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強くない私と正義感のあなた。どちらも不幸者。

 監禁生活3週間が経った。

 これまた助けに来る兆しなど来ず、今日もまた2人の甘い時間が続いていた。

 今日の須川は牢の前まで来たと思えば何かいいことがあったのか、ずっとニヤニヤしながら志穂と一緒に食事を取っていた。


「さっきから何ニヤニヤしてんの? 気持ち悪いよ」


 ついに耐え切れなかったのか、今まで無視しようと決めていた志穂は30代おっさんのニヤニヤに触れてしまった。


「いやね、なつかしい夢を見てしまってね……フフッ……」

「そ、そう……」


 どんな夢を見ればこんな活き活きした気持ち悪い笑顔になるのか。須川に問いたい気持ちはあるが、心にしまっておくことにした。

 監禁されて3週間が経ったが、未だ須川から何も聞けずじまいでいた。

 そもそも、もう志穂の中には何を聞けばいいのかすら無かった。無くなっていた。


 自分は一体何が知りたかった。何か知らなくちゃいけないことがあるのか。じゃあなんだ。分からない。知らない。知りたい? 別に。本当? 嘘。じゃあ聞こう。何を? さあ?

 最近、志穂の中で何度も問答したこの言葉。須川が仕事に行っているとき、志穂はよく1人でこの自問自答を繰り返している。

 聞きたいのに何を聞けばいいか分からない。さっきの須川が言っていた夢が何なのか、知りたいけど聞かない。


 志穂は今とてもあやふやな状態だ。監禁されているストレスからなのか、それとも今の生活が心地いいのか、無自覚な好意が現状維持を選んでいるのか。

 心にしまった問いを未だ悩み続ける志穂だが、


「まぁ、いい機会だから少し懐かしい話をしようか」


 須川の一声でそちら側に意識がもっていかれた。


「懐かしい話?」

「そう、僕と志穂ちゃんの初めて出会った時のお話だよ」


 初めて出会った。その言葉に疑問を抱かざる負えない。

 志穂には、須川と他で出会ったという記憶は存在しない。


「初めて?」


 記憶を探ってみる。須川にはこれといった特徴は無いが、どこかで知り合ったとなれば、どっか記憶の片隅に覚えているはず。

 そんな思考を続ける志穂をお構いなしに須川は話し始める。


「志穂ちゃんは覚えてないかもしれないね。あれは1年前かな。僕が電車で痴漢の冤罪をかけられたときだよ」


 志穂の思考に冤罪のキーワードが追加される。


「あの時の僕はね、人生に疲れてたんだ。両親はすでに死んじゃって、誰か頼れる友達なんていなくて、会社には僕の居場所なんか無い。生きる希望なんか無かったよ」


 須川の1人語りに志穂は、ただ黙ったまま聞いている。


「そんな時に、女性が僕に痴漢されたって言い出したんだ。もちろん僕はやってないよ。そんな度胸なんてないしね」


 1人語る須川の顔は内容に反してどこか楽しきげで、嬉々とした表情が見て取れる。


「だけどね、否定する気にもなれなかったんだ。こんな僕が何を言ったってどうせ誰も信じちゃくれない。それより、僕はもう疲れたんだ。この生きがいの無い人生に、終止符を打ちたかった。それがこの痴漢冤罪でも、なんでもよかった」


 依然として志穂は口を挟まず黙ったまま。俯いたまま動かないので、表情は分からない。何か考え事でもしているのか、それとも今の話に同情でもしたのか、そもそもどちらでもないのか。だが、須川はそれを気にせず話しを続ける。


「でもね、そんな僕に志穂ちゃんが手を差し伸べてくれたんだよ。おっさんは痴漢なんかしてないって。私は見てたから大丈夫、言葉で言わないと何も変われないよってね。とても温かい言葉だった。その言葉に僕は背中を押されたような感覚になってね、いつの間にか口から出てたんだ。僕はやってないって。救われたんだ僕は。志穂ちゃんの優しさに触れて、僕は新しい生きがいを見つけることができたんだ。志穂ちゃんには感謝をしてもしきれないよ」


 言いたいことを言い終えたのか、須川の顔はどこか満ちたりたものになっていた。

 今までの話を黙りながらも聞いていた志穂は、静かに顔を上げる。

 その顔はどこか申し訳なさそうで、儚い気持ちを押さえ込んだ何とも言えない複雑な心が顔に出ているように見えた。


「あなたを救った私は凄いね。見ず知らずの人のピンチに臆せず向かっていく、とても強く、かっこよく、とてもわたしなんかじゃ敵わない人。だから、多分その人とわたしは違う人だと思うの。わたしにはとてもできない。だって、わたしは強くないから」


 おそらく否定するであろうことは想像していた。志穂にとってはあの件はなんてことのない1つの出来事に過ぎないから。自分という存在が志穂の記憶に入れるなんておこがましいから。

 だが、否定するにも、もっとあったと思う。こんなことは望んではいなかった。


「い、いや志穂ちゃんは強いよ。だ、だって僕は知ってるから! 志穂ちゃんが覚えていなくても、あの時の志穂ちゃんは確かに僕を救ってくれた強者だ。僕の憧れであり、今の僕の生きがいなんだ!」


 必死に弁論する須川だが、その言葉が志穂に強く届いたかは分からない。


「そう……ありがとう。そして、ごめんなさい。わたしには、あなたを救ったという記憶はないの。わたしが忘れてるだけかもしれないけど、それでも……わたしの中にあなたの語った強くてかっこいい私はいないの」


 そう結論を吐く志穂だが、どうにもどこかぎこちない。


「そう、なんだ。うん、それでも構わないよ。僕のやることはそれでも変わらない。志穂ちゃんを守るのに、もう大した理由はいらない。ただ、守りたいから守る。あの時のことはきっかけに過ぎないんだから」


 誘拐犯とは思えない爽やかな笑顔と信念にもはや逆に安心してしまう志穂。自分も監禁されているのを忘れる程に、須川の清々しさに惹かれていくのを感じてしまっていた。

 2人の空間に流れる空気が変わり始めたとき、未だ残り続ける疑問を須川にぶつけていく。


「で、あなたが言っていたその生きがいがわたしを誘拐することに一体何の関係があるの?」


 それは嫌味というより、半分呆れた調子で言い放った。怒りの感情など1ミリも入ってなどいない。


「結果的に言うとそうだね、今度は僕が志穂ちゃんを守る。それが僕の生きがいになっていったんだ」

「……別にわたしは守ってなんて頼んでないわ。たとえ言ったとしても、それがどうして監禁するなんてことになるの?」


 決して怒っているわけではないが、納得のいかない言葉に静かに噛み付いていく。


「別に僕も最初は監禁なんてするつもりはなかった。ただ遠くから見守っているだけで十分だった。でもね、そういうわけにはいかなかったんだ」


 自分の不幸話にも笑って話した須川だが、次第に顔が険しくなっていく。

 志穂も須川の変わっていく表情に静かに息を呑む。


「志穂ちゃんはね、狙われていたんだよ。」

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