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ガミキのヘッポコストーリー  作者: ゼロ
黒の姫君 編
29/84

間章 懐かしき道場で少年は姉と『剣の稽古』に励む

■□<????>

【■■■】ユウキ=イシガミ


リムレア暦?□□□□年 □月□日 時刻不明


 ───冷たい……。


 身体がひんやりと冷えていくのが自分自身でよく分かる。

 降りつける冷たい雨に打たれながらあれだけ血を流せば当然か。

 自然と体温は下がっていき、辿り着くところは一つしかない。


『死』だ。


 何だか想像していたよりもあっさりと俺はその時を迎えそうだ。

 不思議な感じだな、こんなにも呆気なく俺は今もそれに向かって着実に歩みを進めているのだろうか?自分の意志とは無関係に。

 こんな終わり方は想像してなかったな。

 でも、何でだろう……別に抗う気すら起きない。



 …………ウ……キ…………ユウ……キ…………。



 ん……?


 誰かが俺を呼んでいる。確かに俺の名前を連呼している。

 だけど残念な事に視界は既にかなりぼやけていて俺を呼ぶ声の主の姿を捉えるのも儘ならない。



 …………キ…………ウキ……ユウ…………。



 何度も何度も繰り返す俺の名。

 悪いんだけれど、その声すらも途切れ途切れで上手く聞き取れなくなってきている。

 誰だろう?何だかとっても聞き覚えのある声だ。



 …………ウキ……ユ……キ……ユウキ…………。




 ───ねえ、ユウキってば……!!




 ……………………え?



「…………そ……その声…………何で……!?」


 強い力に引き寄せられる様に覚醒した俺は思わず驚きの声を上げた。

 聞き慣れた声の主───姉ちゃんのその声に対してだ。

 な、な、な、な……何で!?


「やっと起きたか……もぉぅ」


 俺を見下ろす様な形で目の前には腰に手を当てて少しだけ頬を膨らます姉の姿。


「まさか昨日の夜からここで寝てた訳じゃないよね?まったくもう……いつまでもそんな所で寝てると風邪引くよ?さあ起きた起きたっ」


 急かす様に俺の手を引き、身体を起き上がらせた姉とは裏腹にただただ状況が理解出来ず俺の意識は一気混乱する。

 それは有り得ない筈の姉と有り得ない筈の場所……そう、ここが余りにも見慣れた風景だったから。

 ひんやりと冷たい木の床、周りの壁には達筆な文字の掛軸やら綺麗に飾られた刀の数々。

 忘れたくても忘れる筈がない、ここは……実家の道場?

 余りにも見慣れた風景、それでいて懐かしい風景。

 でも何故俺はここにいるのだろう……。


「ちょっと……何惚けた表情してるの?夢でも見てた?」


 起き上がってもまだ虚ろな瞳の弟を前に姉ちゃんはぐっと顔を寄せて俺を見つめる。

 姉ちゃんの黒い瞳に映し出された自分を見ると確かに馬鹿そうな顔は間抜けに呆然としていた。


 ただ、ちょっと待ってくれよ……夢……だって?

 今までの事全部…………?


 ……そんな……有り得ない……。


「さあ顔でも洗って目を覚ましておいで。そうしたら朝の稽古を始めましょう」


 姉は月の様に柔らかに微笑むと稽古用の木刀を手にする。

 言われてみれば彼女は稽古用の袴姿。長く伸びた黒髪を後ろで一つに束ねている。

 精巧に仕上げられた漫画のヒロインみたいな顔のパーツ。それでいて全てが自然体だから二次元もお手上げだ。ぱっちりとした二重瞼、長く伸びた睫毛、すっとした鼻筋、透き通る白い肌、柔らかそうな薄紅の唇。同じ遺伝子を受け継いでいるにも関わらずよくもまあ俺とここまで差が出るものだなと。

 ついでに言うと袴姿からでも分かる含みを持った胸元が弟の俺ですら色気を感じられずにいられない。

 うん、我が姉ながらいつ見ても可憐な姿。まごう事なき姉ちゃんだ。ずっとずっと昔から見てきたいつもの姿。余りにも見慣れた光景。

 気付けば俺も姉ちゃんと全く同じ格好をしている。いつもの朝練の格好だ。


 ……夢……だったのか……?


 そう思いかけてきた俺を姉が早くしなさいと急かす。

 現に先程受けた筈の傷がない。ジルと呼ばれた黒衣の男に斬り裂かれた左肩の傷が。

 自分でもよく分からないけれど、長い夢を見ていたのか?


 未だ状況分からず混乱する頭を抱えたまま俺は道場の外にある井戸の水で顔を洗う。


 ◇


 つ、冷た……ッ!!?


 些か袴姿では凍える朝に井戸水はびっくりする程冷え切っていた。

 凍ってしまうんではないかと思う程に冷たくなった両手に息を吐く。少しでも温めようと吹きかける吐息が白に染まり、すぐに風化する。

 この季節に井戸水はなかなか堪えるな。でもおかげで目は覚めたけれど。


 俺が再び道場に戻るとそこは先程と全く違う空間と化していた。正確には道場内に漂う空気がだ。

 張り詰める様な静けさの中、太陽の陽射しが殆ど射し込まない道場───その中央に正座をして俺を待つ姉。普段の優しい姉ちゃんとは全く異なる厳格な空気を纏いながら。

 その前には二本の木刀が置かれている。

 ヒシヒシと伝わる相変わらずの威圧感に思わず生唾を飲み込む俺の額からは一筋の冷や汗。

 こればかりは毎日体験していても慣れるもんじゃない。

 別に今から姉弟で殺し合いをする訳じゃないのに全く別物に切り替わった姉ちゃんに思わずゾクッとせずにはいられない。


「ユウキ、早くここに居直りなさい」


 冥想するかの様に深く瞼を閉じた姉の口から静かに言葉が紡がれる。

 俺は素直に彼女の前に正座をして同じ様に瞼を閉じる。

 深く深く深呼吸を重ね、精神を整えていく。

 心が無に至るまで。

 無の境地……それが<石神流抜刀術>の基礎にして真髄。

 人を斬るに心は要らない。心はいずれ無明と化し剣を曇らせる。

 我が流派は無慈悲な暗殺剣にして一撃必殺の魔剣。

 抜刀一閃狙った獲物は一太刀で必ず殺す。ただ、その為だけに心は無へと還す。

 だから心は殺さなければならない。如何なる時も。

 やがて姉から放たれていたオーラはプツンと途切れ、閉眼していては目の前にいるのかすら分からなくなる。

 波風立たたない静寂の水面の精神を保ちながら姉は静かに口を開く。


「さあ、始めましょうか……!」


 ◇


 かくして毎日の恒例である朝の稽古が始まった。

 木刀を手に二人並んで素振りを繰り返す。心を無に、何度も何度も虚無へと打つ、打つ。

 しかしながら俺はどうも心を無にするってのがあまり得意じゃない。それどころか逆に雑念ばかり生まれてくる。

 そもそも昔から鍛錬はあまり好きじゃなかった。

 毎日朝と夜は決まって剣の稽古。何度も何度も反復し、何度も何度も繰り返す。

 飽きよりも嫌気が先行してしまう日もあった。それも数え切れない程にだ。

 生まれた時から宿命付けられた『当たり前』から逃げ出そうとした事だってある。何度も何度も。

 だけど、その度『当たり前』の様に庇いながらも引っ張ってくれる姉ちゃんの存在が俺を逃避から遠ざけた。

 今、俺が在るのは姉ちゃんが『姉ちゃん』だったからに他ならない。

 凛々しい表情で見えざる相手に何度も剣を振り下ろす姉ちゃん。滴る汗も絵になる。弟ながら惚れ惚れするな。

 姉ちゃんみたいなのを容姿端麗と言うのだろう。まあシルメリアの方が上だけどさ。



 ……………………あれ?



 …………シル……メリア…………?



 無意識に浮かび上がった名前に自分でも疑問符が点灯する。

 ……シルメリアって…………。


「ユウキ、集中しなさい……!」

「あ、あぁ……うん」


 些細な雑念も姉は見逃さない。よく分かるね?と聞き返したい程俺の事は手に取る様に分かるみたいだ。俺はその逆。姉ちゃんが何を考えているかなんて全然分からないのに。

 まあとりあえず考えても分からないし、気を付けないと次は本気で叱られそうだ。

 面倒臭いけれど、稽古、稽古っと。


 ◆


 いつもの様に素振りを終えて一息つく。毎日やっている事なのに今日はいつも以上に疲れて息が上がる。

 まだ素振りだけなのに汗が濁流の様に止まる事を知らない。


「ハイ。ちゃんと汗拭きなさいね」


 床に座り込む俺の頭に白いタオルが掛けられる。隣で姉ちゃんもタオルで汗を拭っている。そんな姿もいちいち絵になる姉。

 でも時々俺は思う。


 何か勿体ないなって……。


 弟の俺が言うのも何だが、ウチの姉ちゃんはかなりの美人だ。頭も良くって、運動も出来る。それに何より優しくって、めちゃくちゃモテる。

 なのに、姉は来る日も来る日も剣に明け暮れている。

 姉ちゃんだって年頃の女の子なんだから本当は友達と遊んだり、彼氏なんかを作ったりとか……沢山やりたい事があるんじゃないんだろうか?

 そんな風に思わずにはいられない。現に俺はそうだから。

 ……それに……男である俺が流派を継ぐ事になるんだろうし、姉ちゃんはいずれ……。


「……さっきからユウキは何を考えてるのかなぁ?練習も身に入ってないみたいだし……姉ちゃんで良かったら話してよ?」

「え……あ、いや……別に大した事じゃないさ」


 表情だけで悟られるのを忘れていた俺は少しだけ焦って話をはぐらかす。

 本当はどう思っているのか聞きたいけれど、聞かない。それは俺も向こうも同じ。昔から暗黙の了解みたいなとこがあった。

 俺達姉弟は生まれてから剣を握るのか『当たり前』でここまできた。

 それ以外の選択肢なんてあってない様なものだ。

 何度も何度もその疑問にぶち当たっても共に押し殺した。それが運命なんだと。

 きっと姉ちゃんも全く同じ考えでいる。

 俺はそう思っていた。

 いや、思い込んでいた。

 この先の姉ちゃんの言葉を聞くまでは……。


「ねぇユウキ……」


 遠くを見つめたまま、姉は呟いた。


「もういいんだよユウキは……無理してまで剣術を続けなくても」

「え……?」

「知ってるよ。もともとユウキは剣よりもどちらかと言えば文学の方が好きでしょ?えへへ、姉ちゃんは何でも知ってるんだよ」


 少しだけ得意げにそう言って姉は微笑んだまま俺に背を向けた。何を言いたいか真意が分からないまま俺は言葉を紡ぐ。


「姉ちゃんが言おうとしてる事の意味が分からないよ。それってどういう……」

「もぉぅ……相変わらず察しが悪いなぁ」

「だってさ……ちゃんと分かる様に説明しておくれよ」

「…………そうね」


 そう呟いてから言葉は途切れた。

 姉ちゃんは背を見せたまま俯いている。それは何かを伝えるのを躊躇っているみたいに見えた。生まれて初めて見る迷いを宿した姉の背中だった。


 …………あれ…………?


 こんな場面、前にも確か……。


「……ユウキ、あのね……」


 記憶の引き出しから過去を検索する俺の脳よりも早く姉は振り返り唇を開く。


「……もう剣術なんてやらなくても良いよ?後は姉ちゃんに任せてユウキはユウキのしたい事をすると良いよ」

「なっ…………」


 姉の言葉の意味に真意分からぬまま思わず俺は身を乗り出した。だってさ、生まれた時から今日に至るまで常に俺と共に在った剣術をやらなくても良いよだって?何だって姉ちゃんは突然そんな事を言い出すんだ!?

 本当に姉ちゃんは何を…………あ…………。


「ごめんねユウキ……」


 血が昇りかけた頭をすぐに冷やしたのは他でもない姉ちゃんだった。

 今までに見た事のない弱々しい瞳で紡いだのは俺に対する謝罪の言葉。

 生まれてからずっと一緒だった彼女が見せた表情はあまりにも悲しく、理由も分からないまま俺の心を締め付けた。

 だって、姉ちゃんはどんな時も笑顔で前向きで、俯いた俺をいつだって励ましてくれた。

 そんな姉ちゃんのそんな表情……。

 居た堪れず、この場から逃げたくなった。

 嗚呼……この空気、あの表情、その先の言葉……俺はこれ以上堪えられそうにないし、堪えたくもない。すぐにでもこの場を立ち去ろう。きっとそうすれば、姉ちゃんもまたいつもの姉ちゃんに戻る筈。そうだ、それが良いさ!

 俺は姉から目を逸らし、今度はこっちが背を向ける。そして勢いよく道場を飛び出そうとしたその刹那───、



 …………あ…………思い出した…………。



 勢いよく飛び出る筈だった足は寸前で踏み止まり、俺の動きを止めた。そんな素足の俺に道場の床はひんやりと冷気を伝える。


 ……前にも……全く同じ事が在ったな。


 生まれて初めて見る姉ちゃんの憂いを宿す表情に俺はどうしたら良いのか分からなくなって逃げ出したっけ。

 初めて姉弟でギクシャクしたその翌日、親父は姉ちゃんを後継者に選んだ。一子相伝の暗殺剣を継ぐ次代の当主に。

 あの日を境に俺は剣を置いたんだ。

 あれ以来一度もこの道場の床を踏んだ事はない。そして俺は……姉ちゃんを遠ざけた。

 あれから姉ちゃんはずっと今みたいな表情をしていた。

 俺もそれを見ているのが辛くって、遠ざけた。仲の良かった二人の溝は余計に深まっていった気がする。

 その全てのキッカケとなったのは…………まさに今、この時だ。

 何でかはよく分からない。だけど、俺はもう一度同じ時間を過ごしている。

 そんな事有る筈ないのに、確かに俺は今ここにいる…………。

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