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第三話


 酷く、落ち着かない。授業を受けているうちに沙英はそう思うようになっていた。視線が痛い。突き刺すような、ねっとりと絡みつく嫌な視線が自分の全てを見つめている。そんな錯覚を彼女は抱く。クラスメイトのものではない。ならば、誰か。

 「……そんな」

 沙英はその人物を確信して、小さく、小さく呟いた。

 教壇に立つ男性教師。彼が、事あるごとに沙英を見つめるのだ。まるで、酷く下卑た物を見るような、とても汚らわしい物を視界に入れているような、そんな目で。それだけでなく、沙英のことや、事件を暗喩するようなことをこれ見よがしに話題にあげてくる。沙英にはそれが嫌がらせのように感じて仕方がなかった。

 「……」

 それから先、沙英はその視線と嫌がらせに晒され続けることになる。休み時間はクラスメイトが優しく話しかけてくれるが、それでも安息には繋がらない。うれしいことにはうれしいのだが、誘拐犯の顔が頭に浮かんで離れなくなるから、沙英は安心や休息は得られないのだ。

 少しづつ、希望を持てていた学校にさえ彼女は怯えを感じるようになってくる。

 「……さ、教科書開いてね」

 唯一の例外は三時間目の女性教師だった。彼女は教師の中で初めて、沙英に優しさを向けた。それが沙英には嬉しかった。

 この人が、私の担任だったら……。

 今の沙英には、そんな他愛ない夢想さえ、遥か彼方を思うのように思えた。

 そして、昼休み。

 「……もう、いや」

 終始下卑た表情を沙英に向けてきた四時間目の教師の授業が終わり、昼休みになると同時に沙英は机に突っ伏した。

 「沙英、大丈夫!?」

 驚いた友が慌てて駆け寄った。

 「ゆ、友……。ご、ごめん、心配、かけたね」

 その心配そうな友の様子が沙英には申し訳なく思えて、気丈に振る舞う。

 「大丈夫だって。何があったの?」

 「……なんにも、ないよ」

 もしかしたら、全部私の気のせい、ううん、全部妄想かもしれないのに、相談なんてできないよ。

  沙英はこの六日間で、自分に対する自信をすっかり失っていた。もしかしたら、自分がこんなに怖いのは、事件後のトラウマでできた被害妄想なのではないだろうか。そんな思いを沙英は振り払うことができなかった。だから、確証が取れるまで、自分を信じれるまで、沙英は言うつもりは一切なかった。

 「……先生達ね?」

 「どうして、そう思うの?」

 驚いたように、沙英は言った。

 「私たちじゃないんでしょ?」

 「うん」

 迷わずに、沙英は言う。クラスメイト達の言葉で誘拐犯を思いだして気分が悪くなってしまうが、それでも沙英は嬉しかった。

 「なら、あいつらしかいないじゃん。今から職員室行くんでしょ?  ついて行ってあげる」

 「え、いいよ」

 沙英はふるふると首を振った。

 「よくない。もし、何かあったらどうするの?」

 何かって、何?  

 沙英は、それを訊けなかった。何を言われるのか全く想像できなくて、言いようのない不安に沙英は襲われる。

 「……う、うん、わかった」

 沙英はおずおずと言った。

 「よし、じゃあ、行こう」

 友に手を引っ張られ、沙英はあの時のことを思い出す。恩人に助けてもらった、あの時を。あの時もこうして、手を引かれていた。あの時は何がなんだかわからなくて、怖かったけど、今は違う。今はとても安心できる。友は自分を守ってくれる。そんな確信が、沙英の中に確かにあった。

 「……ゆ、友」

 「大丈夫、私がいる」

 教室を一歩出ると、そこはもう、沙英の知らない学校だった。いつもの何気ない廊下に、たくさんの人と、視線が向けられている。好奇、疑惑、それらを強く含んだ視線の海に、沙英は酔いそうになった。

 「ごめん。さすがに、クラスの外までは、無理だった」

 その言葉からは、友が沙英のために努力したという事実がにじみ出ていた。

 「……ううん。助かってる」

 もし、友がそのクラスの中さえも努力しなければ、沙英はもう二度と学校に来ようとは思わなかっただろう。

 「……沙英、着いたよ」

 いつも通りの、職員室の扉。しかし、沙英にはここが死刑台につながる扉のようにも思えた。

 自分は罪人なのだ。なんの罪を犯したのかもわからない。けれど、どこかで、攫われて、人生をめちゃくちゃにされるほどの罪を犯したのだ。

 沙英は事件の原因を自分に向けることで、精神的負担を減らそうと無意識に考えていた。

 「……」

 だから、沙英には職員室の扉が死刑台に見えたのだ。

 友が扉を開き、職員室に入る。続いて沙英が入って、二人して驚愕した。

 「……あんたら、なにしてんの?」

 「教師になんて口の利き方だ」

 「じゃあ教師らしいことしてよ」

 入り口を、教師達が囲うように集合していた。入って一番目につきやすい正面には、強面で知られる教師達が陣取っている。その陣形はまるで、ここに来る生徒を威圧するために組んだかのようだった。

 「……そもそも、なぜ大臣、お前がいる。私たちは日割だけを呼んだのだが」

 「ただの付き添い」

 「なら帰れ」

 「帰れるか」

 真正面にいる担任と、友は睨み合う。

 「停学にするぞ」

 「教師らしいことしてよ、って言ったよね。脅すのが教師らしいこと?」

 「黙れ」

 「黙らない。そもそもこんな風に集まってどうする気だったのさ?  もしここに沙英しか来なかったら、あんたら何する気だったの?」

 あんまりだ。

 友は思った。あんまりにも、酷すぎる。何、これ。まるで、数で脅すみたいなことして、沙英に何を……。

 「何も。ただ、話をするだけだ。安心したならとっとと教室に戻れ」

 「戻れるか。あんたら変だ。私も同席する」

 「……これは生徒のプライバシーにも関わる。無関係の生徒に」

 「無関係なんかじゃ、ありません」

 沙英は言ってから、自分でも驚いた。

 「……なんだと?」

 「無関係なんかじゃ、ありません。友は、私の友達です。私を気遣ってくれた、優しい友達です。……無関係だなんで、言わせません」

 そこまで言って、沙英はようやく気付く。

 ああ、そうだ。私、もう誰もいないんだ。と。

 沙英の両親はもういない。彼女は天涯孤独である。だから、教師達の言うところの『関係のある』人間は、もういないのである。沙英は、その事がまるで自分が誰かとどれほど仲良くなっても『無関係』である、と突きつけられたように感じたのだった。それが酷く寂しいことに思えて、沙英は口を開いたのだった。

 「……そうか。仕方ない、そこまで言うなら、大臣、お前に同席を許そう」

 「ずいぶん偉そうじゃない?  私たちの授業料が飯のタネのクセに」

 「ふん。それはお互い様だ。私達皆が辞めれば大学にも行けないクセに吠えるな」

 「……早く、話をしましょう」

 激しく口喧嘩する二人に嫌気が差した沙英は、たまらなくなってそう言った。

 「……わかった。こい、二人とも」

 担任が指差した先は、応接室。担任がそこに入ると、他の教師達もぞろぞろと、応接室に入った。最後に、沙英と友が入る。

 「……友、ごめんね」

 「それを言うのは、まだ早いと思うよ。あと、ごめんじゃなくて、ありがとうって言って欲しいな」

 「……うん」

 友を先頭に、二人は応接室の扉を開けた。

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