第十一話 少年の『淡い』願いは虚しくも空振りする
「───待つんだユウキ!」
「───危ないから戻ってよガミキ!?」
背中越しに二人の声がした。その静止を背に受けても俺の脚は前へと駆け出す。
レナト鉱山内は狭くない。決して広いという訳ではないが、緩やかな坑道は体感的に縦約三メートル間、横幅五メートル位の間隔で掘削されており、およそ十メートル間隔で魔洸石を用いた灯りが岩石の壁に設置されている。
一週間前ビルバッケに連れられてここを訪れた際、鉱山夫がいた場所が最深部だとすればおそらくこの鉱山の深度は然程深くはないだろう。
俺の記憶に狂いがなければ、最深部は全形二十メートル四方の空間だった筈。だとすれば雄叫びの正体は大型ではないと思いたい。ただ、鉱山内に響き渡った振動を考えれば楽観視は出来ない。
問題があるとすれば魔法道具の一つも持たず刀一つで乗り込もうとしている俺自身だ。
願わくば魔物種であって欲しいと淡い期待を抱いてみたり……。
数分走ると辺りが一面開けた。ここが最深部である事に違いはないだろう。
すぐに俺の目には倒れ込む数人の鉱夫の姿が飛び込む。続けて否応なしにこの目が捉えた姿に思わず身慄いする。
背筋に悪寒を感じ、額から止めどなく下垂れ落ちる冷や汗を拭う余裕すらもなく俺は愛刀───【緋天棗月】の柄を握り締める。
淡い期待を抱いていた事をまじまじと後悔する。
眼前には鉱山の岩石よりも深い灰色の体躯を持つ全長4メートル程の魔獣。その身に岩石を纏いながら四足歩行のまま両翼を広げる様はまるで鎧を纏った岩石竜……!
途端に魔獣の土器色の瞳がこちらを捉え、威嚇するかの様に岩の翼を大きく羽ばたかせる。
『ゴオオォォォォン……ッツ!!』
岩石竜が咆哮する。鉱内に振動が響き渡り、閉鎖的な空間なだけにその衝撃は体感的に何倍も膨れ上がる。
「ちょっと……いや、だいぶ予定外さ……何でこんな鉱山の奥にお前みたいなヤツがいるのさ……!?」
頬が引き攣っているのが分かる。傍から見れば魔獣と対峙して笑いを浮かべている様だが、とんでもない。不自然にニヤけてしまう表面を他所に頭の中だけは冷静になれと自分に言い聞かせる。
魔獣がジリッと前脚を踏み込んだところで胸の中の警鐘が激しく鳴り響いた!
───来るッ……!!
俺の予測を裏切る事なく岩石竜はこちらに突進を開始する。スピードは決して早くない。余裕とまでいかないが躱わせない速度ではない。だが……岩石竜と俺の間には倒れ込む鉱山夫の姿が……。
「チッ……!!」
突進を待ち、回避するまでに鉱山夫に更なる被害が及ぶ事を危惧して俺は駆け出す。
無謀だと理解しているが一気に魔獣との間合いを詰め一閃。
予想通りこちらの逆袈裟懸けは硬すぎる体躯に弾かれ、右手から腕にかけて激しい衝撃を伝える。
それだけで終わりならどれだけ幸せだっただろう。
攻撃をその身で弾いた岩石竜は首を振りたくり俺の溝落ちを捉えた。
「ぐはぁあっ……!?」
それは俺の予想をはるかに上回る威力でヒットし、この身体はいとも容易く数メートル先へと吹き飛ばされる。
肋骨が何本かもっていかれたみたいだ……吐血した口元を擦り付け、思考を巡らす。
これはまともに相手してたら命が幾つあっても足りないやつだ……せめて鉱夫達を何処かに避難させれれば……って!?
懸命に起き上がろうとする俺に魔獣の突進が迫る。
「ヤ、ヤベッ……!」
間一髪身を翻しながら横っ跳びで突進を躱す。魔獣はそのまま壁に突進したがダメージ一つ負った様子はない。幸い鉱山夫も巻き込まれてはいない。ただ、脇腹から激痛が走る。
「ユウキッ!大丈夫か!?」
このタイミングで最深部へシルメリアが駆け込んで来る。
「ガ、ガミキ……ッ、怪我してるの!?」
「ひいぃぃぃ……!?な、何だこの怪物はッ!?」
シルメリアだけならまだしも丸腰で突っ込んで来たユミアを見て少しだけ呆れる。待ってての意味が伝わらなかったみたいだ。
それに衛兵風の男も付いて来ている。状況的に活路を切り開くには……。
「魔獣種か。堅そうな奴だな」
「シルメリア、こんな狭い空間で魔術は御法度さ。崩落しかねないからね」
「ふふっ、流石の私でも分かっているよ」
「……たださ、物理攻撃が通じないんだよね。刃が通る気がしないさ」
「ならば、やる事は一つしかないではないか」
「……だよね」
やるべき事は共有出来ている。今まさに試すべきは《異能》の力。
しかしながら懸念もある。シルメリアの攻撃魔術を敢えてその身に受けて『力』へと変換するのが定石だが、不確定要素も存在する。それは『力』の制御。
溢れ出しそうな内なる光を放つ一方でそれを抑えるだけの経験が圧倒的に足りない。
ましてここは鉱山の中。余りにも閉鎖的空間過ぎる。
ただ、やらねばやられるという状況だけが俺の背を押した。
「シルメリア!魔術を頼む!」
「勿論だとも」
こちらの指示を受けたと同時にその両腕に黒き炎を纏わせたシルメリアが詠唱を続けながら俺の元へ駆け寄る。鉱山内では離れた距離からの魔術が御法度、その意味を理解していてくれて助かる。
「いくぞ、ユウキ」
「こちらはいつでもいけるさ」
俺の背後に回ったシルメリアが両肩に手を乗せる。揺らめく漆黒の炎は今にも俺を焼いてしまいそうに滾りを弾かせる。
次の瞬間、炎は紫がかった色味を強めてこの身体を飲み込む。
離れた所で俺の名を叫ぶユミアと驚愕する男の声が聞こえてくるが敢えて耳を塞ぐ。集中を切らす訳にはいかない。眼前の岩石竜がジリジリとこちらに向けて歩を進めているのが嫌でも視えてしまっているから。
間もなく仕掛けてくる───そう悟ったとほぼ同時に魔獣は地を蹴り出す。
【緋天棗月】の柄を握り締めるその手に汗が滲む。
「気を付けてユウキ」
「あいさ」
耳元で聞こえた声に振り返る事なく応えると彼女は魔獣の対角線上から避ける為に横へと跳んだ。
それとほぼ同じタイミングで俺は腰を落とし、その身を浅く沈める。先程まで身体を焼き尽くさんとしていた漆黒の炎は既に消失してこの身に取り込んでいる。
瞬く間に迫り来る鋼の魔獣は獲物を圧し潰さんと岩壁にも似たその体躯をこちらへぶつけてくる。
「ワンパターンでどうもありがとうね」
咄嗟に身を翻し、岩石竜の突進の軌道から外れる。直様魔獣は軌道を修正して再びこちらに狙いを定める。
それでも横に跳んだ俺に向けての突進は直前の軌道修正で勢いを減速させた。
つまりは───、その速度なら俺の方が疾い。
更にもう二歩三歩と横に跳びながらこちらも駆け出す。
小回りの効かない相手ならスピードで上回るこちらの有利性を存分に活かさない手はないのだから。
それに先程までとは決定的に違う事もある。
「───疾ッ……!!」
こちらの動きに撹乱され、勢いを削がれた魔獣種に向けて地を蹴り、俺は抜刀する。
鞘から抜き放たれた相棒の刃は目を奪われるような金色の粒子を纏いながら魔獣の側頭部を穿つ。
まだだ、次ッ。
石神流抜刀術 天の型【飛燕】による一撃は上段への逆袈裟懸けから更に勢いを殺さず下段への連撃へと繋げる。
ゲームのエフェクトさながらに残滓を残して軌道を変えた理を破る刃は魔獣の首根っこを抉り取る勢いで斬烈する。
魔獣の首から派手に血飛沫が上がる。鋼の様な岩肌の下まで岩で出来ていなくて少しだけホッとする。
岩石竜の土器色の瞳から光が失われ、首が半分もがれた魔獣の身体は力を失って崩れ落ちる。
「ふぅ……何とかなったさ……イテテッ……」
魔獣の死亡を確認すると途端に集中力が切れた俺に忘れていた脇の痛みが襲い掛かる。
「大丈夫かユウキッ?すぐに治してあげるからな」
「期待してるさ」
その場にへたり込んだ俺に真っ先に駆け寄って来たシルメリアは神聖術を駆使して回復呪紋を唱える。
脇腹に添えされた彼女の両掌がライトグリーンに煌めいて俺の治癒能力を一時的に向上させる。
神聖術って何だか温かくて気持ちが良くなる。仕組み上、詠唱者の魔力を対象者に注いで発動するのだからシルメリアが行なっていると考えれば強ち感覚的には間違っていないのだろうけど、ちょっと変態っぽい発想だから言葉には変換しないでおこう。
「…………はっ!ガ、ガミキ……ッ!?」
最深部に到達して以降、事の顛末に目を奪われていたユミアがようやく我に返ったようだ。泣き出しそうな表情をしてこちらに駆け寄ってくる。
衛兵風の男は未だ現実には返ってきていない様で茫然と呆けている。
ユミアはともかく、見ず知らずの他人の前で《異能》の力を使ったのはマズかったかな?とは言え、そうも言っていられない状況だった事に変わりはないし、考え過ぎか───ん……なッ……?!!
突如俺は異変に気付いた。ただ、どうやら気付いたのは俺だけみたいだ……!
シルメリアは治療に専念しているし、衛兵風の男は未だ呆けている。ユミアは最深部の入口付近からこちらに駆け出している───その背後に誰も気付いていない……!?
「ユミアーッ!!背後に気を付けろぉッ!!」
咄嗟に声を上げて身を乗り出した。何事かと驚いたシルメリアの神聖術は中断される。
「ガミキ……?気を付けろって何に───」
俺の台詞に訝しむユミアは歩を止めて背後に振り返る。そんな彼女の翡翠色の瞳と───岩肌から浮き出た土器色の瞳とが交差する。
「え……」
彼女の時間は止まる。それでも世界は進む。
『───ゴオオォォォォン……!!』
採掘場の岩肌から新たに岩石竜が出現し、ユミアの眼前で咆哮する。
「逃げろ、ユミアッ!?」
声を上げながら身を起こしてユミアを庇いに駆け出す。
「チッ……」
魔獣の存在に気付かなかったシルメリアが舌を打ちつつ、共に駆け出す。
だが、それよりも先に事態は最悪へと動き出す。
壁画から身を乗り出す様にして現れた魔獣の土器色の瞳が赫く煌めき、大地を蹴る。至近距離にはユミアの姿。
「あ……」
思わず声を漏らしたユミアの身体は魔獣の突進を正面から受け、宙に弾き飛ばされた。
生なき人形の様に弾かれたユミアの細い身体は数メートルの距離を舞い、俺の足元の地面に叩き付けられた。
「ユ……ユミア……?」
眼下のユミアを見下ろす。彼女の名を呼ぶが応えはない。
確かめるのが恐いくらい、ユミアはピクリとも動かない。
だから、そんなユミアを見つめて俺も動けずにいた。
……やめてくれよ、悪い冗談は……早くいつもみたいに冗談でしたって言ってくれよ……。
「ユウキッ!先に魔獣を倒すんだ!でなければ全滅するぞッ!」
魔力鎌で魔獣に交戦するシルメリアの叱咤が飛ぶ。
分かってる、分かっているよシルメリア。分かっているんだけどもさ……。
でも、ユミアが……。
「………………クソッ……クソッ…………クソッタレッ───!!」
俺は地を蹴り、駆け出す。ユミアを弾き飛ばした魔獣に向け。
鞘に納まる【緋天棗月】はまだ『力』を残している。
一撃で決めてやる……!
交戦するシルメリアを飛び越えて跳躍した俺と魔獣の双眸が空中で交差する。
「死んじゃえよ、お前……!」
俺の放った斬撃は二体目の岩石竜の首を一撃で撥ね飛ばした……。




