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リパクパ  作者: 藤本乗降
1 自転車
3/26

発現

       *


 翌日、七月二十二日。

 今日は美織の家で勉強会をすることになっている。俺は左手首にはめたGショックをちらちらと眺めながらママチャリのペダルを懸命に漕いでいた。

 籠の中の黒い学生鞄は荒ぶり、今にもドロップアウトしてしまいそうだ。

 頼むから、革製品の癖に自由を求めようとしてくれるなよ。おとなしく籠の中に囚われといてくれ。

 真撫家から邦武家までは、通常なら自転車で十分未満、急げば五分と少しの距離だ。約束の時刻は十一時ジャスト。長針は「11」と「12」のちょうど中間。そして俺が自転車を走らせているのは昨日別れた公園の手前。

 ……どう考えても間に合わない。

 先に見える信号が赤に変わった。無視するか? いや、公園には若き力を存分に発揮する感受性豊かな子供たちがいる。彼らの見ている前で信号無視をするのは……いくらエゴまみれの人間と言ったって、無理だよなあ。

 そんなわけで遅れて到着、邦武家、もとい《くにたけサイクル》。

 言い忘れていたが彼女の実家は自転車屋さんである。今俺が乗っている自転車もここで買ったものだし、パンクする度にここのお世話になっている。

 店主こと邦武父は昼間、奥の方で整備をしていることが多い。俺は出来るだけ音を響かせないようにセンタースタンドを立てて、《くにたけサイクル》の裏口へ足を向けた。

 ゴクリ、と唾を飲み込む。店先の気配がないことから、彼は今日もスパナ片手に作業にいそしんでいるのだろう。

 俺にとっては好都合。しかし油断してはならない。相手はあの邦武父その人なのだから。

 今だけ俺は、ダンボール好きの某潜入工作員になりきる。

 照り付ける日差しを浴びて汗が頬を伝うが、それとはまた違った種類の水滴が夜の女王のような冷たさで背中をなぞる。

 髪の先端まで神経を通わせる。人間が進化の過程で失った野生の警戒心を今こそ取り戻そうではないか。

 なぜ俺がこうも神経質になっているのかと不思議に思う人もいるかもしれない。だが考えてもみろ、「そこにグリズリーがいますけど、食事中ですから安全ですよー」と言われて安心する人間がいるだろうか。いたら、ソイツは頭がおかしいか肉体がおかしいか、あるいは両方おかしいかのどれかだ。

「でも、グリズリーのが幾分マシだよなあ……多分」

 そう溜め息をついた時だった。

 いきなり滝のような汗が背中を流れる。体温は真夏の太陽の存在を忘れたかのように急激に寒気を走らせた。

 別に目の前に本物の熊が現れたわけではない。ただ、俺の内に宿る野生の本能のようなものがなにかを察知したのだ。

 この時、俺は心底痛感した。

 ああ、どうせ超能力を身に着けるんなら、透明人間や時間停止が良かったなあ……。

 つま先は裏口方向に向いたまま。両足は地面から離れることすらできなかった。まさに蛇に睨まれた蛙、というやつだ。しかも気配だけで相手を拘束する彼の方が、毒蛇よりずっと脅威である。

「十一時十分」

 野太い声が聞こえる。奥の闇の中から日本人離れした筋肉の塊が徐々に姿を現す。

「……俺にァ嫌いな人間が二種類いるって話、前にしたよなあ?」

 やばい動けない怖い怖いちびる死ぬ助けて神様。

 頼む誰かお願い、溜めに溜めた『MIORI』フォルダの半分消してもいいから!

「時間が守れねえ奴と…………」

 なんで一々間を置くんだ。膀胱がプルプル震えているのがはっきり分かる。俺は五十過ぎのおっさんの前でちびる趣味はないんだよ!

「テメェだよ――小僧」

 この時、俺の心に浮かんだのは「逃げねば」でも「土下座しないと」でもない。

 オワタ。

 片仮名三文字の、シンプルかつストレートな敗北宣言。

 最期を告げる彼の名は邦武 龍山りゅうざん。霊長類最強の親バカである。


「おとーーさんストーーップ!」

 バン! と勢いよく裏口の戸が開く音がして、聞き慣れた声が一帯に響きわたった。

 声の主――美織は人間一人と熊一匹が相対する局面を物ともせず、ツカツカと歩み寄ってきた。そして日曜朝のヒーローのように堂々と仁王立ち。

「弱いものいじめは、めっ!」

「うう……み、美織」

 先程とは打って変わってしょんぼりした様子の邦武父。さっきの彼がグリズリーだとすれば、今のはデフォルメされたゆるキャラといったところか。

 しょんぼりらっくま。

「す、すまん」

「謝る相手は私じゃないでしょ」

「う……。くっ」

「ほら早く。ただでさえ時間が前倒しなんだから」

 この流れから理解できるように、邦武家においてのみ父の権力は弱い。最弱である。《くにたけサイクル》は世知辛い女尊男卑社会となっているので、このやり取りを聞くときだけは、さすがに俺も邦武父に同情の念を禁じえない。

「……すまんな、小僧。ちょっとカッとなっちまった」

「あ、いや俺――僕も時間破ったのがいけなかったですし……」

 邦武家の人間は総じて時間にうるさい。ノルマに追われる営業マンでもないのに、何がそこまで彼らを急かすのかは俺にも分からない。特に邦武龍山は日頃から俺を敵視しているため、娘との約束を破ったことを見逃してくれるはずがない。それが、今回俺がスニーキングミッションを試みた理由の大部分である。

「お、良いの入荷してるね。これ、タイムトライアルバイク?」

「ん……ああ、そうだ……」

 この親子の会話を聞いていると、男女の切り替えの早さってやつがよく分かって面白いなあ。

「それにしてもカジカ」

 美織はそれ以上父を諌めるつもりはないようで、俺の方に向き直る。

「ん?」

「遅れるなんて珍しいじゃん。いつもはもっと余裕持って来るでしょ。どうかしたの?」

「それは……」

 答える前に、恐る恐る横目で邦武父の方を伺う。

「……っ!」

 一人の鬼がそこにいた。それもただの鬼ではない。その罪人を憤怒の視線で焼き殺そうとする形相は、まさに地獄の支配者閻魔大王。

 ゴゴゴゴゴ、という書き文字が見える。しかも筆字だ、絶対そうだ。

 しかし、美織一人ならまだしも彼が見ている状況で本当のことなど言えるはずもない。もしそれを言ったら、俺は嘘つきの烙印を押され、瞬時に噛み殺されてしまうだろう。怒りに突き動かされた彼の耳には愛娘の悲痛の叫びも届かず、真撫カジカはあっけなくその生涯に幕を下ろしたのだった――なんてことに。

 かと言って、下手な言い訳が通用する相手とも思えない。彼は決して頭脳明晰というわけではないが、俺を疑うことにかけては地球上の誰よりも優れているのだ。こちらがよほど穴のない完璧な理屈を並べない限り、三十分番組の名探偵ばりに嘘を嗅ぎつける彼の嗅覚からは逃れられない。

「ええと……」

 それでも、何か言い訳を述べるしか選択肢がないんだよ! 後のフォローは未来の自分に任せ、今はこの場を乗り切ることだけを考えるんだ!

 意を決して、俺が口を開きかけたときだった。

「あー、そういや今日の待ち合わせって十一時半だったね。私から約束したのに、いつもの癖で勘違いしちゃってた」

 美織の言葉に一瞬「え?」となったが、その意図はすぐに理解できた。

「そうそう! いやぁ邦武さんも美織……ちゃんも遅刻だなんて言うから、こっちも訳わかんなくなって!」

 美織は俺が言い淀んだのを見て、おそらく遅刻の原因を察したのだろう。彼女もまた父と俺の関係性をよく知る人物である。俺が何を言っても父の激情は治まらないと分かったはず。それゆえ、全幅の信頼を置かれている自分がフォローするのが最適、という思考に至ったに違いない。

 完璧だ。

「……フン。なんだ、そういうことか」

 邦武父はそれで一応納得をしたようだった。

「で、美織は何か用事でもあったのか? ずっと部屋にいたはずだが……」

「おとーさん。女の子にはイ・ロ・イ・ロあるの。そういうとこ分かんないとまたおかーさんに無視されるよ」

「な……!」

 さすが、親の扱いというものをよく理解してらっしゃる。彼は絶句し、しょんぼり、というより梅雨の真っただ中のようにどんよりとした空気を纏って店の奥へ消えていった。

「しかし、大丈夫か親父さん……? あの様子じゃ仕事に手がつきそうにないけど」

「だいじょーぶ。むしろ仕事の世界に飛び込んで、しばらくそこから出てこないから」

「多分それ大丈夫じゃねえよ!」

 俺と美織はそんな会話をしながら家の中に入っていった。

 部屋の前まで来たところで、彼女が言った。

「遅刻した理由、あれ関連でしょ」

「ああ。察しがよくて助かったよ」

「フフフ。お礼に今度ジュース奢ってよ」

「はいはい。二本でも三本でもどーぞ」

「お、太っ腹だねェ」

 彼女も俺も笑顔のまま部屋に入り、今日も宿題に取り掛かる。美織は昨日の続きの教科書を開き、シャーペンを軽く二回ノックしてから

「でもカジカも災難だったね。おとーさんに睨まれるわ、自転車の鍵失くすわでさ」

 そう言ってクスクス笑うのだった。


       *


 俺がその能力に気が付いたのは七月二十日――つまり一昨日のことだった。

 その日も美織の部屋で古文の問題集と悪戦苦闘していた。

「最近、何でもかんでもアルファベットや四文字で表す風潮があるじゃない」

「最近ってか、だいぶ昔からそうじゃないか? 俺は別に外国文化に詳しいわけじゃないけどさ、日本語って名前を略すのに向いてると思うぜ」

 当然、俺の記憶は万全ではない。だからこの会話も正確には覚えてないし、台詞の推量がずいぶん入ってると思うけど、だいたいこんな感じの会話をしていたことは覚えている。

 ちなみに邦武父は愛娘の貞操の危機を阻止するためか、度々部屋にお菓子を持って参上する。もちろんノックなんて真似はしない。しかし彼は自身の性質上、必ず三十分間隔で来るのでサプライズがサプライズとして機能していないのだ。

 それを時計代わりに、俺と美織は三回邦武父が来訪したら休憩を入れることにしていた。これはその時の会話である。

「でもデパ地下って最近言わなくない?」

「略語が盛んに作られるだけ、墓地送りになる言葉も多いってことだろ。ものづくり大国ゆえの大量廃棄ってか」

 邦武父が持ってきたお茶をすする。大量生産と略語文化の結びつきなんてあるわけないことは知っていた。でも勉強した後はこうして馬鹿な理屈を口にしたいものなのだ。

「そうやって、飽きっぽい私たちのせいでたくさんの言葉が死んだ」

「ま、そうだな」

「本に載ってる死語も、それを覚えてる人がいなくなっちゃえば蘇らないわけだ」

 下らない話だと思った。そもそも美織は生物の死に関しても割と淡泊だったはず。コンビニでお釣りは一銭残らず財布に戻すタイプだ。

 したがって、美織が言いたいことは……。

「つまり、お前は平安京の奴らにこう言いたいわけだ。『勝手に死語増やしてんじゃねーよ。一生おとなしく無言で蹴鞠してろ麻呂ども』と」

「私、そこまで口悪いかなあ?」

 む……。しまった、これはどちらかといえば姉貴の口調だ。

「まあ、近からず遠からずってとこかな」

 美織は人差指で頬を掻き、苦笑しながら言った。

「どうせならさ、私たちでいっぱい言葉つくって、千年後くらいの人たちの勉強の邪魔しちゃおうよ。きっと頭こんがらがるよ! 古語辞典も今の倍ぐらいの厚さになっちゃうんだ! あはははは!」

 それは過去の人間に届かない苦情を叩きつけるより、ずっとずっと悪質だなあ。

 俺はそう思い、再びお茶をすすった。


 超能力に気が付いたのは、それから家に戻ったときのことだ。

 だったらさっきの会話は不要だったんじゃないかって? まさしくその通り。これは俺と美織が普段どのようなコミュニケーションをとっているかを紹介するためだけの文章である。言い換えると自慢である。

 では、語られるべき本筋に移ろう。

 家の前に着くと、いつものように俺は自転車から降りた。

 うちは道路から一つ高い土地に建てられているため、三段くらいの石段を登らなければ敷地内に入れない。

 前輪を持ち上げ、一気に石段の上に引っ掛ける。そのまま右手で車体を支えつつ、俺も前輪と同じ高さまでのぼると、後輪ごと一気に引っ張り上げた。段差に乗り上げるごとにぼん、ぼんと弾む感触が、タイヤにちゃんと空気の入っていることを伝える。

 自転車に乗り始めたばかりの頃はただ持ち上げるのにも四苦八苦したというのに、今ではほんの数秒で、しかもほとんど意識せずに出来てしまう。

 事実、俺の頭の中は美織のことでいっぱいだった。勉強会の帰り道はいつも、古文単語より美織との雑談の内容の方が頭の中で再生されっぱなし。

 マーカーで印をつけた部分は記憶のロッカーの端の端にしか保存されていない。

 玄関前に置いてある姉貴の自転車の隣まで押して歩く。タイヤが砂利を踏む音がなんとなくもの悲しい。

 片手で軽くブレーキをかけ、センタースタンドを立てる。

 籠の中から鞄を引っ張り出し、ちょっと斜めがかっていた車体を立て直す。

 そして鍵をかけようと、背を曲げたときに俺は気付いた。

 鍵が――美織が昔、可愛いと褒めてくれた犬のストラップがついた鍵が――無かった。

 落とした? それとも盗まれたか?

 咄嗟に周りの砂利を見渡す。

 いや、それなら俺がここまで運転してくることなんてできなかったはずだ。

 ポケットを上から探ると小さな手ごたえがあった。

 もう一度自転車を注視すると……夕日を反射して光るロックが、後輪の隙間にガッチリと食い込んでいた。


       *


 そんなのは勘違いだと、人は言うだろう。

 俺だってそう思った。これがどこか赤の他人の身に起きたことでも、他ならぬ自分の身に起きたことでも、俺はそいつの脳を疑うだろう。

 例外として、美織の身に起きた場合は無条件で信じてしまいそうだが。

 しかし実際、この魔訶不思議現象は俺の身に起こった。

 前述の通り、最初は「ああ、疲れてるんだな、きっと」と思った。

 だが何を思ってか、俺はきまぐれにこの現象を検証しようとしたのだ。

 鍵のかかった状態のままセンタースタンドを上げ、サドルに跨り、地面を蹴る。

 本来なら十センチも進まずに停止するはずのタイヤは、そのまま砂利を踏み続けた。

 俺は降りて、鍵がかかっていることを確認してから再度検証を始めた。

 何度試しても結果は変わらなかった。

 『自転車の鍵を無効化する能力』

 それが俺の超能力だった。


 この日の勉強会も終りに近づいてきた。

 邦武父が運んできたお菓子の皿も、今ではゴミの皿と呼ぶ方が相応しい。

「でもさ、それってカジカの能力とは限らないんじゃないの?」

 問題の答え合わせをしている最中、美織は突然そう言った。

 突然、である。だから俺は何に対する「でもさ」なのか即座に理解できなかった。

「それって、どういうこと?」

 今は休憩時間ではないが、女子というものは何か思いついた時にそれを口に出さずにはいられない性分だ。美織はクラスでうるさく騒ぐタイプではないが、染色体レベルの本質には抗えないらしい。

「二十日と、それから一日置いた今日。二日に渡ってカジカは超能力を使ったことになるんだよね」

「ああ。昨日は普通に鍵を使ったからな」

 元々俺はあの能力を、二十日の晩だけに起きた奇跡みたいなものだと捉えていた。

 それが鍵を失くすというアクシデントによって今日も起きてしまうなんて、全然これっぽっちも思っていなかったのだ。

「それって、自分の自転車以外では試したの?」

 思い出すまでもなかった。検証したのは自分のものだけだったし、今日は慌てていてそれどころではなかった。

「いや」

 ちなみに邦武父に会いたくなかったのは、彼なら自転車に起きた異常に気付く恐れがあったからである。

 いや、別に気付かれても構わない――というかむしろ後で相談しようとも思っていたくらいなのだが、さっきの休憩時間にそのことを言ったら美織は反対した。理由は「子供の秘密は子供だけのもの」だと。

「だとするとその能力って、自転車のものだって可能性もあるんじゃない?」

「え?」

 思わず驚きの声をあげた。そんな考えには至らなかった。これからも至るとは思えなかった。

「というか普通はそう考えるんじゃないかな。自分が超能力者になったなんて、今時小学生でも言わないもん」

 それを聞いた俺は、答え合わせする手を止めて抗議する。

「ちょっと待て。それだと俺の愛車は超能力者ならぬ超能力車ってか」

「あら、うまいこと言うね」

「うん、正直俺もうまいこと言ったなーと思ってる。……じゃなくて! それだとお前の親父さんは、その超能力車を販売してたことになるんだぞ!」

「ふむ。確かにそう考えると、おとーさんが超能力者ならぬ超能力車の超能力者という線も大いにありうるか……」

 ……ややこしい。

「でも実はさ、私もあの話聞いてから一度試してみたんだよ」

「え、そうなの?」

 試した、とは恐らく鍵付き自転車に乗れるかどうかの実験だろう。

 彼女の愛用する自転車も、俺と同じく《くにたけサイクル》で手に入れたものなので、その実験の結果次第で超能力の真の持ち主が絞られることになる。

「鍵かけたままペダル踏んだんだけど、当然ガチャリン! って止まった。やっぱりおとーさんは普通の人間だよ」

「あれが果たして普通の人間と言えるかどうかは置いといて……じゃあ確実に俺にだけ起きた出来事ってわけなんだな」

「それは分かんないけど、まあ今の時点ではそうなのかもしれないね」

 そもそも自転車屋さんは自転車製造屋さんではないのだ。しかし俺の自転車に関わる人間を製造段階まで遡るわけにもいかないので、暫定的に俺か、この自転車自体が超能力者(車)ということにしておこう。

 それから後は、俺も美織も目の前の課題に集中することにした。はっきり言って、俺にとっちゃ超能力より受験勉強の方が(そして更に美織の方が)ずっと重要なのだ。

 そして、幾度目かの勉強会は終りを告げた。

 何度も二人で通った公園までの帰路を歩くのが習慣であったが、この日だけは違った。

 どうやら例の能力は俺が自転車に乗った状態でないと発揮できないようで、二人で短いサイクリングをしなければならなかったのだ。

 俺の視点からではうまく鍵の位置が見えないので、出発する前、美織に後輪部分の観察をお願いしたのだが――

「なんて言うか……ホログラム映像みたい」

 という単純かつ明確な感想が返ってきた。

 そして今、俺と美織は交通ルールに則り、縦に並んで走っている。

 俺が前で、後ろが美織。

 しかしこの状態だとどのくらいのスピードで走ればよいか分からないし、何よりも話ができないという欠点がある。

 歩行者側からすると迷惑極まりない並列運転だが、こうして運転者側に立つと、このもどかしい感情をどうにかしたいというのが本音だ。

 そんなことを考えていると公園に着いた。

 いくらゆっくり走ったとは言え徒歩よりもずっと速かったはずだが、言葉の交わされない道中はいつもより長かったように感じる。

 それから美織と明日の約束をして、いつも通りの、ちょっと悲しい別れが告げられた。

「さて、帰るか」

 一人になった俺は、夕暮れを背に、全身の体重の何割かを右足に込めてペダルを踏んだ。

 他人が自転車に乗っているときに鍵の部分を見る奴なんていない。俺はそう確信していたからこそ、なんの臆面もなく自転車に乗ることができていた。

 だから、次に起きた展開は俺の予想外のものだった。

「あ」

 すぐ後ろにいたのは一人の少女。

 その背丈から見るに小学校三、四年生くらいだろう。『赤毛のアン』みたいな形のツインテールは茜色に染まり、艶々と輝いている。肌は少し日焼けしていて、子供用の小さな赤いリュックサックを背負っている。

 友達は近くにいないから、遊んだ帰りだろうか。

 ともかくそんな少女が俺のすぐ後ろ――正確には後輪の左に立っていた。

 そして少女は人差指をこちらに向けていた。すぐ傍の後輪の、ある部分に。

 やばい。気付かれた!

 ……いや、相手は所詮子供だ。周りの人間に「鍵付いたまま自転車乗ってる人がいた!」と言いふらしたところで妄想や見間違いだと思われるのが関の山だろう。

 だからここは、何も気に留めずすたこらさっさと家に帰るべし!

 脊髄レベルでそう判断した俺の行動は早かった。

 体を少し浮かせ、左足で思い切りアスファルトを蹴り、それから体重のすべてを右のペダルにかけた!

 しかし、次に少女が発した言葉が聞こえて俺は

「やっと見つけた」

 急ブレーキ。



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