第十九話 宿場に引きこもった少年は『失意』に沈む
■□貿易都市フレデナント 宿場シエスタ
【■■■】ユウキ=イシガミ
リムレア暦1255年 5月27日 11時09分
お腹が空いた。でも食欲がない。それでも流石に二日間何も食べないのは身体に良くないな。
その分、珈琲ばかり飲み続けたので異様に胃が痛い。でも腹は満たされるから良いか。いや、良いのか?
けれど、森で迷った時に比べれば幾分マシだ。
あの時は飲まず食わずで丸三日間彷徨ったからなぁ。たかが三日で生命の危機を感じたし。
そう言えばあの時、騎士紛いの格好をした連中からシルメリアを助けたんだったっけ。
今思えば彼女の力があれば俺の助けなんて無用だったのかもしれない。
そんなキッカケがあって彼女と旅をする事になって……楽しかったなぁ……。
実際、一月も一緒にいた訳じゃないのに、今までの人生の中で濃密な時間だった事には変わりない。
初めて女の人を好きになって浮かれていたけれど……それも終わった、終わっちまったさ。
「はぁぁあ……」
本日何度目の溜息だろう?数えてもキリがない程に腹の底から溢れ出る憂鬱に蝕まれ、俺は今日も自室のベッドに転がっていた。
閉め切ったカーテンの向こう───外は昨晩から続く雨が未だ降り止まず、沈んだ気持ちをより一層深めていく。
……と、まあ晴れだったところで気持ちは変わらないんだろうけど。
コーン、コーン……。
雨音に重なって部屋のドアを叩く音が耳に飛び込んだ。
まさか……!?
慌ててベッドから身を乗り出した俺がドアに向けて一直線になりかけたその時、聞き慣れた声が廊下から生まれた。
『ガミキさーん、一体どうしちゃったんすか引きこもって?体調でも悪いんすかー?』
……なーんだヘンリーくんか。
乗り出した身体は途端に気が抜けて再び白いシーツへと沈む。
『ガミキさーん。今、なーんだヘンリーくんか、とか思ったでしょ?正解っす。ヘンリーっす』
見事に考えを読まれている。ドア越しに響く甲高い声は一方通行な会話を続ける。
『何があったかは分からないっすけど、何も食べないでそんな風にしてるのは身体に良くないっすよ』
感の鋭い彼だから何となく俺の状況を分かっている事だろう。
支部長代行に就任したばかりで忙しいにも関わらず、こんな真っ昼間からわざわざ俺の心配をしに来てくれるヘンリーくん……その優しさが身に沁みて泣けてくる。
『今日仕事が早く切り上げられそうなんすよ。そしたら飯食いに行きましょう!ていうかギルドで!』
……そうだな。そうかもしれない。
いつまでもこうしている訳にはいかないし、ヘンリーくんに心配ばかりかけていちゃ悪いな。ここは彼の言う通り……、
『実は今日ギルドの歓迎会なんすよ!つい先日入った新人の女の子がそりゃあもう可愛くって……ガミキさん、絶対見ものっすから!それに俺もうその娘にガミキさんが来るって言っちゃったっす!俺の面目を保つ為にここは一つ何が何でも出席の方向でお願いしたいっす。ただでさえガミキさんはウチの有名人なんすからモテモテになっちゃうっすよ。うひょーっすね!絶対来て下さいね!んじゃ!』
会話とは呼べぬ語りかけの中でもいつにない明るさが伝わった。敢えてなのかそうでないのかはこの際置いといて、気遣いありがとうヘンリーくん。でもきっと最初の件にあった『新人の女の子』それが今回の重要どころだろう。
ガチャ……。
彼が去った廊下に出ると奥の窓から見える薄暗い昼間の世界は悲しみに濡れる雨が止む事なく降り注いでいた。
不意に視線が捉えた先は自室の隣───シルメリアがいた部屋。
コンコン……とノックを鳴らしても反応はない。
ガチャ……。
内側から鍵が掛かっている筈のないドアを開けると中は一様に薄暗く、人の気配すらない空室だった。
当然か……。
思わず、声に出しそうになった台詞を腹の中に押し返す。
別に言葉にしたところで誰に聞かれる訳でもない。
だって俺は一人なんだから。
◆
身支度をして部屋を出たのはあれからすぐの事だった。
ギルドの歓迎会とやらまで随分時間はあるが、少し散歩でもしよう。僅か二日間と言えど全く動いていなかったせいで身体が重い。
ブレストプレートは置いていこう。でも【詫丸】だけは持っていこう。一応ハンターのエチケットとして。
そんな感じで。
ぶらぶらと特に宛てもなく石畳みの大通りを歩く。昨晩から降り続く雨の影響で街中の水路という水路の水嵩が随分と増している。それと反比例して普段はあんなにも人で溢れている港街も今日ばかりはどこか静かげだ。
ボツン、ボツンと勢い変わらず、雨粒が傘を叩く。気付けばズボンが裾の辺りまで雨に濡れていた。一応一張羅な訳だけれど、まあいいさ。
若干小腹が空いたので適当な飲食店を探す。時間はまだたっぷりあるので少しぐらい腹を満たしても問題ないだろう。むしろ完全空腹でいるよりかマシだ。
俺は裏通りに入って引き続き飲食店探し。案外大通りよりはこっちの方が隠れ処的な老舗に出会えそうな気がする。
そんな安易な予想を裏切る事なく俺は間もなく一軒の定食屋の前で足を止める。
それは石造りの港街にあってアンバランスな木造の出で立ちが妙に俺を惹きつけた。それでいてどこか懐かしい気がするのは年季の入った暖簾のせいだろうか。
店の横には『漢艦亭』と達筆な文字で書かれた看板。
よし、ここにしよう。決断までにさも時間はかからず、俺はスライド式の木扉を開ける。
『親父ぃまだやってるー?』的な暖簾を潜る鉄板動作を忘れず。本能的にそろそろ魚介系が食べたいなと心躍らせながら。
……しかし、ただでさえ憂鬱な気分が数秒後、更に拍車をかけて負の螺旋へと俺を向かわせる。
「───のぉわあああああ……ッ!!?」
暖簾を潜った瞬間、俺の目に飛び込んできたのは宙を舞う巨漢の男。その肉まみれの塊が落下した先は他でもない俺だった。
ぐへぇぇッ……!?
衝突の衝撃で俺の身体は見事に重力から解き放たれ、雨の店外へと弾け飛ぶ。
嗚呼、世界が回っている。くるりくるりと。
地面に頭を強打した俺の視界に漫画の様な星がチカチカと煌き、複数のアヒルが頭上を飛び回る。目つきの悪いアヒルだなぁ、前にどっかで見た事ある様な……。
「テッ……テンメェ……!!」
目を回す俺を他所に巨男は立ち上がり鼻息荒く再び店内へと駆け出す。その矢先、今度は小柄な男が暖簾を潜って外へ。付け足して言えばその小男も宙を舞いながら。
丁度店内へと踏み込んだ巨男に衝突して再び肉まみれの巨体がぐらりと体勢を崩す。
当然、倒れ込む先には俺がいる。
「……厄日だ」
再度全身に衝撃が走り、満身創痍の俺が見つめた先に数人の男達。慌ただしく店内から飛び出してある者は仰々しい面持ちで剣を抜き放ち、またある者は倒れ込む巨男と小男に駆け寄る。びしょ濡れになって雨の中地に伏せる俺の存在は至って無視して。
昼間から全く何事だと傍観する俺を他所に男達の視線は暖簾の先───店内へと向けられていた。
やがて店内から臨戦態勢に入っている男が三人、抜き身の剣を手に暖簾を潜る。
外の連中とあーだこーだと口論して睨み合う光景はただのチンピラ同士の喧嘩そのもの。
願わくば、関わり合いになりたくないな。そう思ってそろりと退散しよう試みていたその時、遅れてもう一人男がゆっくりと店内から姿を現した……。




