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第十六話

  最初の絶叫から約四時間。友はもう、悲鳴を上げることすらできない。爪はおろかもはや指も切りおとされ、腕全体に切り傷や穿孔痕が見受けられた。目からは赤い涙が流れ、瞳があった場所には、もはや赤黒い塊しかない。耳たぶはなく、その穴からはロウソクが流れ、固まっている。唇は軽く縫われ、悲鳴を上げたり口を動かす度に痛むようになっていた。足はなく、周りには肉の塊が無造作に落ちており、足があった場所の近くには、赤に染まったミキサーが落ちていた。全身が真っ赤に染まり、友からはあらゆる反応が欠如している。

  友がこの状態になるまで、沙英は親友が痛めつけられる様をずっと見せつけられていた。嘉蓋の、『沙英のせいだ』と責める声に、凄まじい罪悪感を感じながら。それでも沙英は何度も何度もやめるように頼み込んだが、嘉蓋は全く相手にしなかった。

  教師たちに退学を勧められたときとは比べる余地もないほど、沙英の心は冷え込み、凍りつき、次第に何も感じなくなっていく。人形のようになっていく。

  「さて、と。仕上げ仕上げ」

  嘉蓋は血サビがこびりついたチェーンソウを手に取り、エンジンをふかす。

  「……あっ」

  沙英は親友が殺されることを感じて、短く声を上げた。凍ってしまったと思っていた感情が再び吹き出し始める。対する友は、ぴくりとも動かない。

  嘉蓋は金切り声を上げるチェーンソウを友の胴体に向けると、狙いを定めるようにピタリと突きつける。

  「ま、まって、お願い、殺さないで……っ!」

  沙英が、悲痛な声で懇願する。

  嘉蓋は何も言わず、チェーンソウを友に突き入れた。

  「……」

  うめき声あげずに、友は完全に息絶えた。

  「……っ!」

  「さあ、楽しもう!  前座は終了、次は君だっ!」

  嬉々として近づいてくる嘉蓋に、沙英は何も言わなかった。もう耐えられなかったのだ。

  「……」

  自分が死ぬ、とわかっても、沙英は怖くはなかった。むしろ、友と同じところに逝ける、と嬉しささえ込み上げてきた。

  「……ふふふ、さあ、始めようか……」

  「お父さん」

  嘉蓋が沙英に触れようとしたところで、部屋の扉が開いて、三人の人間が入ってきた。嘉蓋の息子である紗武と、嘉蓋を追っている刑部、桜田の二人だった。

  「……っ。紗武。お前、裏切ったのか?」

  悲しい表情のまま、紗武は首を振った。

  「違うよ。僕は、お父さんに普通の人間になって欲しいんだよ」

  「普通?  普通とはなんだ?  こうやって父親を陥れることかっ!?」

  嘉蓋は沙英を殺すことも忘れて、紗武に突っかかる。

  「違う、違うよ、お父さん。陥れてなんかいない。お父さんがしているのは間違っていることだよ。お父さんは、悪いことではない、って言ってたけど……」

  「お前、父親の僕より他の人間を信じるのか!?」

  激昂する栄に、紗武は静かに頷いた。

  「僕は、お父さんを信用できない。できないよ……」

  「今まで誰が食わせてやったと思ってる?  その恩を仇で返すのかっ!?」

  「……そうなることになったとしても、僕はお父さんに、まともになってほしい」

  「ふざけるな、この親不孝者がっ!」

  栄はカートの中にあった鉈を手に取ると、思い切り振り上げ、紗武に向かって行った。死ぬ事を覚悟していたのか、紗武は父親を見据え、一歩も動かない。

  「ダメですよ。嘉蓋  栄」

  紗武に刃が振り下ろされようとしたとき、今まで静観していた刑部が前に出てきて、鉈を持つ栄の手首を掴んだのだ。そのまま手首を返し、背中に回って栄が動けなくなる。

  「ぐっ」

  「嘉蓋  栄。嘉蓋 紗武殺人未遂の現行犯で逮捕します。余罪がゴロゴロ出てきそうですね」

  もちろん、その余罪の中には十年来に渡る連続殺人も入っている。とりあえず今は拘束しておけば、少なくとも逃げられる事はない。

  「……っ」

  栄は観念したのか、短く項垂れた。

  「……君、大丈夫?」

  栄が捕まったことを確認すると、紗武は沙英の元に行き、拘束を外した。

  拘束が外れても、沙英は椅子から離れようとはしなかった。逃げたらまた誰かが死ぬ、という強迫観念に縛られているのだ。

  「もう大丈夫だよ、だから、ね?」

  「……大丈夫……?」

  沙英は掠れた声で囁くように言った。

  「うん、もう大丈夫。もう君を狙う人も、君の身代わりに人を殺す人もいないよ」

  「……」

  沙英に見つめられて、紗武はぞっと背筋に冷たいものが走った。沙英の表情が、何を表しているのかわからなかったからだ。絶望、恐怖、怒り、焦燥、悲しみ、苦しみ……。そのどれかのように思えたし、その全てにも思えた。

  「……犯人は?」

  何も映さず、何処も見ていない瞳に僅かだが力が戻る。

  「……刑事さんに捕まったよ」

  「……」

  ふらりと沙英は立ち上がると、栄が使っていたカートに近づき、中を弄る。

  「何をしているの?」

  紗武が聞くと、沙英はなんでもないことのように答えた。

  「犯人を殺すの」

  次に振り返った沙英の手には、鋭く研がれた包丁が握られていた。切っ先は違わず、栄の方を向いている。

  「沙英ちゃん、落ち着いて」

  その様子に気付いた桜田が、刺激しないように言う。

  「落ち着いている、私は落ち着いてる」

  表情は何も浮かべず、静かな、けれど確かな憎悪を心の内に灯しながら、沙英は栄に一歩近付いた。

  「……沙英さん、彼はもう捕まりました。あとは法の裁きを……」

  「それが?」

  沙英は冷酷なまでに冷たい声で言った。

  「捕まったからなんですか?  法の裁きって決まり文句みたいに言いますけど、それが下るのに何年かかるんですか?  私の代わりに法が裁くというのなら、もちろん犯人を殺してくれるのでしょうね?」

  沙英は淡々と言いながら、また一歩近付く。誰も彼女に近付けないのは、沙英が暴れることを考えて、とにかく説得することに重きを置いているからである。

  「時間はかかります。けれど、この犯人に限っていえば、死刑はもはや確定です。証拠も次から次へと上がっています。だから」

  「死刑というのは、残酷なんですか?  一週間かけて苦しめたりとか、想像も絶するような痛みを与えたりするんですか?」

  また一歩近付きながら、沙英は言う。

  「……それはできない」

  「おかしいと思いませんか?  犯人は何人もの人を苦しめて、私のことを一番に思ってくれた友に、あんな、あんな悲鳴まで上げさせてッ!  それで、捕まって、死刑で、死ぬのは一瞬?  ふざけないでっ!」

  沙英は感情をせき止める堤が壊れたように怒りを露わに叫んだ。

  「落ち着いて、沙英ちゃん。絞首刑っていうのもある程度苦しいから……」

  「だからなに!?  友がされたみたいにカッターナイフで爪を剥がされる痛みがあるの!?  首の皮を切り取られる恐怖があるのっ!?  目を少しづつ削られて、目をハンドミキサーで抉られる苦しみがあるとでもいうのッ!?  私は、犯人が友にした全てのことを犯人が受ける以外には、認めないっ!」

  はあ、はあ、はあ。沙英の短い呼吸が静かになった部屋に響く。

  「沙英ちゃん、気持ちはわかるわ。でも、あなたがそれをしたら、やっぱり、栄と同じことをすることになるのよ?」

  「友の仇をとるためなら、犯人と同じ罪を受けても構わない!  私は、私は、その人を殺すっ!」

  沙英は走り、一気に距離を詰め、憎悪が込められた刃を栄に向けて思い切り突き出した。

  「……ダメ」

  桜田が栄をかばう様に出て、沙英の手首をとった。刑部が栄にしたように手首を返すことをせず、そのままの体制で説得しようとする。

  「あなたの気持ちはよくわかる。わかる。けど、ガマンして。お願い。酷いこと言ってるのはわかってる。けど、あなたに殺人者になってほしくないの……」

  「そんなもの、関係ないっ!  私は、その人を、そいつを殺さなきゃ、いけないのっ!」

  沙英は桜田から逃れようと、必死に暴れるが、桜田は彼女の手を掴んで離さない。

  「……友ちゃんがそんなことを望んでるとでも」

  「誰が友のためだなんて言ったのっ!  私は私がそいつを殺したいから殺そうとしてるんだっ!  私は復讐したいんだッ! 友は関係ないっ!  それに、それに……ッ!」

  そこで、沙英の力が少し抜けた。彼女の瞳から、一筋透明な液体が流れる。

  「……それに、もし友が幽霊になってるとしても……。あんな殺され方して、まともな友が残ってるなんて、思えないよ……。桜田さん、知ってる?  友、殺される瞬間、悲鳴を上げなかったんだよ?  痛すぎて、苦しすぎて、なんにも感じなくなっちゃんたんだよ?  私のせいで! ……私の、せいで……」

  沙英の腕に力が抜けたことを感じて、桜田は手を離した。沙英の腕はそのまま、力なく垂れ下がる。

  「自分を責めないで、沙英ちゃん」

  「無理だよ。私、友のお母さんになんて言えばいいの?  私が犯人から逃げたから、あなたの娘さんは殺されました、って?  誰がどう見ても私のせいじゃない!  ……犯人を殺すな、自分を責めるな、それじゃあ私はどうすればいいの?  被害者ヅラしてさめざめと泣けって?  少なくとも二人は私のせいで死んだ人がいるのに!?」

  「……っ」

  桜田は何も言えなかった。この事件は法的には間違いなく栄が悪いと断じられるだろう。けれど、何も知らない、いや、犯行声明を聞いた、ほんの少しだけ知っている民衆は一体どう思うだろう?  沙英を被害者ではなく、加害者の一人であると断じる可能性がないとはいえない。

  「……ほら、桜田さんも、私が悪いと思ってる」

  やっぱりね、というふうな顔を沙英は浮かべた。

  「違うわ、沙英ちゃん。あなたは悪くないの。悪いのはあなたを殺すと決めた犯人。だから、そんな風に自分を追い詰めないで」

  「……私は……私は友を殺したも、同じなんだ。だから……」

  沙英は静かに、桜田の言葉を否定すると、手にした包丁をゆっくりと持ち上げる。

  「桜田さん、何をしているんですかっ!  早く彼女を抑えてっ!」

  「はいっ!」

  何を言われているのか桜田にはわからなかったが、とりあえず彼女は動いて、沙英を抑えにかかった。桜田が沙英の手を掴むのと、包丁が沙英の首の薄皮を突き破ったのとは、ほぼ同時だった。彼女の首筋から血が少し流れる。

  「……何を、しているの?」

  「友のところに逝こうかな、って。そうすれば、友、許してくれるかな、って……」

  それは説明をしている口調ではなかった。まるで誰かに祈るような、まるで誰かに言い訳をするような、そんな感じだった。

  「……少し、ついてきてくれる?  その、事情聴取とか、あるから……」

 「……」

  桜田はここでの説得を諦めた。とりあえず今はここから離れて、時間をおかなくては。そう考えた桜田は、沙英も警察署に連れて行くことにした。

  「……こちら桜田。嘉蓋栄を殺人未遂の現行犯で逮捕しました。応援お願いします……」

  『了解』

  無線から流れる声が、やけに響いた。

  

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