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少し長いです。

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「今日、何か色々あったなぁ……」


 下駄箱で少し立ち止まった私は、今日(まだ午前中なんだけど)を振り返る。思えばそうだ。

 登校中には新田君と出会い、校舎の中では彼の友達である神道君とも知り合った。

 そして何よりあの不可思議な感覚が――――


「そうだ! 今日早く帰らなくちゃいけないんだった!」


 あの(おぞ)ましい既成事実を無理やり覆い隠すように、私は適当に言葉を吐き捨てる。

 気を紛らわす。あの感覚ごと忘れてしまおうとする。


 そして、急いで上履きから革靴に履き替えようとするのだが、


「あの~すいません。ここら辺に画鋲落ちてませんでしたか?」

「画鋲?」


 帰路を早くも遮られた私は、少しの憤りを感じつつも、辺りを忙しく見渡した。

 出入り口付近の壁には、特にたくさんのポスターが張られており、その多くは部活動勧誘系のものだった。そしてそのポスターを壁に固定していたのは確かに、無数の画鋲だった。「なるほど、だからか」と 心の中だけで納得した私は、早口で続けた。


「いえ、見ませんでしたけど」

「そうですか……それは残念」


 男性にしては長めの髪を自分で撫でつけながら、私の前に立つ彼は微かに苦笑する。私は、手に取ったままで、しまいかけだった上履きを灰色のロッカーにしまう。


「では、私帰らないといけないんで」

「…………」


 軽く会釈する私の傍ら、彼は薄い唇を固く結んで押し黙っている。会釈もしない彼は何やら、『釈然としない』というよりかは『何か考え続けている』というような感じで形の良い眉をひそめている。そして革靴を履き始める私に、


「あーあ、残念だなぁ……がびょーん!」


 彼は言葉を言い放った後、すぐに私の顔を窺ってきた。「どうだ」と言わんばかりの視線を、眉毛を豪快に上げて向けてきている。

 こ、これは、どうすれば良いんだろうか…………。

 とりあえず私は、その目線には応じずに、聞こえなかったふりをして灰色に色づいたロッカーにかぎを掛ける。が、


「あぁ。画鋲だけにね」


 それは分かっている。


「…………」

「……画鋲だけにね!」


 何で二回も言ったの!?

 まさか自分で面白いとでも思っちゃってるの?

 痛い!痛すぎる!見てるこっちが痛くなってくるよ!

 音楽の授業で皆の前で歌のテストをする時、正直壊滅的な歌唱力なのに「俺(私)は歌がうまいんだぜ(のよ)☆」と独りで思い上がっちゃって、自分の下手さに気が付かないまま、大きい声で堂々と歌っちゃう男子(女子)ぐらいの痛さだよっ!


「…………」


 少しの間、二人の間に深い溝のような沈黙が生まれる。

 私は決意した。


 ――よし、帰ろう。その溝にはまって帰れなくなってしまう前に。帰ろう。もうこれ以上ここに長居するメンタルなど、私にはないし。

 ロッカーの施錠後、私は、彼を無視してそそくさと帰宅しようとする。しかし、


「面白かった?」

「はぁ?」


 頓狂すぎる発言に思わず反応してしまった私を、彼は逃さない。鮮やかな紺色の瞳を輝かせ、私の声に間髪入れることなく話を切り出した。


「いや、さっきの僕の渾身の一発、面白かった?」


 私はもう、すごいと思った。もう既に心には数千もの画鋲が突き刺さっているはずなのにも関わらず、彼は「面白かった?」と、そう聞いてきたのだ。

 これはもはや称賛に値するレベルなのではないか。と同時に、病院を紹介した方が良いレベルなのではないだろうか。そのぐらい凄まじいメンタルを彼は保持している。

 しかも先程の小学二年生でも言えそうなオヤジギャグを、自分の中での『渾身の一発』だと、公言できてしまうのだ。


「……はい、まぁ、面白かった、です」


 言葉を切りながら、顔を引きつらせて私は言葉を繋ぐ。

 縋るように周りの様子を見渡すが、なぜだか辺りには誰もいない。あれだけの賑わいを見せていた場所が、こんなにも静かな空間になってしまっていたことを、私は今になって気づいた。


「良かったぁ……」

「良かった?」


 あ、また反応してしまった。


「はい! 良かったです……ボクのギャグ、誰にも笑われたこと……なかったので」


 正確に言ってしまえば、私は「面白かった」と言っただけであり、笑ってなどいない。だがしかし、この状況で彼に正確な情報を伝えるのは流石に残酷であり、一個人の感情を踏まえた上でそれは、正解だとは言えない。

 故に私は、


「そ、そうですか」


 話を適当に流した。


「だから! まぁ良かったです!」


 明るくなったり。暗くなったり。そしてまた、明るくなったり。

 壊れかけの電球のような彼の言動に、私の情緒が振り回されそうになる。そこで、


「じゃあ、ギャグをやって滅茶苦茶白けた後に、その白けた感じが面白くて笑われたことは?」


 『滑りキャラ』(分かりやすいボケでほぼ毎日のように滑っている人)の定番。ボケた後に訪れる一瞬の静寂が何とも言えない面白さであり、『滑りキャラ』の中には、鼻からこれが狙いでわざと左程面白くもないことを大きい声で言う人もいるくらいだ。

 恐らく『滑りキャラ』であろう彼は、この経験を必ずしているはずだ。そして彼が何とも残念そうに「あります……」と呟いたとき、教えてあげよう。そういう笑いの取り方もあるんですよ、と。それは、誇るべきことなんですよ、と。あなたのような人がクラスに一人は必要なんですよ、と。

 そして彼の心に明かりを付けた上で、気持ちよく帰ろう。


「――――ないです!」

 

 ごめんなさい。傷口を抉ってしまいました。抉る気はなかったのですが、結果的にそういう形になってしまいました。

 なんか本当に、すいません。


「……そそ、そうですかぁ」


 多分周りの人も、もはやそれがボケだと、分別がつかないのだろう。そして、一瞬の静寂さえ生まれずに、流されてしまうのだろう。彼のボケを見た人達の呆けた顔が、目に浮かぶ。こうなると、どっちが可哀想なのか分からなくなってくる。

 そして、


「…………」

「…………」


 二人の間に重苦しい空気が生まれると、彼は伏せていた目をパッと開き、それを打破するように、わざとらしい大声で会話を展開した。


「僕、大門寺豪です! これも何かの縁ですから! 名前、教えてくれると嬉しいです」


 大門寺豪。すごい名前。

 それにしても彼の細めの身体は、全然『大門寺』っていう感じではない。そして『豪』と言う感じでもない。


「……私、南奈々です」


 そう言ってから私は、浅く一礼をする。

 本当は早く帰りたかった。けれども、人の自己紹介を無視してまで、早く帰つもりは全くなかった。

 一礼し終えて、ふと視線を上げると、彼の視線の焦点とちょうど合致した。

 照れ臭そうに笑いながら、「一年生ですか?」と聞いてくる彼に、私も笑顔を面に張り付けながら、返答した。


「はい、そうですね……じゃあ、あなたは?」

「二年です」

「はぁ~二年生でしたか」

「ちなみに、生徒会役員の書記長やってます」

「あ~そうでしたか、生徒会役員さんでしたかぁ。しかも書記長さん」

「はい」

「生徒会?」

「はい」

「書記長さん?」

「はい」

「…………生徒会」

「そうですが?」

「生徒会!?」

「どうしました?」

「しかも二年生!?」

「今頃ですか?」


 キョトンとした紺色の瞳で私を見つめる大門寺さんは、お世辞にも健康的とはいえないぐらいに細い首を、気怠そうに傾げる。


「見えなかったですか?」


 眠たそうな顔をする彼の全貌を、呑み込むようにして再視認。しばし声も出せずに私は視線だけを上下させ、見入ってしまっていた。


 ――正直彼の脳みそレベルは(あの酷過ぎるダジャレから考えて)小学校高学年にも達していない気がする。そんな彼が生徒会役員なんかに入って大丈夫だろうか。周囲の生徒達を先導していけるだろうか。そしてそんな彼が生徒会に当選してしまうようなこの学校は、本当に大丈夫なのだろうか。


「…………」

「……南さん?」

「あ、はい!?」


 苗字を呼ばれ、我を取り戻した。


「どうしたんですか?」

「大門寺さんが、一年生の私に敬語を使うので、てっきり一年生なのかなぁと。しかも生徒会役員さんだったんで、少しびっくりしちゃいました」

「いや~僕、誰に対しても敬語なんですよね。話しかけた人が先輩だったら困りますし」

「へぇ~、大門寺さんって意外としっかりしてらっしゃるんですね」

「意外と?」


 思わずぼやいてしまった意外と、という言葉に彼が食らいつく。その様はまるでピラニアのようだ。鋭利な刃で突っ込んでくるその様を見て、「彼はツッコミの方が良いかもしれない」と私は、思ったのであった。


「ぁあ! いや、な、何でも、ないです!」

「南さんって面白い人ですね」


 私の焦り具合を見て、肩を揺らしながらクスクスと笑う大門寺さん。

 そんな彼に少し腹を立てた私は、「少なくともあなたよりかは面白いですよ」と、皮肉でも言ってやろうと思ったのだが、


「では、私帰らないといけないんで」


 止めておいた。

 ……もうそろそろ本当に帰らないといけないし。


「あ、はい。引き留めてしまって、申し訳ないです」

「いえいえ」

「では。お気をつけて」


 大門寺さん。

 案外、いい人だったな。


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