世界終末宣言
4 自転者
そいつはいつだって突然現れて、とんでもない与太話を告げてくる。
このときもそうだった。
「ごめんオニーチャン、やっぱ世界終わるっぽい」
ごめん冷蔵庫にあったプリン食べちゃった、とでも言うような軽い口調で非ちゃんは告げた。
ショッピングモール跡地に佇む廃墟の中は、ブルーシートと月明かりで深海のような蒼さを浮かべている。俺は段ボール布団をはぎ取り、いつの間にか現れた非ちゃんに向き合った。
今日はリュックサックも背負ってなければ、赤いワンピースも着ていない。じゃあ何を着ているのかといえば……何も着ていなかった。
全裸の幼女が真冬の廃墟で照れくさそうに笑っていた。
風がブルーシートを揺らすと、蒼も一緒にゆらりと動き、まるで本当に海の中にいるような錯覚を覚える。
「どういう意味だよ……それ」
「あれれ、すっぽんぽんの我輩に対するツッコミはなし? 冷たいなー、ロリコン失格だよオニーチャン」
いっそ凍え死んでしまえ。俺は無視して話を進める。
「言ってることが違うじゃねえか。神様のくせに嘘つくのかよ!」
「我輩が神様? そんなこと一言でも言ったかな? 我輩は世界の所有者。全知でもなければ全能ですらないんだよ」
「どうでもいいねそんなの。とにかく今の言葉はどういう意味かって訊いてんだよ!」
疲れと寒さも合わさって、焦りと不安が天井なしに膨れ上がる。
「オニーチャンも見たでしょ、お猿さんも能力を身に付けたってニュース。オニーチャンたちが言うところの『リパクパ』は我輩の想像を遥かに超えてるの。だから最初の『自転制御の力を無くして加速させる』って計画はパー!」
非ちゃんは両手を『パー』にしてバンザイをした。未発達の胸もツルツルの股間も露わになる。羞恥を感じてる様子などなく、ただ俺の動揺を誘うための恰好なのだと推測。
「だから地球は加速しないんだろ? 何も問題ねえじゃねえか」
「ねえ、オニーチャンってバカ? もしかしてバカ? もしかしなくてもバカなのかな?」
「知ってるか? バカって言った方がバカなんだぜ」
小学生らしい返しをするが
「その文章は自己言及パラドクスだから無効なんだよ」
と跳ね返されてしまった。
それはちょっと違う気もするけど、考える隙も与えずに非ちゃんは続ける。
「おバカなオニーチャンのために説明してあげるから、耳の穴かっぽじってよーく聞いてね。……カギを無視する力、つまり『制御・抑制を無視する力』は手違いで人間たちに渡ってしまい、その結果自転車は加速するようになったの」
加速というと単なるスピードアップのように聞こえるが、ここでの『加速』とは鍵をかけた状態で車輪を回すこと……言い換えれば『1→2』の加速ではなく『0→1』の加速ということだろう。
「そして、最初に我輩が付与した力を超える勢いでリパクパは拡大した。では問題です、これは何故でしょう?」
「ええと……元々地球が自転していた分の力までが俺たちに流れ込んできたってことか?」
「正解正解せいかいで~す。ご褒美にハグしてあげるねオニーチャンっ!」
非ちゃんはトテテテっとアニメのような擬音を立てながら駆け寄ってきて、俺の腰の位置に頭をうずめてきた。
こんなに寒くて、しかも裸なのに、非ちゃんの体温は不気味なほど心地いい温かさだった。その抱きついた状態のまま、非ちゃんは顔だけを上げて話す。
「だから今度は地球の自転が止まっちゃうの。今は0.000015秒/年よりビッッッミョーに大きいスピードで減速してるんだけど、そろそろその数字が加速度的に大きくなる時期が来てるの。……減速なのに加速度的って、アハハハ! なんかおもしろーい!」
「で、地球が止まったらどうなるんだよ」
「ん、止まること前提なの?」
「今そう言っただろ……」
「まあね。でもポジティブって大事だと思うよ? ……そういえばポジティブ思考とポジティブ志向ってどっちが正しいんだっけ!?」
「いいから話せって」
非ちゃんは不機嫌そうな顔つきをしたまま説明を開始した。
「えーっとね、まずこれだけ急に減速が起こると、とてつもない慣性力がかかることになるね。列車の急ブレーキと同じだよ。普段の地球の自転速度は赤道直下で秒速463メートルだから、もし仮に一秒で自転が止まる場合、だいたい47Gの負担がかかることになるね」
「47Gっていうと?」
「オニーチャンの体重は56.3キロだよね。じゃあその四十七倍の力がかかるってことだよ」
何で俺の体重を知っているのかはともかく、四十七倍といったら約2646キロ。そんな力で吹っ飛ばされては、門倉や邦武父との勝負に耐えた俺でも余裕で死ねるだろう。
「もちろん影響があるのはオニーチャンだけじゃないよ。建物も海も山も大地も大気も布団も、何もかも慣性の力で吹っ飛ぶ。避難したいなら北極点か南極点に言ってペンギンさんたちとお話しするしかないね。ペ~ンギ~ンさ~ん、あっそびましょー!」
青白く発光する少女の皮膚はまるで南極の氷のように見えて、体温と色素のギャップが俺を混乱させる。
「ま、でもこれは地球が『急に』止まったときの話。もしかしたら免許取り立ての新人ドライバーみたいにゆっくり停止するかもしれない。そのときは今言ったほどの負担はかからないはずだよ!」
腰にしがみついている幼女が車のことを例えに出すのは、どう考えても違和感しかなかった。深い色をたたえた瞳で見つめてくる非ちゃんに俺は言う。
「でもゆっくり止まれば大丈夫、ってわけじゃないんだろ?」
「もちろん! 地球は半分が灼熱地獄、もう半分が極寒地獄に二分されるだろうね。自転が止まれば地磁気もなくなって、太陽風とかプラズマがダイレクトアタック。そしたらオニーチャン、北極に行かなくてもオーロラが見られるようになるよ! 彼女と二人でロマンチックなオーロラデートだよ!」
抱きついている幼女の無防備な腹に、躊躇なく膝蹴りを決めてやった。
ガラス細工のように細く、透明感のある肉体が廃墟の床に転がった。けれども非ちゃんは顔に笑みを保ったまま、冷たいコンクリートに大の字に寝転がる。ちょうど足と足の間に俺は立っていて、見下ろすと少女の肢体が海上に浮かんでいるように見えた。
「そうなるとバン・アレン帯も消滅するね。これが消えると大変だよ、放射線から地球を守っていたバリアーなんだもん。これとプラズマが手を組んだら、まあ打つ手なしだね。どうしようもない」
「でもよ、ひょっとして地球が逆回転するってことはあり得るんじゃないか? 加速、通常速度、減速、停止ってきたら、また回りだす可能性だって――」
「ないね」
一蹴。見下ろしているのは俺のはずなのに、遥か高みから見下されたような感じがした。
「我輩が地球に力を加え、地球から人に力が移った。我輩がいて地球があってオニーチャンたちがいる。この関係性は一方通行なんだよ。水が高いところから低いところに流れるみたいに、力も一定方向にしか譲渡できない」
「……その理屈だと、地球が止まったらリパクパも止まるってことになるのか?」
「そういうことだね」
非ちゃんは「よっこらせくろすっ」と体を起こし、また立ち上がる。
世界は終わる。
対処する方法はない。
全員死ぬ。両親も姉貴も邦武父も良子おばさんも門倉も亜門も佐竹も玉城も渚も羽黒も安田も脇西もみんな死ぬ。
俺も死ぬ。
そこまで分かった上で、俺にはまだ一つ疑問が残っていた。
「どうして俺なんだ?」
もっと影響力の大きい政治家とか地質学者とか宇宙開発者とか、今ここで世界に関する大事実を聞くべき人間は俺じゃなくてそっちの方じゃないのか?
そして、非ちゃんは俺にどういう意図があるんだ? 情報の発信源としてはあまりに小さく、ただ超能力に早く目覚めただけの俺に。
「まさか、世界を救えとか言うんじゃないだろうな?」
冗談のつもりで言ったその一言に亡二下非は目を見開き、反応した。
左手でうなじの部分を撫で、右手は胸と下腹部を丹念になぞり、ついには股間にまで伸びる。微かに甘い喘ぎが聞こえ、恍惚とした表情で紅潮していく少女の顔。唾を飲み込む音が重なって聞こえ、それと同時にほっそりとした喉がコクンと動く。
裸体のあらゆる部分から非ちゃんの喜びが筋肉の運動として現れ、そしてやっと、さくらんぼのように赤い口腔から言葉が紡がれた。
「世界を救うのじゃ、勇者カジカよ」
ベリーハード期限付きノーセーブで、ですか?




