第六話
どうやって虐めぬこうか。
男は暗い感情のままにパソコンでサイトを巡る。あらゆる苦痛をあの子に与えるんだ。くふふ、きっと気持ちいいだろうな。遊んであげなきゃ、早く、早く。
画面には残酷な映像がいくつも並んでいる。裸に剥かれ、臓腑をさらし、苦悶の表情を浮かべる女性の死体。そんな写真がいくつもいくつも。
ううん、道具がないなァ。じゃ、身近にあるモノでしようか。
彼はまず爪切りを思いつく。次はミキサー。それはなかったから、買いにいかねば。次は、次は。そんなふうに次から次へと残酷で醜悪な想像を頭の中で繰り広げる。その想像が終わるころには、想像の中の少女は人とも何ともつかぬ肉塊へと姿を変えていた。
……くふふ、楽しみだなぁ。
彼は暗い暗い想像を弄ぶ。それを実行に移そうとするまで、あと数時間。
「いゃぁぁぁあっ!?」
沙英は飛び起きようとして、出来なかった。体が思うように動かないことに気付くと、沙英の心は一気に冷え込む。摂氏0度以下をはるかに通り越し、絶対零度に一瞬でたどり着く。心の全てが凍りつき、何もかもが動かなくなる。
また攫われたのか、それとも今までのが夢だったのか。
沙英はそれを判断しようとして首をひねって……安堵した。
「……友」
心に温かみが戻ってくる。感情が少しだけ氷解し、抑えていたものが溢れ出す。
「脅かさないでよ、友」
よかった、本当によかった。友が隣にいてくれて、本当によかった。
「……沙英……?」
友がむにゃむにゃと目を覚ました。
「おはよ、友」
「う、うん、おはよ、沙英」
昨夜の暴れっぷりと余りに違う沙英に、友は戸惑う。
「……あの、友、ちょっと離して……。その、恥ずかしいよ」
本当は犯人と友を重ねるのが嫌だったからだが、沙英は嘘をついた。
「あ、ごめん」
慎重に友は沙英を離した。
「沙英、寒い?」
「え?」
「だって、腕抱えてるから……」
沙英は自分でも気付かないうちに、自分で自分を抱き締めていた。
「え、あ、う、うん。ちょっと、寒いかな……?」
「暖房つける?」
「い、いいよ。学校、いかなきゃ、いけないし……」
「なんで?」
「なんでって……」
「今日はサボり! でしょ?」
沈み込み始めた沙英を引き上げるように、友は明るく言った。
「……そう、だったね。サボり、なんだよね」
辞めるでも、逃げるでも意思表示でもなんでもなく、ただのサボり。本来の沙英なら許さなかっただろうが、今は違った。いつもの日常に戻れたような気がして、嬉しかったのだ。
「そうそう。ぱあーっと遊んで、楽しもう」
「あそぶ……」
沙英の脳裏に犯人が浮かび上がる。友に心配をかけたくない一心で、その映像を振り払おうとする。沙英にはそれができないばかりか、表情にまで出てしまっていたようだ。
「い、一緒に、ゲームとか、しようよ」
「うん? そうだね!」
あえて遊ぶという単語を避けて、沙英は言った。
「……。ね、ねえ、友」
「なぁに、沙英」
さっきはごまかせた。けれど、これからもずっとごまかせ続けることは出来ないと沙英は感じた。それに、友はきっと、受け止めてくれる。そう信じて、沙英は打ち明けようと決心する。
「私ね、いろんなことから、あ……」
「あ?」
なんて呼べばいいんだろう? 沙英はふと、疑問に思った。あいつ? そんな風に扱って、大丈夫なの? そんな風にあつかって、本当になんにもない?
「……いろんなことから、犯人さんのことを、思い出すの」
「『犯人さん』なんて呼ばなくてもいいよ! 沙英を攫ったやつなんか、『あいつ』で十分!」
「……でも」
沙英は刻みつけられた恐怖から、どうしても軽く扱うことに抵抗を覚える。
「……わかったわ。犯人さんでも我慢する」
「ありがとう。……私、『遊ぶ』っていう言葉でも、思い出しちゃうの」
友はそれを聞いて気の毒そうな顔をした。
「……な、なに言われたの? 辛くなかったら、話してよ」
「……君で遊ぶために、ずっと調べてたんだ。今まで放ったらかしにしていてごめんね。今日からは、いっぱい遊んであげるから」
友は顔を引き攣らせた。
「な、なにそれ。本当に、な、何もされなかったの? 大丈夫、なんだよね……?」
「うん。道具……多分、爪切りだと思う。爪切り取りに行ってるうちに、助けてくれた」
ほう、と友は胸を撫でおろした。
「……怖かったね。ごめん、無神経なこと言って」
「いいよ、そんなこと。頭の中に犯人さんが出てくるのにも、もう慣れ始めたから……」
ぎゅっと、友は沙英を抱き締めた。
「そんな、そんな冷たいこと言わないで。私がいるよ。私がそばに。だから」
「ありがとう」
沙英は抱き締め返す。友の体温が伝わって、心の奥にまでその熱は届く。
「ほんとうに、ありがとう。友、大好きだよ……」
強く強く、沙英は友を抱きしめる。
「私も。私も、沙英が大好き」
友は沙英を抱きしめる力を少しだけ強める。もう絶対に、誘拐なんてさせない。沙英は、親友は私が守るんだ。
「……友、ありがと。落ち着いた。さ、行こ?」
「そうね。じゃ、服着替えよっか。……その、大丈夫? 脱がされたとかは……」
「大丈夫だよ、友。私、着替えるのは好き」
自分は何もされなかった。それを確認できる着替えと入浴は、沙英にとっても安心してできる数少ないことだった。
「そうなんだ。じゃ、どんな服着ていく?」
「目立たない服」
他の選択肢は存在しないかのように沙英は言い切った。
「そうなんだ。じゃ、早く着替えてあそ……サボろう!」
「……うん」
沙英と友はいそいそと着替え始める。
「……綺麗な体だね、沙英」
「うん、ありがと。友もだよ」
汚れもせずに、穢れも知らない綺麗な体――友は励ますつもりでそういう意味を込めたのだが、沙英は気付かなかった。
「……これ、目立たないかな」
着替え終わった沙英は、とても地味な女の子になっていた。ごく普通のチェックのスカートに、白のTシャツ。どこからどうみても地味な女の子にしか見えない。
「う、うん、目立たないと思うよ」
友は対象的に活発な格好だった。薄手の長袖、無地で無難な白色のTシャツに、ダメージ加工のされたジーパン。短い髪と相まって、女顔の男と言われれば信じてしまいかもしれない。
「どう?」
「にあってるよ」
「そうじゃなくて。どう見える?」
「どうって、友にしか見えないけど……」
「男に見える?」
どうしてそんなこと言うんだろう、と思いながらも沙英は友の格好を見つめる。
「……見えないこともない、かな……?」
「よし! それじゃ、私は今から沙英の彼氏! こうすれば変なのも寄って来ない!」
変なのも寄って来ない、というところに沙英は惹かれた。
「……じゃあ、よろしく、友」
「おう、まかせとけ、沙英!」
不思議なほど自然な男口調に、沙英は驚く。けれど、そのおかげでまた攫われずに済むなら、沙英はそれでよかった。
「……最初、どこ行く?」
玄関で靴を履きながら、沙英は友に聞いた。
「そうね、いや、そうだな。まあ、オーソドックスにゲーセンでも行こうぜ!」
男装をした友は、豪胆に答える。
「……いってきます、おとーさん、おかーさん」
「え、えっと、オレも言ったほうがいいのかな?」
沙英は首を振った。
「いいよ。これは、私の習慣みたいなものだから」
沙英は玄関を開けようとして、動きを止めた。
「どったの、沙英?」
「もしかしたらまだマスコミの人たちが……」
もし『彼氏』と家から出て行くところを抑えられたら、何を言われるかわからない。沙英はそんなことを考えた。
「……もう三日、いえ四日よね。さすがに下火になっているかもしれないとはいえ……。油断出来ないわね」
友は沙英の不安を笑わずに、真剣に捉える。
「どうすればいいと思う?」
「普通に堂々としてりゃいいのよ。私は女なんだから」
扉を開けしぶる沙英の代わりに、友が勢いよく扉を開けた。
「さ、友! おいで、誰もいないよ!」
周りを一通り確認してから、友は手招きをした。
「う、うん……」
でも、視線が……。沙英はそう言おうとして、やめた。こんなのは自分の被害妄想だ。自意識過剰になっているんだ。こんな一介の女子高生に、マスコミがどうして四日間もつけまわすだろうか。沙英は自虐的にそう考えた。
「よし、じゃ、目指すは駅前ゲームセンター!」
「……う、うん!」
友に合わせるように、沙英は声を出す。
二人は駅前を目指して歩く。