プログラマ、派遣される
中学生のパソコン部の頃から、プログラミングは好きだった。
だが、いろいろありすぎた。俺はもう限界だ。転職する。
暗い部屋で冷たい指先でキーボードを叩く。
草津 裕、25歳、男性、住所は神奈川県横浜市、連絡先は携帯でいいか。
学歴は私立大学情報学科卒業。職歴、IT系でプログラマやってます。資格、基本情報技術者、応用情報技術者、エンベデッドシステムスぺシャリスト。エンベデッドはまあまあ頑張って入社後すぐに取った。一応、難関資格と言われる部類には入っているが、プログラミングは好きなのであまり苦ではなかった。
クラブ活動…は中学のパソコン部以来ずっと無所属だ。こんな欄のある履歴書を買うんじゃなかった。
趣味特技、プログラミング。漫画も好きだが履歴書には書かないでおこう。
得意な科目、数学、物理。あとは嫌い。英語も大してできない。
志望動機、遊ぶ金欲しさ、では犯行動機だ。プログラミングで一生食べていきたいから。これでいいか?
その他希望、働きたくないでござる。いや、これはさすがに俺でも書けない。特になしでいいか。
あと必要なのは職務経歴書、か。これは今まで作ったプログラムを順に並べておけばいいだろ。
そうして履歴書は完成し、俺の転職活動は始まった。
「では、面接の最後に何かご質問はございますか。」
「いえ、特にありません。」
「結果は1週間以内に郵送でご連絡さしあげます。」
「わかりました。よろしくお願いします。」
[面接結果のご連絡]
今回は残念ながら、希望に沿う結果に至りませんでした。
今後のご発展をお祈りいたします。
「なぜ弊社を志望されたのですか?」
「プログラミングで食べていきたいからです。」
「他の会社でもプログラミングはできますよね?」
「ですが、ここがいいんです。」
「なるほど、ありがとうございます。結果は追って郵送します。」
[面接結果のご連絡]
残念ながら今回はお見送りとさせていただきます。
益々のご発展をお祈り申し上げます
「なぜ弊社」
「御社のシステムに興味が」
「システムのどんな部分にご興味が?」
「プログラムロジックの精緻さです。」
[選考結果のご連絡]
お祈り申し上げます。
結果、5社全滅。
書類は通る。筆記試験も問題ないはずだ。面接で落ちる。
何故か。イライラしているのが伝わってしまったのだろうか。
その原因は、仕事と、彼女だろう。どちらもうまくいってない。
面接で内面のイラつきを隠し通せるほど器用な人間ではないということか。
仕事は何よりも、好きなプログラムを作れないことが一番のストレスだ。
俺は、大規模システムの一部分を作り上げるためにプログラマになりかったんじゃない。システム自体を作りたかったはずなんだ。
目の前のプログラムは何のためのプログラムなのかもわからず、ただひたすら設計書に従って手を動かすだけの機械。そんな物になりたかったわけじゃない。
彼女ともうまくいっていないのは、仕事のストレスを吐き出す場所にしてしまったせいだろう。自覚はある。俺みたいな男にはもったいないぐらいのいい女だ。
飯はうまいし家庭的。モデルやタレントほどではないが、かわいいと俺は思う。
それも俺のせいで終わろうとしている。
とりあえず風呂に入って酒でも飲もう。
何か、もう、全てがどうでも良くなってきた。
とりあえず今の社畜仕事が辞められればそれでいい。
6時に起きて、7時に家を出て、8時始業。23時まで仕事、あとは終電1本前で帰って風呂入って飯食って寝るだけ。この生活があと35年も続くと思うと、俺は何のために生きているのかわからなくなる。
面接のない土曜日、俺は某インターネット掲示板に吐き出しに行った。
彼女とはもう1週間以上連絡が取れていない。とうとう愛想を尽かされたのか、もう吐き出す場所はここしかなかった。
普段から常連というわけではないが、情報収集と愚痴のために月に一度ぐらい覗くことがある。
就職・転職の界隈では今日も、落ちました報告と内定出ました自慢がひしめいている。
なんとなく掲示板を眺め、吐き出せそうな場所を探す。
ふと、ある書き込みが目に留まった。
「生涯収入分保障、プログラマー募集 ttps://…」
たまにある広告書き込みだ。今どきこんな虫のいい話があるわけない。その証拠に、他の誰もこの書き込みには触れず完全にスルーだ。
気がついたらそのリンクをクリックしていた。いやいや明らかに怪しいサイトだろ。
ページが開く。白基調のシンプルなトップページにはこう書かれていた。
「仕事に命をかけられるプログラマを募集しています。あなたのやりたい仕事を好きな方法で実現してください。」
やりたい仕事。この言葉に強く惹きつけられた。
その下には電話番号が書いてある。24時間受付とのことだ。
気がつけば携帯からその番号にかけていた。2コールで女性の声が応えた。
「はい、こちらニューラルネットワーキングです。」
「あの、ホームページの採用情報を見たんですけど、」
「はい、それではこちらの住所に履歴書と職務経歴書を郵送いただいて、後日面接にお越しいただけますでしょうか。」
面接の日程がスムーズに決まった。予定日を手帳に書き込み、その日はお気に入りの甘めの日本酒を飲んで寝た。
そして面接当日の土曜日が訪れた。不満そうな上司を押し切って休みを確保し、面接に向かった。最寄り駅からJRで6駅、さらに乗り継いで2駅。駅から少し歩いて温まったころ、予定時間の10分前に目的の建物に到着した。ホームページと同じ白基調の5階建ての小さいが新しいビルだ。1階の受付で面接を受けに来たと伝えると、側のベンチで座って待つよう指示された。
3分ほど待つと、エレベーターから女性が現れた。
「草津さんですね?本日面接を担当いたします、菊池と申します。よろしくお願いします。」
白いブラウスにスカートの、清楚で美人な女性だった。
「あ、はい、よろしくお願いします、」
「それでは2階の会議室で面接を行います。こちらへどうぞ。」
促されるままにエレベーターに乗り、2階へと上がった。
女性が先に会議室に入り、机を挟んで部屋の奥側の席を勧められた。
「今日は寒い中お越しいただいてありがとうございます。早速ですが、事前に送っていただいた履歴書を拝見しました。プログラマとして働かれていらっしゃるということですね。」
身構える前に面接が始まってしまった。こうなってしまうと準備してきた想定質問が役に立たないので、出たとこ勝負になる。もうどうにでもなれ。どうせ掲示板で拾った面接だ。
「はい、プログラマをしております。プログラミング能力には自信があります。」
「それは頼もしいですね。まだお若いのに、職務経歴書を拝見すると多くのプログラムを作っていらっしゃるようですね。今までで一番能力を発揮できたプロジェクトはどんなものでしたか?」
「小規模ですが、一人で設計からプログラミングまですべて対応したプロジェクトです。」
プログラムというものは建築と同じで、設計してから書き始める。
顧客に必要なものはどんなものかを考え設計するのがいわゆるSE、それを形にするのがプログラマの仕事だ。ただ、自分はプログラマとして使われるだけの仕事をやりたいのではない。建築で言えば、現場の大工ではなく、建築士の方になりたいのだろう。
このプロジェクトは、小規模で納期も長かったので、教育を兼ねて全て自分に一任されたものだ。
「なるほど、素晴らしいです。それでは得意なプログラミング言語はありますか?」
「オブジェクト指向言語が得意です。」
「自己アピールを3分程度でお願いします。」
あとはいつもの面接と同じ流れで、それなりに可もなく不可もなく進んだ。
「あなたは、仕事に命をかけることができますか?」
仕事に命をかける。まあ、仕事がなければ給料が入らず、食っていけないので命はかかっていると言えるだろう。
「はい、かけられます」
そう答えた。
「それでは、本日の面接は以上となります。結果は後日郵送いたします。」
こうしてまた郵便受けが気になる日々が始まった。
面接から4日ほど経ち、仕事からようやく帰って郵便受けを確認すると、いつもの封筒サイズではなく、A4サイズの大きな包みが入っていた。差出人は、ニューラルネットワーキング。
とりあえず落ち着くために晩飯のカップ麺のお湯を沸かす準備をした。
ハサミで丁寧に封筒を開けると、いくつかの書面と冊子が入っていた。
「内定通知」
思わず数年ぶりにガッツポーズをした。ようやく今の会社を辞められる。
冊子には、何やら細かい規則と、前の職場をきちんと辞めてくださいという説明が書いてあった。そりゃもう喜んで辞めます。
別の書面には、採用条件が書いてある。
裁量労働制とし、年俸900万円+出来高とする。
何だこれは。破格過ぎる条件に驚きすぎて、一旦すべての書類を封筒に戻した。
お湯が沸いたのでカップ麺に注ぎ、何もせず3分待った。
醤油豚骨だがちょっと味の薄いカップラーメンを食べながら、考えた。
「これは現実か、夢か。」
だが、ラーメンは正しく熱く、舌先を火傷しながら現実であることを噛み締めた。
「では新手の詐欺か。確かに能力に自信はあるが、それにしても条件が良すぎる。」
とここまで考え、掲示板での書き込みを思い出した。生涯収入を保障します、と書いてあったはずだ。
結局何味のラーメンだったかもよくわからないまま食べ終え、冊子に目を通したがよくわからないまま読み終えた。
冊子を机に置くとき、ラーメンのカップの縁に当たり、盛大にスープをこぼし、冊子を盛大に豚骨まみれにしてしまった。
慌ててティッシュで拭き取ったが、冊子の印刷は滲み、ページ同士がくっついてしまった。無理やり開いても破れそうなので、とりあえず一晩置いて乾かすことにした。その日はいつもの発泡酒ではなく、とっておきのビールを2本飲んで寝た。
翌日も仕事から帰り、乾かした冊子を確認した。完全にページがくっついてしまっている。少し力を込めて剥がしてみたが、1ページ目は表面が剥がれて完全に読めなくなってしまった。
冊子はとりあえず諦め、紙に目を通す。
採用条件 年俸900万円+出来高 裁量労働制
最後までよく読むと、内定承諾のタイムリミットまで残り3日しかないことに気がついた。慌てて他の書類に記入し、翌朝の出勤時に発送できるように準備をした。
翌朝、ポストに寄って出社して、開口一番上司に
「会社辞めます」
と言い放った。
「そうか。有給消化するなら来月末付けでいいか?あと、一応自筆で退職願書いてね。」
と、上司は意外なほど冷静で事務的な対応だった。
朝のメールチェックの後、退職願の書き方をネットで検索し、プリンタからA4用紙を1枚拝借して書き、上司に提出した。
その夜は祝杯として、3000円の赤ワインを飲んで寝た。
次の土曜日の朝、とうとう正式な就職の書類が書留で先方から届いた。
保険の契約書類にも似たそれらを、さっと読んで署名、捺印した。
これで俺も一気に高所得者層だ。しかも裁量労働制とか、時間が自由で最高だ。
最後に溜まり溜まった有給を20日分消化するため、1ヶ月まるまる休みになった。
ブラックな会社だと思っていたが、最後の最後はホワイトだったようだ。離職者に悪評を拡散されないためだろうか。
とりあえず趣味のプログラミングとその勉強をして1ヶ月を過ごした。スマホのアプリを1つ作った。
新しい会社ではどんな仕事を任されるのだろうか。
今から勉強しておくと良いのは何だろうか。流行し始めの量子コンピュータはどうにかして触っておくべきだろうか。セキュリティの勉強もやっとくべきか?
そうしているうちに1ヶ月が過ぎ、退職手続きが済み、入社日となった。
入社初日は、面接があった建物と同じらしい。翌出社から別の場所になるそうだ。
「ではこちらにどうぞ。」
面接の時と同じ女性に案内され、3階の保健室のような部屋に通された。健康診断か?
「では、ベッドに横になって目をつぶってください」
言われるままベッドに横になり目をつぶる。
頭にヘッドホンのようなものを装着された。
「では、契約通り任務が終わるまで帰ってこれませんので」
何?任務?帰れない?ちょっと待て、そんなブラックな契約聞いてないぞ!
「頑張ってください」
聞き終わる前に意識が遠のいた。
目が覚めた。古いレンガ造りの壁が目に入る。ベッドに横になっているらしい。
上半身を起こし部屋を見渡す。先程の保健室ではない。簡素なベッドとシンプルな木製のキャビネットがある。いつの間にか別の部屋に移されたらしい。
「あら、お客さん、起きたのね。もうチェックアウトの時間だよ。」
先程の女性ではない、シンプルな服装のおばちゃんだ。
チェックアウトと言われても、自分はただ言われて横になっただけだ。もう出て行けとは随分失礼ではないか。というかそもそも初日はこれで終わりなのか?
「ほらほら、起きた起きた。こっちも忙しいんで、すまないねぇ。」
「寝ちゃってすみません。健康診断はこれで終わりですか?明日はどこに行けばいいでしょうか?」
おばちゃんは一瞬不思議そうな顔をして、答えた。
「もしかしてアンタ、流行りのあれかい?嫌だわ、ちょっとお待ちよ。」
そう言っておばちゃんはバタバタと階段を降りていった。
明日の出社場所も決まってないのだろうか。転職早々こんな扱いでいいのか、不安になった。
「アンタ、最近たまにいるやつだろ?いきなりわけのわからないこと言い出して、お城に行くとかいうやつ。近所でも何人か湧いててねぇ。どうせまた身分もわからないんだろ?」
「身分は新入社員です。一応面接とかして、明日から仕事と聞いてるんですが。」
本当に大丈夫かこの会社は。配属も決まってなさそうな雰囲気だぞ。
「いいんだよ。うん。とりあえずお城はうちを出て北を見れば見えるからね。」
お城?このあたりに城郭は無かったはずだが。日本史に興味のない自分でも、近くに城があれば流石に覚えている。
面倒事に関わりたくない雰囲気を全力で押し出しながらおばちゃんは言った。
「じゃ、がんばってね。宿代は昨日貰ってるからね。」
半ば追い出されるように建物を出た。
通りは石畳で舗装され、建物はレンガ造りの2階建ての建物ばかりだ。
そこは東京ではなかった。