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リパクパ  作者: 藤本乗降
2 はじめての**
7/26

週末は家に行こう

       *


 新学期が始まり、教室の雰囲気は前とは少し違うものになっていた。

 夏休み中にしっかりと受験勉強をした者。勉強すると言っておきながら、例年通り遊びまわっていた者。クラスの人間は大体そのどちらかに区分され、口には出さないものの、お互いがその隔たりを感じているようだった。

 俺はもちろん前者の方だ。海やプールに行けなかった分、美織と一生懸命ペンを握っていたのだから。俺の頭は美織の挙動や仕草を何よりも優先させて記憶するけれど、だからといって勉強の内容が忘れられているわけではない。

 成績が飛びぬけて良いわけじゃないが、クラスの中ではまあまあ上位に入る。勉強というのは暗記も大事だが、それ以上に要領という奴が大切だ。問題を見たとき、記憶の引き出しを考えなしにどんどん開けるのではなく、最短経路で最も適切な記憶を引き出す。ゆえに、美織の姿をずっと見つめて、二十四時間途切れることなく美織のことばかり考えていても、それでテストに失敗するようなヘマは犯さないのである。

 一学期に「夏ですべてが決まるぞ!」と熱く語っていた担任は、今じゃ「ここからが本当の勝負だ!」と前よりも激しく熱弁していた。そりゃあクラス全員の進学率を上げることが教師の務めなのだろうが、どうせなら「夏に勉強しなかったやつは人生諦めろ!」ぐらい言って欲しいものである。

 まあ実際言ったところでその担任を見直すかと言えば、そうじゃないけど。

 さて、以前非ちゃんに言い当てられたように、俺と美織はクラスが別々だ。

 俺が三年一組で、美織が三年八組。

 四月にクラス分けが発表されたときの俺の様子は言うまでもないと思う。それでも語るとすれば「絶望」。そうとしか表せない感情だった。

 毎日通う教室は、俺にとって勉強する場所以外の何でもない。友達と馬鹿を言いあうこともなければ、下ネタで下衆い笑いをとることもない。

 俺の高校生活はないない尽くしだ。

 友達なし。絆なし。恋人なし。セックスなし。

 でも、俺は美織がいるだけで十分過ぎるほど満たされているのだ。

 その美織自身は教室で一体どのような生活を送っているのだろう? 夏休み中にそれについて話したことがある。

「えー、私? 私はいたって普通だよ。仲良い女子とはよく喋るし、そうでもない子とは全然だし。男子とは……あんまり話さないかなあ。あ、でもたまに男子がゲームの話とかしてて、スッッゴク混ざりたくなるんだけど……結局盗み聞きするだけなんだよなあ。それでつい『あ、そのダンジョンの隠し通路知らないなコイツ』とか思ってニヤニヤしちゃう。傍から見てどうなんだろうね私……」

 ちなみに、そのとき俺のクラスでの立ち位置を話したところ

「あー、それはちょっともったいないよカジカ。一回きりの高校生なんだから、友達くらいつくっとくべきだと思うけどなー。……まあ今から友達つくるのも難しそうだけど。でもカジカなら、私がいれば十分とか思ってるんじゃないの? …………ウソウソ冗談だってば。そんな顔しないでよ」

 と彼女は言った。

 『もったいない』。『一回きり』。

 確かに美織の言ったことはもっともで、(無自覚だろうが)俺の考えもズバリ当てられていた。

 案外、超能力者は俺ではなくて美織の方なのかもしれない。

 そういうわけで夏を終えたばかりの俺は、このあと同年代の男と知り合う機会があるなんて思ってもみなかった。

 門蔵乱土かどくららんど

 暑さが感じられなくなった気温の中、アイツは俺にこう言うのだ。

「お前はなんつーか、一見どこにでもいる普通の高校生にしか見えねえけどさ。なんかこう……普通の高校生たちが絶対持ってないもんを持ってそうな感じがすんだよなあー。うまく言えねえけどよ」

 そんなことはない、勘違いだと俺は答える。それに対してアイツは

「ま、だろうな」

 と、短くそう返すのだった。


       *


「ねえカジカ、今度の週末空いてるかなあ」

 飛び上がった。俺の心臓と肺と肩と全身の毛細血管と、ついでにどことは言いづらい器官が一斉に宇宙へ向かって直角に上昇せんとする勢いで飛び上がった。

 九月も終りを迎えようとするある日。

 学校の中庭から見える空は俺の心臓を吸い込んでも不思議じゃないくらいに青い。野外に立つ掲示板には「ひったくりに注意!」と大きく書かれた紙が風になびいている。妙な形のオブジェが中心に位置する庭には金木犀の香りが漂い、木製ベンチではうら若き男女が楽しげに談笑している。だが俺は一階から四階までの校舎の窓からじろじろ見られるあの場所に座るのに気が進まないので、美織ともこうして立ち話をしている。

 普段学校ではあまり顔を合わせることのない俺と美織が、どうして昼休みに中庭でこんな話をしているのか?

 A・手紙で呼び出された。

 B・メールで「大切な話があるの」と送られてきた。

 C・俺と美織のそれぞれの第六感が何かを告げた。

 どれも正解ではない。

 俺は購買部に消しゴムを買いに行く途中。美織は職員室に向かう最中だったという。

 すなわち、ただの偶然で俺と美織は鉢合わせした。

 ただの偶然万歳!

 このように心の中で精一杯のガッツポーズをしながらも「よう、調子はどう?」とか「おっす、いい天気だな」とかいう台詞で挨拶だけするのがいつもの対応なのだが、この日は違った。

 遊びの誘いである。

 現世に蔓延るもてない男どもが、喉から手どころか足の裏を出してまで欲しがる、女子からの『今度空いてる?』である。

 しかし、これで安心してはいけない。

 次に続く台詞に『あ、じゃあバイトのシフト変わってくださ~い』というトラップが仕掛けられている可能性もある。

 すぐさま脳内スケジュール帳を確認。今はクリスマスでも正月でもお盆でもない。そもそも俺も美織もバイトなんてしてない。

 ――うん、週末は金曜の夕方から日曜の夜まで何の予定も入ってないよ!

 実際は一つ用事があるにも関わらず、俺はそう言おうする。

 だがすぐに

「コジカねえの」

 追加の台詞が聞こえてきた。

「え?」

 興奮していた全血管が瞬間冷凍されていくのを感じた。

「いや、ちょっとね、コジカねえに教わりたいことがあってさ……」

 予定の有無が俺に対してではなかったことがショック過ぎて思考回路もショートしてしまったが、俺はなんとか美織の言っていることを聞き取ることができた。

「教わりたいことって?」

「ええと、それはその……」

 ごにょごにょ、と小声で話されて聞こえない。

 教わりたいこと? 美織が、あの姉貴に?

 確かに姉貴は勉強もできるし運動神経も悪くない。無駄に多趣味だから色んな分野の知識も備わっている。俺が知っている中ではサブカルから野球、銃、ファッションに釣り――とにかく、姉貴が教えられることは非常に多岐にわたる。

「勉強とか? まあ先生も言ってた通り、こっから頑張らないといけないもんなあ」

「う、うん……そうだね」

 まだ口元でごにょごにょ言っているのを見る限り、どうやら勉強目的ではないらしい。

 一番現実的な答えだと思ったんだけどなあ。

 顔も赤いし、全体的にそわそわしているのが簡単に分かる。邦武父をからかったりするときの美織とは違う、彼女自身の『弱さ』がさらけ出されているみたいな。一体全体あの毒舌女から何を学ぼうとしているんだ。ますます気になる。

 美織が、ハッと顔をこちらに向けた。俺の視線に気が付いたのだろうか。頬がリンゴのように染まったその表情は珍しくて、心臓がドクンドクンと鼓動を打つ。宇宙まで振動させるハートビート。

「な……なにさ、そんなに見て」

「そりゃあ、そっちがもったいぶってるから」

「……むう」

 美織の頬が屋台の水風船のように膨んだ。と思ったらすぐに弾ける。

「と、とにかくコジカねえに予定があるかどうかだけ聞いておいて! で、今夜か明日にでもメール頂戴!」

 美織はうしろの金木犀へ顔をそむけた。それを残念と思う反面、その仕草自体がすでに可愛らしい。

「じゃあ私、先生のとこに教科連絡しに行かなくちゃ!」

 明らかに焦った様子で歩き出す。そわそわ感が滲みだしているセーラー服の背中に、俺は慌てて声をかけた。思えば、今ここで絶対に言わなければならないことではないのだが、それでも今度の週末に関する情報を伝えたのだった。

「日曜なら姉貴、大丈夫だよ」

 ピタっと美織の足が止まる。慣性の法則に従って上半身が前のめりになり、「おっとっと」と駄菓子の名前が口から漏れる。

 それを見て、非ちゃんに出会ったときのことを少しだけ思い出した。

 あの時の俺は止まりきれなかったけれど。

「日曜なら姉貴、暇なはずだよ」

 もう一度、確認させるように言った。

「ああ何? もう聞いてたんだ」

 美織は意外そうに言う。

 正確には違うのだ。姉貴から暇だと聞いていたわけではない。もっと言えば、姉貴は日曜に用事を入れている。

 では俺は、よりにもよって世界で一番大切な彼女に真っ赤な嘘を吐いたのか。――現時点ではそういうことになる。

 だが、姉貴のスケジュール帳の内容はこうだ。

 《弟の勉強の面倒を見る》

 何を思ったのか両親が「たまには美織ちゃんじゃなくてお姉ちゃんにも勉強見てもらえばいいじゃない」と提案したせいである。

 つまり、この日に美織の予定を入れさえすれば俺はうるさいヤジを浴びることもなくなり、美織の希望も無事達せられる。一石二鳥とはこのことだ。

「じゃあ日曜カジカんち行くから、コジカねえにもそう伝えといてー!」

 右手をあげて「じゃ」と言うと美織は足早に立ち去っていった。

「しかも、うちに来るのか……」

 一石三鳥、だな。

 俺は人目も憚らず、今度は本当にガッツポーズをした。



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