俺と世界がああしてこうしてこうなったホントのホントの理由
5 俺と世界がああしてこうしてこうなったホントのホントの理由
日本時刻・一月二十二日・零時零分零秒。
真撫カジカ体感時間・二七〇〇日目・朝七時三十分。
非ちゃんがこの日持ってきてくれた朝食はブラジル料理「エンパーダ・デ・フランゴ」だった。パイ生地の中に熱々のチキンとグリーンピースを混ぜたこの料理は、正月を初めとする祝いの日によく食べられるそうだ(情報提供・アカシックレコード)。
「よくもまあ、毎日毎日世界各国から料理を持ってくるよねえ……」
それを聞いた体操服姿の非ちゃんは、得意そうに鼻を鳴らした。
「しかも、あくまでお兄ちゃん基準の『一日』だからね。今のお兄ちゃんは世界一の早食い選手なんだから感謝してほしいよ、まったく」
「はいはい、いつもありがとう」
非ちゃんは食事の世話だけじゃなく話相手にもなってくれるし、俺の髪が伸びたらカットしてくれて、服が汚れたら替えを持ってきてくれたりする。俺が世界一手のかかる早食い選手だと言うなら、非ちゃんは世界一迅速な家政婦幼女だろう。
食べ終わり、ごちそうさまを言って食器を非ちゃんに預ける。
「さあて、今日も一日頑張りますかー」
背伸びしてから、砂だらけのタイムトライアルバイクに跨る。そろそろおやっさんに整備してもらわないとな……。前に自転車が返ってきたときは手紙で『それは荒れ地を走るもんじゃねえ!』って書かれていたけど、それでもきちんと整備してくれたんだよなあ、と思い出す。
「あ、ちょっと待ってお兄ちゃん」
非ちゃんは俺のズボンを慌ててつかんで、ペダルを漕ごうとした足を引き止めた。
「今日はお兄ちゃんが地球を回してちょうど二七〇〇日なんだ。年月にして七年と五か月少し。ちなみに閏年は計算に入れてないよ! あしからず」
七年……もうそんなに経つのか。正直実感はあまり湧かない。非ちゃんの能力の一つである『不老不死』の一部を分け与えられているせいで肉体的には高校生と何ら変わりはないのだ。
「それで? 二七〇〇日がどうしたんだよ?」
「チッチッチ、そっちじゃないんだよ。ほら、最近のことで気付かない?」
「ええっと、今日がエンパーダ・デ・フランゴ、昨日の夜はガレッド・デ・ロワ、その前は餃子定食……」
あいにく何も気付かないでいると、非ちゃんは呆れたように言った。
「一月、で何か気づかない?」
「お正月? そういえば地球でお正月があった日は――何年も前だから記憶があやふやだけど――ちゃんとおせちを持ってきてくれたよね?」
「そうじゃないの! 今日は一月二十二日! 私がお兄ちゃんに会ってからちょうど半年で、そしてお兄ちゃんの誕生日だよ!」
誕生日。
それはもう何年もやっていなかった行事のように思える。
俺がやっと十八歳になれる日、か。
「だから、今日まで頑張ってくれた分の特別ボーナス」
「へえ、嬉しいな。何? おいしいケーキでも持ってきてくれるの?」
非ちゃんはチッチッチと人差指を振る。
「今日だけ特別に、地球に里帰りしていいんだよ!」
「ええっ! ホント!?」
それは今まで無理だと諦めていたことだった。いくら頑張っても越えられない壁だと。
「私もね、二年前に自転車に乗れるようになったでしょ? だからこう思ったんだよ『自転車にも乗れたんだから、一時的に時間流操作を元に戻すこともできるんじゃないかな?』って。そしたらついに、今日! できるようになったってわけなんだよ!」
腕を組み、平たい胸を張り、高らかに笑う非ちゃん。
その順序は明らかにおかしいけど、深くはつっこまないことにする。
「でもお兄ちゃん、あっちの時間で最大でも一日で帰ってくるんだよ。それを超えると……」
「超えると?」
「私の体力が限界を迎えるんだよ……」
ああ、なるほど。
その間、代わりとして自転車を漕いでくれることを考えると少々申し訳ない気持ちになる。
「分かったよ。じゃあ出来るだけ急いで帰ってくるから」
それじゃ、と言って駆け出した。
自分の足で、それも全力で走るのは何年振りになるだろうか。
バランスを崩しそうになりながらも、月の大地を全速力で疾走する。
目指す先は、地球と月を繋ぐ透明のチェーン。
その上を渡れば、距離とスピードから計算して、ちょうどインドネシアの町に到着するらしい。現地には非ちゃんが用意した自家用ジェット機が準備されていて、俺が空から現れ次第すぐに日本に向けて出発するそうだ。ほんと、『世界の所有者』の肩書は伊達じゃない。ちょっと世話になり過ぎじゃないかと思うが、好意は好意としてありがたく受け取っておこう。
さて、地球に着いたら何をしようか。
門倉たちとまた自転車を盗むのもいいな。いや、一緒にサイクリングするだけでも十分かもしれない。
おやっさんとこに挨拶もしないといけないし、実家にも当然顔を出さないとな。
そして――美織の墓参りにも。
「……ああ、そうだ。非ちゃんにもお土産買っていかないとな」
いくらあの幼女でも、さすがに体感時間百日間を自転車漕ぎに費やすのはキツイだろうし。
あいつは何が好きなんだろう? 女の子だからやっぱりお菓子がいいかな。チョコクッキーとか。
いくら考えても考えたりないほど、地球には選択肢が多すぎる。
宇宙の片隅の、地球よりもずっと小さな星の上で、俺は大きくジャンプした。
*
「さあて、頑張るぞ私」
亡二下非は念入りに準備体操をしてから、砂だらけと文字だらけのタイムトライアルバイクの隣にある、小学生用のピンクの自転車を手にした。
「そういえば……」
亡二下非は七年と五か月、隣にあるこの奇妙な自転車を見てきたが、そこに書かれている文字を読んだことは一度もなかった。
アカシックレコードにアクセスすればこんな情報もすぐに分かるだろう。
だが彼女はそうしなかった。
手で砂を払い、ところどころ掠れてしまった文字の中から読める部分だけを探す。
「ええと……何々? 『フロム・フィオリータ』『あのとき』『犯人』……?」
まるでパズルのように、読める単語だけを繋いで一つの文章が浮かび上がってくる。
「『この場所』『お前』『盗んだ』。『ピンク』『マウンテンバイク』。『今』『許さな』『美織』『泣いて』。『だから』『俺』ち……『誓っ』。『一つ』『携帯電』『早く』買う……いや『買ってもらう』。『つ目』『自転車泥棒』『許さ』。『三』……うーんと『美織』『泣かな』えーっと『界』『変える』?」
それ以外の部分は掠れていたり、元々の文字が乱雑すぎたりして解読不能になっていた。
だが亡二下非はそれだけ読めれば十分、と満足そうな顔をして、タイムトライアルバイクと向き合った。
「私のこと早めの中二病なんて言って……お兄ちゃんも人のこと言えないじゃん」
そう言ってフレームを優しく撫でる手つきは、子供というよりは母親のものに近かった。
「世界って、ああもう飽きたーってとこで面白いやつが現れるんだね……。選ばれし勇者でも導かれし者でもない、ただ誰よりも早く能力が開花しただけの人間をテキトーに選んだだけなのにさ。はあ……運命には勝てないなあ。まだまだ私もガキんちょだねー」
亡二下非はかすかに呟くような大きさでそう言い、どこまでも続く砂と岩の地平線へと視線を向けた。
「ま、そのうち運命を掌握できる可能性も、無きにしも非ずってことで」
ピンクの自転車は道なきガタガタ道を勢いよく進み始めた。
終




