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リパクパ  作者: 藤本乗降
2 はじめての**
10/26

門倉乱土

       *


「や、事情は分かったからさ。そろそろ頭上げなって」

「……」

「ほら、怪我あるしさ。それにまだ床にガラス落ちてるかもしんないし……」

「……」

「もう! おでこに刺さって大仏様みたいになっても知らないよ!」

「……」

「おとーさんも、さっきから黙ってないで何か言ってよ!」

「……」

「……はあ。どうしてこう男ってのは沈黙で語ろうとするのでしょうかねー!」

 後日。火曜の放課後。《くにたけサイクル》店内。

 ガラスの破片は全て片づけられ、置いてある商品の数もだいぶ減っている。良子さん――美織のお母さんが奥で点検をしているからだ。

 前日までそこにあったガラスの壁は綺麗さっぱり取り払われ、ガムテープで固定された頼りないブルーシートだけが店と外界との境界として機能していた。外でトラックが道路を擦り、マンホールを鳴らす音がとてもよく聞こえる。

 そんな空間の中、美織はカウンターの椅子に足を組んで座り――

 邦武父は奥の壁に巨体を預け――

 そしてミイラ男のコスプレみたいな恰好をした俺は――土下座だった。

「…………」

 だから今の描写は俺が土下座する直前のものであり、美織はもう足組みを解いてるのかもしれないけど。

 事情は全て説明した。帰る途中ひったくりに遭い、一時間強ばかり追走し、その過程で店に突っ込んだこと。……そして、あのニット帽を捕まえるために新型タイムトライアルバイクを失敬したこと。

 いや、「失敬」なんて言うと謙譲語で誤魔化している感があるから言い直そう。

 俺は昨日、はじめてチャリパクをした。

「――小僧」

 ずっとだんまりを決め込んでいた邦武父がようやく言葉を発した。たった三音。それだけなのにどんな猛獣も震え上がらせ、いまにも暴発しそうな爆弾がそこにあるかのような声だった。

 覚悟はできてる……って言いたいけど、やっぱり怖い! 今までで一番怖い! 今度こそ俺は殺される。そりゃそうだよな、店ぶっ壊しといて無傷で済むはずがない。売り上げも、商品自体にだってダメージがあるだろうし、ああもう、こんなつもりじゃなかったのに……。

 でも、あの自転車を盗んだこと。それは百パーセント俺の意志だ。俺の責任だ。他の何かに言い訳が通じても、これだけは言い訳しちゃ……駄目だ。

 改めて、覚悟を決めろ。

「お前……案外男じゃねえか」

「はい。本当にすいま……え?」

 そんな感じでガクブル状態だった俺には、邦武父の言葉は意外過ぎた。

「傷だらけになってまでなあ……うちの娘の、仇討ちたあ……うっ、根性あるじゃ……ヒクッ、ねえかよォ……」

「え、ちょ、何おとーさん? 泣いてんの? ホントに?」

 後頭部の向こうからすすり泣く声。それが徐々に大きくなっていく。それと同時に地震が起きる。ズシン! ズシン! と床が短く揺れる度、ゴツン! ゴツン! とおでこがぶつかる。

 泣く? あのキングコングが? しかも俺のことで? そんなことあるはずがない。出会ってからずっと、あの怪物と親しげになったことなんて……。

 そのとき急に、肩が何者かに掴まれた。条件反射で思わず体が起き上がる。

「痛い痛い痛い痛い痛い痛い折れる折れる!」

「小僧……お前やればできんじゃあねえかよォ! 小便臭えもやしみてえなガキだと思っとけば、いつの間にこんな……ひっく……なあ?」

 いや「なあ?」って言われても。

 美織もこの行動には驚きを隠せず、ただ固まるばかり。ちなみに足はもう組んでいなかった。

 決壊したダムのように邦武父の目と鼻から溢れだす液体は俺の顔面を直撃し、拭こうにも両肩が完全に固められて身動きすらろくにとれない。結果、俺の前頭部はドロドロでヌルヌルなネチョネチョでいっぱいになる。

 白濁にまみれる男子高校生。そんな一部からの需要には応えたくない。

「店のことは気にすんな! 若えうちは細かいことなんか気にしなくてもいいんだよ。ぶつかって砕けても、諦めずにぶつかり続けんだよ! 体はほっそいのに、ぶつかってく気力はあんだなあお前にも……ううう、グスッ、いやあすまねえな、大の大人がこんなみっともねえ姿見しちまってよォ……。でもよォ、俺は嬉しいんだぜ。お前ならきっと美織を……ッ……美織を、な! 任せてやることも……でき、グジュルルルッ……。いや、でもそのためには体がなってねえな。だが大丈夫だ! 気力がありゃ筋肉なんて自然についてくる。まずは腕立て腹筋背筋の百かける三セット、スクワットに体幹トレーニングもしないとな。俺がつきっきりで見てやろう。場所はそこの公園で――そうか、あの公園にいたチビ助が、なあ……。うううう、っう」

「あー、おとーさん? 分かったからその手、どけようか。はいまずは右手ー」

「ズリュリュリュリュリュリュ……グズッ」

「はいはいティッシュですよー」

「ズ~~! ズ~~!」

 どっちが保護者だか分かったもんじゃないな……。

「最初はよお、俺だって悔しかったさ……だがそれももう終わりだ。若さにァ敵わねえよ……」

「うんうん。そうだねー、もう五十半ばだしねー。ついでに左手も離そっか」

「そうだな……小僧、これからも頼む、ぜ。…………ヒック」

「ほらほら、おかーさんとこ行って思いっきり泣きなさいな」

「うおおおおん! 良子おおおお!」

 こうして、邦武父は壁や天井に巨大な体躯をぶつけながらも全速力で走って行った。「またどっか壊さないといいけど……」という美織の心配ももっともだろう。

 美織が持ってきてくれたタオルで顔を拭いた。

「うえ、すげえ臭かった」

「でも良かったじゃない。殴られなくって」

「骨の何本か失うかと思ってたよ……」

「あははは。まあ私はなんとなーく分かってたんだけどね」

「あんな号泣するってこと?」

「いや、さすがに泣くとまでは……」

「だ、だよなあ」

 邦武父は、少なくとも俺の前では弱みを見せたことなんてなかった。幼いころからの畏怖の対象。それがあんな一面を持ってたなんて……。

 店の奥からはおいおい泣きわめく声がまだ聞こえる。体と同じく巨大なその声量は、外にもきっと聞こえているだろう。

「でもそんなちっさいこと、気にしないんだろうなあ」

「ん? どしたのカジカ」

「親父さんのこと。なんか昔の熱血教師って感じだよな」

「そうだねー。なんか昔は教師目指してたらしいよ。おかーさんから聞いたけど」

「え、マジ?」

「マジマジ」

 絶対体育教師だろうな……。もしかして時間にうるさいのも、それが由来だったりして。

 ジャージ姿でホイッスルを鳴らす邦武父の姿を想像して、そのあまりの違和感の無さに苦笑する。

「ところでさ、カジカ」

 奥からの泣き声が小さくなり、代わりにカレーの匂いが漂ってきて、そろそろ家に帰ろうかと思った矢先、美織がある質問をしてきた。

「その犯人、結局どうなったの?」


       *


 日曜日、つまり一昨日。夜の路地にて。

 俺とニット帽は対峙していた。といっても一人は血だらけ、もう一人は顔面強打。狭い路地で互いに壁に体重を預けながら喋るのが精一杯だった。

「おい、アントニオ」

 俺の方から口を開く。聞きたいことがいくつかあったからだ。

「あ? 何お前それが本名だって本気で思ってんの? 馬鹿?」

 思ってねえよアホ、と返したくなる気持ちをグッと堪えなければ。ここで奴のペースに乗せられては駄目だ。

 そうは言っても、このときの俺は極限状態で自制心なんて効くはずもなかった。

「思ってねえよアホ」

「だったらオレをその名で呼ぶんじゃねえ、今後一切。呼んだらぶっ殺すからな」

「はあ? お前さっきは自分で自分のことアントニオ・リッチだって言ってたじゃねえか!」

「言ったさ。でもその名で呼べとは言ってねえぞ、勘違いすんな馬鹿」

「はああ? じゃあ何て呼べばいいんだよ。マリモ帽子? ダサジャン? チャリパク男?」

「門倉乱土」

 門倉ランド?

 どこのB級テーマパークだと、出血で頭の回らない俺は思った。

「そうだ。門の倉庫で門倉。乱れる土で乱土。小学校の頃、この名前付けた理由親に聞いたらさ、『カッコイイから』って言われたよ。その後クラスで自信満々に発表したんだけどな、それ聞いてた先生苦笑いしてたよ。同級生には褒められたんだけどな。『カッコよすぎ! 似合わねー、ぎゃはははは!』って」

 ニット帽――門倉はそう自己紹介した。大泥棒やテロリストならともかく、ただのひったくり兼自転車泥棒が自分から名前を言ってくれるなんて変だ。しかし、この時の俺にはそんな疑問を抱く余裕は当然なく、自分からも名乗ることにした。

「俺は真撫カジカ。真に撫子なでしこで、カジカは片仮名」

「待て、ナデシコってなんだよ。分かんねんだけど」

「サッカー日本代表のやつだよ。聞いたことないのか?」

「馬鹿にすんな。それぐらい知ってるっつーの。漢字が分かんねえんだよ漢字が」

「やっぱ馬鹿じゃねえか」

「ああん!?」

 いくら言ってもお互い口だけ。それはどちらも理解していたので、いくら煽っても手を出そうとはしなかった。不機嫌そうに鼻を鳴らした門倉は俺にこう言ってきた。

「お前もあの力、使えんのか?」

 それは俺が最初に聞こうとした質問とまるっきり同じだった。

 門倉乱土。二人目の『カギ無視』超能力者。

「ああ、そうだよ」

 そう言うと門倉は「やっぱりな」とつまらなさそうに呟いた。

「いつからだ」

 またも質問。どうして奴が質問して俺が答えるんだと反感を覚えるが、何度も言うようにそんな余裕はない。

「夏休み中に気がついた。お前は?」

「へえ、オレより前なのか。あ、オレの方は二週間前な」

 二週間前。そのときのことを思い出すが、特に変わった出来事は無かった気がする。

「この力持ってるやつって他にもいんの?」

「分からない。少なくとも俺は一人も知らないな」

「ふーん。じゃあゴレンジャーの線はやっぱ無いか……」

「ゴレンジャー?」

「いや、ただの妄想だから。別に深い意味ないし」

 門倉はそう言って軽く笑った。

 口元に垂れた血を拭い、次に聞きたかった質問をする。

「じゃあ能力が宿ってから、亡二下非って幼女に会わなかったか?」

「……え? ごめん、もっかい言って」

「いや、知らないならいい……」

 どうやらあの幼女、能力者のところに必ず現れるってわけじゃないらしい。その理由は何だ? だって俺と門倉には能力の差なんてない。俺にだけ姿を現したのは何故なんだ?

「いくつ? 歳」

 俺の思考は門倉の言葉で途切れた。いつの間にか馴れ馴れしい口調になっているのが少々気にかかるが、俺は大人しく答えた。

「十八。高三」

「なんだ、オレと同じじゃん」

 耳を疑った。

 え? そんな黒ひげ危機一髪みたいな顔で、高校生なの? 老け顔過ぎだろ!

「オレも十八。無職だけど」

「あ……」

 無職。

 その単語一つで、ひったくりや自転車泥棒についての動機を聞く必要がなくなった。金は人を狂わすという言葉通り、門倉も少なからず狂っていたように見えた。

 だからといって同情の余地はゼロだが。

 そろそろパトカーを呼ぼうと、俺はポケットに手を突っ込んでスマホを取り出そうとした。が、触り慣れたシリコンカバーの感触はない。

 その時、あることを忘れていたことに気づいた。俺の気づいたことに門倉もまた気づいたようで、「おっとスマン」と前置きしつつ、

「ほれ、オレの負けだ。返すぜ」

 とバッグを返してくれた。

 きっとこの中には美織のスマホがあるはず。美織、ごめん! と心の中で謝りつつ、出来るだけバッグに血が付かないように中を探る。暗くて見づらいが、奥の方にそれらしき感触があり、無事サルベージ成功。

 パスワードに美織の誕生日を入力し、番号入力画面に切り替える。さすが現代っ子、機種が違っても難なく対応できる。そして1・1……と押したところで、俺は手を止めた。

「ところで、マナデよお。最後に一つ聞きたいんだが」

 最後の質問、というわけか。弱弱しい門倉の言葉に、俺も素直に答えてやろうとする。

「最後、オレは完全に撒いたと思った。周りも暗かったし、追いつけるはずなんてねえってな。お前……どんな手ぇ使った?」

 俺は……口では答えなかった。美織のバッグからぶら下がった、蛍光塗料で赤く光る兎のストラップを、ただ中指で撫でただけだった。


       *


 話してる途中に邦武父が半強制的に夕飯に誘ってきて、俺もカレーをいただくことになった。時間と共にスパイスの香りも強まってきて、食欲が喉元から込み上がってくる。

「で、それからどうなったの?」

 美織は、絵本の続きを急かす子どものようにそう尋ねた。

「その後すぐ、隙を見せた俺が思いっきり殴られて」

「え?」

「そのまま気絶。気付いたら病院にいた」

「ええええええ!?」

 美織が椅子からガタンと立ち上がった。口をあんぐりと開けたまま両手をわなわなと震わせている。

「じゃあ、その門倉さんはそのまま逃げちゃったってこと?」

「いや、そのままってことはないぜ。お前の着信履歴に一一九番が残ってた。妙なところで親切なんだな、あいつ」

「そういえばバッグも取られてなかったね……」

「自転車も置きっぱなしだったよ。まあこれは自分の足取りを消すためだろうけど」

 ふーん、と言って美織は椅子に座りなおした。

「ま、顔も名前も分かったことだし、あとは警察が捕まえるのを待つだけだね」

「ああ、そのことなんだけど」

「……まさか、警察にはまだ言ってないなんて言わないよね?」

 その問いには沈黙でしか答えられない。

「あのさあカジカ……」

 美織の視線が天井に向けられる。驚きを通り越した呆れというやつだろう。

「あんたバカァ?」

 どっかで聞いたことあるようなセリフが心臓に突き刺さった。これはツンではない、純度百パーセントの悪口だ。

「みぃおりぃぃー! ご飯できたぞぉぉー! 小僧呼んで来ーい!」

 家全体をライブ会場のように揺らす邦武父の轟音。俺たちの会話は強制的にストップさせられる。普段なら嫌悪しか湧かない騒音だが、今回ばかりは助かった。

「ちょっと待ってー、今話し中ー!」

「一分で来ないと、母さんが怒るぞー!」

 チッ、と舌打ちをして、美織はこちらを一瞥する。上に尖らせた唇、眉間に寄った皺。これは黙ったままで済ませてくれるって顔じゃないな……。

「ちょっとな、警察に頼る前に話しておきたいことがあるんだよ」

「ふーん。どんな?」

「ええと、それはまだ言えないんだけどさ」

「でも逃げちゃったんでしょ」

「会える場所は……一応目処がついてんだよ」

 嘘だ。本当は見当もついていない。だがこうでも言わないと、無計画な俺の計画は止められるに決まっている。それこそ、美織が姉貴に「カジカに国家権力を有効活用するよう言ってくださいよ」とか相談したりして。そうなったら勝つ見込みゼロ。

「ホントに?」

 上目づかいで覗き込まれる。俺が首肯すると、美織はそれで納得したのか、いつものような甘酸っぱい笑みを浮かべるのだった。

 カレーは業火を思わせる辛さだった。

 嘘つきと泥棒が地獄に落ちることは、昔から決まっているのだ。


       *


 こうして俺の探し人は二人に増えた。

 一人は亡二下非。ラスボス感満載。得体の知れなさすぎる幼女。詳細不明。

 もう一人は門倉乱土。ひったくり犯。自転車泥棒。神がどうとか外国人がどうとか喋りだす、得体のしれない青年。

 このうち優先すべきは前者である。が、そもそも人間かどうかすら危うい彼女の行方は依然として知れず、真撫カジカ本人の中では「あれは幽霊なんじゃないか」という仮説まで立ちはじめている。

 今なら目の前に本物の幽霊が現れても平常心保てる自信があるぜ。あの幼女よりかはよっぽど現実味がある。

 そういうわけで、俺は門倉から探すことに決めた。

 非ちゃんと違って実在の保証がある彼を探すのにさほど時間はかからなかった。

 というか、帰ってからわりとすぐに手掛かりが見つかった。インターネットで彼の名前を検索したら瞬時に出てきたのだ。

『門倉 乱土さんを探しています』

 そういう類いじゃないかと思っていた。同い歳で、あの薄汚い風体ということからそれを想像するのは容易だったから。

 夜だったが、俺は門倉の実家とやらに連絡をとることにした。

 コール音が四回半して止む。聞こえてきたのは、無機質な中に諦念が混じったような中年女性の声だった。聞けば門倉乱土の母親だと言う。

 俺は自己紹介をし、お宅の息子を見たと話した。ただ、話がややこしくなるのが面倒なので、自転車レースを繰り広げたことなどは言わなかった。

「ああ、あの子生きてたの」

 それが彼女の第一の感想。歓喜もなく、悲哀や絶望すらもなく、言葉というよりもただの音声に近い。小学生が至極どうでもいい講演会のあとに書かされる感想文の方が数倍は感情がこもっているだろう。

「ええ。それで彼、独り言を言っていたんです。アントニオがどうとか、自分は神から見放されていないとか。なにか心あたりはありませんか?」

「いえ」

 悩む様子も思い出す間もなく、即座に答えは返ってきた。短い、あまりにも短い返事。そこに動揺や感動はない。そして声はこう聞いてくる。

「もう一度会ったら伝えてください。人に迷惑だけはかけるな、と」

「…………はい」

 電話は向こうから切れた。

 そりゃ、家出少年なんだから、家庭に何か問題があるのは当然っちゃ当然だ。

 ともかくあいつは実家に帰ってはおらず、この町か、あるいはどこか知らない地へと行ったのだろう。

 その後しばらく門倉乱土との接触はなく、伝言もかなわなかった。



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