滉輝
1
俺の名前は鬼川滉輝。
中学時代に滅茶苦茶勉強して、やっとのことで高校受験に成功した俺は今、新たなスタートを切ろうとしている。
現在、時刻は七時四十五分。
俺は玄関前にある大きな鏡で、髪型や制服を整える。
「お兄ちゃんお兄ちゃん、お弁当持った? 寝癖ついてない? 教科書とかも大丈夫?」
中学の制服を身につける彼女は、俺の近くまで駆け寄ると、その紫紺の瞳に俺を映した。
俺の妹、鬼川咲だ。
咲は『親切』と言う二文字を超越したお節介キャラなわけだが、以外とドジな一面もあり、兄として放って置けない存在だ。
「お節介にもほどがあるぞ、咲。今日は入学式で授業がないから教科書はいらねーし、それに学校自体は午前で終わるから弁当もいらねーよ」
「はいはいそうですかぁ~。わかりましたよ」
「またそうやっていじける」
「いじけてないし!」
咲はそっぽを向いた。
どうやら完全にいじけてしまったようだ。
そこで俺は、
「っていうか咲。お前こそ寝癖ついてんぞ」
咲の乱れている銀髪を指さし、そう言って軽く嘲笑してやった。
「え!? 嘘? どこどこ?」
俺の指摘を受けた彼女は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしながら、自分の銀髪を手当たり次第に撫で付ける。その様子からは、彼女が中学二年生であることがまるで窺えない。
――そんな彼女を横目に、俺は革靴を履き、ゆっくりとドアを開けた。
家から出るとまず初めに、道路が見える。所々にひびが入っているアスファルトの道は、今日も静かで、何だか味気なかった。そしてそんな風情のかけらもない道を、俺は退屈そうに歩いていくのだが、
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
後ろから聞こえてくる声には、少量の焦りと憤怒が同居していた。
「も~なんで先にいっちゃうの?」
俺が立ち止まると、家のカギを持ちながら、眉を寄せた妹がこちらへ走ってくる。
そして、息を切らした彼女は、いかにも不機嫌そうな顔つきで俺の前に止まる。
「あ。そうだったな、ごめんごめん」
俺らの進級と同時に両親は共働きになり、鍵の施錠は俺か妹がやらないといけない、ということを思い出し、俺はすぐさま謝罪した。
「まぁ……素直でよろしい!」
「許してくれるのかよ」
「まぁね。私、心広いから」
頭を下げる俺を目前に、咲は鼻高々にそう言った。
「そりゃどうも」
そんな彼女に多少の劣等感さえ感じながらも、俺はまた歩き――
「ちょっと待って! お兄ちゃん」
「ん? 何だ?」
「その……」
何だろう?まぁどうせ咲のことだから、また何かやらかしたのであろう。
俺は息を呑んで、咲の言葉に耳を傾ける。
「――高校生活、頑張ってね」
「はぁ?」
それは、予想外だった。
「だから! ……高校生活、頑張ってね」
「お、お、おう」
妹からの唐突な応援に、俺は困惑してしまった。
そして、そんな気遅れを誤魔化すように、彼女の頭を撫で、
「咲もな!」
「うん」
そう言った咲は、白い頬にやんわりとした笑窪を作る。
そう言えば、彼女に背中を押されたのはこれが初めてだな。
「よしっ」
――覚悟を決めて、空を見上げた。
人の背中を押せるようになった妹に、いつまでも感心しているばかりではいられない。今日から俺は高校生なのだから。
自覚を持たなくてはならない。
「頑張ってみるかぁ」
俺は、空に向かってそう呟いた。
これからの高校生活。誰よりも有意義で、そして素晴らしいものにしていきたい。
そんなことを思いながら、俺は高校――上向学園港北高等学校に向かうのだった。