第十八話 悪しき鬼の『異形』は落花狼藉とその力を奮う
「───シルメリア……ッ!!?」
先程のシルメリアの放った魔術の時よりも大きな砂埃が舞う。奪われた視界の中で俺は必死に彼女の名を呼び、姿を探すが、応える声は返って来ない。
状況が分からない。いや、少なくとも分かっている事はある。
悪鬼は内に宿る魔力で無詠唱での魔術を発動させ、自分の周囲に向けてそれを放った。
その威力は凄まじかったが生憎俺は擦り傷一つ負っていない。無論《異能》の力が理を破壊し、爆炎を無効化している。
───だが、シルメリアは……?
途端に背筋が寒くなる。生温かい冷や汗が背を伝いながらも胸を締め付ける不安を振り払う様に周囲の砂埃を手で払う。はたしてそれにどれだけの効果があるのか考える余裕もなかったけれど、彼女の無事を確認するまでは拭えないこの焦燥感が俺の身体を無意識に動かす。
「シ、シルメリアッ!返事してよ……!?」
再度声を張り上げるがそれに対する応えはない。
やがて砂埃の止んだ視界に映る彼女の姿。
「シルメリア……ッ!?」
地面に伏せるシルメリアに駆け寄った俺は彼女を抱き抱える。嗚呼、良かった……息はある……。
「……シ、シルメリア……」
情けない声が届いたのか閉じられていた目蓋が開かれ、緋色の瞳がこちらを見つめた。
「……一瞬だけど意識が飛んでいたみたいだ……それでも間一髪防御魔術が間に合ったよ。心配かけてすまない、それに……そんな表情しないでくれよ……」
彼女の言葉に一瞬ハッとなる。俺は一体どれだけ情けない表情をしていたのだろう。
途端に恥ずかしくもなったが、それよりも彼女が無事だった事が何よりで胸を撫で下ろした。
ただ、事態は好転した訳ではない。未だ現状は変わらないのだ。
起き上がったシルメリアは間髪入れず魔術の詠唱を始める。
二人が向かい合う先には双角からバチバチと火花散らす鬼人型の魔獣種。
魔獣との戦闘経験・知識があまり多い方ではないが、相手が上位種だと言われれば頷いてしまいそうだ。
実際人型と言うだけで希少種である事は間違いないのだから。
「……奴のさっきの魔術でこっちは充電満タンさ。俺から仕掛けるよ……!」
ジリッと緋天棗月の柄を握り、腰を落とす。
俺は魔術全般を無効にする。それは攻撃・防御・補助全ての魔術をだ。
何の因果でこんな乱暴な能力に目醒めたのかは自分でも分からないが、不便な面も存在する。
それは相棒であるシルメリアの魔術による加護を受ける事が出来ないからだ。
扱う魔術に偏りこそあるものの、エキスパートである彼女は当然攻撃魔術の他に身体を強化する系統の魔術を扱う事も出来る。
だが、生憎デバフを含め、バフ効力のある魔術でさえも俺の身体は受け入れる事なく無効化する。現在では自分自身の魔力でさえも大気中の魔術根源と干渉する事が一切出来なくなってしまっている俺は自らを魔術によって強化する事も皆無だ。
だからこそただ純粋に自らの身体能力と経験値でのみ動かなければならない。
無効化した魔力体は異質な《カタチ》で糧となり、自らに取り込む事が出来る。それがどんな理屈なのかは知らないが、この世界の法則を明らかに無視した《異能》の力だ。
俺は俺の戦い方でこの世界を生き延びる他ない。だから使えるものは何でも使ってやるさ。
「私が牽制するッ。ユウキはその内に奴の懐に忍び込むんだ!」
「了解。キツいやつをお見舞いしてやるさ……!」
「いくぞ……!」
「こちらはいつでも大丈夫さッ」
俺の掛け声を皮切りにシルメリアが魔術を放つ。三角錐の様な形をした薄紫の錐体が複数本悪鬼へと突き刺さる。
特に抵抗する様子もなく魔術を受けてからの反応も薄い。
見たところ、魔獣に主だった外傷はない。通じていない?そう思ったが、多分そうではないのだろう。
おそらくシルメリアが放ったのは物理的な魔術ではなく精神面にダメージを蓄積させる類いのものだろう。
そもそも魔術なのかどうなのかという話だし、推測の域を出ないが、シルメリアに目を向けるとまたしても同じ魔術を形成して次々と魔獣に向け放っている。
『……ガアアアァァ───!!?』
今までとは少し違う悪鬼の唸りが漏れる。
嫌がっているのか……?
「ユウキ!今だ!昏倒させるまでには至らないが、一時的に衰弱している筈だッ」
大方俺の予想は当たっていたという事か。
シルメリアが言葉を終える頃には自然と脚が大地を蹴っていた。
刀の柄を握り締めながら低姿勢のまま俺は奴の距離に侵入する。
真正面からの真っ向勝負をするリスクは避けて奴の胴体の左斜めに潜り込む。刹那、奴の双眸と瞳がカチ合い流れていく。
奴の右腕が自らの左懐に伸びようとしているが、こちらの方が疾いという確信を持って俺は抜刀する。
鞘から解き放たれた緋天棗月は金色を纏い悪鬼の腹部を喰らう。
手応えは───あるッ……!
『ググガガァァアア……?!!』
俺の一撃を受けた魔獣が呻る。一閃を浴びた悪鬼の腹部は見事に切り裂かれ鮮血が迸る。だが、まだ浅い……。
正直、奴の頑丈さには驚きさ。一撃で致命傷を与えられると思っていたのに。
ただ、一撃で終わりじゃないさ。
追撃を仕掛ける為に俺は間合いを図る。だが、奴も同時にゼロ距離から剛腕を振り翳す。
「おっと、あぶね……」
ギリギリのところで躱したつもりだが、ほんの少しだけ髪を掠った気がする。シルメリアの魔術でまだ動きが鈍っていてくれて助かった。
「なかなか元気だね」
悪鬼の一撃を躱したタイミングにカウンターを合わせ、突きを放つ。抜刀術ではないシンプルな突きを瞬時に奴は左腕でガードする。
見事な反応速度に感服しかけたが───ちょいと何か忘れてやいませんか?
緋天棗月の刃は未だ金色に染まり、流星の如く黄金色の残滓を残して一直線に悪鬼へと向かう。
繰り出した突きが奴の右腕と衝突する。刹那、突き刺さった奴の腕───肘から下が弾けて四散する。
自分自身で放ったものの、予想以上の威力に少しばかり逡巡する。
実際痛覚あるのかどうかは分からないが、相手も理解し切れない展開と衝撃に思考が追い付いていない様子だ。
生憎、同情してあげるだけの優しさは持ち合わせていない。ここで畳み掛ける───!!
「───今一度其の刃を示せ、<禍ノ顎>……ッ!!」
背後からシルメリアが俺を飛び越えていく。具現化された魔力鎌は一層に禍々しい黒に染まり、獣の顎の如く悪鬼に襲い掛かる。
ズシャャアアアッ……!
鈍い音が鳴って魔獣の左腕から鮮血が跳ねる。辛うじて切断を免れた様だが、ぶらんと垂れ下がった腕は本来の機能を失っているに違いない。
そんな思考を巡らせながらも俺の身体は無意識に動いていた。
僅か数秒足らずの出来事でも俺にしてみたら『数秒も』である事に間違いない。その数秒足らずで俺に出来る事と言えば───。
「……石神流抜刀術 天の型【流晴】……!!」
小さく吐き出した言葉に乗せて逆手で柄を握り締められた緋天棗月が黒塗りの鞘からその刃を煌めかせる。
悪鬼の懐の中、逆手から抜き放たれた一閃は相手の胴体を腹部から胸部にかけて抉り取る。
『ガァァァアアアアアアッツ───!!!!?』
同時に魔獣の断末魔にも似た叫び声が上がる。
返り血をまともに浴びたが、そんな事を気に掛けている余裕はなかった。
───どうだ、終わったかッ……!?
手応えは十分にあった筈だ。立ち竦んだまま静まり返る悪鬼に警戒を弛める事なく俺とシルメリアは身構える。
追撃しようにも緋天棗月に残された《異能》の力はごく僅かに過ぎず、大した傷も与えられない事は明白だった。
そのまま絶命してくれ───俺がそんな事を心の中で願ったその瞬間、悪鬼の瞳が大きく開かれ、双眸が赫黒く光った。同時に紫電する両角。
……チッ!
舌を鳴らし切る直前に恐るべき早さで悪鬼の周囲を爆炎が包み込んだ。
轟音を鳴らして爆散する焔。文字通り最期の力を振り絞った悪あがき。
少しだけそんな気はしていたさ……。
爆炎が放たれるとほぼ同時に俺は悪鬼に背を向ける様にしてシルメリア抱き寄せ庇う。
「……ふふっ、内心少し期待していたよ」
腕の中からシルメリアの微笑む柔らかい声が聞こえた。
表情を窺い知る事は出来なかったけれど、その声色だけで胸の真ん中が温かくなる。
「終わらせよう。何だかお腹空いてきたしね」
「嗚呼。終わったら沢山沢山食べよう」
「ははっ、こんな時間に開いてる飲食店はないだろうけどね」
「だったら叩き起こして営業させれば良いさ」
自然繰り広げられる他愛もない会話。
魔獣の爆撃をこの身に宿し、「さてと……」俺はシルメリアを包み込む自らの腕を外し、ゆっくり振り返る。
「もういい加減終わりさ」
台詞を吐いて俺は刀の柄を握る。爆炎の魔力をそのまま吸収した身体、その中でソレは違う《カタチ》へと変換されていく。イメージ通りに身体から緋天棗月へとそのチカラを流し込む。納刀された状態でも今にも溢れ出さんとするチカラの奔流が掌を通して柄越しに伝わる。
重なり合う俺と魔獣の双眸。
刹那に地を蹴り、再び悪鬼の懐に潜った俺は間髪なしに抜刀する。
抜き放たれた一閃は闇夜に金色の軌跡を描きながら悪鬼の首元を穿ち、胴体から首を弾き飛ばす。
頭部を失った魔獣は断裂部分から噴水の様に鮮血を撒き散らしながら、やがて力なく膝から崩れ沈黙した。
「終わった…‥のか……?」
背後からシルメリアの声が聞こえた。首を弾き飛ばしたとは言え、半信半疑になってしまう気持ちが分からない訳ではなかった。
こいつは今まで出会った魔獣とは明らかに違っていた。人型と言うだけでも希少なのにそれ以上に何とも言い難い異質さがあった。
頭部を失っても尚、絶命していない可能性を否定し切るのは……。
そんな風に警戒しながら思考を巡らせていたが、数秒後、目の前で起きた現象に我が目を疑う事となる。
地に伏せる魔獣の身体が煙を上げ、溶解していく。
まるで蒸発していくかの様にゆっくりと湧き上がる狼煙を上げながらゆっくりと肉が腐敗していく。そして残った骨格もゆっくりと蒸発して風化したのであった……。




