覚悟虚しく屈辱はいつにでも①
志穂が監禁されて1週間が経った。
いまだ助けに来る兆しは来ず、今日もまた2人きりの甘い時間が続いている。
「それでね? 僕が少し失敗すると怒鳴るくせに、同僚の女が大きな失敗をした時は僕の時と違って怒るどころか励ますんだよ。腹が立って仕方ないよホント。ぷんすか!」
「そう……」
須川はどうやらごく普通のサラリーマンのようだ、
ここ1週間の須川は、朝は朝食と昼飯分を志穂の前まで持ってきたあと仕事に出かけ、夜までこうして仕事から帰ってきては志穂に食事を持ってきては一緒に食べるのが日課だった。
食事の内容としては、朝はパンと目玉焼きとベーコンに牛乳。昼はコンビニのお弁当。夜は誰かの手作り料理と、決まった時間にいつも数分違えず持ってくる。
監禁されているとは思えない充実した食事が確かにあった。
志穂は当初、自分の体がこの男に弄ばれることにある程度は覚悟をしていたつもりだったが、その覚悟虚しく体を玩具にされることは1回も無かった。
だがそれでも気に入らないことは多い。
「……んっ……」
志穂は須川の愚痴を黙って聞いているが、次第にそわそわしだす。
須川はそれを見逃さなかった。
「ん? 志穂ちゃんもしかしてトイレかい?」
須川は志穂の動作の1つ1つをよく理解している。
志穂のいる牢はトイレが須川に丸見えであり、女子高生にとってそれは男子には理解しがたい苦痛である。
「じゃあ僕、後ろ向いているから。気にせずしてきていいよ」
決して見ようとはしない。それは紳士的であるといえるが、あと1歩配慮が足りない。
「……分かった」
このやり取りはこれが初めてではない、最初のほうは出て行くように懇願したが須川は決してその場から動くことはせず後ろ向きで、僕に構わずしてくれてどうぞと言い張るばかりだった。
それに痺れを切らした志穂は、須川のいる前で尿を足してしまった。
後ろ向きではあるが、志穂の尿が流れる音はその静かな牢の中では深く響いており、須川の耳に入り込んでいく。
「くっ……」
志穂にはそれが苦痛だった。見られるよりはマシとはいえ、誘拐犯に自分の尿を聴かせるなんて死んだほうがマシといえるほど。
今となってはその恥じらいが薄れつつある。
須川に聴かれるのは嫌だが、我慢して漏らしてしまうよりは何倍もマシだと考える。恥じらいで潰されるような自分では、ここでは生き残れない。
「終わったわ……」
尿を流し終え、元いた位置まで戻ると須川も顔を前に戻す。
「ごめんねなんか。ちょっと愚痴が長すぎたよね。そもそも僕の愚痴なんて聞いても面白くないよね」
須川の謝罪は、やはり的を外れていく。
女心が分からない。いや、それ以上に人の心が分からなさすぎる。
でなければ想い人を誘拐なんてするはずがない。
そんな奴が誰かを気遣うとか無理な話で、
「そうだ、志穂ちゃん。体を拭こう」
なんて提案を平気でしてくる。
「え? ……嫌よ。あなたに裸を見られるぐらいなら死んでやるわ」
舌を出しながら須川を威嚇する。
「いやいや! 勘違いしないでほしいんだ。僕は別に君の裸を見たいから言ってるわけじゃないんだ。この1週間志穂ちゃんはお風呂に入っていなければ、シャワーも浴びてないでしょ?」
確かに志穂はこの1週間お風呂に入ることはなかった。というより、できなかった。
トイレとベッドしかないこの牢には自分の体を洗う手段が無い。
今では手錠は外されているが足枷はされたままであるため、外に脱出することも当然できない。
志穂は最初、お風呂に入れないこの環境に死ぬほど不満であったが、今ではとうに諦めていた。
だからこそこの申し出は、志穂の本心としては是非とも受けたいものだった。
だが、志穂の僅かに残されたプライドが、許しはしない。
「……言ったはずよ。あなたに裸を見られるぐらいなら死んだほうがマシだと」
「えー……正直に言っちゃうと今の志穂ちゃん結構くさいよ」
「だったら今すぐわたしを解放してお風呂に行かせてくれないかしら」
「それは無理だなー。いま出ると大好きな先輩のとこに行くんでしょ?」
志穂にその考えは全く無かった。
まず脱出したら普通警察に行くものだと思っていた故に、今の答えは見事に不意を突かれた。
だが今はそんなことを考えてるとこじゃない。
そこでふと、当たり前の提案を須川にしてみる。
「ならわたしが自分で体を拭けばいいじゃない」
今できる最大の抵抗をぶつけるが、そもそも志穂は1つ勘違いをしている。
須川は一度も、自分が志穂の体を拭くとは言っていない。
「いや、最初からそのつもりだったよ。僕はただ体を拭こうって提案をしてるだけだよ。なにか勘違いをしていないかい?」
暫しの沈黙が流れる。
てっきり須川に体を拭かれるのかと思っていた志穂は、今の言葉に固まってしまった。
「え? ……卑怯ね、あなた」。
「卑怯って、べつに何もしてないじゃん」
志穂の勘違いに須川は気付かない。もとい気付けない。
「まあ、いまから水とタオルを持ってくるよ。あ、でも水じゃ冷たいから少しぬるま湯にして持ってきたほうがいいよね」
「そう……ね。それでいいわ」
志穂の返事を聞くと、須川はぬるま湯とタオルを取りに出た。
出ていくのを確認すると、ベッドに背を預けながら先ほどの須川の気遣いを思い出す。
「はぁ……水でもぬるま湯でもどっちでも良かったんだけど、そういうとこだけ気が利くってどうなの」
細かいとこには気が利く須川に少し微妙な気持ちになるのを感じる。
今の志穂はその気持ちが何なのかは理解できない。
おそらくそれを理解してしまったら、須川を憎めなくなる。
忘れてはならない。須川に抱いた最初の恐怖を、受けた暴力を、芽生えた怒りを。
――なぜ憎まなければならないのだろうか?
誘拐されたからか? 蹴られたからか?
この2つでいえば、憎むに値する当然の理由と言えるだろう。
だがこの1週間での須川はどうだっただろうか。
殴る蹴る犯すの愚行をするどころか、あれから一度も体に触れてすらこなかった。
その理由は知っている。須川は、自分のことが好きであると。
好きな相手に怪我をさせたくない。それが須川正義という男だ。
だが、その好きがはたして恋愛的な意味なのか、父性からでるものなのか、さては友情なのか、一体どの好きに当てはまるのか。
この誘拐の目的がそもそも何なのか。分からないことが多すぎる。
誰かから守ると言っていたが、もしかしたら誰かから狙われていたのだろうか。
「……聞いてみないと」
自分の気持ちもそれで理解できると信じて。