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――――2XXX年、三次元の人間達によって、『二次元空間』に作り出されたこの二次元管理局は、多種多様なアニメを司る機関である。
三次元からくる要請に応え、要望通りのアニメの世界に要望通りのキャラを登場させ、そのキャラの全てに『感情コントロール機能』を取り付けることによって言動を制限し、内容通りに話を展開させていくことを主体として活動している。
まぁざっくり言ってしまえば、アニメを製造する仕事を任されている。
作画崩壊の回避や、忙しすぎる三次元業界の制作進行が受ける仕事を減すのが目的らしいが、こっちとしては逆に、三次元世界の方のCGデザイナーや原画マン達の首を絞めている気がして(というか完全に淘汰している)、何かつらいんだよな。
まぁ、そんなことはさておき、局長であるボクは今、かなり焦っている。
「局長? さっきから何ブツブツ一人で言ってるんですか? 汚いですよ」
「せめて、気持ち悪いと言ってくれると助かるよ」
「気持ち悪いですよ」
「言い直す必要はなかったよね」
真剣な面持ちで軽口を交わし合いながらも、物静かな廊下を足早に進む。隣でミディアムストレートの赤髪をなびかせて歩いているのは、ボクの一部下――炎菜だ。
「そろそろです」
炎菜はそう言うと、歩くスピードをさらに速めた。ボクもそれに負けじと、どこまでも母親についていく子供のように、否、美少女を追いかけるストーカーのようにより一層歩行のペースを速めた。
静寂が佇む廊下の両端は白い壁で覆われていて、その所々にアニメのポスターと思われるものが貼られていた。立ち止まって見入ってしまうほどものではないが、どれもインパクトがあって、つい、目を奪われてしまうぐらいの完成度は誇っている。
「ここです」
炎菜は急に立ち止まって、廊下の左側にある黒いドアを指さした。見ると確かにそのドアには、『制作部』と書かれている。
ちなみに、ボクが炎菜からの緊急連絡を受けた部屋は『広報・情報管理部』と呼ばれ、データの管理や広報活動をメインに仕事をしているが、この制作部というのはアニメの製造を主体として活動している。
そして、どうやらこの制作部に配属された新入りが、例の問題を起こしてしまったらしいのだ。
「はぁ~……」
ちなみに今は、「とりあえず状況を確認したいから、新入りのところまで連れて行って」というボクの面倒な要求に、珍しく素直に頷いてくれた炎菜のご厚意(ご厚意と言っていいか分からないが)に甘えて連れて行ってもらっている、という次第だ。
……我ながら情けないな。情けなさすぎる。故の溜息だった。
「行きますよ」
炎菜が手荒にドアを開ける。彼女に先導されるがまま制作部に入ると、何やら部屋の左奥から甲高い声が聞こえてきた。
「あっ炎菜さん! 局長! こっちです」
この声は……新入りであろうか。
ボクも、『さん』ぐらいは付けて欲しかったものだ。まぁいいか。
「今行くから」
そう言って、ボク達二人は軽く手を振りかけた新入りのもとへと、急いで駆け寄る。
制作部の部屋はさながら『個別塾』のようであった。規則正しく並べられた机と机の間には、真っ黒な仕切り板が設けられており、そこに『個別ブース』のような空間を演出していたのだ。
「ご、ごめんなさい! つ、つい横着しちゃって……!」
薄桃色のふんわりとしたショートボブを揺らし、新入りは必死に頭を下げる。
何かこう、彼女の申し訳なさそうに瞑る目や怯えた口元を見つめていると……こっちが悪いことをしているような気持ちになってくるな。
妹を泣かせてしまったお兄ちゃんになった気分だ。
まぁそれはそれで悪くないが(というか後小一時間はこの状態でいたいものだが)そういうわけにもいかないだろう。とりあえず今は、新入りに落ち着きを取り戻してもらうことが最優先だ。
故にボクは、
「ま、ま、まぁ、お、おち、おちちゅ、おちゅちゅ、お口くちゅくちゅ!!」
「落ち着いて」と、ただ、そう言いたかっただけなんだけどな。
「いや局長が落ち着いてくださいよ! あとちょっとで、モ〇ダミンとか言いそうになってましたよ!」
全く。炎菜の言うとおりだ。ボクが狼狽してどうする。モ〇ダミンとか言いかけてどうする。
「っていうか局長?」
「ん?」
そんなボクの様子を見かねた炎菜は心なしか眉間に皺を寄せ、こう言い放った。
「――今日の局長……何か変ですよ?」
図星を突かれた。どうしよう。
流石は炎菜だ。伊達に何年もボクの部下をやっていない。
そんな彼女の一言で、ボクの心拍数は一気に加速していく。
「……そ、そうかな?」
「そうですよ! 何か局長、焦りすぎな気がします。だって、たかが世界を誤生産しただけですよ?」
「たかがって言うけどねぇ、年に一回起きるかどうかのミスなんだよ? 三次元の人間達から怒られるのはボクの方だし」
「いや、でも……!」
「ボクとしては、十分焦っても良い案件だと思うけど?」
「まぁそうなんですけど! ……やっぱりそれでも、何か変です」
やはり、彼女には分かってしまうのだろうか?
いつものボクに見えないのだろうか?
ボクは今、何もなかったかのように振る舞えていないのだろうか?
……だとしたら、まずい。
そして、そんなボクの懸念を余所に炎菜は、
「今日の局長、なんか変だよね?」
と、共感を求めるかのように新入りに尋ねる。がしかし、
「そうですかぁ? いつもですよぉ」
と、新入りは意地の悪い笑窪を作りながら、そう答えたのだった。
正直、素直に「ありがとう」とは少し言いづらい部分もあるのだが、それでも新入りの言葉は、無理やりにでも感謝しなければならないくらい、ボクにとってかなり都合の良いものだった。
なぜなら、彼女の言葉は、
「ま、まぁ、そう……よね」
こうして炎菜を納得させてくれたからだ。
まぁこれでとりあえずは、一安心といったところであろう。ここで炎菜が納得してくれたことはボク的に、かなり大きい。
「はぁ~あ。変人で良かった……」
そしてボクは、か細い声でそう呟いたのであった。
『変人で良かった』と、そう思えたのはこれが、初めてかもしれない。
というのも彼女達に『局長=変人』という固定観念がなければ、こんな風にあっさりと状況を打開できていなかったからだ。
もしボクが常人であろうものならば、彼女達にボクの精神状態の異変をすぐにでも感づかれ、その後、ひたすら尋問されていたに違いない。はぁ恐ろしい恐ろしい。
そんなわけで、今現在の状況があるのは正に『変人だから、できたこと』である。ボクの変人っぷりに、感謝感激だ。何かやっぱり、素直に喜んでいいのか分からないけど。
「えっ? 今局長何か言いました?」
「いや何も」
そう言った後、ボクは炎菜に背を向けて、続けた。
「何でもないんだ……本当に」
ああ。そうだ、その通りだ。何でもないんだ。何もなかったんだ。
気がかりなことなんて、心配することなんて、何もないんだ。本当に。
そうやって自分の心に言い聞かせないと、炎菜が、いつもと違うボクに更なる違和感を抱いてしまいそうで、怖かった。
「そうですか……なら良かったですけど」
嘘を付くのはつらい。いつだって、そして誰だってそうだろう。
ましてやこんな美女に嘘を付くのはもはや、犯罪行為だと言ってもいいぐらいだ。
ボクは一体何をしたのか?
そして、何に恐れているのか?
気になるところだと思う。今からその話をしよう。