第三十五話 瀕死の少年を優しく包む『少女』の温もり
■□ハルバロ山 《アビリティ》アジト周辺
【■■■】ユウキ=イシガミ
「──────ユウキッ!!」
その声に俺の意識は在るべき世界へと覚醒した。
長い間忘れていた様な身体の重みが一気に押し寄せては節々の感覚を取り戻していく。久方ぶりにも思えるこの眼が映し出す視界が捉えた映像は……、
「ユウキッ……!!?」
艶のある黒髪を後ろで束ね、紫黒基調のチュニックに同色のスカート、透き通る様に白い肌。美術画の女神を切り取ったかの様に錯覚させる少女が皺くちゃに表情を崩して俺の身体を抱き締める様に支えていた。
「……ユウキ……ユウキ……嗚呼……良かった……本当に良かった……!」
緋色の瞳いっぱいに涙を浮かべながら、本当に弱々しい声で俺の名を呼ぶ。
そんな彼女を見つめ返す。ただ、ひたすらに。
その間も俺の身を案じてくれていた彼女が安堵しては繰り返す。
───良かった、良かった、と何度も何度も。
でもそれはこっちの台詞さ。
君の顔を見た途端溢れ出る様にして生まれたこの想いを言葉にするのはとても難しいのだけれど……、
───嗚呼……良かった…………本当に良かった……。
「ありがとうシルメリア」
自然と生まれた言葉を喉を通して紡ぎ出すと何故だろうか、無意識に微笑んでいる自分がいた。
「何故…………君は笑っていられるんだ……?私は君に責められる理由はあっても、お礼を言われる理由など……」
「だってさ。また助けてくれたじゃないか俺の事。それにさ……また逢う事が出来て嬉しいから俺は笑ってるんだよ?」
俺という人間が語るには不自然過ぎる程自然に飛び出した言葉に彼女は一瞬目を丸くして次の瞬間……吹き出した。
「くっ…………くくっ……あはははっ……!」
「…………お、おぉ………?!」
「すまない、すまないユウキ。何だかその……可笑しくて……!」
「さ……左様ですか」
何だかな……空気は一変した様だ。
前代未聞のシリアス俺の言葉がどうやらツボだったらしく彼女は笑う。緋色の瞳いっぱいに涙を浮かべながら、本当に愉快そうな声で腹を抱えて。
今となっては先程の台詞が死ぬ程恥ずかしい。
「……あの、シルメリアさん……」
「あはは……はは……すまないユウキ。勘違いしないでくれよ?私も嬉しくて笑っているんだよ」
「え…………?」
彼女が俺と同じ台詞を紡ぐとそこで浮かべいた涙を拭い呼吸を落ち着かせた。
「私も君にまた逢えて嬉しいよ」
そう言って彼女は優しく微笑んだ。月の様に柔らかな表情で。
ドクンッ!ドクンッ!と急速な勢いで胸の鼓動は高まっていく。彼女の微笑みの中に吸い込まれてしまいそうで俺は精一杯誤魔化す様に目を逸らし頬を掻いてみる。
……あれ?
そこで俺はようやく気付く。身体の違和感とこの状況に対する違和感に。
つい先程まで鉛の様に重かった身体は嘘のみたいに軽く、痛みどころかむしろ活力が漲ってくる様な……。
ようやく俺は悟る。シルメリア……彼女が俺の身体を支えている意味が。
「痛みは引いたか……?」
彼女は変わらぬ微笑みで『それ』を続ける。
温かい……まるで彼女の優しさが流れ込んでくるみたいだ。
ライトグリーンの煌めきを纏った彼女の両手が俺を包み込む様にして治癒する。
ダガーが突き刺さり抉れていた筈の腹部は衣服の破れ穴だけを残して綺麗に塞がっている。
そして更に気付く。俺とシルメリアの周囲を外部から遮断する様にライトブルーに輝く光の壁が覆っている事を。
つまり同時に二つの魔法を継続的に使用しているという事だ。これがどう意味を持つのか、魔法に疎い俺でも理解出来る。
重複魔法。全くと言って良い程仕組みの違う魔法を同時に発動させている……。
やはり彼女は魔法に関して類い稀なる才能を持っている。それどころか、この短期間で俺の傷を綺麗さっぱりと回復させる神聖術の腕はもはや異常の域に達していると言っても過言ではない。
そもそも神聖術とは魔術と同じ『魔法』というカテゴリーに分類されているが、全くの別物と言っていい。
世界を司る精霊に干渉し、自らの魔力を用いてその力を具現化する魔術。
それに対して神聖術は内に宿る生命力を魔力と共に他人に流し込んで瞬間的に対象者の治癒再生能力を著しく飛躍させ回復力を促すといったもの。
神聖術と言えば聞こえは良いが、この魔法は命に関わる危険性も秘めている。何故なら先述にある様に自らの生命力を相手に送り込むのだから。ましてやこの回復力……。
似て非なる魔法を同時に使い続けている事も充分驚きの対象だが、それは俺よりもあちらさんの方が感じている筈。
薄碧の光に隔てられた先───そこで驚愕の表情を浮かべているのは壮年たる魔族の用心棒。先程まで纏っていた陽気な雰囲気は跡形もなく消え去っている。
彼は気付いているに違いない。シルメリアが何をしているのかを。魔術に精通しているからこそ分かる、今現在起きているこの異常さに。
いくら高位の神聖術士も致命傷となりうる傷を治すのは至難の技だ。それ程神聖術ってのはリスキーな魔法であり、難易度の高い術である。それを彼女は……。
「……相変わらず君の魔力は異質だな」
「え……?」
未だ両手を輝かせ治療を続けるシルメリアが苦笑いを浮かべて徐ろに呟いた。
「正確には少し違うな……君の中に宿る魔力の側面を何か分からないが『膜』の様なものが覆っていて思う様にこちらの術が流し込めないんだよ」
「??」
「つまりはその『膜』の様なものが外部からの魔力を遮断しようと、或いは何だかの力によって中和、もしくは相殺しようとしていてね……」
「つまりそれってどういう……??」
「つまり……私にも良く分からないという事だよ」
「ははは……なんだそれ」
「ふふふっ……」
思わず顔を見合わせたまま笑いが溢れた。こんな状況でよくもまぁと言いたいところだけれど、先に笑い出してしまったのはこちらの方だ。
ところで……この際だから聞いておきたい事が他にもある。
「話は変わるんだけど、ところでさ……どうしていきなりいなくなっちゃったの……?」
「あ…………えっと……それは……」
こちらの問いに目を泳がせて口ごもる彼女。些か変化球からの直球に緩急をつけ過ぎたか。まあいい。
「まあまあ。話難いなら無理しなくても良いさ」
「すまないユウキ……その……あの……なんだ……」
「??」
「…………怒っていないのか……?」
「え……え?」
不意の返しに思わずこっちが意表を突かれる。だって……俺が怒る理由なんて何一つもないよ。今はまだ言えない事情があるのだろうが、それを掘り下げるっての男としては野暮な話だ。と、言うよりも俺としてはまた逢えた事だけで……。
「怒ってないさ。むしろ無事でいてくれて良かった」
「…………ユウキは優しいな」
「そうかな?普通だよ普通…………でもこの数日間大丈夫だった?食べ物とかさ……」
「それは大丈夫だ。バイトをしていたからな」
「……………………え?」
またしても意表を突き過ぎる回答に俺は目を丸くする。お金を持たない彼女の食生活が気になっていたのだが……バイトとな?
行き先も告げずに姿を消して……バイトをしていた……だと?
「あ、あのシルメリアさん。それは一体どういう……」
「お金が必要だったんだ。その……シバから《アビリティ》の情報を買う為には」
え……?
「その……恥ずかしい話私は生まれてこのかたお金を稼いだ経験がなくてだな……ヘンリーに無理を言って《ヴェンガンサ》の仕事を回してもらっていたんだ」
「なっ……何だってぇ……!?」
予想もしてなかった回答の雨嵐に俺は飛び起きて隠す事なく驚きを露わにする。
だって……だってそうじゃないか!どこに消えたのかと思えば全然近くに……!
それよりも問題はヘンリーくんだ!
あの男俺があんなにも塞ぎ込んでいるを知っていて黙ってやがったのか!?何気ないフリして相変わらずとんでもない曲者ぶりだなぁヘンリーくんはッ!
そんなヘンリー支部長代行に憤りを感じる気持ちが表情にも現れていた様でシルメリアが宥める。
「ヘンリーを責めないでくれっ。私が彼に口止めしたんだ……『ユウキには黙っていてくれ』と……」
「……何でまたそんな事……」
どことなく疎外感を感じ、いじける寸前の俺は恨めしい眼差しを彼女に向ける。
当然それを察した様子のシルメリアは申し訳なさそうな表情を浮かべながらその答えを紡ぐ。
「ユウキを…………私の傲慢に巻き込ませたくなかったんだ……すまない」
そう俯き呟いた彼女は最後に謝罪する。
……………………なんだよ、それ…………。
「そう……分かったさ」
思いのほか俺の喉を通して生まれた言葉は素っ気ないものだった。彼女もそう感じた筈だ。
前言を撤回する。怒ってないなんてなしにする……だって俺は怒っているから。珍しく女の子相手にだ。
……だってさ、だって、そうだろう?確かにミミリアさんの為にエミリオさんを盗賊稼業から足を洗わせるなんてただのエゴだと彼女に言ったのは俺だ。だけど、そこじゃない。俺が腹を立てているのは……。
「ねぇシルメリア……期間こそ短いけれど、俺達は一緒に旅してるのさ……だからそれってつまり『仲間』って事だろ?それともそれ自体俺の勘違いなのかな……?」
「え……」
「俺を巻き込みたくなかったっていうシルメリアの気持ちは有難いよ、けど……仲間ならさ、巻き込んでよ!別にそれで君の事が嫌いなったりとかしないさ。いなくなったのはそれでもショックだったけど……俺に一言もなしで自分一人で解決させようとした事の方がショックだよ!……ねぇ、仲間ってそういうもんだろ……?」
怒ったのは彼女が『仲間』に打ち明けれなかった事。
悲しかったのは俺が『仲間』に打ち明けてもらえなかった事。
……だからさ……、
「だから……だから次からは絶対!……そういう事は俺に話してよ。仲間……なんだからさ」
「…………ありがとう…………ありがとうユウキ。仲間なんて言葉忘れていたよ、ここ何年も……あ…………」
不意に彼女の瞳から一筋の涙が溢れた。彼女自身も頬を伝う雫に驚いた様にして慌てて服の裾で拭う。
そんな彼女を見て何かこう胸が締め付けられる様に……とても愛おしく感じた……。
もうこの話は終わりにしよう。勝手かもしれないが、こっちの想いを伝える事が出来て満足した。当然怒りなんかもう残っちゃいない。
《ヴェンガンサ》に入ってから随分と俺もあそこのギルド色に染まってきたなとか思いつつ、少しばかりの気恥ずかしさについつい頬をポリポリ。
……まあ、この先、彼女ともう一度旅を続けるにはまずこの状況を何とかしなくちゃな……。
「……さて、どうするか……」
足元に転がっていた【緋天棗月】と鞘を手に取り、未だ俺ら二人を守護する薄碧光の壁越しに策を巡らす。
回復量でいったら断然こっちの方が上とは言え、見た限りブリードの傷は癒えている。つまりリュークの魔法の腕も決して侮ってはならないという事。それに加えて下っ端連中の数が増えている。俺の意識が吹っ飛んでいる間に警邏組が戻って来たのだろう、先程の花火が合図となって。
ともなれば、ここはシルメリアに目眩しになる様な魔術を使ってもらって退き、一旦態勢を整えた方が……。
「ユウキ……今日私がシバのもとで君の話を聞いた時は驚いたよ。彼女は言ったんだ……私の我儘を実行する為に今夜君がここを訪れると。慌てて君のもとへ向かったがなかなか辿り着く事が出来なかった……ただ、突然夜空に上がった閃光のおかげでこの場所が分かったんだ……本当に……本当に間に合って良かった……」
策を練っていた俺に一頻り語ったシルメリアは微笑みながら一歩二歩と歩みを始める。
「ちょっ……!?」
「良いんだユウキ」
「え……?」
彼女が歩を進める先には魔術の壁を隔てて《アビリティ》の幹部を始めとした勢力。制止しようとした俺に優しく諭す様に微笑むと彼女は背を向けた。
───パリィィィィン。
同時に魔術の光壁はまるで硝子細工の様な音と共に煌めく粒子を残し四散する。
「ユウキ、君は少し休んでいてくれ。奴等は……私が相手をする……!」
彼女がその台詞を放った刹那だった。一瞬大気が歪んだ様に感じたのは……いや、強ち感じたのではなく、実際歪んだのかもしれない。
気付けばバチバチッと彼女の身体の側面を電流にも似た青白い光の火花が弾ける。これは魔力が溢れ出しているか?そうだとすればこの『力』は一体……。
仮にも先程の神聖術で彼女は相当な魔力を消費している筈なのに……。
「シ、シルメリア……!」
「どうしたユウキ……そんな心配そうな顔をしなくても大丈夫だよ。君は私の魔力が暴走しない様そこで見守っていてくれ」
振り返った彼女は俺の胸に宿る不安を諭す様にもう一度微笑むと再び対峙する相手を睨んだ。三本傷、用心棒両幹部は彼女が放つ底知れぬ魔力の威圧に表情を強張らせている。まるで蛇に睨まれた蛙の様に身動き一つ取れないまま……。
そして彼女は言い放つ……湧き上がる怒りに任せて自らの力の暴発を抑える様、静かに、静かに……。
「……さあ……誰からでも構わんよ。死にたい奴から名乗りを上げろ……!」




