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第五話

 沙英の家は、ごく普通の一般家屋で、友の家と大きさもそう変わらない。

 「さ、どうぞ上がって」

 「うん。お邪魔しま~す」

 「いらっしゃい」

 沙英は微笑もうとして、できなかった。悲しげな表情のまま、友をリビングへと案内する。

 「昨日も来たけど、やっぱり広いね、沙英の家」

 「うん。一人で使うには、広すぎて」

 昨日のように、沙英は友に椅子を勧めた。友は特に遠慮もせず、ちょこんと座る。

 「……ねえ、友」

 「ん~?」

 友は軽く答えるが、内心は冷や汗をかいていた。大丈夫だろうか。本当に何もないのだろうか。

 友は職員室を出たすぐの沙英を思い出す。両親が死んだことも忘れ、何も映さず、虚ろに遠くを見つめる瞳。あのときの沙英の表情が、友は忘れられなかった。もしかしたら、あの顔が、今の沙英の本当の表情だとしたら?  今こうして悲しそうにしてたり、無理に微笑もうとしたりする沙英はみんな、無理して繕っているじゃないだろうか。

 「私、学校、辞めるね」

 「どうして?」

 危うく叫びそうになった自分をこらえて、友は冷静に訊いた。

 「……もう、耐えられない」

 「わ、私達がいるよ」

 無情にも、沙英は首を振った。

 「ありがとう。本当に、助かった。でも、先生たちがあんなこと思ってただなんて、思わなかった。多分、辞めない、って言っても辞めさせられると思う。……もしかしたら、直接的に訴えてくるかも、しれない」

 「直接的に、って?」

 「……攫って、監禁して、それから……」

 それからは、声にならなかった。

 沙英の中で全てを占めているのは、その恐怖。

 もしかしたら先生達も犯人のように、私をどこかに連れ去って監禁して、好き勝手するかもしれない。

 冷静に考えればありえない、と結論付られる考えを、沙英は確実に迫る未来のように感じて仕方がなかった。

 「……でも、それじゃあ」

 友が、そんなことあるわけないじゃん、なんて軽い言葉を沙英に言えるわけがなかった。けれど、危なかったのは事実。あと少しで、そう言っていたかもしれない。

 「……ねえ、友。少しだけ、聞いてくれる?」

 「う、うん」

 今までの話の流れを切るように沙英は言った。まるで、学校のことなど思考の端にも入れたくない、というかのように。

 「私ね、嬉しかった」

 「なにが?」

 「友が、ここに泊まってくれる、って言ってくれて」

 嬉しい、と沙英は言っている。けれど、顔は全然嬉しそうじゃない。無理をしているのだろうか。それとも、感情が麻痺して、何も感じていないのぁろうか。友は沙英の内心を必死で理解しようとする。

 「もし、ここに友がいなかったら私ね、死んでたかも」

 「そんな。沙英が死んだら、悲しいよ」

 「……友は、悲しんでくれるんだね。先生達は、私が死んだら嬉しいみたい」

 昼間の教師達を思い出して、友はまたはらわたが煮えくりかえるような感情を抱く。

 「……まさか、あんな奴らの為に死ぬつもりだったの?」

 沙英は静かに首を振った。

 「ううん。でも、少しだけ疲れちゃって。ごめんね、友。せっかく来てくれたのにこんな話して。ごめんね、あんな話を、友に聞かせて。ごめんね、ごめんね」

 「沙英……」

 友は立ち上がり、謝り続ける沙英を抱きしめた。

 「え、きゃっ」

 沙英はちいさく叫んだが、取り乱したり、暴れたりはしない。どうして抱きしめられたのかわからなかっただけで、特に拒否する理由もなかったので、沙英はされるがままにすることにした。

 「……沙英」

 「なに、友?」

 しっかりと、沙英を抱き締めて、友は言った。

 「……無理、しないで」

 「え、なに、が?」

 「……私は、沙英の親友のつもり。沙英はどう?」

 「私も、だよ。私も、友の親友でいれたら、って思う」

 いれたら、だなんて。友はその謙遜が苛立たしかった。事件の前なら、自信を持って親友だ、と言ってくれたはずなのに。沙英をこんなにしたのは誰だ。

 友はするどい怒りを犯人に向ける。

 「ねえ、私は、覚悟してるよ」

 「……何を?」

 「だからさ、なんでも、話してよ。どんなことでもいい。絶対ないがしろにしないから、相談してよ」

 答えはなかった。けれど、されるがままの沙英が、おっかなびっくり、友を抱き締め返した。

 「……私、ね。嬉しい、よ」

 「ありがと」

 友は優しく言った。

 「……嬉しい、はずなの。辛い、はずなの。悲しい、はずなの」

 友は沙英がやっと近くに来てくれたような感覚がした。今までは取り繕っていた、仮面の沙英。そしてようやく、その仮面の下を見せてくれた……。そんな感覚。

 「必死で嬉しいって思うとするの。頑張って辛いって感じようとするの。どうやったら悲しめるか考えてるの。でも、なんにも思わないの。まるで凍りついたみたいに、嬉しくないし、悲しくないし、辛くないの」

 友は酷く驚いた。ここまで言ってくれるとは、思っていなかった。

 「事件が終わったときはそうでもなかったんだけど、昼間、先生達に辞めろって言われたとき、頭が真っ白になって、それから。それから、私は……」

 嗚咽をこぼすこともなく、淡々と冷静に沙英は言った。

 「ねえ、私どうしちゃったんだろう? 悲しくないとか辛くないとかはいいんだけど、友に優しくしてもらって、嬉しくないとか喜ばないとかは、嫌なの。嫌な筈なんだけど……」

  沙英の独白を聞きながら、友は考える。どうして沙英がこんなことになったのだろう。

  「大丈夫だよ。無理して喜ぼうとしなくてもいいから。ね?」

  「……うん」

  「ん、よし!  ねえ、沙英。明日ちょっと遊びに出ない?」

  「え?  でも、学校……」

  「サボっちゃおうよ!」

  「……うん」

  微笑んで、沙英は言った。もし事件の前なら、きっと嬉しいだろう。そんな推測からの反応だった。

  「じゃ、今日はもう寝ちゃう?」

  「……うん。一緒に寝てくれる?  最近、寝つきが悪くて……」

  目が覚めて、またあの場所だったらどうしよう。本当の自分は今すごい拷問を受けていて、その逃避として、こんな、幸せな夢を見ているのでは、という怯えが、沙英の睡眠を妨害していた。

  「うん、わかった。一緒に寝れば、きっとよく眠れるよ!」

  「……ありがとう」

  本当に私は感謝を感じているのだろうか。沙英は自分の感情にさえ、自信が持てなかった。今感じているのは本心からなのか、それともそう感じなければと思った自分が作り出したものなのか。だんだんバラバラになっていく自分を、沙英は感じていた。

  「さ、お布団、用意しないと……」

  それを隠して、沙英は何事もないかのように振る舞う。

  

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