第8話 本当の気持ちに気づく時
秋の空は、高く澄んでいた。
体育祭当日。
校内は朝からざわめき、普段は静かな廊下にも笑い声が溢れている。
桐谷陽斗は、クラスのテントの下で空を見上げていた。
青すぎるほどの空。
なのに、胸の奥は落ち着かなかった。
(篠宮さん……)
視線は無意識のうちに、二組のテントを探している。
ここ数日、少しずつ会話は戻ってきていた。
挨拶だけだった関係から、短い雑談ができるくらいには。
それでも、まだ以前の距離には戻れていない。
近づきたい。
でも、踏み出す勇気が足りない。
そんな気持ちを抱えたまま、競技が始まった。
◇
午前の競技が進む中、陽斗はリレーの補欠としてグラウンド脇に立っていた。
ふと、視線を感じる。
観客席の向こう側。
透花がこちらを見ていた。
目が合う。
一瞬、どちらともなく視線を逸らしたが、すぐに彼女は小さく手を振った。
陽斗は、少し遅れて手を振り返す。
それだけのやり取りなのに、胸が温かくなった。
(……やっぱり)
その瞬間、はっきりと分かった。
自分は、彼女が好きだ。
曖昧でも、迷いでもない。
離れて苦しかった理由。
声をかけられなかった後悔。
見つめてしまう視線。
全部、同じ答えに繋がっていた。
◇
一方、透花もまた、テントの陰で胸を押さえていた。
(今、目が合った……)
たったそれだけで、鼓動が速くなる。
夏から続くこの感情を、もう誤魔化せなくなっていた。
近づくと苦しくて、離れるともっと苦しい。
それでも、彼の姿を探してしまう。
それが何なのか、もう分かっている。
(私……)
透花は、小さく息を吸った。
(桐谷くんのこと、好きなんだ)
気づいた瞬間、胸が少し痛んだ。
同時に、少しだけ楽にもなった。
やっと、自分の気持ちに名前をつけられたから。
◇
午後。
競技の合間、陽斗は一人、校舎裏へ向かった。
頭を整理したかった。
逃げ続けてきた気持ちと、ちゃんと向き合うために。
そこには、誰もいないはずだった。
「……桐谷くん」
振り向くと、透花が立っていた。
「篠宮さん……」
彼女も、少し戸惑った表情をしている。
「ここ、人が少ないので……」
「はい。僕も……」
言葉が途切れる。
沈黙。
けれど、不思議と逃げたいとは思わなかった。
「体育祭、どうですか?」
透花が聞いた。
「楽しいです。でも……」
「でも?」
「それより、考えてることがあって」
胸が強く鳴る。
言ってしまいそうになるのを、必死で抑えた。
まだ、タイミングじゃない気がした。
透花も、同じように何かを言いかけて、やめた。
二人とも、同じ場所で立ち止まっている。
でも、以前とは違う。
心は、同じ方向を向いていた。
◇
体育祭の最後。
全校生徒がグラウンドに集まり、閉会式が行われた。
夕方の空が、少しずつ橙色に染まっていく。
その空を見ながら、陽斗は決めていた。
(ちゃんと、伝えよう)
もう逃げない。
失うのが怖くても、それ以上に、何も言えず終わるのが嫌だった。
透花もまた、同じ空を見上げていた。
(もし、桐谷くんが……)
その先を考えると、胸が震える。
でも、逃げたくなかった。
好きだと気づいてしまった今、曖昧なままではいられなかった。
◇
夕焼けの校庭。
二人の影が、長く伸びている。
まだ言葉にはしていない。
けれど、同じ答えにたどり着いたことだけは、確かだった。
あとは――
どちらが、最初の一歩を踏み出すか。
秋風が、静かに吹き抜けた。
⸻
第8話 完




