第二十九話 潜入した山で少年と『来訪者』の刀は火花散らす
月の輝きがあるとは言え、夜は闇を深めていた。
盗賊団のアジトであるハルバロ山に潜入を開始してから二時間は経過しただろう。まあおそらくではあるが。
こんな時に懐中時計でもあれば便利だったなと思いながら俺は息を潜める。
「盗賊達の根城はこの先にある滝のすぐ側よ」
「ハイ。……ていうか、おねいさん……近いです」
背後からの声に振り向くとそこには女性の顔が間近まで迫っていた。いや、迫っているという表現は適切ではないのだろうが、俺の顔から十センチ程のところに彼女……ロザリィの小さく綺麗な顔があった。
「それにしても貴方強いのね。さっきの剣術凄かったわ。でも何だってわざわざこんな場所に一人で来たの?どこかのギルドに所属してる人?それとも騎士団の密偵?」
「い、いや……まあ何て言うか、ヤボ用がありまして」
神経を研ぎ澄ませていかなければならない筈の潜入も彼女のおかげで次第に緊張感が薄れていく。
先程までは助けを乞いながら恐怖の念を宿していた彼女だが、現在は飄々とした表情で俺の後を付いて来る。おまけに大変よくお喋りになられる……。
「貴方の目的が何にせよ、私は一刻も早くこの山を下りたいの」
「はあ……」
「まさか、私独りで行かせる訳じゃないわよね!?連中に弄ばれる寸前のところをやっとの想いで逃げ出してきたってのに、また捕まったら私……!」
言って大袈裟とも思えてしまうくらいに彼女は表情を曇らせながら顔を手で覆う仕草を見せる。実際相当恐い想いをしてきたのだろうが、俺はここで引き返す訳にはいかなかった。
きっと今夜が最初で最後のチャンス。
こんなにも都合良く幹部が複数人アジトを空け、戦力が分散されている時は他にはないのだから。
あくまでも戦闘目的ではないにしろ、エミリオさんに近付くにはまたとない好機である。
彼女には申し訳ないが、一度山を下りて送ってやる余裕などどこにもなかった。
「薄情と思われても良いんでハッキリ言います。貴女の護衛をしながら山を下って街まで送り届けてる時間は俺にはないです」
「……本当ハッキリ言うわね薄情者。じゃあ私は一体どうしろと?」
いやいや、知らないよッ。思わず喉を飛び出しそうになった言葉を寸前で飲み込んだ。
困った……けれど、一緒に連れて行く訳にはいかない。
盗賊のアジトに……ましてや幹部のいる所に踏み込むなんて言ったら彼女だって付いて来やしないだろうが、ここに放っておくべきなのだろうか?こんな場所に女性を一人っきりで置き去りにしたら確かに危険極まりないし、俺がまた戻って来れるという確証はどこにもない。
さて、どうしたものか……?
俺が対処に困っていると不意に彼女が……、
「……ねぇ。助けてくれたら何でも貴方の言う事訊くからお願いよ」
声色を変えた彼女が正面からピタッと身体をくっつけてきた……!?
突然の行動に思わず動きは止まる。いや、止まらざるを得ない。
胸元が当たる。見事に成熟された胸が。俺に襲い掛かる様にして。
逡巡していた俺の視界に衣服の隙間からはみ出しそうな乳。狼狽しそうな意識をぐっと保ちながら不自然に視線を外そうとするそんな俺を見透かしてか、ロザリィは艶かしい声で続ける。
「早く山を下りてお姉さんとイイコトしましょ」
ゴクッ……。
耳元で囁かれたその言葉に思わず俺は生唾を飲んだ。艶々しい厚みのある唇、その奥から漏れる様な吐息が耳元を擽る。果たして『イイコト』とは!?沸き立つ想いが堪らず口から溢れてしまいそうになる。無垢な青少年にとっては禁断の領域!まさに禁域!
彼女のその声色は危険な程に魅力的な魔力を秘めている。ただ、秘めてはいるが…………!
「───ご、ごめんなさい!それでも俺は引き返す訳にはいかないのさ……!」
健全な青少年の欲望を涙ながらに押し殺して、俺は無理矢理ロザリィの身体を引き離す。
と、言うより……危険だ、危険すぎるぞこの女……!!
「……あら、そう。薄情者を通り越して無礼者ね」
精一杯動揺をひた隠しながら額に冷や汗を浮かべる俺を一瞥して途端に冷めた表情に変わった彼女が背を向ける。
…………あ、危なかった…………あれが俗に言う忍法お色気の術か!?恐ろしやお色気の術……不覚ながらまんまと堕とされそうになってしまった。
こんな山中に俺はクノイチを見た。間違いない、クノイチや。
「……それで、貴方はこの後どうするつもり?」
背を向けたままロザリィはこちらに問い掛ける。心なしか声にやや苛立ちが混ざっている模様。
「と、とりあえず、俺は奴等のアジトに忍び込むさ」
「はぁぁ!?冗談でしょ!?何の為に!?」
驚きの勢いそのままにロザリィはこちらに振り返り声を張り上げる。
「こ、声がデカいさ……!?えっと、何て説明したら良いか分からないけど、幹部の一人に用があって……」
「幹部の一人に……?貴方本当に何者なの……」
「いやまぁそれは…………ん?………あ───!!?」
台詞の途中で俺は言葉を止めた。
不意にロザリィの視線が俺から外れたからである。会話の最中彼女の瞳は俺の背後───闇へと向けられた。
───しまった……!
一瞬にして緊迫感を胸に宿し、俺は振り返り闇を見据え目を凝らす。
目視出来ないが、暗闇の中に気配が一つ。
「……チッ」
舌打ちを合図に俺は地を蹴る。
「あっ……」
俺の行動に声を漏らすロザリィを置き去りにして一気に姿が見えない相手との距離を詰める。
十メートル程駆けるとその気配の主は姿を現した。男が一人……既にその手には湾刀が握られていた。
いけるか……?
目標との距離およそ二メートル。刀の柄を握り締める手に自然と力が込もる。
チィィ……!
一閃と同時に腹から息を吐き出す。刃は弧を描いて男の胸元に向けられる。
───ガキィィィン……!
静寂の中に響音が一つ生まれる。刃と刃がぶつかり合う金属音が。防がれた……!
表情には出さずに驚きを抑えて俺は二撃目へと繋げる。
刃を一度納刀する事なく弾かれた反動を利用して身体を一回転させる。刹那、柄を両手で握り締めて次は振り下ろす!
───ガキィィィン……!
またしても耳をつんざく様な響音と共に刃は男に届かなかった。俺の刃は両手に握られた二本のククリ刀によって見事に受け止められていたからだ。
どうやら只の三下ではないみたいだな。
相手の反撃が行われる前に俺は後方に飛び、間合いを測る。
「ちょっとちょっと!私を置いて行かないでよ!」
相変わらず苛立ち混じりの声でロザリィが駆け寄って来る。
……この人は今の状況とかは関係ないのだろうか?
思わず彼女の神経を疑いたくなる衝動を抑えたまま、何も語らず意識をすぐに目の前の相手に戻す。
「くっ……!」
突然の攻撃に焦燥した様子で男はそれなりに整った顔の額に汗を浮かべていた。そんな事よりも俺は男の格好に違和感を覚えた。
薄暗さに紛れる様に黒のリングメイルに同色のコイフ。先程まで見てきた盗賊達とは明らかに雰囲気が違う。
それに松明も持たず、単体で行動をしている。
俺の攻撃を防いだ身のこなしからして剣の心得もある。こいつは一体……。
「……あんた、何者さ……?」
睨みつける様な眼差しを送りつつ、相手の様子を探る。
しかし男は必要以上に焦りの形相を浮かべ、目を泳がせながらひとり何かを繰り返し呟いている。こちらの質問がちゃんと届いているのかも怪しいところだ。
「ねぇちょっとあんた……」
もう一度問い掛けみるが…………反応はない。むしろ俺なんか眼中にない感じで何かとんでもない事をしでかしてしまった様に男はただ呟き続ける。
その言葉に耳を傾けると……、
「───嗚呼、ヤバイよヤバイよぉ……どうしようかな、どうしようかな……!?このままじゃ絶対怒られるよ、クビなっちゃうよぉ……ヤバイよヤバイよお……」
???
この男一体何をさっきから言ってるのさ……?
「……ヤバイよヤバイよおぉぉ……!!こんな時一体どうしたら…………」
「あの、ちょっと……」
「ひぃぃぃ……!?」
流石に意味の分からない男の言動に少し困った俺は呼び掛けて意識をこちらに向けさせる。ククリ両手に頭を抱える仕草で男は俺の声にビクッと体を震わせながら短い悲鳴を上げる。
それからものの数秒で狼狽していた瞳に光が宿る。頭上には分かりやすく何かを閃いたかの様にランプが点灯する。対して俺は頭上に疑問符を浮かべる。
「そうだそうだ……簡単な事だよ……バレたなら口を封じちゃえば良いんだ!俺って頭良いぃ……!」
空気が変わる。男の空気が。一変する。先程の焦燥は跡形もなく消え去り、男はその身に殺意を纏い、一歩、二歩とゆっくり歩みを始める。当然こちらに向かって。
「……あいつ、《アビリティ》の人間じゃないわよ」
「……え?」
背中にロザリィの声を受けて俺は思わず振り返ってしまった。
そこには先刻までの彼女から想像も付かない様な、とても冷ややかな……冷厳な瞳を浮かべた彼女がいた。その瞳が捉える姿は俺じゃない。こちらに歩み寄る得体の知れない男───ハッ……!?
背後に異様な殺気を感じて俺はその身を反転させた。この眼が再び男の姿を捉えた時にはその距離は瞬く間に縮んでいた。即ち、男の攻撃範囲!ククリ刀の一本が風を鳴らして俺の首目掛けて迫り来る。
抜刀していたら間に合わない……!
瞬時に状態を反らし、一撃を回避する。だが、分かってる。次の一撃が来る……!
予想を裏切る事なく空を斬った刃とは逆のククリが俺を目掛けて袈裟懸ける。見事な太刀筋だが、軌道が丸分かりだ。
納刀したままの鞘でそれを弾き返す。まだ次が来る。
三太刀目は右の突き、四太刀目は逆袈裟斬り。俺はその連撃を落ち着いて躱していく。
姉ちゃんやこの前のジルって男に比べれば大した事はない。自慢じゃないけれど動体視力だけはそこそこ自信があるからさ。
「くそくそぉ……!何で当たらないんだよ!何でだよぉ!!」
すぐに焦りが生まれた男の顔から汗が大量に流れ出す。
余裕とまではいかないが、男の繰り出す剣撃を全て弾き、流していく。きっと剣の心得があるからこそ逆に太刀筋が読み易い。正確さが仇となっている事に奴自身気付いていないらしい。そうなればそろそろこちらも反撃に転じたいところだが、同じ刀剣の部類と言っても刀とククリ刀では射程の範囲が違う。奴の扱う湾刀の方が短い分、接近度は高い。現に距離を詰められているこの状況をますば何とかしなければ……いや、この距離で使える技が一つあったな。
思いのほか冷静に頭の中で戦術を練って俺は反撃に打って出る。
男が放つ右の一撃を鞘で防ぐ。弾き返された右手を引き、すぐに左の一撃に切り替えようとする……まさにこのタイミング!
俺は右足を思いっきり後ろに伸ばし、力強く地を踏み締める。当然上半身は後方に向けて反ろうとするが、そこは背筋で耐えるしかない。
代わりと言っては何だが、鞘の下部分を握ったままの左手が相手に向かって伸びる。男の喉に向けて!
石神流抜刀術 柳の型【砕破】!
柄頭が一直線に男の喉元を捉える。地味な技かもしれないけれど、地味に痛い筈だ。柄頭とは言え、全力の突きが綺麗にヒットしたのだから。
カウンターに近い一撃を受けた男は一瞬だが、呼吸を強制的に止められ、痛みと衝撃に咳込み体勢を崩す。
そこに生まれた隙を見逃しはしない。
一歩、二歩と仰け反った奴との間合いは充分。これは俺の距離だ。
お互い直ぐさま体勢を立て直すが残念ながら俺の方が速い。
身を深く沈めた状態から俺は力強く刀を抜いた。普段なら対人戦は刃の方ではなく峰を使うのだが、今回は違う。全力で殺意を向けてくる相手にそんな器用な真似は出来ないので。
「はぁぁぁぁぁ……!」
唸りと共に放った鋭利な広直刃による逆袈裟懸けの太刀が男の胸元を捉える。金属製の輪ごと胸を切り裂く程の怪力はないにしてもそこそこの衝撃は与えられた筈。
リングメイル越しだったとは言え、相手を黙らせるには充分だった。
「くっ……くそ……くそ……くそぉ……!」
呻き声を漏らしながら湾刀を握り締めたまま膝から崩れた男はそのまま一部砕けた金輪の欠片が散らばる地に伏せて沈黙した。
そこまで見届けてから俺は大きく息を吐き出し、刀を鞘へと納めた。
結局こいつは何者だったんだ……?
ロザリィは《アビリティ》の人間じゃないって言っていたけど……。
……ハッ…………!?
そこでようやく俺は思い出す。男との戦闘で忘れていた彼女の存在を……ロザリィは…………!?
思い出した様に周囲を見渡した俺の目が彼女を映し出す事はなかった。
夜の闇に撒かれる様にロザリィその姿を消していた…………。




