企画か?異世界か?
初日の仕事を終えてドカチーニの斡旋屋へと帰還する。
1日湾岸施設で働き、色々と疑問が生まれ、聞きたい事も幾つか出来た。
ドカチーニさんは安楽椅子の上で昼寝中、シーリンさんに俺の疑問を答えてもらおう。
まだ、夕飯の時間には早いようで食堂に客は居ない。
俺も女性キャストと一対一で話が出来て一石二鳥とはまさにこの事だ。
「シーリンさん。ただいま」
「おかえりなさい。初仕事はどうでしたか?」
「色々と分からない事だらけでした。私の質問に答えてもらっても良いですか?」
「今ならわたしも暇ですから良いですよ。口の中が湿ると舌もなめらかになるのですが……」
まぶしい笑顔を少しだけ曇らせて答えるシーリンさん。
これは「飲み物をおごれ」と言っているんだよな?
俺は数少ない女性との会話知識を動員して空気を読む事に全力をかたむける。
数少ない女性と聞いて、俺の頭の中へと這いずり出て来る【幼馴染】は、いつものように記憶の扉の奥へと蹴り戻して鍵を掛けておく。
「何か飲みますか? もちろんおごりますよ」
「ありがとうございます。ベルガーさん果実水二つ!」
「あいよ」
カウンターの奥にある部屋から獣のような声が返ってくる。
きっと昼食を運んできた時に見た熊さんだと思う。
「果実水二つで二十文です」
まぶしい笑顔に戻ったシーリンさんが、さり気なく俺の分も注文してくれました。
これはシーリンさんの【優しさ】でしょうか?
それとも【営業】でしょうか?
心の中のつぶやきが思わず敬語になってしまいます。
今日一日この企画を体験しましたが【スマイル0銭】はありません。
20文で極上の笑顔をいただいたと思っておきましょう。
しばらくして果実水を持ってきたヒトは2メートルを超える熊さん……
「おれはベルガー。熊族だ。よろしく頼む」
「昼食ごちそう様でした。ユークリットと申します。よろしくお願いします」
「果実水だ。氷が溶ける前に飲め」
ベルガーさんに背中のチャックがあるかも気になるが、俺の心は果実水へと向かった。
この暑さに氷で冷やされた果実水が1杯10文は安いと感激。
たとえ【営業】だったとしても俺の分を頼んでくれたシーリンさんに感謝だ。
ふとドカチーニさんに「裏庭の倉庫は氷室だ。扉を無断で開けたら、お前の頭も開けてやる」と鬼のような顔で脅された事を思い出した。
この企画で未だに電化製品は一切見ない。
うまく隠しているのか?
倉庫を開けたら電気を使った巨大冷凍庫とかが出てくるのか?
そんなくだらない思考をシーリンさんが一声で吹き飛ばす。
「さて。何から話しましょうか?」
シーリンさんの小さめな唇が少し湿っていてセクシーだ。
小麦色の肌に桃色の唇が映える。
果実水1杯10文が、更に安いと感じる。
「これは本当にサプライズ企画なのですか?」
まずい『思わず本音が出てしまった』ドッキリ看板が出てきかねない。
「さぷらいず?」
シーリンさんの笑顔は全く変わらない。
このヒトはいつも素敵な笑顔をしているが、表情が動かない分、心中も読みづらい。
「すみません。さぷらいずの意味がわかりません」
上手く【ドッキリ!】を回避してくれたのか?
本当に【サプライズ】の意味が分からないのか?
とにかくこのシーリンさんが作ってくれた会話の流れには乗ろう。
「こちらこそすみません。記憶が混乱しているようです」
「さぷらいずとはどこかの方言ですか?」
「自分でも良く分からない言葉を口走ってしまいました。聞かなかった事にして下さい」
「そうですか? 【さぷらいず】と言う言葉は聞いた事が無いとだけ答えておきますね」
シーリンさんの鉄壁の笑顔はくずれない。
俺は果実水を一口含み、次の質問を続ける。
それにしても美味いなこれ。
果物は何を使っているんだろう?
この果実水はシーリンさんの事が無くても本当に10文は安すぎだった。
「お金の単位を教えて下さい。今日もらった給金は先日ドカチーニさんに服の販売した残りだともらったお金と全然違います。8両1分と510文。材質も単位も全然違います」
「そうですね。詳しく説明すると長くなるのですが両方ともお金です。簡単に言うと使っているヒトが違うって事ですね」
「どう違うのですか?」
「お偉いヒトが使うお金が両・分・朱で金や銀と言った貴重な金属で出来ています。文は比較的手に入りやすい金属で出来ていて庶民が使う銭です」
シーリンさんは、机の上にそれぞれの貨幣を置きながら、丁寧に説明してくれる。
「とりあえず、ユークリットさんはこちらを覚えて下さい」
机の上には、穴の開いた小さい銭、同じく穴の開いた大きい銭、大きな銭の穴に縄を通して銭の束になっているもの、3種類の銭を置く。
「小さいのが一文銭。大きいのが四文銭。束になっているのが通称で銭束と呼び百文です。」
あまり自信は無いけど江戸時代ってこんな通貨だったかな?
異世界企画に江戸時代を混ぜてきたか。
やるなゲームマスター。
「それと注意点を一つ。銭束はそのまま使えば百文ですが、縄からばらすと九十六文しかありませんから気を付けて下さい。四文は作ったヒトへの報酬になってますから」
なるほど、銭束の銭の枚数を数えてみたら本当に四文銭が24枚しかない。
四文銭と一文銭の違いも確認した。
俺としては、昔の日本と色々共通点があるのが面白い。
本当の異世界と思えるほどにクオリティーが高くて惑わされるが、そんな昔の日本的な要素がサプライズ企画のイベントなのだろうと安心する。
「ありがとうございます。銭束をばらして使う時には気を付けます」
「一応他の単位も説明しておきますね。お金の単位には両・分・朱・文とありますが、文と他の三種類は全く違うものです」
「お偉いヒトが使うとの話でしたが、全く違うのですか?」
「そうですね。一両は四分、一分は四朱と決まっていますが、文はその日の相場で少し変わります。目安としては一両で四千文ですね」
「日によって、文は価値が変わるのですね?」
「それほど気にしないで良いですよ。換金屋にでも行かない限り、街では一両は四千文として扱われますから」
「両・分・朱はどんな時に使うのですか? 一応私も持っているので気になります」
「そうですね。わたし達一般庶民が使うとしたら武具を買う時や教会にお布施を払う時、後は税金を納める時くらいでしょうか? そういう時に銭で払うと嫌な顔をされますね」
「説明ありがとうございました。全てとは言いませんが大体理解出来ました」
「そうですか。それは良かったです」
その後、極上の笑顔でシーリンさんが提案をしてくる。
「貴重品は盗まれる事もありますから大金は預けて置く方が安全です。ちなみに一日四文、一ヶ月まとめてならば百文で斡旋屋では貴重品の預かりもしていますよ?」
シーリンさんは営業が上手だなぁ。
質問するだけのつもりだったのにどんどん銭を使わされてしまう。
部屋の扉に鍵すら無い引き戸だ。
ここは素直に預けるべきだろう。
盗難イベントは起きて欲しくないが用意されているはずだ。
だよね?
ゲームマスター?
「1ヶ月契約でお願いします」
「はい。確かにお預かりします」
俺は、ベルトポーチに入っている8両1分と銭束3本を、シーリンさんへ預けた。
残りの銭を空になったベルトポーチへ入れる。
「引き出し、預かりは、わたしが居る時でしたら何時でもどうぞ」
「分かりました。よろしくお願いします」
分かりました。
その日稼いだ銭束は必ず預け入れしますからね。
これで毎日シーリンさんとの触れ合いの時間をゲットだぜ!
俺は話題を午後から現れた子供達へと移す。
今、最大の関心事だ。
俺の目には完全に子供への虐待と言える段階にしか見えない扱いだ。
サプライズ企画に現実味を帯びさせる為だとしたらやりすぎだと思う。
「午後から痩せた子供達が、通路の隅に座るようになったのですが?」
シーリンさんは顔色一つ変えることなく笑顔のまま質問に答えた。
「それは魔力売りですね」
「魔力売り?」
「成人前の子供は魔力が足りなくて仕事に就きたくても就けない事が多いので、自分の魔力を売って稼ぐ子達がいます。子供にも理由は色々あるとは思いますが、ほとんどが親が居ないとかで自分で稼がないと生きていけない子供達ですね」
異世界っぽさを出すのには良いけどやりすぎだよ? ゲームマスター!
見事な痩せ方にはプロ意識の高さを感じるが子供にやらせる事じゃない。
そんな事を考えて黙っているとシーリンさんは笑顔で続ける。
「荷揚げ屋は魔力切れで動けなくなる前に魔力をもらってもう一稼ぎ。子供は魔力を売って一稼ぎ。これを神の言葉でウィンウィンと言うそうです」
「ウィンウィンが神の言葉って……あと魔力切れで動けなくなるのは本当ですか?」
「はい。そうです。それは常識……の記憶を無くされていたのですよね」
「他の世界との記憶と混じっている感じで、この世界の常識が分かりません」
俺はさり気なく異世界人認定される為の言葉を入れてみるが、シーリンさんには華麗にスルーされた。
シーリンさんの笑顔にちっともひびが入る事は無い。
異世界人認定のフラグを立てる為には他に色々こなさないとダメみたいだ。
シーリンさんが笑顔のままで説明を続ける。
「魔力切れを起こすと命に関わるので、魔力の基本から教えましょう」
「魔力切れで命の危険ですか?」
「そうですよ。本当に記憶を無くしているのですね。魔力はヒトが動く為の燃料と言われています。主に食事を取ったり、睡眠をとる事で回復します。普通に生きているだけなら死ぬほどの魔力切れは滅多に起こしませんし、魔力切れを起こす前に疲れて動けなくなりますから、過度に心配しないで大丈夫ですよ」
「お腹が減っても睡眠不足でも人間は疲れて動けなくなりますよね?」
「ええ。魔力が足りなくなりますから」
「寝ないでいると眠くなりますよね?」
「体が魔力の補給を訴えているのです」
上手く生理現象を改変したものだ。
やるな。
ゲームマスター!
だが、港にいる痩せた子供はやりすぎだ!
半分は俺の怒りだと思う。
同じ事を何度も思ってしまう。
俺の頭から痩せた子供達の事が消える事は無かった。
この異世界企画そのものに俺が口を出せる訳では無い。
設定やイベントはゲームマスターが創るものだ。
こんなに素晴らしいクオリティーの異世界企画イベントだ。
まずは俺自身が楽しまないとな。
その為にも魔法があるかどうかを聞こう。
俺にも魔法って使えるのか?
「魔力があるという事は、魔法も使えるのですか?」
「魔力を自分の意志で特定の力として使う事を魔法と呼びます。全てのヒトが息をするように身体強化の魔法を使って動いていますが、受動的に身体強化をするのが普通です」
「全てのヒトが身体強化の魔法を使っているのですか。特別な使い方が他にあるのですか?」
「能動的に強力な身体強化を出来るヒトも居ますよ。港湾施設で働く男性の多くのヒトが、多かれ少なかれしていますね。その中でも館長が達人の一人です。ユークリットさんだって、常に全開で身体強化の魔法を使っているじゃないですか?」
「自分では意識していないのですが」
少し笑い声をまじえ、おどけて両腕に力こぶを作る。
「魔力の調整の仕方も忘れてしまったのか、ずっとこのままの体ですよ」
「魔力八十超えとは本当にうらやましいですね。平均男性の魔力量は簡易の魔力計で計ると三十から四十になりますね。簡易なものなので正確に魔力量は計れませんが」
やはり【握力計】だよな?
「女性の方はどうなっているのですか?」
「女性の魔力量は二十から三十ですね。女性は身体強化の魔法が苦手とされていて簡易の魔力計では低めに出ます。正確に計ると男性は減少、女性は増加する傾向があります」
ますます【握力計】だよな?
一日この場所で過ごして俺には少し迷いが生まれてきている。
企画物の異世界にしてはヒトも物も造り込みのクォリティーが高すぎる。
万が一、本物の異世界だとすると、日本的な要素が多すぎると思う。
だが港湾施設に居た【子供達】が、演技をしていると、俺にはどうしても思えない。
ここがクオリティーが高すぎる企画か、本物の異世界か、俺には本当に分からなくなった。
どちらだとしても俺の魔力はどうなっているのだろうか?
魔力が筋力へと変換されている設定なのだろうか?
身体強化の魔法は誰でも使えるとの話だ。
魔力がそのまま筋力へと変換されても、そんなにおかしくは無い。
もしそうならば陸上十種競技をやっていて本当に良かった。
それとも筋力自慢の俺に合わせたサプライズ異世界企画?
だからこその魔力イコール筋力なのだろうか?
この異世界が、企画だとしても、本物だとしても、魔力イコール筋力ならば、俺が夢にまで見たあれが出来る可能性がある。
企画でも本物でも異世界ならばやりたいじゃないか【異世界無双・俺無双】を!!
少し妄想の世界へと飛んでいた俺にシーリンさんが加えて説明を再開する。
「女性は身体強化の魔法のかわりに、魔力補給の魔法が得意なのですよ。この魔法も個人差がありますから女性が得意というのは目安ですね。港に居た子供は男女の見分けがつきにくかったでしょう? 同じたすき三本ならば少しでも多く魔力を受け取りたい荷揚げ屋に自分が女性と思わせる為の工夫ですよ」
確かに、港の子供は全員が痩せていて長髪で男女の区別は俺には付かなかった。
「結局は魔力補給を一度受けると、その子の魔力量が分かってしまうので最初の客にしか効果が無いのですが」
シーリンさんにしては珍しく、いたずらっぽい笑顔で聞いてくる。
「ここに二つの飲みかけの果実水があります。同じ値段ならどちらを選びますか?」
「シーリンさんの飲みかけです!」
俺は思わず力いっぱい叫んでしまった。
そこに思考は無かった反射だけがあった。
そんな俺の行動にもピクリとも笑顔を崩さない。
「例えは悪かったですが、そういう事です。同じ値段なら価値の高いものから売れます。ユークリットさんが何に価値を付けてくれたのかは気になりますね?」
分かっていて、言っているんだろうな。
こういうのを蠱惑的な笑顔と言うのかな?
俺の飲みかけに価値はありませんがシーリンさんの飲みかけには付加価値が付いています。
他人には価値が無くとも、俺には確実に価値がある!
「あら。氷が溶けてしまいましたね。少し長く話し過ぎたかしら?」
「ベルガーさん。果実水をもう一杯お願いします。シーリンさんの飲みかけは勿体無いので私が胃の中に処分しておきますね」
「ありがたくいただきますね。ですが、わたしの飲みかけをユークリットさんが飲む必要は無いのですよ?」
「私は食べ残しや飲み残しをするのが苦手でして」
俺の言葉に嘘は無い。
俺は飲食物を残す事が嫌いだ。
命をいただいているのだ。
少しだって無駄にしたくない。
だが、いつもの残飯以上の価値がこの飲みかけの果実水にはある。
いや、比べる事すらおこがましい!
笑顔で飲みかけを渡してくれるシーリンさん。
俺は酒を飲めないので付き合いで行った事しか無いが『お姉さんがお酒を注いでくれる店に行くとこうやってお金を搾り取られるのだろうな』と思った。
新しい果実水が届くのと同時に1人の男性客が食堂に入って来た。
当然のように俺の隣に座り、シーリンさんと会話を始める。
と言うより男が一方的にシーリンさんに話を続けた。
俺がシーリンさんに話掛けようとすると腰に差したナイフに手を掛ける。
ナイフは本物か? 偽物か? 小道具1つ取っても俺には実物と見分けがつかない出来の良さ。
わずかに見える刀身からは生き物を殺す為に造られた武器の凄みが伝わってくるようだ。
「街中で武器の携帯は認められていますが、この店で抜いたら出入り禁止ですよ?」
シーリンさんが一応釘を刺すが、男性が武器に手を掛けて俺を威嚇する事はやめない。
男性は刀身の角度を変えて、光の反射を変えているのだろう。
キラリ、キラリ、と刀身が妖しく光を放つ。
刀身が光る度に「斬るよ」「斬るよ」と言われている気がする。
もう俺にこれ以上はシーリンさんと会話をする余地が無い。
俺にとって乱闘イベントは盗難イベント以上に起きて欲しくないイベントだ。
新しく届いた果実水は少し勿体無いが、ここは諦めよう。
1人目の客が来ると次から次へと客が食堂へとやってくる。
俺は混みだしたシーリンさん近くの席から1番遠くの席に移動して、ベルガーさんの賄い食を食べる事に決めた。
あんな喧騒の中でベルガーさんの美味しい食事を食べるのはごめんだ。
1人でゆっくりと食べよう。
食事を摂りながら、今日1日の出来事や見聞きしたモノを思い出す。
『この世界は本当に異世界企画なのだろうか? もしかしたら本物の異世界ではないのか?』
見るもの、聞くもの、感じるものに作り物とは思えない本物っぽさしか感じない。
もし、本物の異世界だったとしたら、携帯した武器で刺されたりしてもおかしくない。
自分でも莫迦げた考えだとは思っている。
それでも今後は【異世界の可能性】も考えながら行動する事にしよう。
刃の引っ込むナイフで血糊が噴出して腹が真っ赤に染まった所で【ドッキリ】ならば良いが、腹を真っ赤に染めたのは自分の血液でした、では洒落にならない。
社長がプレゼントしてくれた強制的有給休暇消費サプライズ企画だとしたら、まだまだ【ドッキリ看板】を見たくない。
消費しないと会社的にもまずい有給休暇ならば、俺にはたっぷり残っているはずだ。
もっと夢見がちな事を言えば会社業務の一環である可能性も……あったら最高に良いな。
本物の異世界ならば常人の倍はあると言われた魔力で異世界無双が出来るかも知れない。
異世界に来たのなら、俺だってやっぱりやりたいよな。
【異世界無双・俺無双】
俺は今日荷揚げ屋で【プチ無双】したけど、それじゃないやつで。
俺は自室に帰ると日課の筋肉トレーニングに励んで早めの就寝とした。
灯りの燃料代だって無料じゃない。
それに疲れた。
ここが【企画の異世界】なのか?
それとも【本物の異世界】なのか?
迷いが俺の心に重くのしかかっているのは確かだ。
どちらだったとしても明日を楽しむ為に暗くなったら早めに寝るに限る。
太陽が沈み暗くなったら寝て、太陽が昇り明るくなったら起きる。
そんな生活こそ、充実した休日だと、今の俺は感じていた。
俺は、港で痩せ過ぎた子供達を見た事をきっかけにして、この【異世界】が【企画】か【本物】か、疑問を持つようになった。