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――――入ると、中はとても賑やかだった。
下駄箱で革靴から上履きに履き替える俺の耳には、いろんな声が入ってくる。
「前年度、インターハイ予選突破しました! サッカー部入ってみませんか!?」
「バドミントン部は初心者大歓迎! 是非体験入部してみて下さい!」
「新聞委員会です! 年に二回『上向新聞』を発行しています」
「やりがいを求めるには生徒会が一番です! 生徒会に入ってみませんか?」
校舎内のありとあらゆる所で声を張り上げる先輩達。部活動や委員会の勧誘だ。
部活動・委員会の勧誘は、学校登校初日(入学式)からの一週間、というのが上向の決まりらしい。
故に、先輩達は一人でも多くの部員を増やそうと皆、一生懸命になっているのだ。
「きみきみ~うちの黒魔法生成術式開放部に入ってみない?」
甲高い声を無理矢理低くして、話しかけてきた男は俺の目の前で立ち止まった。
……しかし、纏まりのない部活名だ。というか、部活としてよく認められたな。
「いや、結構です……」
と断ると、男は「そうか……」と残念そうにぼやいてから、俺に背を向けた。「だって、見るからに怪しいもん」とはさすがに言えなかったものの、黒いマントを身に着け、顔のほとんどを赤いマスクで覆い隠している男の風貌は、一歩間違えば犯罪者だ。
訂正、間違わなくとも犯罪者だ。
まぁそんなことはさておいて、
「とりあえず、クラスを確認しなきゃな」
俺は下駄箱を通ってすぐ左折したところにある、クラス表掲示板(全新入生のクラスの詳細が書かれている掲示板)に目を向けた。
掲示板周辺は、ただでさえ人口密度の高い校舎の中でも、異彩を放つほどの人口密度を見せており、その様はまるで砂糖に群がる蟻の大群ようだ。
そして、そんなことを言っている俺も一蟻になりに行くために、そこに足を運ぶのであった。
「鬼川、鬼川、鬼川、んーどこだ?」
人混みを掻い潜り、クラス表掲示板上にある自分を探す。
各クラスの出席番号八番辺りを見ていくと、
「あ、あった」
――見つけた。
「一年D組かぁー」
俺は一年D組だった。
今年の一年生は、全体で五百人以上いるため、一クラス四十人でA組からM組まであるらしい。
……何となく、M組にならなくて良かった。何かいじられそうだし。
そんなことを思いながら俺は、四階にある一年D組の教室に向かうため、階段を上ろうとするのだが――
「――――あんたと同じクラスなんて世も末ね」
後ろから聞こえてきた声が、俺の歩みを完全に硬直させた。
文章そのものは、根強い悲壮感を漂わせているのにも関わらず、声自体はとても透き通っており、こんな言葉を言ってしまうのには少しもったいない気がした。
ちなみに、声の正体はもう後ろを振り返らずとも、誰だかわかる。
――鋭倉遥。
俺の友人にして、小学生からの幼馴染。
華やかな紅色の瞳に、輝かしい金色のツインテールが印象的な美少女で、身長こそ低いものの、その態度はやたらと大きいと言った、まぁいわゆる一つの――ツンデレ少女である。
「おいおい、入学早々ひどすぎねーか? 遥」
俺は振り返りながらそう言った。
「気安く名前で呼ばないでくんない!? キモいんだけど!」
「あれ? 何か、言い方酷過ぎね?」
「元々だし!」
……元々かぁ。
確かに言われてみれば、遥は昔から少々尖った性格をしていたが、それでもその尖り方としては、せいぜいバラの棘程度で、こんな日本刀の先端部のような鋭利な尖り方はしていなかったはずだ。
「いやいや、それでもこんなには怖くなかった気が……」
「あんたが名前なんかで呼ぶからでしょ!」
「え? 中学の時よく――」
中学の時。
その言葉を聞き取った彼女は、一瞬ビクッとしてから、
「――う、うるさい! 中学校の時の私は死んだのぉぉぉ!!」
すぐさま俺の言葉を塞ぐようにして怒号を発したのだった。
とその時、
――誰かの視線を感じる。誰だろう。まぁ、いいか。
……まぁとりあえず今は、なぜだが怒ってしまった彼女の癇癪玉を再爆発させないことが第一優先だ。
というわけで、謝っておこう。
「ご、ごめんな」
「……まぁ別にいいけど、これだけは言っておくから」
彼女は一度大きく息を吸った。
そして、
「もう中学の時の私とは一緒しないで」
「お、おう。分かった」
少し俯き、自分の顔に影を作る遥。そんな遥を見て、俺は悟った。
恐らく彼女は、中学生から高校生に、大きく成長しようとしているのだろう、と。
その気持ちは分からなくもないし、実際、尊敬に値しないでもない。がしかし、だからと言って何もキレることは――――
――また、誰かの視線を感じる。誰だ?さっきから。まぁ、いいか。
俺はそんな違和感を掻き消すようにして、言葉を繋いだ。
「でもなんか鋭倉、本当に変わったよな」
「はぁ?」
「いや、別に悪い意味で、とかじゃなくて」
「だからどういう事よ?」
「何か全体的に……綺麗になったよな」
それは彼女の全貌を客観的に視認した上での、ごく一般的な意見だったわけだが、彼女は、
「んななななな何言ってんの! ばばばばばば馬鹿じゃないの!?」
美しい金髪を逆立てて、頬を大いに赤らめるのだった。
高校生になって、大きく変わろうとする彼女だが、興奮すると頬が紅潮してしまうという照れ屋特有の体質は未だに現存しており、俺は……どこか安心した。
「別にそんな照れることじゃないだろ?」
「照れてないし!」
「じゃあ何でそんなに顔赤いんだよ?」
「赤くもない!」
彼女は更に顔を赤くして、そう吠えた。
「いや赤いか――」
――誰かが近寄ってくる。何となく剣呑なオーラが漂っている気がする。あれは誰なんだろう?視界がぼやけてよく分からない。まぁ、いいか。
「――ちょっとあんた! 聞いてる?」
「ぁあ。聞いてる聞いてる」
髪の毛の毛先を弄る彼女は、顔をしかめた。
「さっきからあんた、なんか変よ?」
「そうか? 気のせいだろ」
何となく、あの事は隠しておいた方がいいと思った。
本当に何となくだが。
「っていうか絶対、私の話聞いてなかったし」
「いや、聞いてたよ」
実のところほぼ聞いていなかったが、俺はとりあえず真剣な眼差しでそう答えておいた。
すると彼女は、
「……まぁいっか。とにかく、私急いでるから」
と言って、軽快な足取りで階段を上ってゆくのであった。
どうやら、お咎めなしだったみたいだ。良かった良かった。
「っていうか急いでるなら、俺なんか無視すれば良かったのに」
なぜ、俺なんかに構ったのだろう?
……女子っていうのはよく分からない生き物だな。
そう明言した俺は、彼女に便乗するように階段を上り、教室へ向かっていった。