真実が残酷なのは世の常
須川は知らない、自分にも明かさない秘密があったように、志穂にも自分に対して1つ言わなかった大事な秘密があることを。
それは須川が絶対に知るべきこと。
ここでネタばらしをしてしまうと、須川は保険会社のしがないサラリーマンに過ぎない。家族情報は金沢家が全員保険に入っていたからであり、そこで勤めている須川にしてみれば、家族関係を知ることなんて造作も無かった。
あとはその家から学校への登校ルートを探り、志穂を見つけるだけでいい。
志穂を見つけたら、制服のポケットと鞄の小さなポケットに盗聴器を仕込むだけ。
そうすれば、家でも学校でも志穂がなにをしているかは大体分かるというわけだ。
あとは飯塚にも同じ事をする。飯塚に盗聴器を仕掛けたのは、志穂が飯塚のことが好きだと知ったからだ。
志穂の幸せは自分の幸せだと感じる須川は、飯塚が志穂を不幸にしないか見張る義務があった。
そして盗聴器を仕掛けた後すぐ、本性を知った。
あとはもうすでに語った流れ。知ればなんて事の無いことだ。
だがそれ故に、このやり方には穴がいくつかある。
まず1つは、行動がある程度分かるといってもそれほどではないということ。そこは聞こえてくる音と状況判断能力で補うしかない。
もう1つの方こそ致命的で、音しか聞こえないということ。なんてことは無いかもしれないが、今回においてこれが致命的となった。
会社に勤めながらいうことで、志穂を尾行するといったことがかなり難しかったため、音だけでしか判断できないという状況だった。
だからこそ、気付けない。もっとやり方を工夫すれば気付けたことがあったというのに。
それが一体何なのか、志穂が言わなかった秘密とは何なのでしょうか。
まあ、それは次の話で明かしましょうか。
監禁生活1ヶ月が経った。
今日もまた2人のあま~い時間が続く……はずだったのだが。
志穂の前まで来た須川は、俯いたまま座り込む。
「どうしたのよ」
「……」
須川は答えない。俯いて顔が見えないため、一体何を考えているのかも全く分からない。
あれから1週間以上が経ったが、何かあったか言われれば何も無かったと答えよう。
では、2人は何をしていたのだと言われれば、特に何もしていなかったこと答えよう。
2人はただ、あの後ずっとあま~い時間を過ごしていただけだった。
飯塚をどうにかしようなんて、志穂の方はもうとっくに考えていなかった。須川の方も、自分からもう飯塚をどうにかしようとは、考えていなかった、
堕落の2文字がとても似合っていた。むしろその象徴が最近の2人だった。
会社の愚痴をこれでもかと感情の赴くままに吐く須川と、それを時々頷きながら黙って聞く志穂。
誘拐犯と被害者とはもう言えない、まるで熟年夫婦みたいな関係が形成されていた。
だが今日は違うみたいだ。
「正義くん? 何かあったの?」
「……」
先ほどとは少し違うやさしい声音で問うたが、未だ俯いたまま動かない。
呼んでもダメなら、待つしかない。志穂は須川が自分から動いてくれるまで待つことにした。
それから5分ほど経った時、須川は立ち上がり、事情を説明してくれるのかと思ったら、そのまま志穂の前から去っていった。
それからまた5分ほど経ってから須川は戻ってきた。その手にはロープが握られていた。
「ねぇ、志穂ちゃん」
呆気にとられている志穂に須川が呼びかける。その声は、何故か嗄れている。
「え、なに?」
志穂の方は、須川の良くない変化に緊張が走っている。いつもと違う恐怖が、そこまで来ていると錯覚するほどに。
「僕はね、あの時救ってもらった恩を1度も忘れたことは無いんだ。なにせ、その恩を返すことが僕の生きがいとなっていたからね」
その言葉には、少しの嘲笑が混ざっていた。志穂は自分の言葉を、信念を、自分で嘲る須川に、わずかな怒りがこみ上げてきた。
「……何が言いたいの?」
「志穂ちゃん、もう分かってるんじゃないの? てか、分かっててずっと僕を騙していたのかな?」
「……」
志穂は押し黙る。心当たりがあるからだ。
「なんとか言ってよ」
須川の心には余裕がないのが見て取れる。昨日まで楽しんでいた須川は一夜にして消えていた。今の須川の顔は、また見たことのない別の怒りが混ざって見える。
それは志穂に対してなのか、それとも自分自身に対してなのか。
「……何があったの?」
聞くしかなかった。須川の口ぶりからなにがあったのかは大体予想出来ている。それでも、須川の口から聞く事に意味がある。その結果が最悪のものになったとしても、寄り添えるように。
「……ビラを配ってたんだ。志穂ちゃんの妹さんが、そう、あの子が配ってたんだ」
「……」
「驚いたよ。まさか志穂ちゃんと妹さんが瓜二つだったなんて。双子ってやつだよね?」
須川の口から出てきた事実。それを聞いただけで、志穂の予想は確信に変わっていた。
「つい見てたら目が合っちゃっててね、こっちに駆け寄ってきては僕にもビラを配るんだ。何のビラだと思う?」
「……」
志穂は答えない。答えられない。誤解を解こうにも誤解ではない。
「志穂ちゃんの顔やその他詳しい情報や、探してますのでっかい文字が載ってたよ。まぁ、家族の人がこういう事をするだろうってのは予想していたよ」
問題はそこではないと言った風に続ける須川。志穂の方もそれに気づいている。
須川が怒っているのは、もっと根本的なとこなのだから。
「それでね、ビラを貰ったとき妹さんが僕の顔を見てこう言うんだ」
そこを言ってしまったら、きっと2人は元には戻れない。いや、元に戻ってしまうが正しいのかな。
須川が出そうとする続きの言葉は、この過ごしてきた1ヶ月を否定する事になるのだから。
耳を塞ぐ志穂だが、須川の声は、怒りはこの静かな牢にはよく響いており、
『お? あの時のおっさんじゃん。私のこと覚えてる?』
この監禁事件の終焉の合図となっていった。