ユークリット寝込む(ドカチーニ視点)
今回はドカチーニが主役です。
朝、お嬢ちゃん達二人がいつものように食堂へとやってくる。
ユークリットのやろう寝坊でもしやがったか?
お嬢ちゃん達の方が早く来るなんて初めてだろう?
だが、お嬢ちゃん達はいつもの席に座ること無く、俺の所までやってきた。
「ドカチーニさんお願いします。ユークリットさんを助けて下さい。お願いします。」
お嬢ちゃん達は痩せ過ぎていて顔の表情は変わらないが瞳が必死さをうったえる。
「なんだ?何があった?」
「ユークリットさんが、凄い熱があって、声を掛けても起きなくて、大丈夫だって言っているけど、全然大丈夫じゃなくって、口からは黄色いの吐いていて、お願いします。助けて!」
昨日までの実験で何か不具合があったのか?
俺は少し不安になり奴の部屋へと駆け出した。
部屋に着くとユークリットは小汚い毛布にくるまって苦しんでいる。
様子を見るためにも毛布をめくったら、苦しむ理由はすぐに分かった。
魔壁蝨だ。
こいつの治療にはアンチポイズンのポーションか魔法がいる。
つまり神様の祝福って奴に頼まなくてはならない。
同じ神の祝福でもパンやワイン、ヒトの名前なんかは良い。
だが、神殿が独占する為だけに使っている神の祝福なんてくそ喰らえだ。
魔壁蝨を抜くだけ抜いて自然治癒って手もあるが途中で死ぬ奴も多い。
ユークリットの健康そうな体なら大丈夫だとは思うが万が一という事もある。
『ちっ。こういう運命か』ここ三年間の迷いはこれで踏ん切りが付いた。
そうこうしている間にお嬢ちゃん二人がユークリットの部屋へ戻ってくる。
「おい。お嬢ちゃん。こいつの事が心配だろうが、お嬢ちゃん達が出来ることは一つだけだ。
絶対こいつに近づくな。お嬢ちゃん達が噛まれたら最悪だ。こいつの事を触ったか?」
「熱を計るために額だけ触りました。」
「触った手を見せろ……よし、大丈夫そうだな。この毛布には触っていないな?この部屋は危険だ。ひとまずシーリンの部屋に居てくれ。シーリンの仕事がはけたら奴に身体をくまなく見てもらうんだぞ?本当に感染していたら命に関わるからな!」
「命に関わるのですか!?」
俺としたことが失敗した。
嬢ちゃん達を不安にさせてどうする。
だが口から出た言葉は元には戻らない。
「ああ。命に関わる。だが、ユークリットなら大丈夫だ。こいつがこの位で死ぬものか。」
『にかっ』と自分では最高の笑顔を見せたつもりで、シーリンの部屋へと連れて行った。
ユークリットが使っていた毛布は魔壁蝨が他へと逃げ出さないように二重にした袋を用意して、そこに詰め込んだ。
本当に厄介な奴を連れ込みやがって。
一匹たりとも逃がさんぞ。
シーリンには事後報告になったが『お嬢ちゃん達がシーリンの部屋に居る事』と『お嬢ちゃん達の身体に魔壁蝨が付いていないか』を確認して欲しいと頼んだ。
シーリンは二つ返事で了解してくれる。
俺は魔壁蝨付きの毛布が入った袋を始末するようにベルガーへ頼むと、ユークリットの為に回復魔法所持者を連れてくる覚悟を決めた。
神殿の生臭坊主よりはるかに良いはずだ。
シーミズの港町とスーンプ城との間に南側が海に面した小高い山がある。
海側山頂にクノー神殿を祭るこの山は海側以外は比較的なだらかな斜面となっており、金を持つ市民や、貴族や士族の別邸が並んでいた。
陸側のなだらかな斜面に対して海側、つまり南側は絶壁と呼べるほどの急斜面だ。
信心深い教徒が修行の一環として道なき道を登り参拝する。
北側の麓に広がる広大な平地は皇室の別邸だ。
別邸の邸宅付近の警備は厳しいがそれ以外の広大な土地は平民であっても出入り自由の公共の公園となっている。
西側の麓はスーンプ城下街の城壁内にある最大の穀倉地帯となっている。
東側の麓に広がるシーミズの港町では水運が発達している為大きな商業地帯になっている。
シーミズの港町を見下ろせる東側のなだらかな斜面に建つ貴族の別邸……と言っても庭付きの小さな平屋へと俺は足を運んだ。
この辺りはシーミズの港町と不死山と呼ばれる霊峰を一度に眺める事ができ、景観が素晴らしい為、貴族や士族に人気が高く土地代は高い。
小さな庭付き平屋建ての家でもかなりの値段なのだろう。
ここに来たのは何度目だろう?
三年前から何度もここには来ている。
扉には『ご自由にお入り下さい』と書いてある。
しかし、今まで扉の前までは来れても中には入れなかった。
それでも、今日は重い、俺にとってはとても重い扉を開ける。
「チリンチリン」と涼やかな鈴の音が扉を開くのに応じて響くと「すぐ行くからちょっと待っていてね」と優しげな女性の声が帰ってくる。
『あぁ、変わらない。』
変わらない声色に喜ぶ自分がいる。
「どちら様かしら?今はマリーがお使いに出ていてね。大分待たせてしまったかしら?あら。あなただったの。ずいぶん懐かしいわね。」
黒いドレスを着た初老の女性が家の奥から現れた。
顔には会わずにいた年月分のしわを刻んでいるが若い時の面影はそのままだ。
「あぁ。久しぶり。変わらないようで嬉しいよ。」
「駄目よ。寄る年波には勝てないわ。見て。この増えた白髪。すっかりおばあちゃんよ。」
本当に何もかも最後に別れたのが昨日のことのように昔にかえることができる。
「すまん。どうしても助けて欲しい。お前の回復魔法が必要だ。」
「あなたの財力があれば神殿に頼むほうが早いわよ?あたしにはあなたの頼みを断れる理由が無いですけど。さ、病人のところに行きましょう。けど、あたしは昔みたいに走れないから。それだけは勘弁してね。」
行動の速さも昔と変わらないな。
滲む涙を堪えてドカチーニの斡旋屋へと古い友人を案内する。
彼女の名前はフィーナ・フォン・ヤンゼン。
妾にした貴族だか士族だか大名だかの名前なんて忘れちまったが優れた回復魔法を持つ彼女を窮地から救い出したと言われて貧民から英雄扱いされた野郎だ。
禁則魔法で禁じられるはずだったフィーナの回復魔法を自分の妾にすると言う形で差し止めた。
野郎が死んで十年。
彼女は喪に服す義務を終え、ようやく自由を得た。
つい三年前の事だ。
貴族は喪に服す時以外に黒のドレスは着ない。
彼女はまだ喪に服しているのだろうか?
「早いものね。あなたと最後に会ってから二十五年よ。こんなに近くに暮らしていたのにね。今日は昔に戻ったみたいでとても嬉しいわ。」
彼女が昔と同じように俺の腕を取ろうとする。
だがそこに俺の腕は無かった。
「そうね。忘れていたわ。あたしがあなたの腕を奪ったのにね。」
「なに。もう二十五年もこの姿で生きているんだ。慣れたものさ。気にするな。唯一後悔するとしたら、今日お前と腕を組めなかった事だけだぜ?」
「まぁ嬉しい。こんなおばあちゃんと腕を組めないのが唯一の後悔だなんて。」
「なに。俺もすっかりおじいちゃんだ。見ろよ。お前と同じ白髪交じりのこの頭を。」
白髪交じりとはいえ、自慢の髪型だ。
銀の月の満月と新月になる前日に、シーリンがいつも角刈りに整えてくれている。
彼女に合わせてゆっくりと歩む。
ユークリットには悪いが俺には二十五年ぶりの最高に幸せな時間だ。
少しでも長く味わせてくれ。
俺と彼女は二十五年前、シーリンの両親と共にこの港町で一番有名な冒険者の小隊だった。
幾人もの凶悪な魔族を撃退し、新月の夜には他の月へと侵攻した事もある。
そしてフィーナは冒険に出ない時には貧者へと無償で回復魔法を掛けてまわっていた。
そんなフィーナに神殿から『魔女の疑い』が掛けられる。
『神は魔女的な回復魔法を許さない。禁則魔法で封じる』と言う裁判の判決に対して、貧民街全体で激しく抗議した。
それに乗じた形で、貴族達や士族達に商人達まで加わり神殿に対して圧力を掛ける。
四大勢力の権力争いの一環として神殿をやり込めようと言う腹積もりだったのだろう。
これに対して神殿は内密に「フィーナの回復魔法は俺の腕と引き換えでも良い」と言う譲歩をしてきた。
神殿からすれば有名とは言え一介の冒険者でしか無い俺に対して破格の譲歩だ。
万人の命を救ってきたフィーナの回復魔法と俺の左腕。
比べるまでも無かった。
俺は安いものだと左腕を差し出し、禁則魔法で左腕の治療を禁じられた。
神罰を兼ねた腕の切断は拷問であった。
知覚を過敏にするポーションを飲まされて、これまでの人生で受けた事が無い激しい痛みがわざと引き延ばされて延々と続く。
気を失っても無理矢理覚醒させられ切断という名の拷問は頭が狂う寸前まで続いた。
切断を終えて気を失う事を許された俺が目を覚ました時には全てが終わっていた。
教会がおこなった俺への行為は完全に秘匿されていた。
フィーナは士族の中でも貴族の位を得る者に送られる称号『大名』と言われる有力者の一人へと無理やり妾にされた。
教会が有力商人に高額で依頼し差し向けたと思われる暗殺者から俺を護る為、シーリンの両親は毒におかされながらも最後まで戦い抜き、俺が目覚めると安心したように死んだ。
フィーナが回復魔法で救っていた貧民街の住人は、魔女の烙印から一転させ聖女へとした神殿に『感謝の祈りを捧げ』彼女を一族へと迎え入れる事により聖女へと昇格させた大名を『英雄』と讃えていた。
四大勢力はお互いに利益を得て、俺達は全てを失った。
人の噂も七十五日。
三ヶ月も経つと教会もヒトもすっかり元通りで事件なんて無かったと言わんばかりだ。
俺は左腕と仲間を失い、冒険者としてばかりでなく、生きる気力すら無くした。
俺の心をぎりぎりで救ってくれたのはシーリンだ。
まだ赤子のシーリンを育てる為、俺は冒険者を引退して斡旋屋の親父になった。
全てを失ったと思った俺にとってシーリンは最後の希望だった。
以来、様々なヒトから助けられて二十五年無事に生きてこれた。
シーリンを無事に育てられた。
まあ、シーリンの婿として認める奴は俺の強さを越えていく奴だけと決めているがな!
少々行き遅れた感はあるが、俺が認めた奴以外に嫁にやる気はいまだに起きない。
シーリン自身にも好きなヒトが居る様子も無いしな。
個人的な感情で神殿や教会を頼りたくない。
神を否定はしないが、神殿や教会を信じる気は無い。
そんな俺の身勝手な希望を今はフィーナが叶えてくれる。
二十五年前と大きく違うこと。
それはフィーナが個人爵位を一代限りで得ているので『一般市民への施し』という名目で神殿もしくは教会に高いお布施を払えば治療行為が公然と行える事だ。
斡旋屋へ向かう途中、シーミズの街中にある教会へと寄り十両のお布施を払う。
苦々しい思いもするが二十五年前と同じ過ちを繰り返す訳にはいかない。
ひときわ高い塔がまるでヒトを見下す様に建っていて余計に腹が立つ。
「お布施は確かにいただきました。ヤンゼン様。次の銀の月の新月まで、神の御心を貧民達にお示し下さい。」
生臭坊主から反吐が出そうなありがたいお言葉をいただく。
こいつらは絶対に貧民に神の御心とやらを示すことは無い。
だが、これで神殿の横槍は心配ない。
教会の生臭坊主が俺の払った十両を着服しなければ。
「ポーションなら何本買えるかしら?せっかく高いお布施を払ってもらったのですから次の新月までは治療院でも開こうかしら?」
「ぜひそうしてくれ。みんな喜ぶ。」
フィーナは稀代の回復魔法の使い手だ。
死者と禁則魔法で封じられた事以外ならほとんど何でも治す。
治療中のフィーナはちょっと性格が変わるが、腕は確かで仕事も早い。
クノー神殿にいる大司祭並みの回復魔法だ。
そこらの教会にいる生臭坊主よりも優れた回復魔法で誰にでも治療を施す。
神殿が傘下に入るよう何度勧告してもフィーナはそれに応じなかった。
今までどおりの治療活動を求める彼女に対して、神殿が高いお布施を払わない者には回復魔法を掛ける事を認めないからだ。
いつまでも言うことを聞かない彼女を苦々しく思った神殿が『魔女』と断定して魔法を封じようとしたのは自分達の権威を護ろうとしたからだろう。
斡旋屋に帰ると受付にはいつものようにシーリンが立っていた。
ベスとアンが生気なく隣に用意された椅子へと座っている。
「館長。ベスとアンには魔壁蝨は付いていませんでした。ユークリットの魔壁蝨は全て抜いておきました。念の為、ユークリットの部屋にあった物は全て焼却処分してあります。」
シーリンは俺のことを『館長』と呼ぶ。
幼い頃から両親の事は教えていたが、十五歳を迎えて冒険者を兼務しながら斡旋屋を正式に手伝うようになるまでは『おとうさん』と呼んでくれていた。
初めて『館長』と呼ばれた日の衝撃は未だ癒えない。
その後『おとうさん』と呼ばれた事は一度もない。
今日は特に親愛の情を瞳に感じない。
寂しい限りだ。
「あら。あなたシーリンね?メイリンにそっくりだわ。あなたは覚えていないでしょうがあたしがフィーナよ。あなたのお父さんとお母さんの友人だったのよ。」
「はじめまして、フィーナさん。シーリンと申します。よろしくお願いします。」
いつもと変わらない笑顔でシーリンがフィーナに挨拶をする。
シーリンから出る次の言葉を待つフィーナ。
しかし、シーリンから次の言葉は出てこない。
フィーナは俺の方に振り返り、両足を開いて軽く曲げた腰に両手を当てて眉を寄せながら言う。
「どういうことドカチーニ?あたしの事はシーリンに話していないのかしら?あたしはメイリンと一番の友人だったと思っていたのだけど?」
メイリンとはシーリンの母の名前だ。
フィーナの事はシーリンに話した事は一度もない。
「すまん。俺の気持ちに踏ん切りが付かなくてな。お前の事は一度も話したことが無い。」
怒り方まで二十五年前と変わらない。
俺の目には若い頃のフィーナが重なって見えた。
「もう。仕方ない人ね。後でこの事は納得するまでたっぷり話をしてもらうわね?さあ、病人のところに案内して頂戴。まずは治療してしまいましょう。」
ユークリットの部屋に行くと、やつは裸で床に転がっていた。
頭の毛も下の毛も多分脇の下も全て剃っているのだろう。
シーリンの徹底ぶりは流石だ。
シーリンに汚い物を直接見せやがって……いや、毛を剃って魔壁蝨を抜くために直接触ってもいる可能性が高いな?
ふむ、後で血反吐を吐くまで訓練してやる事にしよう。
一人前に槍が使えるようになるまでな。
我ながら良い考えだ。
地獄を見せてやるぞユークリット。
自分の口角が自然と上がるのを感じる。
地獄の訓練計画を考えている間にフィーナがユークリットに回復魔法を掛けている。
効果はすぐに現れた。
ユークリットから息苦しさが消え穏やかな寝息に変わる。
「魔法が効いたようね。こんな状態でも身体強化の魔法を切らさないくらい普段から鍛えている子のようだし、きっと明日には全快しているわ。次は受付に居たあの娘達ね。痩せているのはあたしにもどうにも出来ないけれど、栄養失調での身体の変調は治してあげられるわ。」
再び受付に戻ると二人を治療するフィーナ。
二人共痩せた状態は変わらないが、不自然に膨らんだお腹はへこみ、肌にも赤みが増して気持ち健康になった感じがする。
「ありがとうございます。とても身体が楽になりました。わたしの名前はベスと言います。隣にいるアンは話すことが困難な為、わたしが代わって挨拶する事をお許し下さい。」
「丁寧な挨拶をありがとう。あたしはフィーナ。ドカチーニとシーリンの両親とは大切な友人のつもりよ。じゃあついでにアンの声も治してしまおうかしら?」
俺に軽い嫌味を言いつつ、アンの喉に手を当てて治療を始めるフィーナ。
だが、異常はすぐに起きた。
「禁則魔法か……」
アンの喉で回復魔法に反応して魔法陣が浮かぶ。
どうしてアンに禁則魔法なんてものが掛かっているんだ?
禁則魔法が掛けられるのは大司祭か一部の皇族もしくは大将軍くらいだ。
この強力な魔法は国家機密扱いで使える者はまず居ない。
と言うより使える者が、大司祭か皇族か大将軍。
つまり許可された特別な権力者以外が使用したと判明すれば、草の根を分けてでも使用者を探し出して処分する。
厳重に秘匿された大魔法だ。
「ごめんなさい。これはあたしでも治せないわ。」
「いいえ。どうかこの事はご内密にお願いします。」
ベスはアンがなぜこのような事になっているのか知っているようだ。
下手に探ると俺だけなら構わないが、周りにいるヒトにも危険が及ぶ可能性がある。
「分かっている。ここに居る五人だけの秘密だ。絶対誰にもしゃべらないから安心しろ。」
ベスとアンがほっとした顔をする。
顔は全く変わらないが気配で分かる。
普通の浮浪児にしては言葉使いが綺麗だとは思っていたが、やはり何か訳ありだな。
だが今は詮索する時ではない。
もうじき昼飯時これから忙しくなる。
その前に昼飯を食っちまうか。
「ベス。アン。ユークリットは大丈夫だ。それよりも混みだす前に俺と昼飯を食おう。」
「あら。あたしはご飯に誘ってくれないの?」
「そんな訳ないだろう?言わなくてもお前は俺と食べるのが当たり前と思っていただけだ。」
フィーナと共に食事を取る事は最高に嬉しいものだった。
ユークリット、ベス、アンには悪いが『フィーナと子供達とで食事を取る』という二十五年前にあきらめの夢が、今、叶ったようだった。




