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 怒号にも悲鳴にも奇声にも属さないその声は、お互いの聴覚神経を刺激し合う。

 彼女と目が合った瞬間。心臓がドクンと音を立てて収縮した。

 まるで、何かの始まりを合図するかのように。


「なん、なんだ……?」


 そして、前とは比べ物にならないくらいの強大な違和感が、胸の中を徘徊し、俺は困惑してしまった。

 どうしてこのような惨事になってしまったのか。

 ただ人とぶつかっただけなのに。

 なぜこんな目に合わないといけないのか。

 彼女と会ったのが良くなかったのか。

 将又、俺の存在が良くなかったのか。

 もしかして、あの声と何か関係があるのか。

 脳みその中は既に、フツフツと湧き上がるいっぱいの疑問で溢れ返っており、多様な原因と可能性を様々な角度からを模索している。

 そして、


「どういう、事なんだ……」


 俺がそう呟いたその時、



 ――――その違和感が何なのか知りたいか?なら教えてやろう。



「…………ッ!!」


 この感覚。三度目だ。ただ何度来てもやはり慣れはしない。

 気持ち悪いものは気持ち悪い。

 緊張と不満が心を包み込み、二の句を継げることができなくなくなってしまう俺。

 そんな俺を軽くあしらうかのように、その感覚は、



 ――――違和感の原因は……君の目の前にいる彼女が、美少女じゃないからだ。



「はぁ? 何言ってんだよ! 意味分かん…………」


 きっぱりと断言しようとした途中で、俺はふと思ってしまった。


 ――確かにそれもそうだな、と。


 自分でも変なことを言っていると思う。

 だが、確かにそう感じてしまうのも、不変の事実なのである。


「クソっ! なんでだ!? 益々意味分かんなくなってきやがったぞ!」



 ――――分からないか?

 なぜその子が美少女じゃないといけないか、分からないのか?

 それは君の周りを取り巻く人間は皆、美少女じゃないといけないからだ。

 では、何で君の周りを取り巻く人間が皆、美少女じゃないといけないのか、君には分かるか?



「はぁ? そんなこと分かるわけ――」



 ――――それは、君がハーレムアニメの主人公だからだ。



 何を言ってるのだろう?

 さっぱり、分からない。

 言葉を咀嚼できない。

 故に、意味が呑み込めない。

 ただ、俺はそんな意味不明な単語の羅列に『核心を突かれた』そんな気さえしてしまったのだ。

 そして、


「――俺がハーレムアニメの主人公?」


 そう呟いてしまったその瞬間、


「ぐぁぁあああああああ!!」


 俺はハーレムアニメの主人公なんだ。

 と心の隅で完全にそう思ってしまったその瞬間。

 体中を抉られる様な激痛が走り、見えていたもの全てが理不尽に――曲がりくねり始めた。

 踏みつけているアスファルト。道路。住宅。空。太陽。そして前に立つ彼女の全貌でさえも、狂ったように歪曲している。


「……な……なん、だよ、これ!?」


 どこに視線を旋回させても、歪曲を貫徹する視界に俺は狼狽し、髪の毛の何本かをむしり取った。 

 どんどん荒くなっていく息遣いを構う暇もなく、ただただ目前で起きる支離滅裂な現状を目に焼き付けることしかできない。


 曲がる地面。曲がる道。曲がる家。曲がる空。曲がる太陽。曲がる女。

 目の前に広がる歪んだ世界に俺は、泣きそうになりながら、嘆いた。


「な、なんで、こん、な事に……? ただ彼女と、ぶつ、かっただけ、なのに……?」


 起きている状況も、痛みの原因も、捉える感覚も、全てが謎だ。

 そしてそんな、現状に追い打ちをかけるかのように、



 ――――殺せ。



「またかよ!!」

 もういい。もう、お腹いっぱいだ。

 そう思う俺だが、あの感覚は――鳴り止まない。



 ――――今現在の状況は、全て彼女がもたらしたものだ。助かりたいなら、この世界から除外されてしまった普遍を取り戻したいなら、彼女を殺すしかない。

 だから、彼女を殺すんだ。



 中途半端な低さの声が、うずまき管に鳴り響く。気持ち悪い。頭が痛い。意味が飲み込めない。

 そして、何もしたくない。



 ――――殺せ。



 嫌だ。



 ――――殺せ。



 嫌だ。



 ――――殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、ころ――



 とその時、刹那、耳元でプツンという音がした。

 そして、それ以来、


「――――ッ!?」


 ――――あの声が…………否、全ての音が聞こえなくなってしまった。

 自分の声も、彼女の声も、聞こえなくなってしまった。

 ……音って何なんだっけ?

 音という概念がわからなくなった俺の眼前には、見る見るうちに無音の空間が広がってゆく。

 普段、どこにでもあるような喧騒が、途端に聞こえなくなってしまうのは、何だか虚しく 、どこか寂しく、そして とてつもなく恐ろしいことだった。


「――――」


 そしてそんな戦慄的沈黙の中、俺の瞳に、グチャグチャになった彼女の姿が映り、


「――――ッ!!」


 俺は必死に助けを求めた。

 嗚咽する声を震わせて、必死になって彼女に縋り付こうとした。


 だがしかし、一心不乱に助けを求め、何としてでもこの理不尽な状況を打開してやろうと思う俺のしぶとい生命力も、


「…………」


 遂に、限界を迎えたようだった。


 ……もう、無理だ。


 視界が狭くなっていき、頭痛が激しさを増していった。

 そして、意識が朦朧としてきて、俺はゆっくりと――目を瞑った。


「――――――――――」


 拙い視界が、シャットダウンされたパソコンの画面のように、完全に真っ暗になる。

 そして、俺は思う。

 最期まで自分のことを肯定できないままだった。

 最期まで自分のことを好きになれないままだった。

 ここで死んでたまるかと思いたいところだが、もう限界だ。

 俺は弱い。

 これから強くなろうと思っていたのだが、無理だった。

 現実は想像以上に厳しかった。

 社会はそんなに甘くなかった。

 運命は待ってはくれなかった。


 ――――彼女の存在。美少女。主人公。別世界。ハーレム。


 俺にはまだ分からないことが沢山あった。

 胸にある違和感も。脳裏に芽生える意味不明な言動も。彼女の存在意義も。そして自分が今ここで死ぬ理由でさえも。

 全てが把握できていないのだ。


 それなのに俺は、鬼川滉輝は、状況を飲み込めないままに――――死んでしまった。



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