第三閑話
沙英の殺害予告テープを流したテレビ局では、現在大騒ぎが起きていた。スタジオでは、人だかりができ、その中心は一人の大柄な男性だった。彼は責任者らしき人物の胸ぐらをひっつかんで、口汚く怒鳴り散らしている。
「あなたたち今何をやったのかわかっているのですか! 無辜の市民の多くと、一人の少女と、被害者の家族を恐怖と絶望に陥れたのですよ!?」
彼は、普段、誰にでも丁寧語で優しく話す男性警官、刑部 敬二だった。人だかりの外側では、珍しいことに桜田 桂香がオロオロと刑部の様子を見守っていた。
「そ、そんなことを言われましても、うちにはうちの事情というものがありましてっ」
胸ぐらを掴まれているディレクターは、途切れ途切れに言い訳をした。その表情は真剣で、嘘を言っているようには見えない。
「ならその事情というものを言ってみてください! 一人の少女を恐怖に陥れ、たくさんの人々を不快にさせ、我々の手を煩わせるほどなのです、よっぽどの事情なのでしょうねっ!?」
刑部は凄んだが、ディレクターの表情が変わることはなかった。
「ええ、よっぽどの事情なんですよっ! 刑事さん、あのテープを聞いたでしょう? あの時殺されていた娘は、私の娘なのですよ!」
刑部は目を見開いた。ディレクターはまだ言葉を止めない。
「これを流さなければ次々と家族を殺していく……こんなこと言われて、流さないわけないでしょうがっ! 私は家族を守りたかった! でも、あの子は……彩絵花はできなかった! だから、もうこれ以上誰も死なせたくないと思うのは、普通でしょうっ!? 何も知らないあなたに、とやかく言われたくない!」
そこまで言うと、彼の目には涙が溜まっていた。彼の様子に気圧され、刑部は掴んでいた手を離した。
「……すみませんでした」
そして、素直に頭を下げた。その態度に毒毛を抜かれたのか、嘆息して言った。
「……謝らないでください。たしかに私は家族を守りたかった。けれど、やはり許されることではないでしょう。それぐらいは、わかります」
神妙な面持ちで、彼は言う。
彼とて、好き好んであんなテープを全国区に放映したわけではない。してはいけないことだとわかっていながら、それでもせずにはいられなかったのだ。
愛する家族を守るために。
「……その辺は、おそらく考慮されると思います。けれど、参考人として、少し来てもらえますか?」
元の口調にもどって、刑部は言った。
テープがどこから送られて来たか、どうやって指示をされたのか……聞くべきことはたくさんある。
「わかりました。私で役に立てるかわかりませんが……。刑事さん、絶対に娘の仇を捕まえてください」
「……はい、必ず」
静かに刑部は頷く。彼はディレクターの背中を押し、表に止めてある車まで連れて行く。
「……ヒヤヒヤさせないでください、刑部警部。また民間人と暴力沙汰かと思ったじゃないですか」
車に乗り込むと、桜田は胸をなでおろした。桜田が運転席、刑部とディレクターが後部座席に座っている。運転に慣れている刑部が運転しないのは、もしディレクターが逃げた時のためである。
「……なんか、またって。私は未だかつて民間人と暴力沙汰を起こしたことはありませんよ。嘘をつかないでください」
胸ぐらを掴む時点でもう暴力沙汰だ、と桜田は思ったが、口には出さないでおいた。
「沙英ちゃん、大丈夫でしょうか」
代わりに、沙英――今は乖離状態となって寝かされている少女――を想った。
「……おそらく、犯人に名指しで殺害予告をされたのですから、先ほどのように茫然自失状態でしょうね。錯乱して暴れているかもしれませんね」
「……」
沙英。その名前を、ディレクターはよく覚えていた。犯人が狙う本命の標的であり、犯人から無傷で生還したこともある『奇跡の少女』。彼は勝手に気丈な少女であるように想像していたが、二人の会話を聞く限り、そうではない、どころかずいぶんと脆い少女のようだ、と思い直した。
「では、桜田さん。行きましょうか」
「はい、刑部さん」
桜田は返事をするとアクセルを踏んだ。
彼らが警察署に着いたのは、沙英が再びまとまな思考ができるようになってからだった。
「では、色々聞かせてもらいますね」
「……はい」
車から降りながら、刑部はディレクターに確認を取る。
「あのテープはどこから送られて来たんですか?」
取り調べ室に向かいながらも、刑部は質問する。
「……コンビニから、です。名前は折笠 軋識という名前でした」
偽名で、しかもコンビニ。特定は不可能、か。刑部は少し落胆する。しばらくすると、取り調べ室の前に着いた。扉を開け、ディレクターに席を勧める。桜田は外で待機する。ディレクターは頷くと、パイプ椅子に座った。
「……では、あなたはどのように指示をされたのですか?」
「テープと一緒に紙が入っていて。そこに、『これを次のニュースで放映しろ。そうしなければ大切なものが死んでいくことになる』と書かれていました」
「その紙は、今どこに?」
ディレクターは一度唾を飲み込むと、決意したように、言った。
「……テレビ局に、私のデスクがあります。そこの引き出しの中に……あの子の、指と一緒に……」
そこまで言うと、ディレクターはカタカタと震え始め、頭を抱えた。刑部がその背中を優しくなでる。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫なものか。なぜあの子があんな痛そうな声を上げて死なねばならなかったのだ。なぜだ、なぜ……」
答えの出ない疑問を、彼はいつまでもいつまでも続けた。
それから、一時間ほどしてからのこと。取り調べ室のすぐそばにある休憩スペースに刑部と桜田の二人はいた。
「……コーヒー、いりますか?」
桜田は首を振った。刑部はそうですか、と言うとコインを自動販売機に入れ、コーヒーを買った。それを取り出すと、プルタブを開け、一気にあおる。
「豪快な飲みっぷりですね」
「……これがお酒だったら、と割と本気で思いますよ」
買ってわずか数十秒でコーヒー缶は空になった。くずかごにそれを捨てると、そばにあるベンチに座った。
「隣、座ります?」
「ご遠慮します。……あの人、どうなりました?」
あの人、とはディレクターのことだ。
「あれから少しすると落ち着きまして、帰らせました。特に情報も得られませんでしたね」
「……そうではなくて」
桜田はため息をついた。どうしてこの人はこうも人の心情を察するのが下手なのだ。
「あの人、その、カウンセリングを受けなくでも大丈夫なのでしょうか? 一人娘を失ったとたんに、私達が追い討ちをかけるようにして問い詰めたものですから、きっと……」
きっと、心に傷を受けているに違いない。彼女はそう思っていた。
「……優しいですね、あなたは」
「そんなことはありません」
「……そうですか。彼なら、大丈夫ですよ。そう思っていなさい。彼は沙英さんと違って大人です。他人が無理やり連れて行かなくとも、必要に駆られれば精神科なりカウンセリングなり受けにいきますよ」
「そうでしょうか」
桜田はとてもそうなるとは思えなかった。どちらかといえば、娘の仇をとるため、犯人を殺害する……そんな気迫さえ伝わってきた。それに気付いていながら桜田が何も言わなかったのは、嘉蓋の場所は自分達でも掴めないのだから、民間人が掴めるはずかないという楽観のような予測。そして、彼女の私怨……つまり。
十年間もの間残虐な殺人を理由もなく繰り返すような殺人鬼が跋扈するなど、ありえてはならない。できることなら、彼が犯人を殺してくれれば、少しは平和になるのに。そんな、警察らしからぬ情念からだった。