあればこちらから手紙を出すってな」
「そう。それで手紙はまだ無いのね」
「ああ。無事である事を祈るだけさ」
また思い出したくない事を思い出してしまいました。
肝っ玉おかあさんがエドゥの城下町に引っ越さないといけなくなった時です。
あの名前も思い出したくない幼馴染から告白されたのでした。
「冒険者としても私生活でも俺の生涯の伴侶になってくれ」
確かこんな感じでしたか?
きっぱり、さっぱり、すぱっと、断ってあげました。
その後、引っ越しをするまでしつこく何度も告白してきましたが、その度にきっぱりと断り続けました。
自分が今まで何をしてきたのか忘れているのですかね?
男って不思議な生き物だと思います。
「シーリン。お前の幼馴染はどうしてる? 手紙とかは来るのか?」
「いえ。全く来ませんよ。元気に暮らしているのでは無いのですか?」
「そうか。お前の所にも無いんだな。それならば二人共無事暮らしているだろう」
「そうですね」
「エドゥの城下町は遠いわね」
「何。俺にとってのお前の家よりは遥かに近いさ」
「もう! そんな事を言っても三年も待たせた事は許さないわよ!」
なんか凄く悔しいです。
胸がもやもやします。
ユークリットが羨ましそうに二人を眺めています。
とりあえず彼には、次に馬車が大きく揺れた時によろけた振りをしてわき腹の急所に肘をきっちり入れておきましょう。
自然を装って肋骨の下辺りを突くのがわたしのおすすめです。
最近彼に八つ当たりしたいと思う事が多くなってきた気がします。
名前を思い出したくない幼馴染も幼い頃わたしに対してこんな気持ちだったのでしょうか?
見ていると『いらっ』となるんですよね。
なにやら遠くでメイド服の少女が叫んでいます。
フィーナさんが馬車を止めさせて降りて行きました。
きっとあの娘が新たな住人の一人になるのですね。
「マリーです。奥様のメイド長をしております」
しぶしぶ挨拶をする彼女。
フィーナさんの隣に彼女が陣取ると御者台の三人が仲の良い家族にしか見えません。
彼女は荷台にいるわたし達など存在しないかのように扱います。
荷台でこのいらいらをどうやってユークリットにぶつけようかと考えるわたしが居ました。
わたしの笑顔にユークリットが反応しておびえています。
自分で「いじめてくれ」と言っているようで良い反応です。
何もせずに少しだけ胸が晴れたので、しばらくは荷台で大人しく揺れている事にします。




