番外編9:斡旋屋の新たな住人(マリー視点)
正式にヤンゼン家のメイドとなりフィーナ様のお付きとして三年が経ちました。
フィーナ様の事も「奥様」と呼ぶようになって三年と言う事です。
私は「フィーナ様」と呼びたかったし、フィーナ様は「フィーナでよいわ」と言って下さるのですが、ヤンゼン家本家からの指示で「奥様」と呼ぶ事になっています。
本家からの言い掛かりを一つでも少なくする為にも「奥様」と私は呼びます。
今日、朝から買い物に出て、家に帰ってくると奥様が居ません。
普段お一人で出掛ける時ならばメモを書いた羊皮紙を置いていく奥様が何も連絡をせずに居なくなりました。
私は家の周りを駆け回り奥様を探し回ります。
ついにヤンゼン家が奥様を亡き者にする為に動いたのか?
最悪の事態をどうしても考えてしまいます。
そこに奥様が荷馬車をともなって帰っていらっしゃいました。
私は無事な奥様を見て心底ほっとします。
「引っ越しをするわ。すぐに準備して。それと挨拶はきちんとね。」
奥様は引っ越しをするために連れてきた業者にわざわざ挨拶するように言います。
しぶしぶ「マリーと言います。本日はよろしくお願いいたします。」と挨拶をしました。
御者台に乗って我が家に着きます。
奥様と一緒に三年間を共にした小さいながらも二人で暮らすには十分な広さの家です。
奥様は常々「いつでも引っ越しする準備は整えていてね」とおっしゃっていました。
どうやら今日がその日のようです。
ヤンゼン家はついに奥様からこの小さな家すら奪う事を決めたのでしょう。
奥様はその事をここに来る時から見通していたという事です。
さすがは奥様です。
「あたしの事は良いから自分の準備をしてね。」
奥様はそう言いますが、メイドとして「はい。分かりました」と声に出しても、その通りにする訳には行きません。
自分の支度をさっさと用意して奥様の手伝いをしないといけません。
皮の鞄の中はほとんどが着替え、後は少しばかりの身を整える為の道具だけです。
普段から準備するようにしていた為、すぐに自分の準備は出来ました。
しかし自分の支度を終えた時には、奥様も準備を終えておりました。
出発前に私が世話をしていた花々に奥様が別れの挨拶をしてくれます。
「あなた達も連れて行ってあげたいのだけどごめんなさいね。」
その言葉だけで私の心は満たされました。
次の引っ越し先でも奥様の為に花壇を造ろうと心に決めました。
引っ越し業者はあろう事か、私達に歩いて引っ越し先に行けと言ってきました。
荷馬車は自分達が使うと言うのです。
私は怒って文句を言おうとしたのですが、奥様はどこからみても冒険者風の男のマントをつまみながら歩き始めてしまいます。
「すまんな。お嬢ちゃん。俺は腕が一本しか無いからフィーナの分しか荷物を持てんのだ。自分の荷物は自分で持ってくれ。」
「はい。分かりました。」
答えを返しながらも頭の中が混乱しました。
貴族である奥様を呼び捨てです。
あんななりですが「どこぞの貴族がお忍びで?」と思う事にして後をついて行きます。
悔しい事に後ろから見る二人は、二人で居る事が当たり前のように自然でした。
奥様が一般庶民の出身であった事を思い出し、当時の恋人……知り合いかと推測しました。
二人は昔を懐かしむように逢引を楽しんでいます。
「迎えに来るのが遅いわよ?三年も待ったわ。」
「すまん。俺にも色々葛藤があったんだ。」
などと、まさに恋人の会話です。
思い出の場所では、奥様は後ろに居る私に必ず声を掛けて、昔の事を話してくれます。
奥様の昔話を聞けるのは嬉しいのですが、それゆえに隣の男が『邪魔だ』という気持ちが自分の中で膨れて行きます。
大きな橋を渡って港湾施設と呼ばれる所に来ました。
今まで住んでいた家からは良く見ていたところですが、来るのは三年暮らして初めてです。
大きな船が何隻も泊っている港をしばらく歩きました。
港にも様々な建物が建っています。
その中の一軒……と言ってもかなりの大きさの建物が引っ越し先との事でした。
引っ越し先では私は奥様と一緒の部屋に寝泊まりすると聞き嬉しさで溢れますがそれをそのまま顔に出すわけには行きません。
「奥様。私が奥様と一緒に寝食を共にする訳には行きません。ヤンゼン家のメイドとしてあってはならない事です。」
「そう?あたしはあなたと同じ部屋で暮らすのを楽しみにしているのだけど。それと言い忘れていたけど、ヤンゼン家から独立するわ。あの家に住めなくなるのはそういう事。しばらくは貴族年金で暮らすから節約もしないとね。だからヤンゼン家の規則に縛られないで良いわ。」
「奥様。ヤンゼン家からの独立おめでとうございます。」
私は、ヤンゼン家に代々世話になったとは言え今の当主は大嫌いだったので心から祝いの言葉を言う事が出来た。
「性はヤンゼンだけどね。それと奥様はもうやめてね。フィーナで良いわ。」
「分かりました。フィーナ様。失礼の無いようお部屋をご一緒させていただきます。」
心の中では喜びで一杯ですが、態度には表さないように注意します。
自室の準備が整ったら、廊下を移動して食堂の一番近くの扉をフィーナ様が開けます。
「ここが診療所になるわ。マリーにも手伝ってもらうわよ。」
「はい。奥様。」
奥様が両足を開いて軽く曲げた腰に両手を当てて眉を寄せながら言います。
「マリー。フィーナよフィーナ。今度、奥様って言ったら何か罰を受けてもらうわよ?」
「はい。奥様……あっ。」
「早速ね。では罰としてヤンゼン家への離縁状を書いてもらおうかしら。あたし苦手なの。ああいう貴族文章書くの。」
「任せて下さい。奥様……あっ。」
「もう。どんどん罰がたまるわよ。覚悟しておいてね?あたしは診療所の準備をするわ。」
診療所?奥様……フィーナ様が望まれながらもお布施の問題で開けなかった施設です。
ヤンゼン家との離縁もその為なのでしょう。
ヤンゼン家への失礼が無いよう完璧な離縁状を書きましょう。
足りない頭をひねりながら定型文を基本に作り上げます。
集中して考えていたので気付けば日が落ちつつありました。
奥様……フィーナ様が夕食の誘いにきました。
その時に私は自分の失敗に気付きます。
何も食事の準備をしていませんでした。
メイド失格です。
ですが、奥……フィーナ様は気にせず、一般庶民、むしろ野蛮人とも言える様なヒト達が集う食堂へと私を誘います。
酒の入った暴漢から奥……フィーナ様を護る為にそばに立って周囲を見張ります。
「お前も一緒に食べないか?」
「マリーも一緒に食べましょう。」
と奥……フィーナ様と昔の恋人と思われるヒトが誘ってくれますが、私は辞退しました。
対面に座る乞食のような子供は何者でしょうか?
二人は『メイドが主人と食べないのは当たり前』とばかりに、私の事を気にする事も無く食事を取っています。
「初めてシーリンちゃんの胸に触ったぞ!思った以上に小さかった!」
突然大声が上がって、周りもそれに合わせて大騒動です。
『これから騒がしい毎日になりそうだ』と小さな家で過ごした三年間を思い、気が落ち込みますが、奥…フィーナ様の楽しそうな姿を見て、これで良かったのだと思う事にしましょう。
フィーナ様の食事が終わり、自室へと戻ります。
私が作成した離縁状に目を通すとサインをして下さいました。
「よく出来ているわ。ありがとう。あとはヤンゼン家へ送るだけね。マリー覚えておいてね。遠くに手紙を、特に大切な手紙を届ける時には何通も用意して別々に送るのよ。何通も送って一通でも届けば良いようにね。そういう訳で、明日また……そうねあと四通用意してね。」
「はい。奥……フィーナ様。」
「今のはぎりぎりね。罰は無しにしておきましょうか。」
その笑顔を見られるだけで私は幸せです。
フィーナ様が就寝の後、私はこっそり部屋を抜け出して自分の食事を作りに行きました。
厨房に居たのは大きな熊さん。
昔々、まだ両親が居た頃、熊のぬいぐるみを欲しがった事を思い出しました。
「おう。ベルガーだ。よろしく。」
熊さんが挨拶をしてくれます。
ふさふさでつやつやな真っ黒な毛並みに思いっきり飛び込みたい気持ちを抑えます。
「はじめまして。マリーと言います。今後お世話になります。食事を作らせてもらってもよろしいでしょうか?」
「おれの作った賄いでよければ食べろ。おまえの分の料金はもうもらっている。」
「ありがとうございます。いただきます。」
いただいた食事は私が作るものよりも質素なのに何倍も美味しかった。
奥…フィーナ様と同室になって一番困る事が分かりました。
私の方が遅寝で早起きと言う事です。
フィーナ様を起こさないように部屋を出入りしないとなりません。
朝、昨日の洗濯物を集めて昨日熊さん……ベルガーさんに教えてもらった洗濯場で洗濯をしに行きます。
何とか、奥…フィーナ様を起こさずに部屋を出る事が出来ました。
奥…フィーナ様の朝食の時間までに洗濯を終わらせないといけませせん。
洗濯場で見た光景を私は一生忘れないでしょう。
私の育てた花々が植え替えられていました。
まるで魔法に掛けられたようでした。
少しだけ、ほんの少しだけ、私はこの野蛮人達を見直してあげる事にしました。




