第十五話 金髪少女は立ち寄った飲食店で『時』の有名人と邂逅する
───もしかして……!
それがユミアの抱く率直な感想だった。
蕎麦の香りに誘われ、ふらっと立ち寄った飲食店で偶然出逢った美人の女性ルシェーナ=ミルサンダー。
ファーストネームはともかくとしても『ミルサンダー』この名をエレナント州のハンター界隈に於いて知らぬ者はいない。ハンターだけではなく一般人にまで知れ広がる才色兼備の【銀翼】ミルサンダーは現在を煌めく時の人───つまりは有名人だ。
そういった有名人を騙る輩は多いが、目の前の女性が嘘を言っているとは思えない。それ以上に彼女には納得をせざるを得ないオーラがあった。
「ん、どしたお嬢ちゃん?」
実際20代半ばから30代半ばくらいの女性を想像していたユミアだが、彼女が推測するに20歳前後だろうか。いや、もしかしたらもっと若いのか……?
「おーい、どした?どした?」
それにしても何だってこんな鉱山都市の飲食店に有名人がいるのだろうか?
彼女が所属する《アナストリア》は大手ギルドで《ヴェンガンサ》と同じく貿易都市フレデナントに支部を構えている。そんな大手の名手がこんな場所で昼間から晩酌?いや、非番なのだろうか?
「おーい、もしもーし……」
───ハッ……!?
ようやく我に返ったのは握られていた手に少しだけ力が入ったからだった。
「ご、ごめんなさい……!あたしついボーッとしてしまって……!」
「うん。結構ボーッとしてたね、にししッ」
考察に耽っていたユミアは慌てて謝罪する。別に気に留めている様子もなくルシェーナははにかんで笑う。
何だか可愛い人だな。そんな風に感じながら自然とユミアも釣られて笑った。
「ところでお嬢ちゃん───蕎麦が冷めちゃわないかい?」
「あッ───!?」
ルシェーナの言葉にハッとして慌てて蕎麦を啜る。ウン、まだ大丈夫だ。と言うよりも話し掛けてきたのはあなたの方からだけどね?とか一瞬頭を過ったが、言わないでおこう。まずはせっかくのお蕎麦を無駄にしたら勿体ない。
少しだけ時間の経った蕎麦の温度は温くもなく熱くもなかった。
◆
「…‥ご馳走様でした」
誰にも届かない様な小声を発し、手を合わせる。
驚く程に満たされたお腹と胸の内。隣に目をやると先程出来上がった熱々の蕎麦をはふはふっと啜っては頬張るルシェーナの姿が少しだけ面白くてユミアは笑みを溢していた。
何だろう、気分転換に一人街に出たてみたが、思ったよりもずっとリフレッシュ出来たみたいだ。そんな事を考えながらも同時に皆の元へ戻ってもう一度リデルを説得してみようという想いが生まれた。
そうと決まれば善は急げだ。
「ご馳走様でした。美味しかったです。お代はここに置いておきますね」
店主へそう告げると財布から取り出した銅貨をカウンターへ置く。
その姿を見たルシェーナは蕎麦を啜りながらユミアに視線を送った。
今日この場所で心が少し晴れたのは間違いなく彼女のお陰だ。ユミア自身それを誰よりも理解しているからこそ去り際に声を掛ける。
「今日はありがとうございました。あたしはそろそろ行きますね」
「にしし。変なお嬢ちゃんだね。別にお礼を言われる様な事をしたつもりはないんだけどね」
「まあそれはこちらの都合と言う事で。あ、そうだった。あたしの自己紹介がまだでしたね。あたしはユミア=ライプニッツ。<レギウス>のハンターです」
「へえぇ同業者か。んじゃまたどこかで会うかもしれないね」
「その時は是非一緒にお仕事出来れば良いですね」
「にししッ。楽しみにしてるよ」
「ええ。では」
お互い笑顔で別れを告げてユミアは食堂を後にする。さて、落ち込んでいた分を取り戻さないと。そんな想いを抱いた表情には少しだけ笑みが浮かんでいた。
笑顔で見送るルシェーナはユミアが食堂を出るまで視線を送っていた。
「何か面白いお嬢ちゃんだったな。あの若さでハンターとはね……」
ユミアに対して何か感慨深いものがあったのか、少しだけ何かを考えてからルシェーナは少女を見送る視線を蕎麦へと戻す。
「おやじぃ、麦酒もう一杯ちょうだい」
「あいよ!」
ニカッと人差し指を立てて追加注文するルシェーナに店主の気が良い返事が返ってくる。
それにしてもさっきのお嬢ちゃんを思い出すだけで酒が進む。蕎麦を平らげたと同時にカウンターに置かれたグラスジョッキを手に取り、注がれている深いコクながらフルーティな味わいのエールをご満悦な気分で喉に流し込む。
「おいおい、昼間から飲み過ぎだぞ?いつ仕事が始まるか分からないんだから程々にしておけよ」
ルシェーナの呑みっぷりに半ば呆れた表情で緑髪の同僚が声を掛けてきた。
「今回は重役からの依頼だって聞かされてるから失敗は許されないぞ」
「へいへい、分かってますよー。相変わらずランディは真面目だねぇ……そんなんだからいつまで経っても女が出来ないのさ」
「おい、何か言ったか……?」
「にしししッ、いや、別にぃ♪」
「……ったく」
無邪気な笑みを浮かべている同僚を前にやれやれと頭を掻いてランディは嘆息する。決してまだ深い付き合いではないのだが、目の前の女がどんな性格をしているのか知らない訳ではなかった。
仕事はキチンと熟す。それ故彼女が名声を欲しいままにしている事など同じギルドに所属していれば嫌でも納得させられる。
「ただな。今回の件はもしかしたら戦闘に発展する可能性もあるかもしれないから……」
「───そん時は……」
事を案じるランディの台詞を遮ったルシェーナは一言呟いてグラスの中身を一気に飲み干した。
ぷはぁ〜と息を吐き出し、身体に染み込んだエールの甘味とコクを堪能する。
口元を服の袖で豪快に拭いた頃にはその瞳の色が変わっている事にランディは逸早く気付いていた。
「戦闘になるかも?安心しなよランディ……そん時はあたいがまとめて薙ぎ払ってやるさ……!」
自分よりも年下、それも先程まで子供の様な表情をしていたルシェーナの言葉にランディは少しだけゾクッと背筋を震わせた。心強い味方である一方、彼女の根底に在るものが少しも見透せない不安と不気味さを僅かに感じながら。
「なんてね♪」
すぐに満面の笑みを浮かべてはにかんだ【銀翼】にランディは思わず苦笑した……。




