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第十話

  「ただいま」

  友はふるえる沙英を抱きしめたまま、自宅の扉を開けた。どこにでもある日本家屋だが、日本で唯一沙英が安心できる場所であった。

  「おかえり。ずいぶん早いわね、どうかしたの?」

  友はすぐに答えることができなかった。友の両親は彼女が学校に行っているものだと信じているのだから。今更になって、友は学校をさぼったことを……正確にいうなら、サボることを両親に知らせなかったことを後悔していた。事情を説明し、説得したのなら沙英を外に連れ出す事を許可してくれたかもしれないのに、友はそれをしなかった。たとえ表向きは沙英のためであっても、サボることには変わりないのだ。後ろめたい気持ちがなかったわけではない。それが、友に事情を説明することをためらわせ、結果的に両親を裏切る形になってしまった。

  「……返事が遅いわね。まさかさぼりかしら?」

  リビングから友の母親が顔を出した。適度にシワのよった、一児の母親らしい顔立ちの女性だ。娘が学校をサボったかもしれない、と思っていても温厚そうな表情を崩さない。

  「……沙英ちゃん」

  しかし、その表情は友にしがみつくように抱きつき、うつむいている沙英を見ると引き締められた。

  「お、お母さん、お願い、沙英は悪くないの、だから、もう少しだけ怒るのを待って!」

  何が沙英の中にある傷を抉るかわからない今、ただサボりを怒られることさえ、気をつけなければいけない。そう思って友は懇願した。

  「友、落ち着いて。あなたが取り乱してはいけないわ。そうでしょう?」

  友の母、大臣  慈亜はゆっくりとした足取りで友と沙英に近づく。

  「で、でも」

  「私は行為を責めないわ。人間、何をしたかではなく、何を思って行動したか、でしょう?」

  そっと友と沙英の肩に触れ、そのまま抱きしめた。

  「お、お母さん……」

  気恥ずかしくて、友は顔を赤くする。人の温もりが増えて、沙英は少し安心する。

  「たとえ美しいと見られる行為をしたとしても、その時の心が美しくなければ、意味はないわ。たとえ人を救おうと、それが打算に満ち溢れていては美しくはないし、褒められたことではない……そう思うでしょ?」

  「うん、私もそう思う」

  「……そう」

  この時、慈亜は娘を試していた。もしここで娘が後ろめたそうにしたのなら、慈亜は娘に釘を刺すつもりだった。もちろん彼女は自分の娘を信じているし、先の質問も便宜的なものでしかない。

  正直なところで言えば慈亜は人助けなら打算があっても構わないと思うし、少しの打算もなしでは人助けなど出来ないとも思っている。それでも彼女は、自分の娘だけは打算抜きで人助けがてきるような、優しい子になってほしかった。親のエゴだということも重々承知で、友を優しい子になるよう育ててきた。

  「……とりあえず、友も沙英ちゃんも、上がりなさいな。こんなところで温めあっていても、なんにもならないでしょう?」

  くすりと微笑んで、慈亜は二人をリビングへと上げる。

  「靴、脱ぎ忘れないでね」

  「あ、うん。……沙英、靴脱いで」

  「……うん」

  沙英は言われるまま、靴を脱いで家に上がった。

  「おじゃまします……」

  「いらっしゃい。さ、怒らないから、安心して座って」

  リビングまで来ると、慈亜がお茶を用意して、友と沙英に席を進めた。背の低いテーブルに座布団が二人分置いてある。その向かい側には、慈愛の表情を浮かべながら慈亜が座っている。

  「うん、ありがと、お母さん」

  「……どうも……ありがとうございます」

  二人は彼女にお礼を言うと、正座で座った。

  「気にしないで。……それで、どうしたのかしら?  ……こんな時間に」

  慈亜はすっと目を細めて、友を見た。

  「え、あの、その、じ、実は……」

  友はとたんに慌てて、言い訳をするように事情を説明し始めた。


  「……そういうことね」

  慈亜は一通り話を聞くと、カップを傾け、お茶をすすった。

  「……お母さん、その、沙英のことなんだけど」

  「沙英ちゃんはどうするの?  泊まっていくの?  それとも、夜は帰る?」

  「……わ、私は」

  きゅっと、沙英は膝の上に置いた両手を固く握りしめた。安心したのか、もう友を抱きしめようとはしなかった。

  「私は……夜、帰ります」

  「別にいいのよ、泊まっても」

  「……で、でも」

  「不安?」

  「……はい」

  沙英は素直に頷いた。

  「迷惑だと……思います。私は、きっと、狙われてるかも、しれないから」

  先ほど、二人の警官が言っていたことを、沙英は思い出す。嘉蓋が未だに自分を狙っていると知らされて……しばらくいしきが飛んで、それから回復した彼女が真っ先に心配したのは、友の身だった。自分が狙われているなら、友も一緒に狙われてしまうかもしれない。そんな懸念がどうしても拭いきれなかった。

  「狙われているから、一人でいたい?  ……うちの娘が一緒に狙われないか、不安なの?」

  ゆっくりと沙英は頷いた。

  「……そう。わかったわ。じゃあ、寝るときだけ、自分の家におかえりなさい」

  「はい」

  「ちょ、ちょっとお母さんっ!?」

  あっさりと決断した慈亜に、友は思わず抗議した。

  「なにかしら?」

  「と、泊めてあげようよっ!  狙われているのに一人で寝るなんて危険すぎるよ!」

  それを聞いて、慈亜は驚きに目を見開いた。

  「……沙英ちゃん、一人なの?」

  慈亜は両親がいないことを今まで知らなかった。それは沙英が隠していたからに他ならないが……今、沙英はそれを隠そうとはしなかった。

  「はい。……でも、そっちのほうが気が楽です」

  もし誰かに押しいられても、攫われるのも乱暴されるのも殺されるのも、全部一人で済む。誰かが一緒に被害に遭うよりは、そっちの方がはるかにいい。沙英はそう思っている。

  「……そうなの。でもね、私は一人でいるよりは多くの人がかたまっていたほうが安全だと思うのよ」

  「……」

  「だから、泊まっていきなさいな。私も、ここで帰してあなたの身に何かあったら寝覚めが悪いわ。私達を助けると思って、ね?」

  「……」

  沙英は慈愛の提案にすぐ賛成することができなかった。理屈では、一人よりは安全であることなどわかっている。けれど、不安は拭えない。むしろ、恐怖は増すばかりである。

  もし、自分がここに泊まったせいで、友や、友の家族に被害が出たら……。

  そう思う傍で、人恋しい自分がいることも沙英は否定しなかった。昨日友と一緒に眠って、いつものように夢を見た。けれど、すぐに安心できたのだ。あれが夢だったと。友となら、いくらでも一緒に眠りたい。そう思っていた。

  「……強情ねぇ。ほら、友からも何か言ってあげて」

  母親に急に話を振られ、戸惑いながらも友は口を開いた。

  「ね、ねえ、沙英。一緒に泊まろうよ。昨日は泊めてもらったから、今日は泊まっていって。私は沙英と一緒に寝たいな、沙英はどう?」

  ストレートな言葉に、沙英は心動かされた。

  「……私も、友と一緒がいい……」

  おずおずと、消え入りそうな声で、しかし確実に沙英は言った。

  「それはよかったわ!  そうと決まれば、さ、ゆっくりしていってね。……テレビでも見る?

  「え」

  慈亜はそばにあったテレビのリモコンを持つと、電源を入れた。

  「……っ!?  お、お母さんっ!」

  「……そんな」

  慈亜がテレビの電源を入れるのと、二人の問題警察官が覆面パトカーのラジオをつけたのはほぼ同時だった。

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