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後編 その一

 工事現場はすっかり雪に覆われていた。

(やばいな……これじゃ寒くてとても眠れないだろうな)

 ユンボの屋根に積もった雪の厚みを見て、裕哉はつぶやいた。といっても、他に行く宛はない。遅い時間に町をぶらつくと、警官に呼び止められる。ここなら、周りをトタンで囲ってあるから、他人の干渉を受けずにすむ。


 もう夜の七時をまわっていたが、雪明かりで、敷地の中をよく見渡せた。積み上げられた鉄骨、基礎だけが打ちっぱなしのコンクリート、無機質で暖かみなど欠片もかんじることのできない空間が妙に落ち着く。


  ここには大きなマンションが建つ予定だったのだが、折からの不況で工事が中断したままになっている。朝になってもやって来る人はいない。裕哉はいつもねぐらにしている土管の方に向かった。


 地下にライフラインを通すための土管だけあって、子供一人が中で立てるくらいに太い。さすがに暖かさはさして期待できないが、風と雪を防げるのはありがたかった。 肉まんを袋から出して頬張る。一個目は食べることだけに集中した。食べ物が胃に収まると少しは暖かくなった気がした。 二個目はレモンティーを飲みながらゆっくりかみしめて食べるのがいつものやり方だ。


 まだほんのり温かいレモンティーのペットボトルを両手で包みながら、佐々木舞のことを考えた。

 せっかく話しかけてくれたのに、あんな風に突然逃げ出したりして、彼女は気分を害しているかもしれない。自分に差し出された唯一の温かい手を振り払ったようで、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


 しかし、舞はどうしてあの場所にいたんだろうと、裕哉は思った。コンビニに行く用事などいくらでもあるだろうけど、裕哉にはあのラッピングされたチョコのことが気になって仕方なかった。 ひょっとしたら舞はあれを買うためにコンビニに寄ったのではないか。そうだとすると、渡す相手は誰なんだろう。一瞬、長瀬の顔が浮かんだが、慌てて打ち消した。舞に限ってそれはない。長瀬たちが裕哉をイジメはじめると、彼女は顔を顰めて教室を出て行く。クラスの女子がどれだけ裕哉を蔑んでも、彼女だけは笑顔で挨拶をしてくれる。冷たい牢獄のような教室にあって、舞の存在は一つだけ開いた明かり取りの窓のように、裕哉の暗い心を照らしてくれる存在だった。そんな舞が長瀬のような冷酷な男を好きにはるがずはない。


 では、誰のために買ったのだろう。裕哉は自分という可能性について考えてみた。しかしこれもすぐに打ち消さざるをえなかった。自分の中に舞を惹きつけるものなどなにもないからだ。ろくに話したこともないし、第一こんな顔にブツブツがいっぱいある男を彼女が好きになるはずはない。

 だからといって、彼女を責めるのはまったくの筋違いだ。せめて顔にでき物などないツルツルした顔だったらどんなによかっただろう。イジメられることもなかっただろうし、母さんだって自分を愛してくれたはずだ。そんなことを考えていると、どんどん切なくなってきて、やっぱり自分は母さんの言うように、出来損ないで生まれてこなかった方がよかったのだと裕哉は思った。

 ハンサムでなくてもいい、人が目を逸らさず話をしてくれるそんな顔に、次こそ生まれてきたかった。


 裕哉は昼間の外人のことを思い出した。あの女はどうして目を逸らさなかったのだろう。そうすることが失礼だと思ったからだろうか。しかし裕哉にはあの女が自分の中のもっと別なものをみているような気がしてならなかった。


 いきなり強い光が裕哉を照らした。バシャッという音がしたかと思うと、額になにかが命中した。

「おっしゃ!」

  光の向こうにエアガンを持った長瀬の姿が見えた。

(なんでこんなところに)

  考える間もなく、反対側に向かって逃げた。長瀬が連射するエアガンが身体のあちこちに当たるのもかまわず土管から這い出した瞬間、上から何かが落ちてきた。石原だった。

「ホームレス確保に成功!」

  裕哉の背中に馬乗りになった石原が叫ぶ。


「おふくろが営業中で、おんだされたのか?」

 長瀬がLEDのライトで顔を照らした。

「なんでここにって顔してるよな?」

  黙っている裕哉の目の前に、長瀬は茶色い小銭入れを落とした。裕哉はあわててポケット探ってみた。


「親切なクラスメイトが拾ってくれたのさ。追いかけたけど、お前が工事現場に入ってくのをみて、俺にメールしてきたんだ。そりゃそうだよな。土管なんかで寝起きしてるキモイのに関わりたくないわな」

「嘘だ!佐々木さんはそんな人じゃない」

 裕哉は思わず叫んだ。

「嘘じゃねえよ。知らねぇようだから、教えてやるよ。俺と舞は付き合ってるの。あいつの胸だって揉んだことあるんだぜ」

 長瀬は勝ち誇ったように嗤った。

「おや、こいつ泣いてるぜ。ひょっとして佐々木に惚れてるんじゃないの?」

  茅野が裕哉の髪の毛を掴んで顔を持ち上げた。


 自分の中の大切にしていたものがまたひとつ壊されていくのを裕哉は感じた。


「汁男の分際で他人の女に惚れるとか生意気なんだよ。今からドラム缶やりに行くぞ!」

 長瀬が裕哉の横っ腹を蹴って、いった。


( いったい自分がなにをしたというんだろう。ただ大人しく片隅で生きているだけでいいのに、なんでこんな目に合わないといけないんだ。

 ぼくが汚いのも、臭いのも、顔がキモち悪いのも、ぼくのせいだというの?)


 地面に這いつくばる裕哉を石原が力任せに持ち上げた。


「……もう嫌だよ、だれか助けてよ……お願いだからぼくを助けて!」


 強い風が吹いて、積もった粉雪を舞い上げた。月の光を集めたような青いスポットライトのなかに、あの女が立っていた。

 ゆったりとしたフードのついた黒いローブを身にまとい、砂金のようにきらめく髪を揺らしながら、女はゆっくりとこちらに向かって歩いてきた。


「今度はちゃんと聞こえたぞ」

 女は裕哉の目の前で微笑んだ。


「さっきの外人だ」

 茅野がいった。

「頭がおかしいんだろ。ここなら誰も居ないし、やっちまおうぜ」と、長瀬がいった。

「ちょっと、歳食ってるけどなかなかそそるカラダしてやがる」

 石原が女に手を伸ばした。

 しかし、その手が女の体に触れるより早く、平手が飛んできた。巨体の石原が雪の上に吹っ飛んだ。


「まったく胸糞の悪いガキどもだ。百万回の善行を積まなければ消えない罪人の烙印を押してやる。鏡を見るたびに己の愚かさを悔いるがよい」


 女は茅野の胸ぐらを掴むと、同じように平手で頬を打った。茅野の頬には赤黒い手のひらの跡がくっきりと残っているのを裕哉はみた。


「おまえには特別に二つくれてやろう」

 女は長瀬の方をみて、いった。

「やめろ! ぼくの父さんは県会議員なんだぞ。警察の偉い人にもいっぱい知り合いがいるんだ。手を出したらただじゃすまないからな」

 長瀬は喚いた。

「そいつはよかったな」

 女は両手を広げると、まるでシンバルでも叩くように長瀬の頬を両手で打った。

 裕哉には長瀬の顔が一瞬、押しつぶされたように見えた。

「おまえら、何してる! こいつをやっつけろ」

 長瀬はムンクの叫びのようなポーズで、甲高い声を上げた。

「智樹、おまえ……その顔……」

 絶句した石原はそのまま逃げ出した。茅野がそのあとを追いかける。

「父さんに言いつけてやるからな!」

 長瀬は何度も転びながら、走り去った。


 彼らの惨めな姿をみても、裕哉はすこしも心が晴れなかった。信じていた佐々木舞にまで裏切られて、すべてを無くしてしまったように心は空っぽだった。

 これまでどれだけ傷めつけられても、悪いのは自分で、他人に攻撃的な感情を抱いたことのない裕哉の心に、初めてどす黒いものが沸き起こった。


「あいつらは死ねばいいんだ。佐々木も母さんもあの男も、町の奴みんな死ねばいいんだ!」

 何度も何度も、地面に額を打ち続けながらつぶやいた。


「その望み、叶えてやろう」

 女の氷河のような凍りついた瞳が裕哉を見下ろしていた。














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