第三話 朝の宿場で少年は『煩悩』と『葛藤』する
□リリーフ村 宿場ローランローラン
窓から射し込む太陽の光を受けて俺の閉じた瞳がゆっくりと開かれた。まだ重たい両瞼を擦って、背筋を伸ばす。
嗚呼、何て気持ちの良い朝だろうか。短い睡眠時間にも関わらず、ベッドの柔らかさという恩恵を受けてぐっすりと眠れた気がする。
ゴーン、ゴーン……。
不意に鈍い音を響かせ古びた柱時計が午前八時を告げた。
昨晩は何とか辿り着いたこのリリーフ村で唯一拓かれていた宿屋の戸を叩いた。流石に遅い時間だから迷惑がかかるか……とかそんな風には考えなかった!むしろ泣きながら懇願したもんだ。助けて下さーい!てな具合に。
人間必死になれば想いは伝わるのだと知る。
瞳に憐れみの色を宿したおばちゃんが俺達二人を宿に招き入れてくれ、温かいスープをご馳走してくれた。コーンではなく鶏ガラだったけれど、そんなものはどうでも良かった。
心に沁みたさ。まさにその一言に尽きる。
さほど冷えていなかった身体が温もりに包まれた。本当に身体の奥底から温かさが込み上げてくる感覚がして、生きてて良かったと何度も思った。
隣でシルメリアも同じ事を感じていたに違いない。遊び帰った子供が母親の作った温かい料理を食べた時の様な表情をしてたから。
台所の事情で昨晩はスープとおにぎりのみで床に就いたが、今からちゃんとした食べ物を口に出来ると考えたらいても立ってもいられない。朝食の時間は八時半からと聞いている。元来寝起きが良い性質と相まって意識はすぐに食へと向けられた。
だが、刹那、食への意識は金属バットで打ち返された野球ボールの様に彼方へと吹き飛ぶ。
ぶ───ッ!!!?
意識を横に向けた瞬間思わず俺は吹き出していた。自分のベッドの中ですやすやと眠るシルメリア。それもケープと胸鎧装を外した黒基調のチュニックに黒タイツ姿で。今になって気付いた事だがロングブーツを履いていないとタイツ越しではあるが、お足様が露わになっていらっしゃる……!
いやいや、スカートは!?でも……逆にタイツだけってのが……何かちょっとエッチじゃない?
って、違うんだ!そうじゃない!それはそうなんだけど、そうじゃないのさ!
何故俺のベッドに真っ白な枕を抱きしめながら健やかな寝息を立てる隣のベッドで寝ていたはずのシルメリアが……!?
こんな嬉しすぎる展開……いやいや、違う違う!こんな漫画の様な展開は有り得ない!おいしすぎやしませんか!?ねぇ大将ッ!おかげで頭が……ん……?
ふと、シルメリアの首から垂れ下がるネックレスに目に止まった。きらりと陽の光りを受けて煌めくそれは銀のチェーンから垂れ下がる玲瓏たる宝石。親指の第二関節程の大きさをした石を覗き込めば透き通る様な黒の中に紫色を帯びていて、思わず見とれていた。束の間、そのネックレスの下にあるこれまた透き通る様な肌に気付き慌てながら赤面している自分が若干滑稽に思える。
それにしても服の隙間から覗かせる胸元が悩ましい。豊満とは言い難いが、小さからず大き過ぎずとまさにベストカップ!思わず親指を突き立ててしまいそうになるがそれではただの変態だ。働け理性!俺はまだ暗黒面に堕ちるには早いのだよ。
兎にも角にも俺には些か刺激が強すぎるのは間違いない。目のやり場に困りながらもそれでも見てしまう。これ則ち健全な男の子の証。これはまあ仕方のない事なんだと、自分に言い聞かせながらそれでも、いやいやダメだ!と葛藤する。呻きながら悶絶する俺の耳にコンコンッ……と部屋の戸を叩くノックの音が飛び込んだ。
『そろそろ朝食の支度が出来るよー。降りておいでよ二人とも』
扉越しに聞こえてきたのは昨晩俺たちをこの宿に招き入れてくれた女将ミミリアさんの声。
頭の中が大混乱な俺を尻目にパチリとシルメリアの瞳が開かれる。
「…………おはよう。ユウキ」
かなり眠たそうな瞼を擦りながら黒髪の少女は覚醒するやベッドから起き上がる。何事もなかったのかの様に。
俺はただポカンと彼女を見つめていた。
◆
食堂と呼ぶには少しお粗末なリビングに木製のテーブル。その上に所狭しと朝食が並べられている。
「さあ、お待たせ。朝食にしようか」
出迎えた年の頃五十半ばのミミリアさんがティーカップにミルクを注ぎながら言った。
おぉぉぉ!と歓喜の声が隣のシルメリアと綺麗にハモった。
いただきます!の掛け声と同時に目の前の食事に食らいつく二人。
こんがり焼けたトーストをまずはひとかじり。次は巧みにナイフとフォークを使い分け、適度に焼けたベーコンを口に。頬張ったままの状態で目玉焼きにナイフを通す。すると中から半熟の黄身がトロトロと溢れ出す。白身の方には塩胡椒がこれまた適度に振りかけられていて黄身の甘みと絡まって咥内で絶妙なハーモニーを奏でる。見るからに採れたて感満載のサラダをドレッシングなしで口に運び、シャキシャキ感を味わう。お次は念願だったコーンスープを丁寧にスプーンですくい上げ啜る。湯気ごと鼻から吸い込んで薫りを堪能する。
嗚呼、幸せだ……!この世に生まれて良かった!
さて、ここからが本番だ。
俺の目の前には愛して止まないシニル鶏のモモ肉。煌めかんばかりの光沢を放ち、こんがりと焼かれている。
朝からこれはちょっと重いのでは?などという概念はこれっぽっちも存在しない。むしろ昨晩宿を取る際にこれが食べたいと俺が泣きながら呟いた一言を聞いてミミリアさんが汲んでくれた事に深く感謝せざるを得ない。
元来少食の俺も今ばかりは喉から手が出る程食べたかった料理が眼前に置かれているとあっては話が別だ。
「ありがとうミミリアさん。では、いただきます……!」
パクッ……。
ナイフとフォークで食べ易いサイズに切り落とした鶏肉を一口。
…………な、なんと……!?
ぜ、絶妙だ!焼き加減が半端でなく絶妙だ。それになんだこれは!?カリッとした皮の表面からガーリックじみた香りが広がり、鼻から抜けていく。噛みにかかったその歯が思わず衝撃で噛む事を忘れてしまいそうな。それでもここで立ち止まっている訳にはいかないと噛み締めたその先に鶏肉の柔らかい感触が訪れ、幸福感に満たされていく。
「旨し……!」
気付かない内に頬を伝う涙が一雫、テーブルの上を跳ねていた。
隣の席で口元にソールベリージャムをくっつけたシルメリアが俺と同じくシニル鶏のグリルを頬張りながら頬を紅潮させ瞳を輝かせている。分かるぞ、分かるその気持ち。
これが幸せという感情なんだな。