命の木
はるか遠い、鏡の地に眠る命の木。
僕はそこに行くのだと、祖父に言われた。
小さい頃から力は産まれなかった。走る力が無くて、走ろうとする気持ちももう既に無かった。ただ一点を見つめる毎日。辛く悲しい、毎日。
でもそれは別に仕様のない事。身体の弱い僕のせいだ。
毎日、地球に生命を吸い取られる。
あと一ヶ月で僕は、限界がくるのだと祖父は言う。悲しくなど無かった。受け入れるべきなのだとそう思った。だが祖父はそれを受け入れなかった。
僕の一族は一つの少女を贔屓にしていて、一族の命は全て少女の体へと宿ってしまうらしい。僕達は、その少女のおこぼれから産まれた、命の残りカスなのだと言う。
今日はその、不老不死の少女に生を貰いに行く。
僕の命は全てその少女に吸われたというのに、何故また少女に命を貰わなきゃいけないのだろう。これが役目だったのだ、いっそ少女だけいきて、こんなカスは死んでしまえばよかったのに。
だけど、そんな事言えるはずもなく、今日も僕は笑顔を見せる。そうすると皆は笑って安心した顔をする。僕が生きるのは嫌だけど、皆が幸せそうなのは、嬉しかった。
鏡の世界、空と地の境界線を無くした神の終息地。その神の死場所で_今日も少女は生きている。
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ガラスのテントに青々とした空を映す地が、その場所の聖地と思わせてくれる。近くには命の木と呼ばれる、テントより少しばかり大きい木が佇んでいた。
テントの中で二人の人間が挨拶を交わす。
「こんにちわ」
「こ、こんにちわ…」
無言の中突然挨拶をされるものだから、少年は冷や汗が滲み出た、目の前にいる空色の少女は、姿勢良くロボットのように動かない。大きくつぶらな青色の瞳と優しい空を思い出させる細い空色の髪。背は低く、服は至って普通の格好をしており、病院とはやはり違うようだ。
「あの…よろしくお願いします!」
無言を貫くのはあまりにも失礼なので、ぺこりと頭を下げると、少女は無言で頷き、さっそく外へ出ろと手で指示を出した。
木の下にある白いシングルベットに少年を横にし、さっそく治療にかかろうと少女はゴム手袋をつける。
「…治療は一ヶ月ほどかかります。毎日少しずつ命を入れて行くので、治療して入れば貴方が死ぬことはありません」
「あ、ありがとうございます!…本当に…!」
「貴方の身体が弱いのは、私のせいだもの。これぐらい当たり前よ」
そう、辛そうな顔をして少女は木に手のひらを当てた。
→→→→
治療はこの世のものとは思えない方法だった、少女が木に手を当てると、木はまるで動物のように動き出し、木の枝を少年の周りに囲い込み、その身体に青い光を当て始めたのだ。おそらくこれが治療、何かをいじったりはしないようだった。
身体が少し楽になった気がする。
…あぁ、僕は残念なことに、寿命が延びてしまったのか。そんなこと、せっかく治療してくれる人には言えないけれど。
かなり早い治療が終わり、今はミントティーを飲みながら、二人で無言の中座り込んでいた。
「あ、そういえば名前、言ってませんでしたね!」
「シャル、そう聞かされているわ」
せっかくの話題も彼女の返しによって即終了。負けじとシャルも話題をふりかける。
「あ、それじゃあ、貴方はなんて言うんですか?」
「空って言うわ。…一ヶ月よろしくね」
そう空は言い残し、ミントティーを飲み干して外へと歩き出してしまった。せっかくここにきたのだし、僕はついて行くことにした。
「空さんの命って、僕の一族全員なんですか?」
「…貴方達の命は全て私が吸収してしまっている」
そう言いながら、空は植木鉢に種を植えた。
昔から祖父は父に謝っていた。「お前は助けられない。すまない」と。そうしたら父は決まって、「あの子の方が優秀だから」と返すのだ。
わかっている。父が僕が5歳の時に死んでしまった理由も、祖父が父や僕に謝っていた理由も。
父は治療を受けないで、僕は受けることになっているようだ。何故だろう、父は僕の方が優秀だと言った。それが理由なのだろうか。…何が優秀なのかわからない。…何が、優秀なのだろうか。
「命を返せるなら、皆に返せばいいじゃないですか」
…わかっては、いるのだ。一族全員を助けることが出来ないって事は。だからこんなの、この人の当てつけなんて事…もうわかる。でもそれでも
お前のせいで一族は死にかけだ。と怒号したかった。
「… 貴方の一族はね、人を助ける為だけにうまれてきたの」
小さな植木鉢に水をあげて、また小さな芽を撫でながら、空は植木鉢を持ち上げシャルの目の前に見せた。すると芽は時間を忘れたように成長して生き、あっという間に綺麗な花が咲いたのだ。まるで魔法そのものだった。
「私が死にかけの人に命を宿す。貴方達一族は…そのために必要な命なのよ。命がなければ、命はない、私は命を一族から補給して、人を助ける」
「…じゃあ、僕達一族は…人の命を助けるための補給品…?」
神から送られる補給品、命をそこで補給して、本来死ぬべきではなかった人たちに命を分け与える。シャルの一族は…命の補給場なのだ。
「…そういうこと。私が貴方達を選んだ」
そして空は、植木鉢にあった大きな花を、躊躇いも無くむしりとった。
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「今日はありがとうございました!また明日来ますね」
「ええ。…また」
そう言って、シャルは迎えの車に乗り込んだ。その様子を手を振りながら見る空の目は、死んでいた気がする。
→→→→
ある日の夜。空は、木を背中に腰掛けていた。体育座りで、何もしないでただじっと待つ。しばらくすると木が光輝き
「うぐぁっ…!」
彼女の身体に枝を突き刺した。全身に走る痛み、普通の人間ならば、殺してくれと懇願する痛み。実際空だって叶うのならば今すぐそうしたい。だが出来ない。空には…この木に自らの命を吸い取らせ、その命を、死にかけの人に宿さなければならないのだから。…そういう宿命、仕事を決められてあるのだから。
「これは仕方のない事、逃げちゃいけない、仕事、仕事、仕事、仕事、宿命、命令、絶対やらなきゃ、私がいなきゃ誰がやるの、私しかいない、私しか、私しか、私私私私私私私私私私私私私私私私私私私」
やがて命を吸い取られ、枝が満足したように空から離れていくと。
「…仕事だから」
そう、密かに空は呟いた。
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「こんにちわ、今日もよろしくお願いします!」
治療も続けて慣れてきた頃。目の前の少女に元気に挨拶するも、ただ辛そうにシャルを見るだけで返事は無い。どうしたのだろう、何か昨日よりもずっと不機嫌で顔も悪い。しばらく無言が続き、空が治療の準備を終わらせるとやっと口を開きこちらを向いた。
「それじゃあ…そこ横になって」
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「言い忘れてたけど、今日祖父は来ないわよ」
治療終わり、ふとした空の一言に身体が跳ね上がる。え?と素っ頓狂な声を漏らしてしまい、しまったと口を抑えるがもう遅いようだ、空は呆れたように手に持っているカップを揺らした。
「帰りは来れないらしいの、今日はここに泊まって頂戴」
「…そう…ですか」
まぁ、いっか。とぼぉっとしながらミントティーを飲み干す。ミントの匂いが、眠気を覚ましてくれる…わけもなく、うとうととシャルは眠気に誘われていた。
「…眠いならベットを出すから、そこで寝なさい」
「で、でもこんな昼間から…」
昼寝というのはのほほんとしていて素晴らしい言葉に聞こえてしまうが、実際昼に寝てしまうと夜に目がパチパチになるのだ、昼には寝ないのが吉。寝るな…寝ちゃだめだ…
「別にいいじゃない、昼寝ぐらい、気持ちいいわよ?」
だが空はそんな眠気の誘惑と戦うシャルを応援どころか眠気側に参戦していて、どんどんとベットに誘い出していくものだから、シャルはもう誘惑に負けそのまま眠ることにした。
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話し声が聞こえる、誰かそこにいるのだろうか。寒い、それなのに目がじわじわと燃えるように熱い。僕は今、泣いているのだろうか。…何故?
…怖い。
「誰か、誰か…」
そう手を伸ばしたところで、何か温かい感触が手の平に広がった。手を握られているのだろうか、一体誰が…空さん?と、うすく目を開けたところで。
「あ、やっと起きたイケメンくん。はろぉ」
「…っ?」
目の前に、薄ら笑っている男性の人がいた。髪は僕と同じく黒く、顔も少し似ている人だった、決定的に違うことといえば、身長だろうか。…大人。と簡単に結論付けられる見た目をしている男性だ。
「何手を握っているのかしら。離れなさい、その子は大事な本家の息子よ」
と、後ろから空が男性の手をぶっ叩く。何か鳴ってはいけないような音が鳴っていた気がするが、気のせいとしておこう。だがそんな音をはじき出した張本人は痛がるそぶりも見せず、逆に本家という言葉を聞き、目をキラキラと輝かせ、シャルの手をまたもや強く握った。
「おお!本家!じゃ、お前も弱いんだね」
「よわっ…?」
男の容赦のない言い草に返す言葉を吸われてしまう。お前も…この男性も、僕や父と同じように命を吸われている一族の人たちなのだろうか。
「え?違うの?人類の身代わり、命の補給品。俺はそう伝えられたんだけど」
失礼な発言に慌てて空が声を荒げた。
「そんな言い方はしていないわ!話を膨らませるのはやめなさい」
「そんな怒んなって!でも事実だろ?」
「…とりあえずその子から離れなさい」
容赦の無い男の口攻撃を完全に無視し、空はシャルと男の間に無理やり入った。…人類の身代わり、命の補給品…やはり、何処の人から見ても僕達はその見方なのだろうか。
空さんの背中からひょっこっと顔を出す。
「あの、貴方は一体?」
「あぁ、俺?一応お前んとこの分家なんだけど」
「あぁ、分家…分家!?」
余りにも驚く内容に肩が揺れる。
「お?何?」
「分家とか本家とか…僕の一族はそんな大したものじゃ…」
と、大きく控えめなシャルに男は目をパチクリとさせた。途端に、失礼ながらも指をさしてシャルに驚きの顔を見せた。
「はぁ?何言ってんの?オレ達の一族、代々伝わる不老不死の選ばれものじゃん」
「…選ばれもの…」
選ばれた、別にそんなの嬉しくともなんともなかった。誰かが僕らの命で助かる。そのかわり僕ら一族は皆少ない命のおこぼれしかない。…そんなの…喜びたくても喜べるものじゃなかった。
そんな暗い顔を浮かべるシャルに、男性ははて。と首を傾げ、長くゴツゴツとした男らしい指でシャルの髪を乱暴に乱す。
「こいつおかしくねぇ?普通選ばれたら喜ぶもんだろ。光栄に思うもんだろ!」
選ばれものは幸せもの。それがここの常識、そう思うのが普通。…そう思えないのは、シャルの一族だけだ。男はため息をしながら呟く。
「ま、子供だから仕方ねぇかなぁ」
と、そこで空がばしっ!と男の頭をぶっ叩いた。
「口を慎みなさい」
相変わらずの容赦のない攻撃だったが、またまた相変わらず男は何でもない。というように耳を撫でた。…いつもこうなのだろうか。
「いいのよ。私の選んだ一族だもの」
「…ふーーん。そう。ま、俺には関係ねーけど」
…一つの疑問がうまれた。
「…待ってください。貴方が僕の分家だというのなら…何で貴方は大人でいられるのですか!?」
それは目の前の男が、今、生きているということ。父は命の治療を受けられずに死んだ、それは父だけじゃなかった。たまたま祖父は治療が受けられた、だが他に治療が出来た本家の人間は、ごく少数なのだ。本家でさえ出来なかった数の少ない治療を、何故分家ができるんだ…?
わかっている。本家とか分家とか、そんなものを気にするほど僕の一族は偉くない。でも、空さんは…本家と分家をわけていたように思えた、まるで質が違う。というような言い方で。
…分家は皆命をもらっていて、命を取られたのは、一族全体ではない、僕の本家だけなんじゃないのか…?そんな考えに行き着くのは、そう簡単ではなかった。
「そんなの、俺だけ生まれる時に命を多めにもらっただけだよ、俺はこいつのお世話係として生まれてきた者だからさー」
「…!?」
だが、違った。だが安心など出来る余裕もなく、また違う不安がのしかかる。
「…命を制御できるのですか?…」
何かに、気付いた。そしてその何かを、聞きたくなかった、聞きたかった、わからなかった、どうすればいいのか、何を、どうすれば…お願いだ答えないでくれ、しりたくない。知りたい、知りたい、知りたい知りたい。
「…ええ、貴方達に、命を多く入れることは出来るわ」
知ってしまった。
「制御できると言うのなら…」
この時、僕は言わないと気が済まなかったのかもしれない。言うべきではない、言ってはいけない。…そう思ってたのに。口が動く、制御ができない。まるで無理やりそうさせらているかのような感覚。指は小刻みに震え、瞳はウルウルと揺れる。
「なんで、僕ら一族すべての命を制御できないんですか…」
「…チッ」
男が大きく舌打ちを鳴らした。
「僕ら…本当に死ぬ必要あるんですか…?なんで、何で関係ない人のために、ここまで…せっかく産まれた命を」
何でこの人は一族全員を制御しないのか、しようとしないのか、わからなかった、意味不明だった。せっかくの命を無駄にするとか、意味がわからない。なんで、どうして…
「空は人に命を吹き込む為に生まれてきたんだよ」
命を、吹き込む?その為に、僕らは犠牲になっていると言うのか?そんなのプラスマイナスゼロではないのか、無意味ではないのか。
…他の人達なんて、どうでもいいのに。
「あのさ」
「よせ、凛…!」
男にはわかった、この少年が、あらぬことを考えていることなんて。証拠なんてない、全て勘だ。ただ、目の前の子供は、空を蔑み、他の者達なんてどうでもいいと考えているのなんて、すぐにわかることだった。…そこに気づけてしまう理由も、昔の自分を見ればよくわかる。
「そもそも、空が頑張ってくれなかったらお前らは人として産まれすらいないんだぞ?」
「…ぇ?」
命の補給品が、わざわざこの世界に存在する意味など、何処にあるのだろうか?そもそもシャルの一族は存在すらするはずのない者達だったのだ。生きる意味などなかった者達なのだ。意味なんてない?プラスマイナスゼロ?そんな事はない、マイナスを受けているのは紛れもなく空自身だ。
「…そんな…だったら最初から生まないでくれ…!この短い命、生まれるより死んだ方がマシだ…」
無意不明すぎて笑えてくる。自身の目が蔑みの目に変わっていく。マイナスを受けているのは空だとして、なんでそんなわざわざマイナスになるような事をしたのか、どちらにしたって嫌なことばかりではないのか。
「…はぁ…あのさ…」
「いい。良いんだ凛」
呆れたように拳を作る【凛】を必死に止め、目の前でうずくまるシャルと、ほぼ同じ目線に座り、空はシャルの肩を撫でた。
「シャル、お前らを、人として存在させている理由はな…」
存在すらない者達を存在させている理由は
「全部、自分の、罪悪感を消すためなんだ」
毎日、本来なら、産まれてきたかもしれない命達を、命が産まれるたびに、殺して、殺して、殺して。そしてそれを、自分の命に代えてしまう。そんな毎日が辛くてたまらなかった。
「お前らに、最悪だ、お前なんか死んでしまえって言われることで私は…自我を保っているんだ」
辛かった、悲しかった。本人達に、嫌われてしまいたかった。でも彼らは、「いいんだよ」って。幸せそうに笑って私の身体に吸い取られていくのだ。それが彼らの本心なんだと、そう思った。
だからこそ
「こうでもしないと…君達には…本当に嫌な役割を与えしまった罪悪感が…」
存在させて、作って、私を嫌わせた。嫌われたかった、許されたくなんてなかったのだ。彼達の優しさに私は…耐えられるはずもなかった。
そこに、怒りの沸点に達した凛が大声をあげた。
「待ってよ、それはおかしいよ。そもそも、俺らなんて産まれてくるはずもない命を無理やり神に作らされて出来たんだよ?それを空は身を削ってでも作ってくれたんだ。なんでこんな子供につべこべ言われなきゃならないんだよ…納得できねぇ」
「…もう…いいです」
_治療なんていりません、殺してください。
→→→→
布団の暖かい空気と、外の冷たい空気が混じり合わずに肌に当たる、温度の違う空気が何処か心地いい。心地いい感覚のまま、シャルはゆっくりと瞳を見せた。
「大丈夫?シャル」
「あれ…僕」
「凛に殴られて気絶した。頬が痛むだろうが大丈夫だ。ごめんな、身体の治療は苦手なんだ」
…あぁそうだ、僕は凛さんに殴られそのまま気絶したんだ。気付いてから痛みがじわじわと伝わってくる嫌な身体を、ばちんと叩いた。痛い、目が覚めた気がする。
「あの…り、凛…さんは…」
おどおどとしたながらも、あの日空が大声で呼んだあの男性の名前を呼ぶ。彼の居場所を聞くと、空は迷うこともなくガラス越しの木を指差した。
「木のそばに居る。話したないならそこに行きなさい」
→→→→
ただ木を見る。青い光を通して、ゆるぐ影はお魚みたいに、海のような地面を泳いでる。
…酷く美しい世界だ。地平線をぶった切った神様は、一体なんのためにこの世界を作ったのだろうか。もしかして、この空間は全て彼女のものだというのか。
「そんなの、ひどいや」
微笑みが溢れる。俺らなんかちっぽけな存在なんだとこの世界が圧をかけてくる。空がどれだけの存在なのか、知らしめてくる。酷く嫌な世界、そして酷く美しい世界。
そんな世界に地をつけて汚す者が、ゆっくりとやってきた。
「…あぁ…お前、起きたの」
…シャルだ。気まずそうにシャルは自らの片手を掴む。緊張をしているのだろう、頬からは冷や汗が出ているようだった。
「…はい。あの…」
目の前の少年がたじろぐのを見て、目を細める。優しい微笑みなんかではない、睨みに近い微笑み。蛇に睨まれたような感覚に、シャルは全身に鳥肌が立った。逃げたい、目の前の男が怖い。…
だが、勇気を出さなければならない。
「すみませんでした」
「…空ってさ、男口調だよな。なんかお前に会った時は女口調だっみたいだけど、やっぱり本心が出ると男口調になるんだよ。おかしいよな!」
「…あの」
だが勇気を出したシャルとは裏腹に、睨みを見せた凛は今度は精一杯笑って話を大きくそらした、空振りだ、なにも聞いていないというようなそぶりしか見えない。…お前の謝りなんか聞かないということなのだろうか。
「この木、凄いだろ!沢山の命を助けたんだぜ、ほんと尊敬しちゃうよ」
「…凛さん」
小さくその名を呼ぶ、だが男は止まらない。
「あ、そうそう、空の出したミントティーもう飲んだか?俺あれちょっと苦手なんだよ、珈琲も、紅茶も苦手でさ」
「凛さん!!!」
「…っ…」
「僕は謝っているんです。怒りたいなら、怒ってください」
何も言わない優しさなんていらない。ただ目の前で、怒り、殴り、怒鳴られた方が百倍良い。それがこの人の本心だと頬の痛みが教えてくれるし、きっとこの人は優しすぎて辛いんだということも、空に対する気持ちが知っている。
「俺…」
まさか大声を出せないような相手に大声で怒鳴りつけられ、冷や汗をポトリと落とした凛は、しばらく考え決心したようにシャルの前に向き合った。
「…お前が嫌いだ。大っ嫌いだ。初対面で悪いけど、良い印象なんてもう二度とお前には持てない」
「わかってます」
わかっている。ちゃんとわかっている。
「でも、ごめんって…思ってる」
それもわかる、わかりたくなくてもわかる。
「…こちらこそ、ごめんなさい」
だからこそ、こちらも謝りたい。
→→→→
昼下がりの木下、二人座りあいながら、凛は微笑みを見せた。ちゃんとした、優しい微笑みを。
「…お前の気持ち、わからなくないよ。俺の母さんも…死んじゃったから」
「…僕の父も死にました」
「ふは、仲間だな!」
と、凛は愉快そうに笑う、同時に、悲しそうにも笑った。目の前の少年がどれほど苦労したかはわからない。…ただ、親が幼い頃に死んでしまうこと、それはこの一族では必ず体験することだ。治療によって生きながらえた人だって同じだ。結局、自分よりも子供が先に死ぬ。どちらにしよ、死を感じて生きていかなければならないのだ。
「…お前は俺よりも大人だ。人が考えるうえで、ちゃんとした考えを持ってる」
「…?」
凛の言葉に意味がわからない。という顔を見せると、凛は静かに泣いて笑った。
「俺…こんな見た目してるけど、子供だから。お前よりも長く生きたことないんだ」
「…え?」
「もうこの身体の人は、中身が死んじゃったんだってさ。分家の人間だったらしいぜ。お前の…何にあたる人かはしらねぇけど」
「…」
…凛おじさん…?
父の弟だった人。いつも優しくて、かっこよくて、笑顔を届けてくれた人。…父が死ぬ前、死んだ人間。それが…今目の前に、中身を違えて存在していると言うのか。
「なんで…そんな事に」
「…俺の身体の人、子孫を残そうとしなかったって。だから作って欲しいって言ってたぜ。…一応、この身体の人が、俺の父になるはずだったんだけど。祖母がお母さんになっちゃったな!」
「…嫌じゃないんですか、貴方が、父の体にいるのも、全部全部あの人のせいなんですよ」
普通嫌だと思わないのか、空のせいだと怒号できないのか、何故なのか…理解できないことばかりだ。でも、目の前の男はそれでも。と笑うばかりで。
「ううん。嫌じゃねぇ。嫌じゃねぇんだよ」
悲壮に笑う目の前の少年は、撫でるように横にある木を触った。すると枝が手をめがけて突き刺さり、真っ赤な人間の血を流す。見るからに痛みを思わせるその手も、なんともないというように少年は笑って眺めていた。
「何してるんですか…」
ただの人間が側から見ればそれを狂気と受け取り目を凝視するだろう。だが不思議となにも感じなかった。感じれなかったのかもしれないが。横の木を見る。美しい木はひどく痛く、そして優しかった。
…そうか、この木は…
「どうせ俺たちの命なんてこのたった一本のクソ木のためにあるちっぽけな命なんだよ」
ちっぽけな木、僕らにとって、きっと強敵。僕らはこの木のために生まれ、本来であれば死ぬことすらなく人に注ぎ込まれ、感情を殺して行く。
「それに…空だって痛い思いしてるんだ。俺たちがわがまま言ってどーすんだよ」
そう、空さえいなければ、そういう運命だ。
「…そんなの…僕らの苦しみに比べたら小さいものです」
………………………
「…ふはっ、見えるものしか信じねーのかよお前は」
凛は馬鹿にするように笑うと、無理やり木の枝から手を抜き出した。血が吹き出し、辺り一面が血の海と化したが、その血は吸い取られるように地に消え、木に消えた。
「…少しは、【許す】ってこと。覚えよーぜ。それが俺たちがうまれてきた人生の宿題、宿命だろ?」
許す、宿命、一族が生まれる時、空に精一杯反抗し、絶対に決めた約束事、生まれてしまったら、忘れてしまう悲しい約束事。
「…何を言ってるんですか」
思い出してしまった。あぁ、あの人に反抗してしまった。
「何も…言ってない」
あぁ、でもそれは…素晴らしい思い出。
部屋の点検を一通り終えた後、凛は自ら乗ってきた車に乗り、窓から空を見下ろした。
「そんじゃあ俺行くから。食料とあと書類、ちゃんと届いたよな?」
「ええ、大丈夫よ。それじゃあ行ってらっしゃい」
「あいよ。あぁ、言っておくけどその女口調、さいっこーに似合わないぜ」
「…うるっさいな」
照れ臭そうに下を向く空に凛は笑って頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。
「はは!ま、元気にやれよ、また近頃遊びに来るからさ」
ぐしゃぐしゃのしかめっ面で髪を直していた空だが、凛が笑うと、空も幸せそうに笑う。
「…ああ、いつでも来い」
「っと!そこのしょーねんもな。シャルだっけ?失礼な事ばっか言って悪かったな」
車のハンドルを握った凛だったが、空の隣にシャルが来たことに気付き急いでまた窓の方へと腕を預けると、シャルは普通に話せばいいのに…と顔をしかめながらもぺこりと頭を下げた。
「いえ。あなたのお陰で、僕たちなんとかなりそうです」
「そっかそっか!じゃあ俺たちこれから苦しまずに済むなー」
「…?なんの話だ二人とも」
二人の会話になんとか入ろうと空が聞くが、絶対に入らせない!と凛の手が空の口に塞がる。
「男同士の秘密ってもんよ!女にもあるだろ?」
「…男だとか女だとかはわからないが、まぁ教えたくないならいい」
「いや、大丈夫、すぐ教えるんで」
「……?」
訳がわからない。と顔に文字で書いてある空を読んで、にっこりと笑った凛は、車を動かし元へ来た道の方へと先頭へ向ける、そして、大きく開けた窓から無言で手を振り、隠された、地平線へと走って行った。
→→→→
「…空さん。話があるんです」
「なんだ?」
数分後、完全に見えなくなった凛の車を確認し、シャルは小さく口を開いた。
「この世界って、地平線が切られているように見えますけど、実はちゃんとあるんですよね」
空を写した地がそれを隠しているだけで、地平線はちゃんとあり、ちゃんと道は続き、そこを人は歩ける。この世界になくてはならないものがないなんて、そんな事どうしてもっと早く気付けなかったのだろう。
「…僕たちも、実はそこに居ないように見えて、ちゃんと存在することのできる存在だったのですね」
存在するはずもなかった。だがどうだろうか、存在している、ここにいる、生きている、息をしている。こんな事が、神に想像できたのだろうか。
「僕達がここで生と死を貰えているのは、貴方のおかげです」
そう微笑んで、シャルは横にいる不老不死の少女を見下ろした。…何だろう、何か心臓が破裂しそうなほど締め付けられる。
「あ、あの、シャ…」
よくわからない空気をなんとか壊そうと、空は勇気を出したが…
「どう来て僕達を産んだのですか?」
「へ…」
言葉を断ち切ってまで発したシャルの言葉に心臓が大きく高鳴る。口がガクガクと震え喉が枯れそうなほど暑い。
「きこえなかったですか?ならもう一度言います」
やめろ、やめてくれ。
「どうして、僕達を産んだのですか」
少年が尋ねた。
「そ、そんなの、自分の罪悪感隠しだ」
少女は返した、何かを隠しながら返した。
「そうですか。なら、何故貴方は、身を削ってまで、私達にここまで出来るのですか」
また少年は尋ねた。
「…だから、罪悪感を…」
やめろ、やめてくれ、本当に
……最後に少年は尋ねた。
「僕達を、愛していたから、産んでくれたんですよね」
「…殺して」
少女は___泣いた。
「ごめ…なさい。ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
そして、膝をつき地面に頭をつけた。土下座をし、目の前の男に必死に謝った。
「お願…い…」
空が生まれて来て、いつだって感じていたこと、願っていたこと。この想いだけは、この願いだけは、本人達に言うまいと思っていたことだったのに。
「私を…殺して…!!」
「…」
「僕、昔父さんに言われたことがあるんです」
←←←←
小さな暖炉の近くのソファの上、まだ目に光を宿したシャルが、まだそこに存在していた父とともに、約束事をしていた。
「お前は将来、俺の母に命をもらいに行くんだ」
「母?ママの事?」
母といえば、シャルにとって思い浮かぶ人はたった一人しかいない、だがシャルの父は首を横に振った。
「いいや、その人も母だけど、俺の母でもあり、シャルの母でもあり、もちろん、お前の祖父の母でもある人だ」
まだ小さい子供にとってその意味は、わかるはずもないものであろう。シャルは一つの疑問を浮かべ、父の目を見た。
「お父さんも命をもらうの?」
「…いや…俺は…貰わない。だから、お前とはあまり一緒にいてやれないんだ。ごめんな」
とシャルの頭を撫でる。その優しさに押され、シャルは大きな涙をぼたぼたと落とした。
「…なんで?なんで貰えないの…?やだよ、お父さんと一緒にいたいよぉ…」
「俺が行くと、どうしても母に怒っちゃうんだよ。あの人といると、僕ら一族は皆我を忘れて怒りに任せて母を虐めるんだ」
悲しいことに、シャルの一族は空を見ると怒りに身を任せ彼女を大いに傷つける結果となってしまう。それは、空自身がそう願っているからの行動、無意識で、一族の意思ではないのだ。
「でもね、お前は…お前だけでも、母の味方でいてあげるんだ。母は誰よりも、僕ら一族から嫌われることを願っている。…でもそれじゃあ、ダメなんだ」
そう、たとえ母が…空がそれを願っていたとして、何故彼女に従い、彼女を傷つけなければならないのか、それこそ一族にとって最悪の一言だ。
「たとえ、母に嫌うように仕向けられたとしても、僕らは本心に従って、母を許してやらなければいけないんだよ」
「なんで…?」
「…母には優しくするものだろう?」
そう、父は優しく笑った。
→→→→
「…そんな…事を?」
「うん。僕ら一族は、貴方のせいで本心に従えなかった、貴方の決めた性格に、正確に従うしかなかった。でもそれじゃあ…だめなんだ」
そんなの、絶対ダメなのだ。母である目の前の少女に、敵意を向けるそれこそが、ダメなのだ、最悪なんだ。
「……僕が、一族に代わって言うよ」
僕ら一族が、いつもいつも貴方に伝えたかった事、言いたかった約束を、今、ここで終わらせる。
「僕ら一族は___貴方を許します」
「___」
「貴方は何も悪くないと、貴方は、責められる存在ではないと…僕はここで、神にも誓える」
すぅっと、息を吸って、シャルは幸せそうに、また笑った。
「…これが、僕ら一族が、ずーっと…君に伝えたかった事」
「あ…あぁっ…」
空の瞳から涙が溢れ出す。青く美しい涙は、人間のものではなかったけれど…素晴らしく美しいものだった。
「ここまで随分と遠回りをしてしまって、ごめんね。その分、貴方は傷を背負い続けなければならなかった。…本当に、ごめんね」
…そして
「そして…僕達を産んでくれて、この世界の、生と死の意味を教えてくれて…ありがとう」
生と死があるからこそ、人生を大事に思える。その考えに行きつけたのは、紛れもなく、空のおかげなのであるのだから。
「大好きです…僕らのお母さん」
「…あぁ…ああああああ…」
その後のことはよく覚えていない。
…シャルが死んだと、凛に聞かされた。祖父も、一族に関わるもの皆、消えた。なのに彼らは笑っていた、最後の最後まで、笑っていたのだ。
「もう貴方が悲しむ必要はないです。って…どんだけお人好しなんだか」
死の世界でも散々言われて来た言葉を、この世界でも聞くこととなるとは、思いもよらなかった。
…彼らの感情を無理やりかえさせ、私に敵意を向かせるようにしたのは紛れもなく私だ、そのせいで、彼らは長年辛い思いをして来たのだろう。
もう、彼らを悲しませることはしたくない。彼らの意思に従いたい。…幸せにしてあげたい。
「で、僕らの一族は産まれなくなったわけですけども、貴方はどーするんですか?空さん」
凛が聞いた。迷いなんてなかった。
「私は…人を助け続けるよ」