第十三話
友の自宅では、沙英と友と慈亜が、夕飯を採っていた。
テーブルの上に並べられた様々な料理を、沙英と友は思い思いにつついていく。
「……おいしい?」
「うん!」
「うん、おいしいよ、お母さん」
慈亜の質問にすぐに二人は答えた。友は毎日慈亜の手料理を食べているため特になにも思わなかったが、沙英はそうではない。久々にまともな食事をしたことも相まって、慈亜の料理が世界最高のようにも感じられた。
「ふふふ、そう言ってくれてうれしいわ、沙英ちゃん」
慈亜は頬に微笑みをたたえたが、それは少しだけぎこちなかった。それは彼女が沙英に言わなければならないことの重さゆえであった。悟られたか、と彼女は不安になったが、沙英にはもちろん、娘の友にも悟られた様子は見当たらなかった。二人ともつかの間の幸せを目一杯楽しもうとするかのように歓談している。
「うん、おいしいね、友」
「でしょ? 私も好きなの」
お味噌汁を飲みながら、楽しそうな会話をする二人。もしかしたら自分の一言が二人の、主に沙英の幸せを奪ってしまうのではないか、と慈亜は思った。
「……沙英ちゃん」
それでも静かに、彼女は口を開いた。大丈夫。きっと上手くいく。先ほども思ったように自分に言い聞かすが、不安は晴れない。不安はなくならないが、彼女は勇気を持って、沙英に必要なことだと信じて、言った。
「……沙英ちゃん、カウンセリング、受けてみる気はない?」
「……え?」
沙英の動きが止まった。あまりに突拍子もないことだったらしく、彼女は何を言われているのか理解できないようだった。
友は慈亜に感心したような表情を見せた。慈亜がカウンセリングという単語を知っていることが、意外だったのだ。そして、その単語にマイナスのイメージを持っていないことや、沙英に配慮して精神科を勧めなかったことも、同様に感心していた。
「……カウン……セリング?」
「ええ。カウンセリングっていうのは……その、相談するところよ」
沙英にマイナスイメージを植え付けないよう、探りながら説明する。
「……相談? ……何を相談するの? 人生の悩みとか?」
「ええ、そうよ」
沙英の表情は明るくならない。
「……嫌。私のこと、友やおばさん、おじさん以外には誰にも知られたくない……っ」
沙英はかぶりを振って、自らの体を抱きしめた。
「……ごめんなさい、おばさん。お話はうれしいけど、私は……」
誰かに自分の事情が知られる。それは沙英にとって、恐怖以外の何ものでもない。
「……そう。別にかまわないのよ」
こんな様子では精神科になんてとても連れていけない。慈亜も友も、同じことを考えた。
「……わかってくれてありがとう、おばさん、友」
沙英はお礼を言うと、慈亜と友を抱きしめた。二人の温もりが沙英に伝わる。
「……本当に、ありがとう」
二人を離すと、沙英はお礼を言った。
「ううん、気にしないで」
「気にしないで、沙英ちゃん」
二人がそう言った、その時。
ピンポーン……。
大臣家のインターホンが鳴った。
「お父さんかな? 私、出てくるよ」
「そうかしら? あの人は鍵をちゃんと持っていってるし、宅配便じゃないかしら?」
「かもね」
そう言って友はリビングを出て、玄関に向かっていった。
「ねえ、沙英ちゃん」
二人きりになったところで、慈亜が沙英に話しかけた。
「なに?」
「あなたは、友のことをどう思ってるのかしら」
慈亜がそう聞いたのには、ある理由がある。
沙英がこの家に入って来たとき、彼女は友に抱きついた格好だった。それからも、沙英は友の隣、友の近くを離れようとはしない。その情景が、慈亜の目には沙英が友に依存しているとしか見えなかった。もし依存しているとしても慈亜はすぐに引き離すようなことはしないが、二人の扱い方を考えることはするだろう。
「……親友、だと思う。親友でいたい。……けど、私なんかが親友でも、いいのかな……」
沙英は縋るような視線を慈亜に向け、自分の心を決めかねているような言葉を口にした。
「いいに決まってるじゃない。あの子もあなたを親友だと思っているから、こうして助けているんでしょ?」
「……」
沙英はすぐに頷くことができなかった。友はただ同情してくれただけで、親友だからではないのでは……そんな思いが彼女を縛っていた。
「……今は、まだそう思えないかもしれないわ。……でもね」
慈亜は沙英の手を取って、しっかりと両手で包み込んだ。
「でもね、いつか、いつかきっと、友のことを親友だ、って思える日が来るわ」
「……ほんとう?」
「ええ。本当よ」
しっかりと、慈亜は頷いた。
「あなたがわからなくても、あなたに自信がなかったとしても、友も、私も、あなたの親友よ」
「……」
慈亜にここまで言われても、沙英の中に自信が生まれることはなかった。沙英の中はただ不安だけが渦巻いて、ただ心細さだけが漂っている。
「……友」
それを払拭しようと、試しに呟いてみる。少しだけ、心の中が暖かくなったような気がした。攫われてからもう六日。その内の半分を友と共に過ごした。友が家のインターホンを押す前までは、寂しくて、不安で、怖くて、死にたくなるぐらい心細かった。けれど、友が来てからは、違った。不安で、怖いのは変わらない。でも、寂しいのはなくなった。心細さも幾分か晴れた。それは全て、隣に友がいたから。
「……友と親友で、いていいの?」
「ええ、もちろんよ」
「親友で、いていい……」
もう一度自分で呟いて、慈亜に認めてもらう。すると沙英の中に、友と親友でもいてもいいという確証が僅かに生まれる。
「……友と、親友」
嬉しい。呟くだけで、胸の奥が、ほんわりと暖かくなっていく。
「……友は?」
ふと、そこで。慈亜がキョロキョロと辺りを見回した。
「あれ、おかしいわね。いくらなんでも遅い気が……」
「私っ、見て来ます!」
「沙英ちゃん!?」
嫌な予感がして、沙英は駆け出した。もしかして、もしかしたら! 玄関へ出る。扉は開いたまま--宅配便の姿もない--どころか、友の姿も、誰の姿も見えない--!
「友!」
叫んで沙英は飛び出した。このときの彼女は、怯えて不安に震えていた沙英とは思えないほど、堂々とした声だった。
--しかし。
「きっ……!」
突如後頭部を強打された。沙英は悲鳴を上げきる前に気絶していた。
「……沙英ちゃんっ!?」
ほんの少し経って慈亜は玄関に着いたが、友も沙英も、すでにどこにもいなかった。
「……そんな……う、嘘でしょ……?」
娘も、親友も。慈亜にはどちらも自分の手から消えてしまったような気がした。ふと、玄関前の床に目がいった。
「……っ!」
それは、数滴の血液だった。消えた二人、血液、そして、殺害予告。彼女の中でそれらの単語が一つの意味をもって繋がった。
「……友、沙英ちゃん」
絶望に包まれ、慈亜はその場にへたり込んだ。